17 辺境伯領の冒険者

 御主人様がゴブリンと邂逅しているころ、冒険者の一行は森の入口に立っていた。


「いつもながら鬱蒼としているな……近くにゴブリンはいなさそう。最初の拠点にするには良さそうな場所だな」


 森の手前に颯爽と仁王立ちして呟いているのは辺境伯領有数のパーティの一つである《乙女の涙》のリーダー(仮)アリサである。腰に剣を指し、背嚢を背中に背負っている。背嚢の中にはこれから奥深く入っていく森で過ごすための必需品が入って居る。


「それよりお風呂に入らせて。ここにつくまでに汗かいちゃって、ちょっと臭うのよ」


 エスティが言う。


「……でもお風呂はないぴょん。自分で作るの?」


 リーナが言う


「《浄化》魔法で十分でしょ?」


 回復術師のミーアが杖を持ち上げながら言う。


「いい、こういうのは気分の問題よ。魔法じゃお風呂に入る感覚は味わえないじゃない。暖かいお風呂に肩まで浸かって、のぼせる寸前までお風呂に入っているのがいいのじゃないの」


「諦めるぴょん」


「……頭痛い」


「昨日、お酒を飲み過ぎたの?駄目ですよもう年なんだから?」


「アリサは、まだ18なんですけど……。頭が痛いのは、あなたたちの問題行動が原因ですよ」


 《乙女の涙》のリーダー(仮)アリサが言う。アリサに取って他三人の奔放過ぎる行動は頭痛の種である。それでいてパーティがしっかり機能しているので余計に頭が痛い。これが大きなミスでも起こそうものならばキツく言う事も出来るのであるが自由勝手に行動させた方がパーティの連携がうまくいくのである。それも以心伝心していうかの様にタイミングがピタリと合うのである。実際は誰もそんな事は考えては居らず勝手にやっているだけである。むしろ行動を制限させると連携が逆に上手くいかないのだ。これは何度か試したのでハッキリしている。アリサはフォーメーションの練習をしようと何度か試した訳だがどういうわけか勝手に行動させたときと比べて連携が全く旨く行かないので最後には自由に行動させることにして諦めたのだ。


「やだなぁ、18じゃあもう行き遅れじゃない」


 エスティが煽る。


「数年後にはエスティも仲間でしょ」


「違うもん。エスティは永遠の13歳だし、その前に王子様が現れるもん」


 アルム王国に於ける結婚適齢年齢は14歳前後とされている。永遠の13歳と言うことは永遠に適齢期にならないと言っているのである。ちなみに20歳で年増、25歳で中年増だ。アリサは数年後ともなれば、中年増にリーチが掛かっている訳である。この世界は過酷で平均寿命が短く結婚する年齢がかなり早いのだ。冒険者となればなおさら短い。まず20まで生き残る事が難しいのが冒険者と言う職業だ。エルフの森近辺でゴブリン狩りだけをするのは比較的安全だが、それは東方のや北方の辺境伯領で魔獣狩りをするのに比べればであり、農民や狩人よりも遙かに危険な職業であることには変わりがない。そのためある程度、冒険者はある程度稼いだら、冒険者ギルドの上役になったり、研究の道に入ったり、商人や貴族の護衛やお抱え魔術師として雇われたり、冒険者の稼ぎを元手にして商売を始めることが多い。もちろん冒険者を極めるものも少なからず居るのではある。アリサは、いつまで冒険者が続けられるのかとふと思った。


「……何、黄昏れているのよ?……アリサらしくないじゃん。アリサは、天然キャラでしょ」


「ちょっとリーナ、何言っているの。アリサは天然じゃないし。天然というのはミーアみたいなの言うんでしょ」


「「十分、天然です」」


「ちょっと、エスティとミーア、ハモらないで。とくにミーアは自分の事を棚に上げない」


 リーダー(仮)であるアリサはしっかり者を自認しているが他の3人から見れば天然記念物の様である。突然突拍子もないことを言い始めたり、どうしようもない奇行を始めるのだ。周りから見ればどうみても残念な天然さんだった。


「それより火の準備をするから手伝って」


「そう言ってもアリサは火はつけられないんでしょ?火の準備はエスティがやるからアリサは水くみにいって」


 エスティは、どこからかバケツを取り出しアリサは水くみに追い出される。ミーアがアリサについて行く。エスティに取って二人がいないこの状況は火を付けるのには好ましい。あの二大天然が居ると火を付けようとするとうっかり山火事を起こしかねないポテンシャルがあるのだ。


「しかし魔法使いがいるとこういうとき楽だわ」


 弓使いリーナ・リムネスが言う。リーナは付与術師のエスティが火を付けている様子をじっと覗きこんでいた。それも口調とはかけ離れた真剣な様子である。


「ちょっとリーナ……やりにくいのですけど……」


 エスティが抗議する。そもそも見ているだけと言うのは仕事では無くサボりでは無いかと思うのですけど……リーナはなぜここに居るのでしょうか?周辺の見張りぐらいしてくれないでしょうか――それに火属性が使えるとは言え、エスティは付与術エンチャントが専門である。火属性の付与術を肉体にかけると筋肉強化魔法になるのだが、現在エスティは肉体では無く細い綿の様な藁に向かって付与術を唱えていた。これが案外大変なのだ。付与魔術を人にかける場合と違い目標が凄く小さいからだ。恐らく熟練の魔道師では藁に着火魔法を付与する事は、ことなげにこなすのであろうがエスティは小さい目標相手に魔法をかけるのは余り得意ではなかった。そのため火を付けるだけでも苦戦するのだ……。数回魔法を繰り返してようやく藁に小さな火がともったのを確認する。


「じゃあ、この火種いただき」


 ようやくついた火のついた藁をリーナがいきなりつまみ上げまだ火のついていない薪の中に放りこむ。いきなり放り込んだらせっかく付けた火種が消えちゃうかもしれないじゃない――とエスティは抗議しかけたが、それより火起こしの方が優先だ。ここからゆっくり風を送る必要がある。強すぎると火が吹き飛んでしまうし弱すぎると消えてしまう。エスティは火の様子を見ながらゆっくり風の魔法で空気を送りこんでいく。しばらくすると火種が火柱をあげ少しずつ薪が燃えていく。


 風魔法と言えば一番人気は攪拌系の魔法である。今でこそ攪拌に特化した魔道具が大量生産されているためそこまで便利扱いされては居ないが絶対魔法障壁が登場した後、後方支援に回された魔法使いの中でも高級取りになったのが風属性の攪拌魔法持ちと言われている。それは卵の白身を攪拌する作業が重労働だった時代に大量の卵の白身をあっという間にメレンゲに変えてしまう攪拌魔法がケーキを作るのに便利だったと言う身も蓋もない理由らしい。ちょうど同時期、卵の量産方法と飼料用のカブから砂糖を抽出する出来る事が発見された。カブから砂糖を抽出する作業も攪拌魔法を使う事により効率よく砂糖を抽出出来るため、お菓子を作るための魔法と評されていたと言う記録が残っている。一時期は、菓子作りに便利と言う理由で攪拌魔法を使える魔術師は取り合いになったのだが、攪拌を簡単に行える魔道具が発明されると今度は余り気味になったと言う。

 その時、郷土のドレッシングを売り込もうと割安になった攪拌魔法使いを囲い込んだ商人がいるらしい。その商売は大成功し、今ではどの食糧品店でも手に入る様になっている。量産化の為に油と卵黄と酢を大きな容器に放り込み攪拌して作るそのドレッシングはマヨネーズと呼ばれているそうだ。

 因みに元になるドレッシングは酢の代わりにレモン汁などを使って居たらしい。しかし、レモンより酢の方が安く手に入る様になったのとレモンより酢を使った方が日持ちすると言う理由でレモンの代わりに酢を使うレシピを採用したらしい。

 保存が利く調味料なので持ち歩いている冒険者も多いらしい。ただ、便利だからとそのまま食べる奴がいるのは流石に困惑する。そもそも、あいつは油の塊で女性の敵だ。攪拌魔道具の登場により以前ほど重要ではないが、攪拌魔法のみで拵えたケーキやドレッシングの類は手作りを名乗る事が可能な為、今でも攪拌魔法使いの給与は良いと言う話だ。


 ――実入りが良いとは言え毎日延々とマヨネーズやメレンゲを作る作業とか冗談じゃない……とエスティは思った。やはり冒険者として気ままに生きてく方が向いている仕事だ。「安全より冒険、安定より驚嘆」がエスティの座右の銘である。そのためには微細な魔法の操作と応用力をもっと高めねばと心の中で誓うのであった。強い魔物を相手にするほど微細な魔法の制御が生命線になる。しかし、今の魔法制御力では、まだ火打ち石で火起こした方が良い状態だ。まだまだ修練しなければならない。


「……これで一仕事終わったね」


 リーナが額に流れる汗を拭いながら言う。


「リーナは、なにもやってないでしょ?」


 エスティは理不尽だと思ったがこの野生児のやることをいちいち気にしていたら身体が持たない。


「……ところでアリサはまだ戻ってこないの?」


 アリサとミーアは火を付けている間に水を汲みに行っているのだ。


「そんなすぐに水が見つかるわけないでしょ。それより食事の用意。鍋とか干し肉とか用意して置きなさい。リーナ。エスティは火の番をするから」


「え、……ここ暖かいから離れたくないんだけどなぁ。なんだったらこのまま寝ちゃいたいぐらい」


 リーナは両手を組んで、そのまま後ろにノビをする。のけぞった身体は真っ平らである。


「いいから仕事しなさい。その大きな弓は何の為に抱えているの?鍋と干し肉の用意が面倒なら、鹿狩りでもしてきなさい」


 リーナは年下に吠えられて、たき火の周りから追い出された。


「もう少し、魔法のコントロール旨くならないかな……」


 リーナを追い出したエスティはボンヤリしながら頭の中で魔法の復習を繰り返していた。弱い魔法を持続させるのは安定してきた気もするが、緻密な魔力操作はまだまだ先達の足元にも及ばないのだ――とはいえ13でエスティの考える魔法技術に到達できるのなら何人かの大人が魔法稼業を辞めてしまうぐらいに高望みしているのであるが――


 ――一方、アリサとミーアは水を探しに出かけていた。


「今日の夕飯は揚げた肉が良いな……」


 ――とミーアが言う。ミーアはまだ育ち盛りで――胸の事を差している訳ではない――食べる量も人一倍多いのだ。それでいて一定のスタイルを維持している。勿論冒険者として接種した分のカロリーを消費しているのもあるが、年齢から言えばまだまだ成長期なのだ。


「揚げ物は、街の屋台でなければ食べられませんよ」


 アリサがたしなめる。そもそも揚げ物を作るには大量の油が必要になる。そもそも持ち込んだ荷物の中に油は存在しない。仮に油に引火すると大火事の原因になるし、高温になる油はポンコツの多いこのパーティでは惨事の原因になるため、特に森の中に入る場合は忌避したい持ち物の一つである。この世界の技術で頑丈な油缶を作る事は不可能ではないが、高度な錬金術を扱わないと製作できないのでまだまだ高価だ。収納魔法を応用した荷物袋はそれ以上に高い。

 ――といっても、搾油魔法を利用した植物油の大量生産技術は既に存在する。そのため、ドレッシング向け以外に庶民向けの料理を短時間で大量供給する方法として揚げると言う調理法も定着している。そのため、労働者や冒険者を相手にした屋台では安価でエネルギーを接種する手段としてあらゆる種類の揚げ物が提供されていた。中でも人気なのが魚や肉を揚げたものだ。比較的安価で手に入る魚や鶏肉、それから根菜類の揚げ物は冒険者を相手にする屋台の定番と言って良い。しかしながら、同様のものを自分達で作るにはかなりのコストになる。それは自炊で揚げ物を作る場合使う油の量が多いのに、一度に揚げる量は屋台に比べて百分の一以下と非常に少ない量しか揚げないからである。特に冒険中となれば一度使った油の処理をしている暇もなく、その油を使い回すのも難しい。そのため精々、肉に含まれる脂――例えば鶏皮から取れる鶏油など――を使って炒めものを作るぐらいが冒険時の自炊の限界だ。


 ようやくの事で湧き水をくみ上げたアリサは水を抱えて野営地の方へと向かう。ミーアは、トコトコと後ろからついてくる。その様子は、まるでカルガモの親子の様である。すっころんで水をこぼさないといけませんよね……。アリサは慎重に歩を進める。ここで、転んで水をこぼしたら、また天然と言われてしまうのだ。それは避けねばならない。運の良い事にミーアは少し距離を開けてくれている。ミーアに巻き込まれる可能性は低い。しばらくするとたき火をしている野営地が見えてきた。


「意外に早かったじゃない。また途中ですっころんで水を汲み直しにに戻っていたと思ったわ」


 エスティが迎える。


「ミーアじゃあるまいし、私はそこまで頻繁にはやらかしませんよ」


「でもこの前やらかした場所でしょ」


 前回の冒険の時アリサは毎回水をひっくり返していたのである。その事をエスティは指摘したのである。ぐうの値も出ないとはまさにこのことである。

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