第8話 ……そんな度胸など、必要ないわ



 一見すると、私の言葉はローラへの同情のように聞こえただろう。

 しかしその実、そうじゃない。


 私が真に想ったのは、相対した殿下とローラのどちらかでもなければ、おそらく2人に付いていただろう側近達の事でもない。

 そこに偶然居合わせてしまった、運の悪い外野達だ。


 そしてそれにエレノアも。


「――あぁ確かにそうですね。周りに居合わせた方々はきっとモルド様と同じく移動教室の途中だったのでしょうから道を通りたいでしょうけど、まさか殿下に『退いてくれ』という訳にはいきませんし、にらみ合うお二人の横を無言ですり抜けようとしてもし殿下にぶつかってしまったら、ちょっとした騒ぎになりそうですもの」


 流石にこの時は至極真っ当な事を言う。



 もしぶつかってしまったとしても、そもそも道を塞いでいた殿下が悪い。

 しかしそれは、おそらく言い訳には出来ないだろう。

 そうでなくともと出会ってしまった彼は機嫌が悪いだろうし、そんな彼がぶつかられて鷹揚に許すとは思えない。


 そして何より、相手を罰する事が出来る権力を持ってしまっているのだ。

 「そもそもそんな所を通ろうとした方が悪い」という話になり、頭に血が上っている彼は今日エレノアにしようとしたように「極刑に処す」とか言いそうだ。


 と、まぁもしここまでは想像できなかったとしても「機嫌の悪い権力者の横をすり抜けるのやだなぁー」くらいは思うだろう。

 結局避ける事には変わりない。



 エレノアの声に私が肯首するとその意思は、どうやら外野たちの頭上を越えて当事者2人に届いたようだ。


 チラリとそちらを盗み見てみれば、どこか満足げな顔のローラと苦い顔の殿下という対照的な2人が居た。



 その表情が示す通り、今この場はローラの優勢に傾いている。

 しかし幸か不幸かモルドの話は、まだここでは終わらない。


「でもローラ嬢のその言葉があったところで、状況は好転しなかった。むしろその逆、悪化した」


 それはまぁそうだろう。

 反射的に、そう思う。



 『廊下での友人との戯れ』は、少なくとも殿下にとっては学内でのみ許された自由のうちの一つだったろう。

 それを侵害した相手がそもそも確執のある相手なんだから、感情的になっている彼が聞く耳を持つ筈はない。


「殿下は『頑としてここを動かないぞ』っていう姿勢を示してしまってね、結局その場は険悪ムード一色さ」


 ローラの注意のお陰で確かに殿下と友人の戯れ風景は消失したが、結局険悪なままにらみ合った両者が道を塞いだままだ。

 全く持って意味は無い。


「で、結局あんな険悪な場所のすぐ横をすり抜けようなんて度胸は誰も無くってね。仕方が無く、みんな遠回りの別ルートを使う羽目になった訳だ」


 背に腹は変えられなくて。

 そう言ったモルドは、おそらく思い出し笑いなのだろう。

 喉の奥でクツクツと、それはもう可笑しそうに笑ってみせる。



 しかしそれにこんなにも気持ちよく笑えるのは、精々彼くらいなものだ。

 居合わせたのだろう数名からは明らかな苦笑が、そうでない者達は大人も子供もみんな揃って自分が居合わせた想像でもしたのだろう、苦い顔になっている。


 そんな中、誰かがポソリと呟いた。


「……そんな度胸など、必要ないわ」


 するとそれは、大方この場の総意だったのだろう。

 誰からともなく同意の肯首が、さざ波のように続出していく。



 まぁ確かに「自分よりも身分が上の者同士の険悪ムードになんて一体、誰が自ら巻き込まれに行くというのか」という気持ちは良く分かる。


 この場合、最も賢いのは実際に彼らがやったように避けて通るやり方だ。

 それこそ一種の処世術である。


 もしそんな所にわざわざ特攻するような奴がいたら、そんなのは馬鹿でしかない。

 自分の娘や息子には、そんな間違った度胸など間違っても発揮してもらいたくない。

 つまりはそういう事だろう。



 そして、やはりというべきか。

 今の会話もまるっと全て、当事者2人に届いたようだ。


 だからだろう、いつの間にか2人の表情が形勢逆転してしまってる。




 まずはローラ。

 先程の顔とは打って変わって、申し訳なさと恥ずかしさからか顔を真っ赤にして俯いていた。


 彼女としては、おそらく良かれと思ってしたのだろう。

 それなのに、まさか周りにそんな迷惑のかけ方をしてしまっていたなんて……という感じである。



 やはり彼女も人間なのだ。

 時には感情に振り回されて、周りが見えなくなる事もある。

 ただそれだけの事なのだが、いつもはしないヘマだからか、落ち込み方がちょっと激しい。

 

 しかしそれは、「この様子なら彼女はもう二度と同じ過ちは繰り返さない事だろう」という確信にも繋がった。

 ローラは少なくとも私にとって、そういった信用に足る人物だ。



 対する王太子はというと、まるで鬼の首を取ったかの様な顔になっていた。

 しかし、得意げな彼には申し訳ないけれど、本当にアホだなと思わずにはいられない。


 幾らローラが周りに対し配慮に欠ける行動をしてしまったのだとしても、それで彼のした事が消えてなくなる訳じゃない。


 そもそもこの件は、彼が廊下で戯れていた事から始まっている。

 幾らローラが失点しても「そもそも殿下があんな所で戯れてたから」という事実は消えない。

 つまり、彼が得意げになれる理由など元からゼロなのである。



 しかし、多分彼は今その事に気付いてなくて。


(はぁ。ホントに浅慮ね……)


 私は思わず、心の底の方でそう独り言ちた。



 まぁどちらにしても、だ。

 モルドがこうしてエレノアや私の証言を具体的に補完してくれたお陰で、大人たちの「もしかして誤解かなんかなのでは……?」という甘い夢は潰えたと言って良いだろう。

 これで二人の不仲は確定事項になり、私は背中を気にする事なく次の段階へと進む事が出来るだろう。


「ねぇエノ? 貴女がお二人の態度から破局を想像した事は分かったわ。でも流石にこれだけじゃぁ、一足飛びが過ぎるわよ。もしかしてそう思った理由は他にも合ったりはしないかしら?」


 そんな風に、エレノアに問う。



 この疑問は尤もな筈だ。

 だってもし本当に2人が晴れて婚約を解消していたら、公の場でさえ仲を取り繕う必要は無くなって、二人の破局は間違いなく社交界、否、国を巻き込むニュースになる。

 そうなれば間違いなく、私達の耳に明確な話が入ってくる筈なのだ。


 それが無い時点で「おかしいな」と思わなければならない状況で、彼女はしかし『婚約は無くなった』と思ったのである。

 その理由を「何となく」と返すほど、彼女は無責任な子ではない。


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