6 エルフの森はアルム王国の西の国境

 エルフの森はアルム王国の西の国境にあり、その一部はエルマール辺境伯の領土でもある。しかし領土と行っても開発が全く行われていないので当然利益もない。


 アルム王国の爵位は最高位の王位の下に現在空位の大公グロースヘルツォークがあり、その下に常設の公爵ヘルツォークがいる。公爵位を持つ貴族は王族の分家にあたり現在四つの公爵家が存在する。これら公爵家の封地は王都周辺に立地しておりこの四つの公爵家の当主は王都に常駐しており国王の補佐を行っている。それに次ぐのが辺境伯マルクグラーフである。辺境伯は国の国境沿いに封地を持ち独立した軍権を所有する。つまり独自の判断で軍を動かす事が出来、そのための兵を所有する事が可能になっているのだ。これは敵の侵略に対し、首都に使節を派遣していたら間に合わないと言う理由でそう言う運用になっている。アルム王国には四つの大きな辺境伯領があり、それぞれ東西南北の要地を防衛している。この独立軍権は他の伯爵グラーフは持ち得ないので辺境伯は伯号持ちの中でも一ランク上の格付けにされているのだ。そもそも本来国王が自ら親征すべきところを代行するために置かれたのが辺境伯の成り立ちである。アルム王国の国王は1人であるため四方の敵から同時に攻められても身体は一つしかないから全ての有事に対応する事は不可能である。実際建国時には四方から同時に国を攻められるような危機が幾度もあり、そのため初代の国王は四方の国境に実力のある部下を配置し自らの判断で国家防衛を行う事を命令した。それに伴う予算や人員は管轄する土地から徴収するように定めた。これが辺境伯の始まりと言う。その性質のため地位は公爵よりは下だが国からの独立度や自由度は辺境伯の方が上とも言える。


 辺境伯の下には世襲の代官職である宮廷伯プファルツグラーフ、城下町の支配者である城伯ブルクグラーフ、封地を治める方伯ラントグラーフなどが存在するが、これらの区分は時代を降るにつれ曖昧になっており今では特に区別せず一括して単に伯爵と呼ばれる事が多い。さらに、その下には大小の男爵フライヘルが数百と存在している。ちなみにアルム王国には侯爵や子爵(もしくは副伯爵)と呼ばれる爵位は存在しない。


 さて辺境伯と言っても必ず王国の僻地に有るわけでは無くエルマール辺境伯の西側の北半分はデュケス領邦連邦に接しており、北側はミダス聖王国に接している。デュケス領邦は大陸に於ける織物の一大産地であり、魔法文化の中心地でもある。そのためエルマール辺境伯領は連邦と東側諸国との交易の要地に位置し、聖王国の聖地の巡礼路にも位置する立地のためエルマール辺境伯領は首都よりも裕福で文化も一段と洗練されている。エルマール辺境伯領北部で育ったある貴族の息子が初めてアルム王国の王都に行った時、思わず「ここは蛮族の地か?」と失言したと言う話もあるぐらいだ。


 ただし南半分のエルフの森と隣接する地方は別だ。ここには、ほとんど人は住んでいない。かつてエルフが住んでいた伝説がある事からからエルフの森と呼ばれているが実体はゴブリンの森だった。氷しかないのにグリーンランドと呼んでいるみたいな感じだ。エルマール辺境伯もゴブリンの増殖には頭を悩ませている。ちなみに魔道師の研究ではゴブリンは単為生殖を行うとされており、つまり、ゴブリン一頭でも取り逃せばそこからネズミ算式に再び膨れ上がるのだ。そしてゴブリンは増えすぎると村や畑があらすので、その分税収が減る。南方に転々とする村に取ってはゴブリン襲来は死活問題である。そのためゴブリン討伐は辺境伯の動かす軍隊だけはとても手が回らず、冒険者ギルドに手伝って貰っている状態だ。


「アリス導師は、そのゴブ……エルフの森に用事があるのか?」


 辺境伯の伯都にあるエルマール宮殿の辺境伯執務室に現れたアリスの使いぱっしり事、国立ゴーレム魔道研究室付け査察官兼女騎士シーア・エステルに向かってエルマール辺境伯エルミス・クミューズ・エンヌ=エルマール3世が言う。エンヌのヌとエルマールのエは母音融合するためエネルマールの方が実際の発音に近いが、エンヌ=エルマールと綴るのが正しい。直訳するとエルマールのエルミス・クミューズだ。ちなみに女騎士と言っても騎士リッターに叙爵された女性と言う意味であり封建的な騎士と言う意味は存在しない。査察官の職務を遂行する上で貴族の称号を持たないと面倒なので騎士の称号が与えられているだけである。その証拠にシーアはまともに剣を振るう事は出来ない。振るう事が出来るのは胸ぐらいである。騎士は一代貴族であり相続することは出来ない。


「正確には、森の中央部に住んでいるであろう適合者を観測し、時にサポートするようにと言う話です」


 目に隈ができたシーアが言う。


 シーアはアリスの元を後にした後、一晩徹夜で報告書をまとめ上げ王宮に報告を出し、強引に許可を取り付けると転移門ポータルでエルマール辺境伯の元までやってきたのだ。転移門ポータルは王宮や公爵・辺境伯などの屋敷の一角に設置されている即時移動魔法である。転移魔法には瞬間移動テレポートと言うものもあるが距離と質量に二乗して魔力消費量が増大する魔法であるため使い勝手は良くなくダンジョンから外に出るぐらいの距離でもかなりの魔力を消費する。ましてや王宮から徒歩で一週間はかかる辺境伯領まで移動しようとすると大魔道師が数十人がかりで一人を転移させるのがおそらく限界である。そして大魔道師そのものが世界中かき集めても数十人いるかどうかである。すなわち不可能と同義だ。そのため長距離移動には刻印を施した門を行き来する転移門ポータルの魔法を使うのが普通である。ただし、この転移門ポータルの魔法も起動にかなりの魔力を消費する。そのため国王は大魔力持ちであるシーアをそのまま辺境伯への使節として送り出したのである。シーアは魔力に関しては大魔法師にひけを取らないが、魔力のコントロールや精緻さに関しては苦手な分野であった。生活魔法は魔力より緻密さを要求させるし、付与魔法、移動補助に関しては弱い魔力を持続させる能力やコントロールの方が重要視される。一方、シーアが得意なのは大魔力をそのまま大出力で放出させることだ。この能力は攻撃魔法への適正が高いが、今となっては土木魔法ぐらいの適正しかない。魔力量が多いほど鉱山やトンネル掘削したり、岩を爆破したりするのに便利だからである。ただこの手の仕事は給与はも良いが落盤事故などに巻き込まれる可能性もあり危険も多い職業だ。そのため彼女は土木魔法師でなく魔法指導官の道を目指すことにした。その結果、その知見が王宮に認められアリス専属の査察官に任じられた訳である。魔法に関する法律に詳しいのに加えて、アリスの暴走を抑えるのに必要なだけの大魔力持ちと言うのがその理由だった。まさにそれは不幸の始まりでもあるのだが。


「つまり、どういうことか?そもそもエルフの森に現れた適合者と言うのはなんなのだ」


「適合者と言うのはよく分かりませんが、最近エルフの森に住み着いたものが居るようです。ただし、そのものに対しては見張りを建てて、動向を見張るが、その活動には一切干渉しては行けないと言う事です。干渉しない限りは毒にも薬にもならないが、干渉したら恐らく敵に回るのだろうと言うのがアリス導師の見立てです」


「何故そう思うのか?」


「アリス導師がそう言う性格だからと……」


 導師の元を後にしてきてから寝ずの作業でこちらに飛んできたので目元には隈が出来ているシーアは目をこすりながら言う。


「……まぁそうだな……」


 辺境伯は数々の大魔道士アリスの武勇伝に思いを馳せる。味方にしても役にたたないが敵に回すと面倒だ――要するにゴブリンと対して変わらなく無いと意味では無いか?とふと辺境伯は思った。


「ゴブリンと一緒に、やっつけても良いかな?」


「ゴブリンとは脅威度が格段に違いますよ。あくまで伝承の話ですが、適合者が本気になれば、指先一本で国一つ滅ぼせるそうです。それから仮にも人間ですから話は通じるはずかと……」


 ゴブリンには話は通じない。本能のままに行動する略奪者である。一方、人間であるなら話は通じるはずである。ただ世の中にはゴブリン以下の理解度しか持たない人種もいるのではあるが……流石にそちらの箱には入らないであろう。アリス導師とですら一応会話は成立するのだから……多分とシーアは思った。


「出来れば味方について欲しいかな……。ついでにゴブリン退治もやって欲しいな……あと、せめてお金にならないかなぁ……」


 辺境伯はぼやいた。エルマール辺境伯領にとってゴブリン退治は予算の数割を占める負担の多い仕事だ。それも東の辺境伯領なら破産するぐらいの予算を食い尽くしている。そこで国軍の投入を献策したが国王に、そのために独立した軍権と税の徴収権を与えているのだと言いかえされてけんもほろろ状態だ。


 商人達はエルフの森を切り捨て、北部への投資を増やすべきだと突き上げをしており税収と支出のバランス取りが難しい。実際のところエルマール辺境伯領の収入の大半は北半分のモノで南半分の税収は微々たるものだからである。しかし仮に南方を放棄して北半分に資源を集中させたとしても増加したゴブリンの軍隊と対峙しなければならず、その状況を維持するための費用の方がさらに高くつくのである。ゴブリンの数が万を超えるとゴブリン・シャーマンやゴブリン・キングと言った変異体・進化体が現れ、それらを倒すのは並みの軍隊でも苦しくなる。結局、辺境伯家としては今の様に南部でモグラ叩きの様にゴブリン退治を続けるのが一番安くつくと言うのが執事団のシミュレーションの結果だ。南部を放棄して北部を守ろうとすれば北部の商業都市や街道にも大きな被害が出ることも予想される。なれば南部は意地でも維持し続ける必要があるのだ。


「それは、うちの予算でやらないと駄目?」


「ええ、それが辺境伯家の義務ですから」


 権利を返して義務も辞めたい……辺境伯は思った。


「仕方無い……騎士団から百人隊一つをエルフの森に派遣することにしよう。それから冒険者ギルドにも告知を出すか」


「その調整はこちらでやっておきます」


 辺境伯の執事長が口を挟んだ。白髪の目立つ痩身の男だ。一見すると柔和な顔つきだが、その瞳の奥からは切り裂くような眼光がきらめく。柔軟にして強固。確固にして入念。物腰の良さそうな態度とは反対に奥底から研ぎ澄まされた知性を感じる。油断してその間合いに踏み込めば一瞬にして切り裂かれそうな感覚をシーアは覚えた。それもそのはず実務に関して全てこの執事長に投げておけば大丈夫。辺境伯第一の腹心であるだ。そもそもそのための鋭才教育を受けているのが執事と言う生き物だ。辺境伯は、予算の配分やその他、交渉ごとそれらの面倒な代物を執事団に丸投げしている。その中でもこの執事長の能力は突出している傑物なのだ。


 すらりとした長身の体躯。ぶれない体幹で直立し、笑顔絶やさない執事服を優雅に着こなす白髪の温和な老紳士。それはあくまで執事長の表の顔でしか無く単騎で千の兵を斬り殺したと言う武勇伝がある悪鬼とされる。無論ゴーレムが主力の今の戦争でそのような事態が起きる可能性はほぼないので誰かが盛って伝わった噂話だろうとされている。それを本人に尋ねても静かに笑みを浮かべるだけで否定も肯定もしない為、真実は闇の中のままだ。


「それでは執事長にお任せしますね。細かい判断が必要な場合は私に連絡を」


 そう言うとシーアは概要をまとめた書類を執事長に渡す。


「少しはゆっくりしていけば良いのに、今家人にケーキと紅茶を用意させよう」


 先程からシーアの胸をチラチラ見ているのが丸わかりの辺境伯が言う。シーアはそれはおいといて、ケーキのご相伴には預かりたいたいところではある。そもそも胸を凝視される事には慣れている。むしろシーアは魑魅魍魎が跋扈する王宮に於いて異性の油断を誘うこのスタイルが数少ない武器の一つであると認識している。隙の有ることを装いでもしなければ魑魅魍魎から逃れることが難しい。同性の魑魅魍魎に凝視されるぐらいであれば異性に凝視される方が遙かに気楽なのだ。それはともかく、シーアはこの後すぐに王宮へ即とんぼ返りしないと行けないのであった。片付けないと行けない仕事が山のように残っているのだ。


「いえ、王宮で用事がありますので……」


「お主も大変だな。いつこちらに来ても構わんぞ。同じ給与、いやそれ以上で雇うぞ」


「国王に怒られますよ」


「構わんよ。その程度の引き抜きで怒るような器じゃ無いだろ」


「まぁそうですけどねぇ……アリス導師のお守りが出来る後任者が見つかれば良いのですけどね……」


 そういうとシーアは辺境伯領を後にした。王宮で仕事が待っていると気を引き締め直し転移門を使ってとんぼ返りする。しばらくこの後もしばらく徹夜が続きそうだとシーアの口からは溜息がこぼれて落ちていた。

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