2 転生者は森の深くで目が覚める

 鬱蒼とした森。葉と葉の隙間から微かに光が地面に差し込んでいるが薄暗く、日が差し込んでいることから空は晴れているだろうが木々に覆われていてはっきりしない。地面は薄暗く緩やかに流れる風にのって腐葉土の匂いが漂ってくる。綺麗に揃えたとばかりに木々は真っ直ぐ屹立し木漏れ日の下の空間が広がっていた。その後景は地平線の彼方まで広がっているのだが、もっとも地平線は木々に遮られているので数十メートルはあると思われる木の頂に登りでもしなければその光景を見ることは出来ないであろう。


 ――転生者はその森の奥深くで目を覚ました。


 先程までの記憶がかなり曖昧で名前もはっきり思い出せない。直前まで胡散臭くとても残念な女と会話していた様な気がするが、その辺の記憶もかなり曖昧だ。それ以前に人生の大半の記憶ががすっかり消え失せている気もするが、恐らく、記憶が消え失せても何も困らない人生だ。思い出とは苦痛の代名詞であるがゆえに、思い出してもロクな事にならないだろう。それより喫緊の問題は、今ここに立っている事だ。


 今居る状況を考えると夢を見ているか、異世界転移でもしてきたと推測できる。ただ夢だとしたらかなりはっきりした明晰夢である。その理由は匂いも色もついている明晰夢など今まで見たことが無いからである。異世界転移の可能性も考えたが科学的にはあり合えないだろう。どこぞのラノベや中二病の妄想じゃあるまい。ならばまだ明晰夢の方が可能性が高い。それとも仮想現実VRか……仮想現実も嗅覚や触覚はまだまだ実用化にはまだ遠いはずだが……いくら没入感が高まっていても今の仮想現実技術では仮想現実をやっていると言う感覚が拭えないはずだ。そうすると怪しい薬でも投与されて明晰夢を見ていると言うのがより説得力がありうる解だ。


 ――だが、いったい誰がこのようなマネを……?俺は少し思案してみた。


 たが、今現状で最初にする事は周辺の調査で原因究明ではない。優先順位を誤るべきではない。夢なら目が覚めれば終わりだが、万が一、現実とすれば最初にすることは食糧と安全の確保だ。油断して死んだら元も子もない。確証が持てない以上複数の選択肢を考慮するのは当然。優先順位の第一は安全と食糧。どうしてここに居るか考えるのは安全が確保された後でも問題ない。優先順位としては下の下の方だ。


 鋭い森の薫香が鼻をくすぐる暗い森の中の調査を始める。むせそうな芳香が鼻腔を駆け巡る。分量を間違えた芳香剤の様な刺激的な匂いである。あまりにも刺激的なので、頭が痛くなり思わず芳香剤をゴミ箱に投げ込みたくなる気持ち悪い感覚――あれを思い起こす。森の中は鬱蒼と影が差しており、葉と葉の間を縫うように光が差し込んでいる。まだらに降り注ぐ紫外線が肌に悪そうな感じだ。薄暗い森の土は湿っていて踏みしめると足元がぬちゃっと言う感じがして気持ちの良いしろものではない。夢としては感触がありすぎだし仮想現実なら拘り過ぎと言うところだ。


「……しかし、肉体労働はしょうに合わない」


 根っからのインドア派にアウトドア的な作業は試練。そもそもひきこもり系プログラマにいきなり異世界生活とか過酷すぎませんか……この意地悪の仕掛け人。もしかして、この鬱蒼した森で野外キャンプをしろと言うのでしょうか……オープンワールド系サバイバルゲームではあるまいし、これは余りに残酷では無いでしょうか……。仮にこの世界がオープンワールド系ゲームでもいわゆるヘルモードの可能性が高そうである。死んだら即ゲームオーバーでコンティーニュー無し、セーブデータも抹消されて再開不能な奴。このタイプのゲームの場合、まず木を拳で殴って、石を素手で砕いて、斧をつくって、家を建てるのがセオリーだったか。しかも夜になるまでに火おこしとベッド作成まで辿り着けないと一気に難易度が上がる。夜になるととっておきの魔物が徘徊するのだ。だが、木を拳で殴るとか痛そうなので勘弁だし、火の付け方とか当然知らないし、普通、都合良く火打ち石とか落ちている訳もなくそもそも火打ち石がどいうものか知らないのだ。


 それよりゲーム開始直後に、いきなり強敵に出会って即ゲームオーバーは流石に勘弁なので、近くに閉じこもれる空き屋みたいのが都合良く転がってないかなぁ……と歩を進め始めた時、唐突にそれが現れた。


 そこには森が避けるような形で大きな樹木を組み合わせた不思議な家が目の前に生えていた。


 不思議の国のアリスにでも出てきそうな摩訶不思議な形状をした家と言うより館が森のど真ん中に生えている。この情景は建っていると言うより文字通り生えていると言ってさしつかえないだろう。どうみても樹木が組み合わさって家の形状をして居る様にしか見えないからだ。


「……もしかしてエルフでも住んでいるのか」


 俺はファンタジー的な知識を思い出しながら扉をノックする。


 待つこと数十秒……反応無し。


「……もしかしてここのあるじは出かけているだろうのか?」


 ……とは言えこのまま外で主の帰りを待っているのも怖い。森の中に何が潜んでいるか分からないからだ。仮に熊さんと鉢合わせたらその瞬間におだぶつ。南無阿弥陀仏なもーだぶだ。どこぞの童謡の様に見逃してはくれなさそうである。それは絶対避けないと行けない選択肢だ。どこからか熊さんが現れるかも知れないと思うと動揺が激しい。それならば屋敷の扉が開けば中に入り、空かなければそのまま立ち去ろうと逡巡する。


「……お……お邪魔します」


 一ヶ月分の勇気を出して小声で扉を押すとその扉はびくともしない。どうしようと身体の震えが止まらない。心の戦慄が身体も揺さぶっている。足はすくんでびくともしない。心臓はびくびくしているのに……。こういうときはどうするのだったか……そう、まず深呼吸だ……すぅはぁすぅはぁ……深呼吸しようと思えるうちはまだ大丈夫だ。ゲキヤバな時は、深呼吸する事すら思いつかない選択肢になる。そして発想の転換を行う。


「あ……これ引き扉だ……」


 よく観察するとその扉は押し扉ではなく引き扉だった。押して駄目なら引いてみろだ。扉を引いて見ると今度は簡単に開いた。コペルニクス的発想の勝利だ。


「こ……こんどこそ、お邪魔します……」


 アリバイづくりに消えそうな小声で呟くと屋敷の中に入る。屋敷の中に入ると外より明るく巨大な空間が広がって居た。


「照明でもあるのかな……?」


 ……だが照明らしきものはどこにも見当たらない。天井照明でも間接照明でも存在せず、ただ部屋が一様に明るいのだ。部屋があかるければ必ず影や明るさの濃淡が出来る。モノにあたれば光の反対方向には必ず影が出来るはずだ。だが明るさの濃淡も影も見当たらないのである。


 ……だとすると全面照明か……それらしきものは技術的には可能なはず。確か有機EL照明みたいなやつがあったはずだ。コストと寿命面で製品化する前に別技術に取って代わりそうな気もするが……ここでは既に実現されているのだろうか……仮にこれが現実だとすればの話だが……。


 家の中は埃一つ無く綺麗だ。森の中、しかも樹木の中であれば家の中には各種虫、ムカデ、クモなど背筋がぞわぞわしそうなモノがゴロゴロ居そうな気もするがその気配も無い。


 これだけ綺麗だとするとこの館には主が居るのだろうか?しかし、生活臭みたいなものが全く感じ取れない。これは逆の意味で不安を煽る。ある種のトラップハウスの可能性も高い。『ヘンゼルとグレーテル』に出てくるお菓子の家の様なものだ。


「……お邪魔しています……」


 もう一度、小声で言う。そして館の中に足を踏み出した。屋敷から逃げだす選択肢もあるが、そもそも森自体が罠みたいなものだ。前門の虎後門の狼であれば、どちらに進んでも結果は同じ。本能の赴く方向に進んだ方が少しはマシであろう。つまり己の中にある、ひきこもりたいと言う帰巣本能を全壊――全開ではない――にして屋敷の中へと踏み出すことに決める。


 薄暗くない玄関ホールをくぐって廊下を奥の方へと進んで行く。玄関ホールの床は木の板が敷き詰められている。壁も同様に木の板で敷き詰められているようだった。屋敷は西洋風で土足でそのまま上がって問題無いようだ。なぜなら玄関ホールと廊下の間に段差が無く、靴を脱ぐ場所も見当たらないからだ。また、その様な形跡も見当たらない。家の内部は外からとは全く異なる風景が目の前に広がって居た。この建物は外から見る内から見た方が数倍いや数十倍大きく見える構造になっている様だ。部屋の中は薄暗くなく、一定の明るさを保っていた。やはり全体照明の可能性が高い。玄関ホールと同じで明るさが上から来ている訳ではなく部屋全体がほんのり明るい状態だ。一般的常識からみれば天井から床まで均等に明るいのが不自然さを感じるだろう。実際に不気味さを感じている。この屋敷がゲームの中の世界であればむしろ逆にやっつけ仕事感を感じるだろう。VR映像は3Dモデルさえしっかり作りこんであれば高低で明暗をつけるのはさほど難しくないはずだ。


「……誰か居ませんか?」


 三ヶ月分の勇気を振り絞って小声で声を出すが、相変わらず誰も居ないのか反応は相変わらず無い……しかし、薄らと何者かが見張っている様な気配を感じる。


 ……いや多分気のせいだろう。恐らく神経過敏になっているに違いない。やはり疲れているのだろう。大きく息を吐いて深呼吸した。深呼吸したところで何も変わらないのであるが……。


「御主人様。お帰りなさいませ」


 唐突なかけ声と共に目の前に突然、ロングスカートのメイド服を来た女性が現れる。黒いワーンピースの上にはフリルのついたエプロンが前面を覆い隠し、白いホワイトブリムがひらひらと動いている。ワンピースの胸部分を強調しているが残念ながら強調しきれていない。そして手には白い手袋をはめ、黒いストッキングにローファーを履いている。メイドは直立してから、透き通る様な焦げ茶色の瞳でこちらを見つめ――……と思っただけで実際には下方向に目をそらしているのでよく分からないのだが――こちらに向かってゆっくりお辞儀をしてきた。長く黒い髪はポニーテールに結わえられ、尻尾の部分がひらひらと揺れている。


「!!」


 あまりに急な出現に一瞬、目の前が一瞬空白になる。ブラックアウト寸前の状態である。具体的に書くと心臓が恐怖のあまりひっくり返り、脳が瞬間的に酸欠に陥り一時期にその機能をシャットダウンしようとしている状態である。運の良い事に一瞬フリーズした状態から持ち直した訳だが……それで今の状況が変わるわけでは無い。


 気を取り直し、もう一度周りを見直すが、脳に酸素がやってこない。頭の中はもう真っ白だ。そこで俺はデジャブを感じる。もしかしてここはメイド喫茶か?などと思った。しかし入口には看板など無かったはずだ。それより今、サイフの中には……とポッケの中を調べたが、そこにはサイフらしきものの感触は無かった。いや正確にはポッケらしきものが見当たらない。普段持ち歩いている携帯端末の類も身につけていない。どうやら俺は手ぶらでこの森の中を歩いていた様だ。寝間着で夢遊病とかタチが悪すぎる。それより今日はソシャゲのログボをまだ貰ってない……などと思ったが、まぁ仮想現実や夢の中なら大丈夫か……。ログボは目が覚めてから貰えば良いのだが、怪しいお薬だと着ぐるみ剥がされ放り出された可能性もあり得るな……。既視感があったり記憶が飛んでいるのも説明がつきそう……そうなるとスマホは取り上げられてそうなので、ログボを諦めなければならないのか……1000日連続ログインまで後何日だったかなあのゲーム……現在、考えるべきことはそっちではないが、頭に酸素が回っていないのだから仕方が無い。


 内心びびりながらゆっくりと足を後ろ方向に踏み出し「……いや、お邪魔しました……」と後ろに半回転し、そのまま走って逃げようとする。


「御主人様、ここはメイド喫茶ではありません」


 次の瞬間、メイドが目の前に立ち塞がった。俺は足を前に出す事が出来ず急停止させられる。身体が傾きメイドの方へ倒れそうになるところを気合いでなんとか踏みとどまることにする。うっかりご本尊メイドさんに触れたりしたら、どれだけふんだくられるか分からない。おさわり一回ん万円とかふんだくられない様に用心するに越したことは無いのだ。


 ……しかし、このメイド、何故心の中が読める?そして一瞬で周りこむとはどれだけの身体能力があるのだろうか、このメイドは……などと考えていたがそういえばここは夢だ。それも怪しいお薬で見ている夢だろうと思い直した。夢は自分の無意識の投影であるから、自分が今何を考えて居るかなど分かって当然。それ以前に俺の身体能力であれば常人であれば周りこむのはさほど難しい行為では無い。なぜならば俺の身体能力は常人以下だから。


「いえ、いえ、これは夢ではありません。御主人様は適合者として異世界ここに呼ばれたのです」


「しょ……召喚されたとでも言うのか?そんな荒唐無稽なことなど無いだろ」


 俺は思わず声を張り上げる。コミュ障の特性としてびっくりしたときや感情が極まったときは普段とは逆に声が大きくなってしまうものだ。その後の声帯疲労や黒歴史と引き換えに。たまに思い出してしまって、布団に首を突っ込みたくなるような黒歴史は10や20ではない。しかも10年経っても20年経ってもふとした瞬間に思い出してしまうものである。どうせならその部分も記憶から抜け落ちてくれていたら有難い事この上ない。


 ……それはともかく、こいつは新手の詐欺だろうか?それとも、ぼったくりメイドバーなのか?……今、一文を持っていないのだが…さて、…どうやってここを乗り切ろうか。身を固くし顔からは冷や汗があふれ出す。もし捕まったら身ぐるみ剥がれてどこかに売り飛ばされるに違いない……。いや、バラバラにされて臓器売買される可能性もある……『腎臓は1つでも機能するが、お前の腎臓はまだ2つあるよな』と言う強面のお兄さんを思うと震えが止まらなくなってくる。


「召還でも転移でも転生でも構いませんが、この館を開けられた以上、御主人様は適合者で間違いありません。私はミリアというコードネームの太古のゴーレムです。御主人様のお世話をするために作られ1年ほど前まで凍結処理されていました」


「……ゴーレムと言うのはもっとごつい見た目の奴じゃないのか……」


 そもそもこのメイドさんは、ゴーレムと呼ぶには表情があまりに人間的すぎるのだ。通常、人工物を人間に似せようとすると罠に陥る。不気味の谷現象と呼ばれることもある代物だ。これは人工物を人に似せれば似せるほど返って不気味に見える現象を差して言う。例えば、美しい人形がホラーのネタによくされる様に人工的に作られた美しさと言うのは逆に不気味にも見えるのだ。それに対してこのメイドは余りに見た目が自然過ぎる。その見た目に人工物っぽいところが何処にも見当たらないのいだ。それゆえ、いきなりゴーレムと言われてもニワカに信じることは出来ないのである。しかし、それでいて整った顔立ちをしていた。美人とは言いがたいが人を不快にさせない優しい表情をしている。


(……でも見た目と性格は関係無いよな。年取ればべつだけど。年取ると性格の悪さが顔に滲みでてくるんだよな。どうみても20の見た目だし、取りあえず警戒に越した事は無いか……)


「ゴーレムと言うものは素材によって性質が異なるのは常識です。そして私は合成たんぱく質をベースとした人型ゴーレムですので、人と間違えられてもおかしくはありませんが不本意です」


「そんなの俺の世界ではそれは常識ではないのだけど……」


 ……それよりファンタジー世界の装いで、いきなり合成たんぱく質とか言うパワーワードって何なの?もしかして少し不思議えすえふ的設定なのだろうか。


「まぁ、御主人様がそう思われるのも仕方無い事ですね……。御主人様はお疲れなのだと思われます。まずお休みになられると良いでしょう……」


「……そ、そうやって幾ら巻き上げる腹づもりだ……」


 疲れているのは確かだろうが、だからと言って「はい、そうです」と言いなりになる気は無い。ここからうっかり気を抜けば臓器だけ抜き出されて火葬場行きエンドも有り得る展開なのだ。


「やはり御主人様は、随分疲れていらっしゃるようです……これは仕方無いです。行動規範ではグレイゾーンにあたりますが、緊急事態ですから仕方ありません。過労は御主人様の命に関わりますのでそれを防ぐこうなら規範に違反しないはず……」


 ミリアと名乗るゴーレムは後半部分を小声で言い訳しながら御主人様の首筋に手刀を突き立てた。哀れな御主人様の意識は一瞬で刈り取られる。


「……3000年待ってようやく現れた御主人様……。愛おしいです」


 メイドはそう言いながら御主人様をお姫様だっこして寝室に運んでいく。


※※※


 御主人様が目を覚ましたのは見知らぬ天井の下のふかふかベッドだった。新品のまま長い間、使っていなかったと思われる匂いと感触を感じる。大きな窓からは自然な光が差し込んでおり、感覚的には昼近くではないかと思われた。


(……喉が乾いた……)


「御主人様。朝のお紅茶で御座います」


 目の前には先程のゴーレムメイドがお盆の上にティーカップとティーポットを構えて立っている。御主人様は戦慄を覚えてどうやってここから脱出しようか思案し始めた。


「……俺は、暖かいものより冷たい飲み物が欲しいのだが……」


 そして声にならない声を振り絞ってようやく出てきたのがこれ。喉の中の唾液が全部どこかに消えてしまい口の中がくっついてしまうような息苦しさを感じる。


「御主人様、ご所望なら冷却魔法をおかけします。それとも氷で冷やした方がよろしいでしょうか?」


 ゴーレムメイドが即座に返す。即座は黙考。冷却魔法はあやしすぎる。とても怪しげなモノが混じってくる可能性がありえる。それならば、ここは氷の方が無難だろう。無論、普通の氷であると言う前提なのだが……。


「……では、氷を頼む……」


 メイドはどこからか取り出した氷をカランとカップの中に落とし込まれる。その時、しまったと思ったがもう手遅れだった。どうやら、これを飲むしか選択肢が無い様だ。恐らく、うっかり落としても代わりのカップを即座に宙空から出してくる事はもはや間違いない。


「御主人様、冷やしたてのアイスティーでございます」


 ……ティーカップを手にとり、ティーカップが十分冷えているのを確認した。再びカップの中が熱湯で無いことを慎重に確認。氷がH2Oから作られているかを注意深く観察し、どうやらH2Oから作られた氷であることを確信してから紅茶を一口啜る。紅茶が冷えているのを十二分に確認するとカップの中身を一気に飲み干す。雑味の無く後味の良いスッキリしている。乾燥した口の中に冷たい水分が染みこみ口腔内に爽快感が流れ込む。冷気が喉を通過し尽くすと、ホッとする。


 いや、まだホッとしては行けない。まだまだ警戒しなければならないことが沢山……毒には沢山の種類があり無味無臭の毒だって存在するのだ……むしろ無味無臭の毒の方が多い。そもそも飲み物では無く容器の方に毒を仕込む事も可能なのだ……。しかもその手の毒は経口しなければいけないとは限らない。近くに置くだけで効果を発揮する毒もこの世には存在する――確かロシアあたりが好きそうな……思考が堂々巡りを始める。


 俺は陰鬱な目つきで次のミリアの挙動を確認した。しかし、昨日の反応速度を見るにこちらがどうしようとしても一瞬で対応してくるのは当然だろう。ここは弁舌巧みに隙を見いだす以外の方法なさそうだった……ただし、弁舌の才は皆無だ。そもそもコミュ障に弁才が有るわけが無い。そんなものが有れば彼女いない歴イコール年齢を続けている訳もなく……要するに、起死回生の策が無くて完全にどん詰まりの状態。恐らく次にどの選択肢を選んでもゲームオーバーだろう。意地の悪いノベルゲーが作者が好きそうなトラップだよなこれ。


「それでは御主人様、服を着替えさせますので起きてください」


「そ……それぐらいは自分で出来る」


 そう言いながら、自分を見てみると以前着ていたものと衣服が異なる。今来ているのはパジャマでは無く白い無地の貫頭衣だった。そもそも俺はいつの間に着替えたのだ……。そういえば、腕の太さやも異なる気がする。……これは一体、どういうことだ。俺は逡巡する。


「……そうかアバターか」


 これは仮想現実VRか明晰夢をキメているのか知らぬが、これはアバターに違いない。アバターであれば本来の姿と異なっていても話の整合性はとれる。そのことに思いが辿り着くと今までの違和感が腑に落ちる。そして今の顔がどうなっているのか少し気になった。


化身アバターですか?確かに御主人様は適合者。古代の賢者の化身と言っても言い過ぎではありません。それより着替えませんと朝食にご案内出来ませんので、ご自分でお着替え出来ないのであれば着替えさせますよ」


 メイドは掛け布団を剥ぎ取り、呆然としている御主人様の服を一瞬で剥ぎ取るとそそくさと服を着替えさせる。


「現代の衣装に合わせてあつらえて見ましたがいかがでしょうか?」


 余りの一瞬の事に反応できなかった……。これは抵抗するだけ無駄と察した。身体能力では100%叶わない。そもそもインドア派に身体能力があるわけも無く、見えないほどの動作をされてはどうにもならない。ここは一旦言いなりになって、隙を探すしかないと言う解答に辿り着いた。ちなみに着ている服は中世ヨーロッパ風の様だった。あくまで中世ヨーロッパ風で、ガチの中世ヨーロッパでは無い。あんな股間をもっこりさせた変な格好では断じてない。それだけは断言出来た。


(あれはコッドピースと言ったかな。中世の終わり頃流行した奴。ネットで見たけどインパクトあり過ぎだった……)


 ちなみに中世と言っても1000年以上の幅があるので最初期と後期ではファッションも食生活も変わりに変わっているのだ。そもそも一般的に考えられている中世と言うものがフランス革命後の近世の話だったりすることが多い。中世の建物は石造りでは無く木造の方が多く古代ローマの面影を残している都市はともかく大抵は近世に至って火事抑止の為に木造建築禁止令が施行され石造りの建物に置き換えられたケースが多い。であれば、テンプレ的な中世ヨーロッパと言うのは銃の存在しない近世ヨーロッパの様相が考えら……取りあえず、現実逃避はこれぐらいにしよう……何か、ものすごく睨まれている気がする。


「で……では、鏡を貰おうか。それから朝食の準備を……」


 朝食は食べない主義だが昨日は夕飯を食べてないからお腹が空いているのだ。


「はい、かしこまりました。寝起きの御主人様は可愛いですよ」


 メイドが顔をあからめながら言う。顔を赤くするのはこのゴーレムの特徴だろうか?……それより可愛いと言われてむずがゆい気がする。それから鏡を見て心臓が飛び出しそうに驚いた。その顔つきは15歳ぐらいの少年と言って差し支えなさそうだ。俺はアラフォーおっさんだったと思うのだが……。そして髪は透き通る様な輝きを持った漆黒で、顔つきは端麗。可愛いと言われる様に顔つきにあどけなさかがちりばめられている。自分で眺めていると吐き気を催すぐらいのギャップを感じるので鏡類はどこかに隠さねば行けない……そもそも、このようなアバターを作った記憶は無い。そうすると誰かが勝手に作ったのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る