第3話 殿下が夜会に来た理由
案内された先にあったのは、ライトアップも何もない夜の庭園だった。
夜会の休憩用に用意された庭園は別にあり、そちらは足元を照らすくらいには明かりもある。
それと違いここは暗い庭園だった。
もちろん、私たちの他に人影なんて一つもない。
敢えてそういう場所を選んだのだろう事は明白だった。
「――驚きました。まさか殿下が侯爵家の夜会に参加なさるなんて」
彼に向かってそう告げると、王太子の顔が痛そうに歪む。
「べ、別に……そんなに珍しい事でもないだろう」
顔を逸らしながらそう言った彼だが、残念ながらその言動が「自分でも珍しい事をしてると自覚している」と白状している。
ローラと仮面婚約者を演じていた時は完璧だったくせにこの体たらくとは、隣に居るのがそういった類の緊張感を欠片も纏えやしない女だからか、昔なじみの前だからか。
それとも無意識の内に「コイツに取り繕っても仕方がない」という選別をしているのか。
どれにしたって、エレノアの命を脅かしておいて未だ謝罪の一つも無いこの男に、そんな気の抜けた態度で居られるのは私に不快感しか呼んでくれない。
「何を言っているのですか。王族として正式に招待されていない夜会になど、出席されるような貴方ではないでしょうに」
だから私も「つまらない嘘をつくな」と、少し意地悪な事を口にした。
すると彼は喉に何かが詰まりでもしたかのようにグッと押し黙ってしまった。
それは例えば「答えたくない」という意思表示の様にも見えた。
が、それに配慮してやる義理などこちらには無い。
「貴方の隣の、その御令嬢のせいなのでしょう?」
そう言って、クスリと笑う。
お陰ではなくわざわざせいだと言ったのは、このパーティーへの出席を私個人としても公爵令嬢という本来ならば王の臣下という立場としても、決していいものだとは思えなかったからである。
しかしそれを考える頭を持っていないのか。
彼の腕に手を絡めている女がカッと目を見開いてこう言った。
「ちょっとシシリーさん! いくら公爵令嬢だって、王太子殿下に対してその口の聞き方は失礼ですよ?!」
両手を腰に当てこちらを真っ直ぐに見るその女は、頬をぷくぅっと膨らませて「不服です!」と言わんばかりに私を見ている。
この人、レイ・クリノアと私は、一応の面識こそあれど交流と呼べるようなものは無い。
しかし幾ら彼女という人間に微塵も興味が無くっても、彼女の評判の悪さくらいは勝手に耳に入ってくる。
私は今まで、その大部分を殿下からの寵愛のせいで買ったやっかみと彼女自身の淑女然としていない振る舞いのせいだと思っていた。
しかしどうやら違うようだと、この一声で理解する。
(このあざとさと、それからこのたった一言で露呈する頭が弱さ。これは確かに他の令嬢から嫌われる事でしょうね)
そう思わずにいられないくらいには、レイというこの人物は酷い。
そして次に思ったのが、「まぁ、確かにコレなら殿下の懸念も分からなくはない」だった。
彼女が殿下の想い人だという事は、先日の一件で既に知れ渡ってしまった。
今や彼女は「王太子を誘惑し、『聖女』『淑女の鏡』と呼ばれ慕われているローズを婚約者の椅子から蹴落とした稀代の悪女」である。
今しがた私が得た印象としては「本当にこれが『稀代』なのか?」と思わずにはいられない出来だけど、結局それ自体が事実かどうかはあまり意味の無い事だ。
今重要なのは、以前から周りの反発を買っていたこの女が、今こういう噂をされているという事実の方だ。
彼女は今、多くの好奇や蔑みの目に晒されている。
中には直接的な暴言や暴力の類に及ぶ人間も居るだろう。
それこそ今は「ローラ様可哀想」という免罪符があるのだから猶更だ。
そんな世論の波に乗ってレイを害そうという人間が現れるのも想像に固くない。
大怪我を負うという事はないだろうが、嫌味や小言の類はあるだろう。
そういうものを向けられた時、1番良いのは聞き流す事だ。
が。
(彼女には、きっと無理な事でしょうね)
自分が納得できない事には、必ず言い返す事だろう。
つい先ほど私にしたのと同じように。
貴族としての外聞や爵位の差を全く気にしない所こそがもしかしたら殿下の気を引いた一端なのかもしれない。
が、これは階級社会に置いてすこぶる評判が悪いだろう。
『殿下の後ろ盾』で事を収めるにしても、本人が居なければ退かない者だって居るかもしれない。
むしろそれを出した事で一層相手の機嫌を損ねる結果にだってなり得るものだ
それらを防ぐためには結局、どこまでも同行せねばならない。
そして今、殿下はそれを実行している。
しかしこれは、目の前のトラブルへの暫定対処にしかならず、何より今後を悪化させる。
この護り方は正しくない。
間違っているとは言わないが、未来は無い。
そんな護り方でしかない。
だから私は言い放つ。
「殿下もお甘い事ですね」
無礼なあの声はあえて無視して、ただ殿下にだけ向かって。
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