第13話 諸刃の剣さえ喪って
「そうですよね? シシリー様」
同意を求めるエレノアに、内心でちょっと焦ってしまう。
どうだっただろうか。
少なくとも即答できないくらいには、今まで呼び名なんて気にしてなかった。
しかし流石に今や二人の視線だけじゃなくその他大勢の視線さえも独り占めにしてしまっている現状では言い出しにくい。
分からないと答えるにしても、せめて記憶を掻きまわしてからにしよう。
そう思って、二人が婚約するちょっと前から今までのここ5年間の記憶を慌てて漁ってみて、そしてやっと見つけ出した。
「……えぇ。確かにエノのいう通りだったわ」
思い出したのは、2人の婚約パーティーの一部始終。
その時確かに殿下はローラの事を、確かに『ローラ嬢』呼んでいた。
その時の2人がとても絵になるくらい美しくまるで既に夫婦であるかのような仲睦まじさだったから、その時の事は今でも記憶に残っている。
しかし現在の殿下は彼女を、必ず『カードバルク嬢』と呼ぶ。
つまりどこかで、呼び名が切り替わる瞬間があった。
きっとそういう事なのだろう。
「でも一体いつから変わって……?」
しかし今までは気付いてすらいなかった事だ、中々思い出す事が出来ず「うーん」小さく唸ってしまう。
と、エレノアが「あの」と口を開いた。
「確か3年前くらいだったと思います」
でもそれは、あくまでも私が気付いた地点ですけど……。
「それより前にどうだったのかは分からない」と言いたげなエレノアの声はだんだんと尻すぼみになっていき、最後には口を噤んでしまった。
しかし彼女の言葉に私は、今妙な引っかかりを覚えた。
「3年前……」
何なんだろう、この引っ掛かりは。
2人の婚約が成ったのは、今からちょうど5年前。
つまり3年前というと、ちょうど婚約から約2年の時が経った頃という訳なんだけど。
私のそんな呟きは、実に小さなものだった。
しかしあまりの殿下の裏切りすっかり静まり返っていた室内には、よくよく響いたようである。
私に導かれる様に、みんなして考え始めた。
そして最初にそこから抜け出したのは。
「ねぇそれってもしかして、レイ嬢と殿下が噂され始めた頃なんじゃない……?」
モルドの声を聞いた瞬間、私はまるで心の中の雲がサァッと晴れた様な感覚を味わった。
「……えぇ。えぇ、確かそうだった!」
疑問が晴れてスッキリした。
が、そんな気持ちもすぐに消え失せる事になる。
(え……つまりそれって)
新たな事実に気が付いてしまった。
答え合わせを求めてモルドを見遣る。
するとすぐに、彼の苦笑いとかち合って。
「つまり2人は、その頃からデキていたって事なんだろうね」
キッパリと彼はそう言ったのだ。
この言葉によって周りに巻き起こっていたざわめきが、まるで行くべき方向を見つけたかのように動き出す。
「そんなに前から? という事は、二人は行きずりではなくずっと心を通わせて……」
「その可能性が高いです……」
会場内に蔓延した数々の声は大抵がそんな感じのものであり、そこにはもう味方の姿は見られない。
この一言は、それほどまでに決定的なものだった。
殿下は、自らの婚約者との仲を保てず、他に想い人を作り不貞を働いた事によって国と国王を裏切った。
それでもまだ辛うじて『生物としての欲求に勝てなかった可能性』という一部の男性にしか通用しない諸刃の剣が残っていたのだ。
王や国を裏切るような行為をしても、それは一時の気の迷いや勢いというもので、心の底から裏切る気は無かったのだと、そういう見方も残っていた。
しかしそれも、これで遂に潰えてしまった。
殿下がレイに好意を寄せるようになったのは、おそらく婚約から2年後だ。
その頃には既に彼女に心を許しそれなりの関係になっていたのだろう。
少なくとも彼女以外の令嬢の名前呼びを止めるくらいには、彼の心は動いてしまっていた筈だ。
人間なのだ、心が動くのは仕方がない。
元々彼は直情的な人間だ。
気持ちが脊椎の代わりをし、行動に直結してしまっているタイプの浅慮である。
それならば、猶更だ。
本当に愛してしまったのなら、側妃に迎えれば良かったのだ。
もしそう彼に突き付けたなら、きっと彼はその浅慮さで「俺は自らの愛する者を正妃にする事さえ望めないのか」と声高に言っただろう。
そして私は、「必ずしも選べない」と彼に答える事だろう。
きちんと周りを説得し、実績を積み、手順を踏んで認めさせる。
もし上流階級の人間が相手を自分で選ぶ権利を持ちたいのなら、そういう努力をしなけりゃならない。
それを怠った者に、好いた相手を手に入れる資格は無い。
少なくとも私はそう思っているし、その考えに恥じない生き方をしている。
そんな中、殿下は誰かに唆されるままにこんな手段を取ってしまった。
殿下はルールを破ったのだ。
周りや未来や相手を全く顧みず、背負うべき義務を放棄してただ自らの気持ちのままに突っ走った。
そんな彼についてくる者など居ない。
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