第14話 レイの甘え



 私はこれまで幸いにも補講を受けるような事態にはならなかったが、やはり当時のヒーヒーと言っていたエレノアの事はよく覚えている。


 補講の3回目に落ちた時、彼女は胸の前で両の手のこぶしを握り「何度ダメになったとしても、めげずに『良』を目指します!」と涙目で宣誓していた。

 つまり補講が受けられる回数に制限はおそらく無いんだろう。

 

 ならばレイが取ったというダンスと作法の『可』評価も、やる気と根気さえあれば十分『良』に出来た筈だ。

 逆に言えばレイに足りていないのがそのやる気と根気で、それこそが今回の論点だときっと言いたのだろう。


「どんな立場であったとしてもダンスと作法のスキルはある程度必要。しかし『未来の王妃様』以上にそれが必要な立場を、少なくとも私は知らないわ」


 私がそんな風に言うと、エレノアが頷き続きを引き継ぐ。


「もし本当に殿下を愛しその隣を望むなら、周りを認めさせる為にもこれらのスキルを高める努力は必須だと思います。苦手ならば尚の事」

「えぇ、そうね。才能の有無に関わらず努力それ自体はやる気次第で誰でも出来る。その姿勢が見えない時点でマイナスですね」

「殿下の隣に立つための努力が出来ないような令嬢が殿下に心からの愛を捧げているっていうのも何だか、変な話に聞こえちゃうよね」


 ローラとモルドが更に続き、それにエレノアは「そうなのです」と相槌を打つ。


「だから私はてっきり、レイさんは殿下の隣に立つ事をそれ程望んでいるとは思えなかったんですけれど……」


 違うのですか?

 そんな風に小首を傾げるエレノアには、一ミリだって悪意が無い。

 

 しかし何だろう。

 言葉の端に小さな怒気というか、憤りのようなものが感じられた。


「そっ、それは色々と他にもすべき事があって……」

「殿下との交流期間はおよそ2年ありましたけれど、その間一度も貴女はその努力をしていらっしゃらない。よほどお忙しかったのですね……?」

 

 レイの言い訳を、私が横からぶった切る。

 

 2年間もの間努力を怠った事実を持っていながらのソレは、流石に言い訳が見苦しい。

 もし何かに忙しかったのだとしたら、それは凡そ殿下との愛を深める事に割いた時間だったんだろうが、それこそそんな事をする前にやるべき事があった筈だ。

 


 どちらにしても、だ。


(「恋は盲目」なんていうのはよく聞く話だろうけど、それにしても殿下、節穴過ぎるわ……)


 そう思う。


 だってそうだろう。

 もし最初から殿下の隣に立つ気が無くてのソレだとしたら殿下の心を騙した事になるだろうし、もしこの状態で立つ気で居たというのなら、それは殿下に甘え過ぎだ。


 「そのくらいは殿下がフォローしてくれる」?

 「殿下の一声でどうにかなる」?


 そんな風に思っているから努力せずに正妃の地位に居座ろうとなど出来るのだ。

 殿下に自分を売り込む時点でそれなりの野心があるのは解ったが、ならばもっときちんと努力すべきだった。

 それこそが、自分を婚約者に推す彼が周りから揶揄されないように振る舞うためには必須な事だったのだから。



 そして私は、それが出来る令嬢を一人知っている。


「そういえば、リンドーラさんは外国歴史が昔から苦手だったと思いますが……先日の試験の結果はどうだったのです?」


 徐に話を振った先に居るのは、リンドーラ・レインドルフ侯爵令嬢。

 この状況での殿下の最も理想的な着地点であり、私の名を再び殿下の王妃候補なんてものに上げさせない為の秘密兵器そのものだった。



 私が彼女にそう問うと、近くの人々の視線を受け止めたリンドーラは少し恥ずかしそうに笑う。


「えぇ。恥ずかしながら、どうしても暗記が苦手でして。最初の数回は毎回『可』を取って、それから補講でどうにか『良』をいただいているという状態だったのですけれどそれから少しずつ勉強法などを工夫しまして……実は先日、初めて『優』頂くことが出来ました」


 『優』とはつまり最高評価。

 苦手を克服するどころかそこまで突き詰めるには、並々ならぬ努力と想いが合った事だろう。


「えっ! 凄いです、リンドーラ様!!」


 その報告に、エレノアが両手を打って弾んだ祝福を告げる。

 こういう時の彼女の瞬発力と純粋さは、彼女の美徳だと思う。


 周りに裏を意識させない。

 だからこそ普段はツンなリンドーラも、素直に微笑み心から「ありがとうございます」と言える。


「……外国歴史は、将来の外交に十分役立つ分野です。だからこそどうしても、苦手なままではいられませんでした」


 そう言いながらチラリと殿下を見遣った事に、肝心のあの男は気付いただろうか。

 彼女が何故どうしても苦手なままにしておけなかったのかも、ちゃんと考えれば分かる筈だ。

 ちょっとずつで良い。

 せめて「かもしれない」くらいで良いから殿下には、彼女を意識してほしいものだが、どうだろう。


 ちょっと顔が赤くなっているリンドーラの成果なのか、チラリと見れば殿下は少し驚いたような顔になっている。 

 良い感じだ。


「それで、エノがレイさんが殿下を事を好きなのか疑問に思った理由はそれだけ?」

 

 得られた手ごたえに納得しながら、私は更にそう問いかけた。

 すると彼女は少し顔を曇らせて言う。


「いえ、それだけじゃなくて……」


 どうやらまだあるらしい。


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