第9話 第二ラウンドのゴングが今鳴りました



 そんな私の声に彼女は「それがその、少し前の事なんですが……」と口を開く。


「実は先日、移動教室の途中で忘れ物に気が付いて、教室へ一度戻ったのです。科学のエバンス先生の授業だったので、私はとても慌てていて――」

「あぁ、あの時か」


 移動教室なら十中八九私も一緒に移動していた筈だったが、一足先にモルドがそんな相槌を打った。

 そして、ニヤリと笑みを浮かべる。


「でも確かエレノア嬢、あの時結局エバンス先生に怒られてたよね? 何、どうしたの? もしかして道にでも迷ったの?」


 その彼の一言で、2人の『じゃれ合いタイム2回戦』のゴングが高らかに鳴り響いた。


「まっ、迷ってなんていませんっ! 大体私、もう三回生ですよ?! 校内で迷う筈がないじゃないですか!」

「え? でも前に、いつまで経っても移動教室に来ないなぁと思ってたら、授業が終わる頃になってやっと教室に来た事があったでしょ? しかも半泣きで」

「あれは2回生の時の話じゃないですかっ!」


 そんな昔の事を一々持ち出さないでください!

 顔を真っ赤にしながらそう抗議する彼女は見事な膨れっ面だ。


 エレノアがそんな風にムキになればなるほどおそらく、彼を喜ばせる結果になる。

 いたずら心を擽られまくりでニヤニヤが全く止まらないモルドを前に、良く気付かずにいられるものだと感心したくなってしまうが、これぞエレノア・クオリティー。

 鈍感力は最強である。


「モルド様、やっぱり意地悪です!」

「別に意地悪なんて言ってないよ。ただ事実を言ってるだけじゃん」


 そうでしょ?

 それとも僕、嘘ついてる?

 

 そう言いながらクツクツと喉で笑うモルドと、ますます膨れっ面に拍車が掛かってしまったエレノア。



 そして、そんな2人の話を聞いていた外野達の感想はというと。


(2回生で、校内で迷子になったのか……?)


 これである。



 この場にいる大人達は、ほぼ全員がその学校の卒業生だ。

 そして、だからこそ分かる。


 校内は、そんなに入り組んではいない。

 だから1回生の最初ならばともかく、2回生になってまで授業が終わる頃まで道に迷い続けるなんて事、普通は狙っても出来るものじゃない。

 それどころか授業をサボる理由として使っても、一発でバレて叱られるようなお粗末さだ。


 だからだろう。

 今まさに目の前でピーチクパーチクやっている2人への視線が、少し柔らかくなった。

 微笑ましいというよりは同情混じりの生温かいものではあったが、最初の方の「何だコイツは」という怪訝な目よりは随分と良い。



 しかしそんな視線が飛んでくる中で、ただ1人。

 いつまでもそんな2人を傍観していたい衝動に駆られながらも、「それは叶わぬ願いだ」と自覚してやまない人間が居た。

 そう、私だ。


「ちょっと、2人共? 楽しんでいるところ悪いんだけど、そろそろ話を戻しても良いかしら?」

「なっ! シシリー様、私は別に楽しんでなんてっ!」


 エレノアが慌てた様に弁解してくる。

 が、今はわりとどうでも良い。


「確かにエバンス先生は、遅刻に厳しい方ですものね。エノが慌てた気持ちも分かります。それで?」


 半ば強引に言葉の先を促せば、少々口を尖らせながらも彼女は話を再開する。


「それで、教室で忘れものを回収してから、『少しでも近道を』と思って、その……教室から化学室へは中庭を通り抜けるのが一番速いという事は、シシリー様もご存知でしょう……?」


 そう聞かれて、私は素直に「そうね」と応じた。

 しかし。


(最短ルートを通るには、確か舗装されていない場所を通る必要があった筈だと思ったけど……)


 そんな疑問が脳裏をよぎる。



 淑女がそんな所を通る事は、当たり前だがはしたない行為だ。

 体面的によろしくない為、滅多なことが無い限り誰も通ることは無い。


 などという私の思考を、おそらく表情から察したのだろう。

 エレノアが慌てて弁解の言葉を向ける。


「あっ、あの時は『背に腹は変えられない』という思いだったのです! だから仕方がなくですよっ?!」


 そう言った彼女は間違いなく、その時道なき道を通ったのだろう。

 それが淑女として恥ずかしい事だという自覚はあるようだから、おそらく本当に『背に腹は代えられない』状態だったという事だ。

 それだけ時間がギリギリで、エバンス先生の事がよほど怖かったらしかった。


「それで、そうしたら途中で、その……お2人がちょうど口論をなさっていたのです」


 そこはちょうど校舎からは完全に死角になっている場所だったらしい。

 だからエレノア曰く「もし私がたまたま通ろうとしさえしなければ、誰にも目撃される事は無かっただろう」との事だった。


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