第19話 本物とニセモノ
言い切ったリンドーラの頬を、時間差で涙が伝う。
きっと泣きたい訳じゃ無かっただろう。
しかしそれでも溢れ出てしまった一滴は、きっと想いの結晶だ。
私はそんな、強くありながら可憐でもあるこのリンドーラ・レインドルフという人間を心の底から「すごい」と思った。
そして、だからこそ。
(この策謀は必ず完遂してみせる)
今まであった、私の将来云々に関する思惑と親友の尻ぬぐい。
最早それらを押し退けて、足掻き続ける彼女が私にそう思わせた。
そしてそれは、きっともう目前だ。
殿下の顔を見て、私はそう確信もした。
というのも、殿下の顔には私が今まで見たこと無いくらいの大きな変化が起きていた。
リンドーラの濡れた瞳に見つめられ、包み隠さず真っ直ぐに秘めていた想いを伝えられて。
驚いただろうし戸惑いもあるだろう。
しかしそれでも固まった彼の顔はリンドーラと同じくらい真っ赤に染まって、言い表せない焦燥感がその表情から見て取れた。
それこそが紛れも無い、隠しようも無い彼の中の変化だった。
そしてそれは、今の今まで余裕綽々で彼の腕に手を絡めていたレイにとっては最悪の事態である。
「殿下っ! 何故そんな顔をしてるんですかっ?!」
誘惑する方が悪いのは当たり前。
だけど誘惑されてしまう方にも問題はある。
おそらくはそんな論理で、レイは激しく殿下の腕をゆさゆさ揺さぶる。
(自分もローラが居る中で殿下を誘惑し、誘惑された殿下をまんまと手に入れた人間でしょうに)
全てを棚に上げた彼女に、私は笑いが沸き起こる間もなく呆れた。
結局殿下は以前から良くも悪くも直情的で情に流されやすい人間だったっていうのに、結局レイは全くそれを分かっていなかったらしい。
否、もしかしたら分かっている上で「自分は例外だ」なんて思っていたのかもしれない。
そんな筈は無いだろうに。
「殿下は私の事を愛してくださっているのでしょう?! なら、こんな女の言う事に一々心を揺らす必要なんて無いじゃないですかっ!」
そう言って彼に頬を膨らませてみせる彼女は、まるで取り上げられたおもちゃを取り戻そうとする駄々っ子の様だった。
もしかしたら、それは好いているものから見れば愛しい仕草に見えるものだったのかもしれない。
が、私から見ればただのあざとい我儘だ。
(そんなペラッペラなものでこのリンドーラさんに勝てると思っている辺りが最早『分かっていない』のよね、この子)
そんな風に独り言ちる。
と、隣から割り込むように涼やかな声が彼女に言った。
「あらレイさん、それは殿下が決める事であって、貴女に決められる事では無いのではないですか?」
ローラの声だ。
余裕綽々で微笑むローラを前に、私は思わず「前回と言い今回と言い、ローラにはどうやら人を煽る才能がある様だ」と思ってしまった。
彼女の厄介なところは、それを悪いと思っておらず、それどころかそうして得た反感を余すことなく自分の武器に転用するスキルを持ってしまっている事なのだろう。
そしてそんな鉄壁ローラと、レイはキッと睨みつける。
「既に殿下の婚約者でもない貴女にこそ、口を挟む余地など無いでしょう?! 邪魔しないで頂きたいわっ!」
「私は単に、レイさんが不敬罪に問われない様に注意して差し上げただけですのに……」
「それこそ大きなお世話というものです! 殿下は私を愛してくださっている! そんなものを適用などする筈が無いでしょう!」
頬に手を当てて「善意の言葉だったのに」と小首を傾げて困ったローラの猫かぶりに、レイがすぐさま言い返す。
しかしレイはその答えで本当に良いのだろうか。
今彼女は殿下の事を「公の場でも私を混同するような人間だ」と言ったようなものなんだけど。
しかしそんな無礼に彼女は全くと言って良いほど気付かない。
全てを当てつけだと決めつけて不利な考えは叩き出し、その上でこう言い募る。
「この世で最も殿下の事を愛しているのは私です! そしてもちろん殿下だって、そう思ってくださっている。そうでしょう?!」
必死な笑顔で、彼女は殿下の腕を引き見上げた。
が、その瞬間に笑顔にピシリと亀裂が入る。
そこに居た彼の困ったような、少し気まずそうな顔を見てしまったから。
直接的に尋ねた事で自ら墓穴を掘ってしまったレイと、気が付いてしまった殿下。
そんな二人を、私は「まぁそうなるでしょうね」と思いながら眺めている。
彼はきっと、今のレイの一言で体感してしまったのだろう。
――レイさんは、好意を簡単に口にし過ぎているのです。
先程エレノアが口にした、その意味を。
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