第17話 彼女が好きになった花
懐かしさからなのか、それとも他の感情からなのか。
まるで過去を夢想するかのように易しい声色を発する彼女は、口元に仄かな微笑を湛えたリンドーラが小さく深く息を吸う。
「パーティーの途中でお手洗いに立った後、私は少し寄り道をしたのです。目的地も無く少しブラブラと。すると綺麗なバラが咲き誇る庭園にたどり着きました。……私はそれに、思わず見惚れて放心しました。するとまるでその隙を突いたかのように突風が吹き、大切にしていた髪留め用のリボンが飛んで行ってしまったのです」
そう言って、彼女は自分の髪を撫でた。
人差し指の腹で優しく触れたそこにあるのはハーフアップにした三つ編みで、そこには深紅のリボンが一緒に編み込まれてる。
あのリボンは、私も何度か見た事がある。
愛用しているなとは思っていたが、どうやらあれこそ思い出の品だったらしい。
「おそらく、覚えていらっしゃらないでしょう? それを取ってくださったのが、殿下でした」
「――覚えている」
「……えっ?!」
「あ、いや。うっすらと、ではあるんだが」
覚えていなくても良いのだ。
そんな風体だったリンドーラは、呟く様な殿下の声に思わずといった感じで目を見開いた。
そんな彼女に気圧されて、思わず殿下も予防線を張る。
が、実際には言葉以上にその日の事をどうやら覚えていたようで。
「あの時は確かたまたま通りかかったら母上のバラ園に誰が居ると気が付いて、行ってみたら凄い顔で大号泣している女の子が居たから――」
「で、殿下! 記憶を改竄しないでくださいっ! 確かに泣いてはいたと思いますが、凄い顔なんてしていませんっ!」
殿下の言葉に、顔を真っ赤にして叫んだリンドーラは、覚えてくれていて嬉しいのとそんな覚えられ方をしていて恥ずかしいのとでどう感情を処理していいのか分からないという感じだ。
が、対する殿下は「そうか? 結構貴族令嬢にあるまじき盛大な泣き顔だったと思ったが……」なんて言いながら、真顔で首を傾げている。
意地悪をしているつもりは無いんだろうが、その悪意無しな様子も相まってリンドーラは複雑そうだ。
が、それでも彼女は負けなかった。
拗ねたように鼻を鳴らして今度は反撃に出るようだ。
「でっ殿下だって、泣いてる私をどうにか泣き止ませようとなさって、それはもう王子にあるまじき慌てようだったではありませんかっ!」
それはもうワタワタと!
と指摘されて、殿下は「なっ!」と声を上げる。
「それではあたかも私がみっともなく慌ていたかのようじゃないか!」
「実際にそうでしたもの! 仕方がないではありませんか!」
そんな風に言い合う2人を私は、ため息を吐きながら見る。
(あぁもぅ……せっかくここまで、何だかんだといい雰囲気だったというのに)
これではいつもの2人である。
そう。
残念なことにこの人達は、顔を合わせればいつもこうして言い合いの喧嘩の様になってしまう2人なのだ。
エレノアとモルドも意外とそういう所があったりするが、こちらはあくまでじゃれ合いだ。
対してこちらはただの口喧嘩で、甘さなんて微塵も無い。
せっかくの場なのに、と思わずにはいられない。
が、今回は100%殿下が悪い。
乙女心が全く分からずデリカシーの無い事を言った、殿下が悪い。
因みにだけど、どちらの言い分も合っている。
先程も言ったが、当時私は殿下のお目付け役としてあのパーティーに参加していた。
だから休憩がてら席を立った彼が中々帰ってこない事に気付き、私も彼を探しに行ったのだ。
少しして見つけたんだが、その時そこに居たのはワンワンと泣きじゃくる令嬢と、「あの」とか「えっと」とか言いながら、ワタワタしている殿下だった。
当時の私はそれを見て子供ながらに「何やってんだあの2人は」と心底呆れたものだったけど、あまりに必死な殿下の姿にちょっと様子を見る事にしたのだ。
すると殿下は、どうにか彼女の泣いている理由がバラのつるの遥か上の方に引っかかっていたリボンだということを聞き出すと、上を見上げてちょっと困った顔になった。
リボンを取ってやりたいが、高くて手は届かない。
どうもそういう感じだった。
周りには頼れるような大人も居らず、現状すぐにリボンを取ってやれる様な状況にも無い。
そんな中で、彼は彼なりに考えたのだ。
目の前の女の子を、泣き止ませる方法を。
その時の二人は、まるでおとぎ話のワンシーンにでも出てきそうな様だった……と、私でさえ思うのだ。
当事者であるリンドーラが恋に落ちるのも至極正しい流れな気がする。
と思いながら私がコホンッと咳ばらいを一つすると、リンドーラがやっとハッと我に返り「とっ、とにかくですね!」と口を開いた。
「その時殿下は泣いていた私にバラを一輪、くださったのです」
私の促しに慌てたのか、周りから注目されているという状況を思い出して慌てたのか。
少し早口になりながらそう言った彼女は、しかしここでその時の事を明確に思い出したんだろう。
フワリと綻ぶように微笑む。
「赤いバラでした。とても大きくて、綺麗に咲き誇っているそのバラを、私は今でも覚えています。……それ以来、私の一番好きな花はバラになりました」
そんな彼女の言葉に私は、「そうだったのか」と驚いた。
確かに彼女の赤好きもバラ好きも、筋金入りの者だろう。
私物には尽く赤いバラが姿を見せて、身に着ける香水もバラのもの。
その上今日の彼女のドレスには、白地に赤で鮮やかなバラの刺繍がされてる。
これについては疑いようも無いだろう。
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