正義か、命か

こんな時、看護師は冷静になり「あなたには自分で言っている事の意味が分かるんですよね?」と問いかける。

「命を選別するなんて間違ってる」、と医師は主張する。

「あなたは間違っています! 私は先生の言う事を良く聞きます!」

患者は来週に静脈瘤の手術を控えていた。しかし感染拡大による重症病床の逼迫を知って自分の順番を譲ってもよいと考え始めていた。会社のために身を粉にして働いてきた。休日返上も夜勤の連続も喜んで応じた。そのつけが身体を病んだ。しかし自分がいくら頑張っても社会が病んだらどうにもならない。


「その考えは間違ってる。滅私奉公は美徳だが、命まで犠牲にしなくていい」

医師が患者を諭すと看護師が遮った。

「じゃあ、あんたのお父さんはどうしてあんな事を言ったの!?」

看護師はあの日まだ学生だった。迫りくる津波から高台へ逃れるさなか女学生が足を滑らせた。居合わせた学校医がとっさに手を差し伸べた。その時すでに二人の足首まで波が来ていた。

「命は平等だが四の五の言ってられない時もある」

そういってジャイアントスイングした。女子高生と真逆の方向、黄泉の淵に彼は沈んでいった。


そんな壮絶な過去があったのだ。


院長は医師に「あんたが来ると患者は混乱するから」と説明する。

看護師はさらに勢いづいた。

「あんたは何も言わなかったよね。私達はあんたのお母さんもあんたの言う事をよく聞くって言ってる」

「ど、どういうことだ?」

医師は動揺した。なぜならカルテを情報共有しているからだ。自宅待機していた母親が39度の発熱で搬送されてきた。早く治りますように、息子が心配しませんように、とうわごとを言っている。その反面、自分より若い患者の命を心配している。

「私はあんたのお父さんを立派な人だと思って来た。なのにあんたは医者とは名ばかり。この十年間、思い切った決断を全く聞かなかった!」


追い込まれた医者は必死に反論した。

「医療資源の適材適所はずっと言ってきたじゃないですか。リハビリ病棟にナースを回すんじゃなくて介護福祉士を増やせって。余剰のナースは現場に…」

すると院長は言った。

「あんたが言ったんじゃないのか!!いう通り、病床を減らした。国の指導に従った。忠実な結果がこのざまだ」

「そういう意味では…」

医師はほとほと弱った様子だ。

看護師も院長を援護射撃する。

「あんたのお母さんが言ってたんだ。自分を含めて命に優劣をつけろと」と怒鳴り、医師を猛バッシングする。


院長も彼を見下した目で「あんたが命というものの意義、価値を1 人、1 人で見ているから何もできないんだ。どうせ寿命は尽きる。大を生かすために死んでくれるなら、という覚悟を決めてくれるなら、という気概を持って看病しようじゃないか!」

裏返すなら、他人の手を煩わせるな。死ぬときは誰にも迷惑をかけるなということだ。

そんな事を言って1 人で死のうと思って、それを理由にして自殺する人が後を断たない。

何が正義なのか。誰かを愛する事が正義なのだろうか。命を奪う事が正義なのだろうか。それとも「1人殺す事が正義なのか?」


人命は地球よりも重い。かけがえのない命。取り返しのつかない命。


今や、そんな事を考えなくてもよい時代になったのだろうか。



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