二のメ <前>

「知らないわよ!」

 一葉が捨て台詞をのこし専有席を出た後。

 アキモク情報屋は運ばれてきた熱燗と寿司に手を伸ばそうとした時の事だった。

-♪~♪~♪

 複数ある彼の電話の内のひとつが鳴り響いた。

 着信音からそれが、客の類いでなく同業のものからであることが分かった。

「何だ?」

『アキモクさん。今大丈夫か?』

「タキガワ。どうした?」

 電話の相手は、馴染みの仲介屋だった。

『じきにだが、あんたの所に客が行く』

「新規か?」

 口振りからそう察したアキモク。

『ああ。だが、ちょっと妙な客でな』

「妙?そんな奴に俺を紹介するお前じゃないだろ?」

『もちろんだ』

「手形は?」

『持ってた』

「偽造の疑いが?」

『それはない』

 手形とは、裏の職人を紹介してもらうために使われる信頼の証のようなものだ。紙幣の次に偽造が困難な代物と言われている。

「それを持ってたんなら問題ないだろ」

『確かにそうだ。念のため手形の譲渡者にも時間かけて確認を取ったが、問題はなかった』

「じゃあ、何を妙と感じたんだ?」

『まぁ、確証はないんだが…』

 タキガワは躊躇いながらもそれを話した。

『そいつ華人っぽかったんだよ』

「…」

 それを聞いたアキモクは、寿司に伸ばそうとしていた手を止めた。

『まぁ、紛らわしい顔つきもいるし、俺も華人なんてニュースでしか観たことないから、勘違いだとは思うんだが…』

「マフラーは?」

『は?』

「そいつマフラーしてなかったか?」

『マフラー…ああ!』

 電撃を受けたような声を上げるタキガワ。

『そうだ。紅いマフラーをしてた。何で真っ先に妙に思ったことを今の今まで忘れてたんだ?』

「俺が知るかよ」

「それもそうだな。だが、何で知ってるんだ?」

「知ってるのが俺の仕事だからな。ついでにもうひとつ知ってることを教えてやろうか?」

『何だ?』

「譲渡者ってのは福和田さんだろ」

『さすがだなアキモクさん。どうやら余計なお世話だったみたいだな』

「そうでもないぞ。さすがにそいつが何の用で来るかまでは知らないからな」

『あんたを名指ししてきたぜ。福和田さんからのおススメだとさ』

「他に何か言ってたか?」

『ああ。あんたのについていくつか聞かれたぜ。部屋は何階かとか窓はあるのか?ってな』

「それも質問だな」

『確かにな。だが、新規客は警戒して質問が多くなるのはよくあることだ』

「どれぐらい前だ?」

『30分は経ってるな』

「タキガワ。この借りは必ず返そう」

『おいおい。こんなのただのお節介だろ』

「そうでもない。あと忠告だ」

『忠告?』

防壕ぼうごうに潜れ。親方たちにも連絡をするな」

 防壕ぼうごうとは、裏稼業の人間なら誰しもが持つ避難場所であり、すぐに逃げろという合図である。

『…分かった。終息の合図は?』

「俺か俺の上客が出す。急げ」

『ああ』

 電話を切り、彼は卓上のタブレットを操作し〈呼び出し〉を押した。

『はい』

 出たのは、受付にいた若い仲居おねえさんのようだ。

「俺だが…」

『アキモクさん。何か追加でご注文ですか?』

「いや。どうやら今日はもう一人客が来るみたいでな。今誰か来てるか?」

『いいえ。そのような人はまだ…』

「そうか…」

 そこで彼は、妙な客がしたという質問のことを思い出した。

 窓はあるか?

 彼が居座る専有席には、路地裏に面した窓がひとつあった。

「なぁ、他に何か妙なことは起きてないか?」

『妙なこと?』

「ああ。些細な事でもいい」

『何か刑事みたいな質問ですね』

「そういうのはいい。何かないか?」

『そうはいっても。…そういえば』

「何だ?」

『いやね。ゴミ出しに行った子の帰りが少し遅い気がしまして』

「捨て場は路地の方だよな?」

『ええ。そうですが…』

 通話を切る暇もなく、アキモクはドアに走った。

 彼がノブに手をかけたのと、が窓を破り卓上に落ちたのはほぼ同時の事だった。

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