第14話 殿下、オーバーキル
殿下の方を盗み見ると、ガックリと肩を落とした殿下の姿がそこにはあった。
周りからの視線は冷たく、その上鋭いものまである。
今まではそれなりに取り繕ってきたお陰もあり、彼にそんなものが向けられる機会などありはしなかった。
だからきっと、そういう視線を向けられることに耐性が無いのだろう。
心が折れてしまったようである。
そんな彼を見て――まぁこう言うと意地が悪いと言われるかもしれないが――私はホッとした。
これでもう、少なくとも彼がこの件でエレノアに牙を向ける事は無いだろう。
任務は、完遂だ。
晴れ晴れとした気持ちで、そう思った時だった。
「これじゃぁむしろ、ローラ様の方が婚約破棄を申し出たくなっちゃいますよね」
そんな彼の背中に追い打ちをかける者が居た。
そう、エレノアだ。
屈託の無い笑み無意識に放った追手に刺されてしまい、殿下はもう一段更に深く項垂れる。
かなり不敬な言葉だっただろうに最早誰も目くじらを立てる者おらず、果てにはどこかで「ぶふぅーっ!」と吹き出す声さえ聞こえる始末。
「エレノア嬢、顔に似合わずえげつない事言うね」
先程吹き出したのとは別の声がエレノアが発した痛恨の一撃にそんな言葉で茶々を入れたのは、やはりと言うべきか安定のモルドである。
しかしエレノアはこれに対し、コテンと首を傾げてしまった。
やはり他意は無かったらしい。
「え、ホントにまだ気付いてないの?」
「だから何がです?」
「うーん、じゃぁさ。もし自分が沢山の不届きを晒した後で、自分が始めた騒動を引き合いに出されて揶揄られたとして、エレノア嬢ならどう思う?」
「更なる恥の上塗りっていう事ですか? ならば勿論そんなの顔から火を吹くほど恥ずかしい――ぁ」
そこまで言って、エレノアもやっと自分がした事に気が付いたらしい。
ハッとした顔になって、凄い勢いで両手で口をパシッと封じた。
そして慌てて弁解してくる。
「あっ、いえっ! 私にそんなつもりなどは――」
「いやぁ、普段はそんなにのほほんとした感じなのになぁー。エレノア嬢って実は相当な腹黒なのかもしれないやー」
エレノアに他意が無かった事なんて、彼だって分かってるはずだ。
それでも敢えて、彼は真面目腐った顔でそんな事を言ってみせた。
顎に手を当てて、大仰に考える素振りを見せて。
そんな彼は実に芝居かかっていて、誰がどう見ても彼女をからかって楽しんでいる様にしか見えない。
しかしそれに全く気付かない――どころか、その斜め上をいくのがエレノア・クオリティーというやつだ。
「なっ! 私のお腹は普通に肌色ですっ!」
「失礼な!」と言いたげに放たれた、渾身の一言。
しかしそれを聞いた私達は――みんなして一斉に、思わず「ぶふぅーっ!」と吹き出した。
何事か。
エレノアだけがそんな顔をしている中、彼女に理由を説明する猛者は居ない。
みんなそれぞれ、突如出現した『笑いの種』を処理する事に忙しい。
「い、いや……。あのね、エノ? 『腹黒』っていうのは、そういう意味じゃなくて……」
やっと痛む腹を抱えながらそんな言葉を口にした私の正面で、モルドは1ミリの躊躇もなく爆笑し続けている。
(くっ! 私だってこんな公衆の面前でなければ脇目も振らずに大爆笑したいのにっ!!)
分かってる。
いつだってエレノアを最後までフォローするのは私の役目。
しかしそれでも、どうしようもなく素直に爆笑に浸れる彼が羨ましくて恨めしい。
正直言って、今ほど「もし私が『シシリー・グランシェーズ』に生まれさえしなかったら」と思った事も無いだろう。
そう思いつつ、どうにか笑いの誘惑に打ち勝って『腹黒』の意味を全て説明し終えた。
すると途端にエレノアは、顔を真っ赤に染め上げた。
「な、あ、そ」
口をパクパクとさせながらゆっくりとモルドに視線を向ける。
おそらく羞恥のせいだろう、その瞳には大粒の涙が溜まっている。
そんな瞳を向けられても尚、モルドはやはりいつもの自分を1ミリだって違えない。
楽しそうだという事だけが分かる顔を彼女に向けて、おそらく必死に探しているのだろう次の言葉を待っている。
しかし案の定、彼女の口から出た言葉はお粗末で。
「ひ、酷いですっ!!」
顔から火を噴きながらやっと捻り出した一言に、遂に彼の顔が崩れた。
「……エレノア嬢って、ほんと面白いよね」
おそらくこれでも頑張ってひねり出したのだろう言葉に、モルドはそう言葉を返す。
その時の彼の顔に、私は「あ……」と呟いた。
何だかんだで彼は今まで、何故か一度もエレノアへの決定的な感情を覗かせた事は無かったのである。
ほんの一瞬垣間見せる事はあっても、それは精々言い逃れが出来るくらい範囲の変化だけだった。
なのに。
(ついにその封印が解かれたか……!)
そう思わずにはいられない程に、彼の浮かべた表情は甘い。
可愛い。
愛しい。
ほんのりと上気した頬が、「仕方がないな」という風に思わず笑ってしまった口元が、そして何より、優しさと甘さと熱さを内包した瞳が、彼女に愛を告げていた。
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