終章 当て馬騎士の逆転劇 

第60話 とある騎士団のはなし

「『ーーープロイセンのノイシュヴァインシュタイン城を知らないものはいないだろう。ただし、実際に入ったことがあるか、と問われればほとんどの魔法使いは首を横に振る。

それもそのはず、何しろノイシュヴァインシュタイン城はかの残虐王であるシリル=オゾンの根城なのだ。

シリル=オゾンは異世界から16歳の時に拉致されてきた。

誘拐犯は当時の赤竜で「見つけた!私の愛し子!」と異世界で歓喜したらしい。

しかし、赤竜は随分とマイペースな性格だったようで、シリル=オゾン当時若干16歳を国のハズレの田舎町に落下させ、そのまま数年間に渡り放置する、という強行に及んだ。』


「ーーーしかも赤竜の愛し子じゃなくて、邪竜様の愛し子だったんだから驚きですよね。この記事シリル君のことばっか3ページも使って書いてるし」


膝の上に座った少女はどこからかもらってきた雑誌のページをめくりつつ、俺の方へと体重を預けてきた。

俺は彼女の最近毛先だけが赤みがかってきた美しい髪に指を通す。


彼女…ニーヴは元から俺の反応は期待していないのだろう。

そのまま一人で話し続ける。


「シリル君は今年三十か…人種の違いかなあ、いつまで経っても若いっていうか、若すぎるっていうか。反王族派を縛り上げて王城のてっぺんから吊るしたりするから誤解されやすいけど、ただのビビリですよね、あのひと」


…一般的に考えて、本物のビビリは貴族たちを何十人も拘束して寒空の下で宙吊りにしたりしないし、そのショッキングな出来事からまだ一年くらいしか経ってないのだから、いくらシリル君の顔が童顔だろうが、貴族だけでなく国民も現国王であるシリル君を畏怖するのは当たり前だと思う。


俺はそんなことを考えながら「そうだな」と相槌を打った。

ここ数年ですっかり背も伸びたニーヴは外ではクールに振る舞っているが、家族しかいない場所では今でもこうやって膝に乗ったりハグを要求したりとわかりやすく甘えてくる。

双子の兄であるリアは反抗期の真っ只中だけどな。


今もーーー


大岩を扉にぶつけたような激しい音がして入口の魔法陣が解除される。

騒々しくリアが部屋に走り込んできた。

ニーヴが驚きすぎて膝の上でバランスを崩したので、そっと肩を押さえて支えてやる。


リアは俺たちの前まで走ってくると、「邪魔!」と言って浮遊魔法を展開し、ニーヴを膝の上からどかしてしまった。

…ちょっと残念そうな顔をしてたのがリアにもわかったらしい。

一瞬だけ拗ねたような顔になったが、すぐにそんな幼い表情は消え去った。

彼の最近のキャラである「俺様系」にのっとり、俺の目の前で仁王立ち。

たけのこ並みに伸びた頭の位置から、顎を突き出して見下ろされる。


「ーーー訓練付き合ってやるって言ったの忘れたのかよ。遅えから俺様がわざわざ迎えにくる羽目になっただろ」


…俺様キャラって自分のこと俺様って呼ぶのかな?

内心不思議に思いつつも、俺は座っていたカウチから腰を上げた。一人で歩き出そうとしたリアのほとんど同じ高さになった頭へと手を伸ばす。


ポンと優しく叩く。

金髪のウェーブがかったリアの髪が手の平をくすぐった。

もう少し感触を楽しみたいところだが、そうもいかない。

何しろーーー


「ーーー子供扱いしてんじゃねえよ!」


怒るのだ。すぐに子犬かってくらい噛み付いてくるのだ。

まあ、俺からすれば可愛いものなので自分の言いたいことを気にせず言わせてもらうけどな。


「ニーヴのこと、突き飛ばさなかったのは成長だな。一歩、騎士に近づいた」


ーーーちなみに、褒める時も要注意だ。思春期の傷つきやすいニュート心を刺激しない言葉を俺は日々模索している。

「騎士に近づいた」ってとこが今のポイントだ。リアは俺とシリル君に育てられたせいか、やたらと騎士への憧れが強い。

…始祖竜なんだから騎士にはならないと思うんだけどな。


「…そ、そうかよ。早く行こうぜ」


リアが俺の右腕を掴んで早足で歩き出した。

俺は顔だけニーヴの方へと向け、口パクで「またね」と言った。

リアよりも数歳分大人な気がするニーヴは心得てますよ、と言わんばかりの笑みを浮かべ静かに手を振ってくれた。


…今の俺は、この双子とシリル君に生かされている。



今から4年ほど前、俺はある日自室のベットで目覚めたら過去の記憶がごっそり抜け落ちていた。

ここはどこ、私は誰状態だった俺はそれはもう荒れた。

どんくらい荒れてたかっていうと、プロイセンとフランク王国の国境沿いにある魔物の森から魔獣を駆逐し尽くす勢いだった。

シリル君とリアが毎日俺のところへ通い、二人の言葉に耳を傾けずに魔力を暴走させ続ける俺に辛抱強く向き合ってくれた。


今だからわかるが、俺は混乱と不安で押しつぶされそうだった。

自分が何者かわからないというのは、世界で一人ぼっちみたいな気分になるのだ。人間の気配がうじゃうじゃとある城は怖かった。

魔素に連れられるままに森の中を魔獣を訪ね歩いていた。そして大体喧嘩になるので相手を消してしまっていた。


「ーーーデニス、一緒に城に帰ろう?…ここは暗くて寒いだろ」


雪の降る日にかまくらを作って一人で丸まっていたら、シリル君が分厚い外套を持ってきたんだっけ。

ーーー俺は魔獣だし、正直寒さなんてどうでもよかった。

でも、鼻の頭を真っ赤にして、雪が降ってんのに森の中を走り回ったのか、全身汗だくなシリル君を見て俺の中の何かが動かされたんだ。


この人に迷惑をかけちゃいけないって。


シリル君がきっかけで、俺の記憶は少しだけ戻った。

それから城で暮らし始めていくうちに、いろんなことを思い出した。

邪竜様との約束を早いうちに思い出せたのは幸運だったと思う。シリル君に守られてる場合じゃなかったんだった。俺が守るって約束したんだ。


俺が毎日ぼーっとしてるせいで、双子には随分世話をかけた。

どっちが大人だかわかったもんじゃない。

でも双子は俺がほとんど何も思い出せないうちから「ボクたちはローゼシエに救われたから」って俺の記憶が戻るようにいろんなことをしてくれた。

子供っていうのはすごいもので、プロイセン本城だけじゃなくていつの間にか街まで繰り出したりするようになった。

双子は俺の出身地らしいブリテンと以前所属していたらしい「騎士団」に関するものを特に熱心に集めてくれた。

ニーヴなんかは本とか雑誌系とかを買ってくるんだけど、リアは独特なんだよな。トレーニングカードだとかいわく付きの剣だとか変なもんばっか買ってくる。

「ブリテン騎士団トレーディングカードセット」のスーパーレアが俺のキメ顔だった時はリアが死ぬほど笑ってた。ニーヴは優しいから「かっこいい!」ってすげえほめてくれてたけど。リアからスーパーレアを引ったくってたけど、今でもあのカード持ち歩いてんのかな?


…残念ながらそこまでしてもらっても「ブリテン」と「騎士団」のことはほとんど何も思い出せてないんだけどな。俺の直感では邪竜様が俺の記憶をいじったんだと思うんだけど、「ブリテン」と「騎士団」の二つに俺の記憶喪失の原因があるんだと思う。不自然なくらいそこだけ思い出せないところが多いしな。


俺がそんな感じでどうにも頼りないせいか、反抗期であってもリアは俺に優しい。

今も騎士団の訓練場に引っ張ってきたはいいが、まずは俺をベンチに座らせた。

鞄から未開封のボトルを取り出して、俺に持たせた後で「ここから動くなよ」とクギを指す。

どうやらリアが利用申請に行くようだ。俺だけベンチに座らせて。

リアは俺に背を向けると、その場にいた騎士たちに「ローゼシエに何かしたらお前らぶっ殺す!」という非常にお行儀よろしくない捨て台詞をはいた。

…俺この中の誰より強いのに、そのセリフはどうかと思うんだ。


カモシカのようにかけて行ったリアの背中を見送っていればーーー近づいてきた人影があった。

確か名前はファルコ。シリル君の側近で俺と私生活でも関わりがある数少ない人間の一人だ。


「ローゼシエ、おはようございます。少しよろしいですか」


ファルコは俺が頷いたのを確認し、ベンチの近くに片膝をついた。

座れば、という意味を込めてベンチの隣を叩いてみたけど「シリル王に殺されたくないので」と硬い笑顔で固辞された。

…俺の横に座るとシリル君に殺されるって、どういうこと?


「…いえ、ローゼシエが気にされることでは。ただあれです、あのポンコツ陛下はですね今とても怒ってるんです。だからベンチに並んで座るなんていう愚行は犯しません。なんで怒ってるのかですか?私が先週『白銀の髪に金色の瞳』の入団希望者を書類選考時点で落とさなかったのと、名前が「ライラック」の受験者を二次試験まで通したせいです。…ああ、これもオフレコでお願いしますね、ローゼシエに言ったってバレたらまたどやされます」


…ファルコがとても苦労していることはよくわかった。

ファルコが言ってるのは俺の騎士団の入団条件に関することだろう。

俺の騎士団とは名ばかりで完全にシリル君が入団者を選抜しているのだが、何故だか知らないけど今入団希望者が殺到しているらしい。

俺が暇な時に顔を出して騎士たちの剣技とか魔力の流し方のコツとかをアドバイスしてやってんだけど、これがなぜが非常にうけたみたいだ。

自分でも指導慣れしてる感じがしたから、俺は以前もこんな仕事をしてたのかなって思う。聞かされた俺の人生録の中に「ブリテン騎士団長」っていう期間があったくらいだしな。


俺からすれば来たいやつは全部受け入れればいいと思うんだけど、シリル君がいうには「国が作れる人数になる」とかで、なんだかわけわかんない審査基準をいっぱい設けてる。

何百個もあるって噂されてて、俺自身わざわざ確認してない書類審査の項目で特に不評なのがさっきファルコがこぼしてた「白銀の髪、もしくは金色の瞳、これらを持つものは入団を禁ずる」って項目と「名前にライラック、ガブリモンドが付くものは入団を禁ずる」って項目だ。

全世界の白銀の髪、金の瞳の魔法使いに謝った方がいいよな。

俺も入れてやればいいと思ってるんだけど、シリル君はこの条件に当てはまるやつはどれだけ優秀であろうが入れない。絶対に入れない。何があろうとも入れない。


「人数足りないならともかく来すぎて困ってんだから多少変な条件があるくらいでちょうどいいんだよ」


というのが彼の言い分だ。

…昔、銀髪金色の瞳の友人と喧嘩でもしたんだろうか?よくわかんないけど、トラウマでもあるんだろう。


リアの騒がしい魔力が戻ってくる気配がした。

俺はファルコに合図を送る。

ファルコが慌てて俺から離れていった。

…ちょうどリアが顔を出したけど、ギリギリファルコと話してたのは見られなかったと思う。俺が一人で座ってるのを見て安堵していたし。


「よかった、誰にも連れて行かれてないな。ーーーローゼシエはすぐに他の騎士の面倒ばっか見るから、俺も苦労するぜ」


リアのセリフを聞いた大人たちがこっそり肩を震わせていた。

わかる、バカ可愛いよな、リアは。


俺は立ち上がって、亜空間から魔剣を取り出した。

リアもロングソードを腰の鞘から抜いている。


俺たちが闘技場の中央で向かい合えば、訓練用の赤いスペースから自然と人がはけていく。

代わりに観客兼野次馬が壁沿いに大量に湧くんだけどな。どっから聞きつけてくるのかいつも不思議だ。


「…毎回思うけど、ローゼシエってろくに喋んねえし笑いもしないのになんでこんな人気なの?強いから?」


続々と入り口から入ってくる見物人にチラリと目を向けたリアがこてん首を傾げたので、俺も釣られて首を傾けた。聞かれても人間の生態わかんねえし。

…なぜかすげえフラッシュを焚かれたのにはびびった。たまにあんだよな…。


「ーーー歓声がなく無言で撮影ってとこが訓練されてるよな…。まあ今更か。ローゼシエ、試合形式はいつものでいい?」


いつものというのはカウンテッド・ブロウズのことだろう。

俺は頷き返しーーー


「数は?」


リアが「5!」と叫んできたが、俺は少し悩んで指を三本立てた。


「なんでだよ!」


リアが怒っているが、リアは明日も騎士団の訓練に参加するはずだ。5カウンテッド・ブロウズは試合が長くなるし、疲労も溜まりやすい。

俺は黙って首を振った。

リアが口を尖らせながら「ケチ」と悪態をつく。

3カウンテッド・ブロウズではどうしても不満らしい。俺も譲る気はないんだけどな。


「…っていうか、俺が負ける前提で話すなよ!いいし、すぐに三本取ってやるから」


リアが叫びながら剣をオフサイドのフルークに構えながら左手では青魔法でシールドを展開した。

リアの得意な攻守のバランスの取れた型だ。

リアはとても優秀な戦士だ。本人も騎士団で練習相手がろくにいないとよく愚痴っているし、多分俺の16歳の時より強い。黄色竜だから当たり前かもしれないけど。


俺は教科書通りにオーバーハウで構えを取った。

俺の魔剣は俺の意思無視で相手を切り裂きにいくので下手な構えはできない。こういう練習試合では一番コントロールしやすい上段斬りを基本に据えた方がベターだ。


「コインが地面についたらスタートな」


リアは叫ぶなり右手でコインを弾いた。

金色のコインが光を反射しながら宙を回る。


落下までーーー3、2、1。


リアが流れるような身体強化で突っ込んできた。

ひと月前よりさらに速くなっていて内心拍手を贈る。


…とはいえ、リアは息子みたいなものなので、手加減する気もないんだよな。


俺はリアの重心が僅かに右に傾いた隙に、剣を振り下ろした。

魔剣の唸るような音。リアがほぼ反射で剣を振り上げる。


まあ、インパクトさせてやらないけどな。

俺は剣に魔力を流して…魔剣の強みである形状変化をさせる。


「うっわ」


俺の剣が鞭のようにしなる。

力の向きを狂わされたリアの脇が空いた。

すかさず傷の残らなそうな場所へ一本を入れる。


「ーーークッソ、十秒くらいしか経ってねえ!」


リアは叫びながらも体制を立て直してすかさず距離をとった。

…転移魔法を使わなくなったのは成長かもな。俺相手に転移魔法は悪手でしかないしな。


などと考えながらも俺はリアを追尾する。

幸運魔法に発動されては敵わないからな。とっとと終わらせるに限るのだ。


リアと戦うのは面白い。

何しろ「運」が相手の味方なので予想外なことが結構起きるのだ。

突然目に砂が入ったり、地面にでかい石が落ちてたり。


…まあ、そのくらいじゃあ俺たちの実力差は覆らないんだけどな。


容赦なくリアを追いかけ回した俺は一分できっちり3カウントを取った。

試合終了のお辞儀を終えたリアが悔しそうに剣を地面に突き刺して蜂の巣にしている。

剣先が痛むからやめろっていつも言ってんのに…。


「やっぱ強ええ!軍神かってくらい一撃は重いし、魔力の密度もえげつないし、きっと本気の三割も出てないだろうなって魔力の感じでわかるのに、マジで手も足も出ねえ!というか身体強化の練度の時点でレベチだわ!…おい、トウキ!今の撮ってた?後でビデオ送って!」


素直だなあと感心しつつ、俺は友人に話しかけ出したリアに向けて手招きする。

犬の尻尾の幻覚が見えそうな勢いでリアが駆け寄ってきた。

よしよししてやろう、グッボーイグッボーイ。


「リアは初動で重心がブレてる」


一言だけで、リアには伝わる。

すぐさまハッとしたようにリアは剣を構え直し、首を傾げながらスイングした。

そして俺に向き直り、「ちょっと剣が重いのかな?」と聞いてきた。


「剣が重いというよりは右側の筋力量が足りないんだと思う。片手剣で戦うなら鍛え方を変えないとダメだ。盾捌きと剣捌きに必要な筋力は違うから」


リアは真剣な顔で「なるほど、それは盲点だった」と頷いた。

そしてすぐに不満げな顔に変わる。

金色の瞳が俺を睨め付けてきた。おお、どうした急に?


「ーーーもっと早く教えてくれよ、トレーニング法変えられたじゃん」


…ああ、今まで指摘しなかったから拗ねてんのか。


「今までは構え方をオフサイドのフルークに決めてなかっただろ?今日のリアの動きを見て、とてもよかったからこのアドバイスをした。極めていっていい段階まで来てると思う」


リアは一瞬だけ大きな丸い瞳を瞬かせた。

すぐにひまわりみたいに顔をくしゃくしゃにして笑う。


「ーーーそういうことかよ!なるほどな!納得!」


…かわいいなこいつ。

俺にだけはやたらと素直な思春期の青年に癒されていれば、何やら外野の騎士たちもアドバイスして欲しそうな顔で近寄ってくるではないか。


「ーーーお前ら!これからローゼシエはシリル君に呼ばれてて…」


番犬よろしく周りに威嚇し出したリアの肩を軽く叩く。

落ち着けって、約束はしてるけどまだ鐘一つ分は先だろ。


「リアは先に戻れ。マジックイングリッシュの講義があるだろ?」


リアは机に向かう系の勉強が非常に苦手だ。

毎日使うせいかプロイセン語はすぐに覚えてたけど、他は全然ダメだ。

金色の瞳が歪められ「帰りたくありません!」と全身全霊で訴えてきているが、俺も心を鬼にして首を振る。


俺たちの会話を聞いて、騎士たちは「俺が訓練を見る時間がある」と察したようだった。あっという間に囲まれる。


「ーーーお前ら!いっつも言ってるけど…」


リアが叫ぶ前に騎士たちが「わかってるから」と呆れ顔で肩をすくめた。


「ローゼシエにベタベタ触るな」

「ローゼシエに訓練以外の質問をするな」

「ローゼシエを盗撮するな」


…共通認識みたいになってるのが若干恥ずい。リアがいつも大声で叫ぶから騎士団員たちの中では当たり前のことなんだろうけど。


「ほら、行った行った。リア様の憧れのローゼシエは学園の成績も抜群に良かったんだぞ?」


リアは負け惜しみのように大きく舌打ちをし、転移魔法で消えてった。

…この騎士団くらいだろうな。転移魔法で人が出入りしても誰も驚かねえの。


「一列に並べ。三回打ち合ったらアドバイスしてく。個別に聞きたいことあるやつは後でまとめて聞くから待ってろ」


「「「イエス、ユア・レッドドラゴン・マジェスティ!」」」



「ーーーで、またここにくる前に散々騎士たちの世話をしてやったと。…これ以上入団希望者が来たらどうすんだよ!ちょっと控えろよお前は!」


シリル君は隣に立つ側近がコピー機かってくらいの勢いで差し出す書類にハンコを押しながら俺に向けて怒鳴った。

見る、押す、喋る。いっぺんに三個のことをこなすとは器用である。

忙しそうだ、あとカルシウムが足りてなさそうだ。


「…帰るよ、今日は」


背を向けようとすれば、シリル君はひどく慌てた様子で「待って、話があるから、もうちょっとだけ待って」と引き止めてきた。

…作業が止まってしまった。見ると押すが俺のせいで止まっている。


「ーーーわかった、ここで待ってる」


半歩踏み出したままの姿勢で静止してれば、気を使った文官が何所からか椅子を持ってきてくれた。


「ありがとう、気がきくな」


文官は急に発熱したのか頬を真っ赤にしながら「イエス、ユアレッドドラゴン…」と消え入りそうな声で発した。

シリル君がこっちを見て舌打ちした。

座りかけてた俺は黙って立ち上がった。

シリル君に違うというように首を振られる。

違うのか、座ったほうがいいのか。

俺はもう一度腰を下ろした。硬くてちょっとびっくりする。クッションじゃないのか、見た目柔らかそうな布が貼られてるのに木の椅子だったのか。


「ーーーこの書類で急ぎの分は終わりです。何時再開にしますか?」


コピー機役の側近が時計を見ながら聞いている。

シリル君は瞼の上をぐりぐりと押しながら「午後の三の鐘」と言った。

俺も腰に下げている懐中時計を手で持った…午後の三の鐘まで、鐘二つ分はあるな。


俺は内心よし、と頷いた。

鐘一つ分くらいはシリル君を寝台で休ませられそうだ。


書類の束を抱えた人間たちが扉から次々に出ていった。

すぐに二人きりになった執務室。さっきよりも部屋が広くなった気分になる。


「ーーーもうちょっとこっちへこい」


シリル君が手招きしてくる。

俺は少し迷って、椅子ごと浮遊魔法をかけてシリル君の横へと移動した。

シリル君が何やら呆れたように「ーーー浮遊魔法ってのは便利だな」と呟いている。


シリル君が口を開く前に、俺は気になっていたことを聞いた。


「昨日寝た?」


シリル君が口を一文字に結んだ。

…寝てないのかよ。


「もう何徹目?」


責めるような口調になるのは仕方ないと思う。

シリル君の目の下の隈が消えなくなる前に、俺がこの人を寝かせないといけないから。


「ーーー今日は寝るよ。議会の想定質問の回答も覚え切ったし」


俺は頷きつつも夜再度確認しようと決める。

このパターンはあれだ。緊急で何か仕事が入ればまだ頑張れると思ってる時のやつだ。

そして俺の知る限り九割くらいの確率で「何か」はやってくる。

国王の意見が欲しい人間はこの国に掃いて捨てるほどいるのだ。


「疲れてる時は休んで」


シリル君が俺から目を逸らそうとするので、俺は片手で顔を下から鷲掴みにした。ブサイクになったシリル君に睨まれる。怖くないけど。


正面を向かせてから手を離す。

シリル君は「物理じゃなくて口で言えよ」と苛立ったようにこぼす。


「お前は何気なくやるけど俺はそういうのに全部どきどきすんだよ。疲れるなっていうなら不用意なことはやめろ」


…これは、怒っているのだろうか。

俺は迷った末に、わかった、と頷く。


「もう二度とやらない」


「…いや、たまにはやっていい。てかやってほしい、ちょっと強引な時のお前かっこいいから」


…やっぱ怒られてなかったようだ。

再びわかった、と頷けばシリル君は困ったように「今のわかったんだ」と眉を寄せた。

全然話が進まねえ。


「今日寝なかったら、俺が首筋にチョップして昏倒させるから」


シリル君は咄嗟に首の後ろを守るように手を当ててた。

今はやらないって、夜の話だよ。

シリル君は首の後ろに手をやったまま、小さな声で言った。

忠告するみたいに。


「…いつも言ってるけど俺の寝室には入ってくんなよ?」


それはシリル君次第だ。

寝室に仕事を持ち込んでるって側近がリークしてくれば俺は入る。


俺の無言を正確に読み取ったらしいシリル君はますます眉間の皺を深めた。


「頼むよ俺のお月様。俺は綺麗なお前がいいから俺のテリトリーに入ってきて欲しくねえんだよ」


…シリル君は俺のことをよく「俺のお月様」って呼ぶ。

決まって俺たち二人しかいないときに。

意味はよくわかんない。

適当に頷いたら「入ってくるやつの顔してんな」と言われた。

なぜバレたのだろうか?


「シリル君が毎日大人しく寝ればいいだけの話だ」


シリル君は首筋の後ろを守りながら重々しく頷いた。

…この脅しは使えそうだな。本当はチョップする気がないってバレるまでは積極的に使っていこう。


「ーーーで、話って?」


シリル君に会話のバトンを戻せばーーーシリル君は「あ、うん」と生返事をした。続いて、伸びてきたらしい前髪を引っ張りながら、口を開いた。

…ちなみに前髪を引っ張るのは照れてる時の癖らしい。ニーヴがこっそり俺に教えてくれた。


「…邪竜さまには感謝だなあ。邪竜さまの愛し子だってだけで、こんなにローゼシエが俺に構ってくれる」


シリル君は「夢みたいだ」と小さく呟いた。

そして寂しそうな顔をする。夢だから覚めるのがわかってる、とでも言いたげに。


ーーーシリル君はよくわからない人間だ。

俺に好意的としか思えない魔力の動きをするくせに、俺がどこにも行かないという言葉は絶対に信じない。

お月様な俺のことをもう少し信頼してくれてもいいと思う。


…信じてくれるまで、俺は言い続けるけどな。


「どこにも行かないよ、シリル君をそばで守るって言ってるでしょ」


シリル君は切なそうに「ありがとう」と言った。本音は「信じてないけどありがとう」だろう。

…そこは「わかった」って言ってほしいのにな。いつものことだけど。


シリル君が金メッキが施された肘掛けに頬杖をついた。

ようやく本題が始めるらしい。前置きにずいぶんかかったな。


「実はさ、明日新しい入団希望者の選抜試験をやろうと思うんだけど、ちょっと問題があって」


珍しいこともあるもんだ。

どんな問題があろうがシリル君は自分の好みで候補者を選抜してるもんだと思ってた。

俺の顔には「意外です」と書いてあったらしい。

シリル君が顔を歪めた。


「…いつもみたいに書類で落とそうとしたら、あいつらまさかの外交官まで使って抗議文を送ってきやがったんだよ。ーーーふざけすぎだろ、なんだよ、パーシヴァ=ル=エゲートとジョ=シュアシャーマナイトって。偽名にさえなってねえんだよ。隠す気あんのかないのかどっちだよ」


シリル君を苛立たせている人物はパーシヴァ=ル=エゲートとジョ=シュアシャーマナイトというらしい。


「ーーー誰それ?」


何気なく問いかけた俺はバッチリ見てしまった。

シリル君が「そうだった」と言いたげに目を見開くのを。

…このパターンはよく知ってる。

俺は親しかったんだな。その二人と。

シリル君は動揺をしまいこんだ後で、言葉を探すように唇をむぐむぐと動かした。

しばらくの間があってから帰ってきたのは、ちょっと予想外の回答だった。


「ローゼシエの元主人とその弟だよ。わかりやすく言えばブリテン国王と王弟」


ーーーまじか。


「…なんで隣国の国王が俺の騎士団に応募してくんの?」


俺の至極真っ当な問いかけに対し、シリル君は疲れたように首を振った。


「俺も聞きてえ。ただ、先月ブリテンとプロイセンで友好条約を結び直したからこんなおふざけをしてきてるんだとは思う」


あいつらめ、と恨めしげに呟くシリル君だが、魔力が見える俺にはシリル君が全然怒ってないのがよくわかった。

というかむしろちょっと嬉しそうだ。仲良いんだな、その二人と。


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