第59話 拝啓 親愛なるデニス=ブライヤーズ様

書類で何度も目にしたエリザベータの几帳面な字で書かれたその手紙。


書き出しは「拝啓 親愛なるデニス=ブライヤーズ様」。


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この手紙が読まれているということは私はもうこの世にはいないのでしょう。

デニス様は悲しんでくれるでしょうか。

無理かなあ、最後はだいぶやんちゃする予定だし。


デニス様は素直だから「ジョシュア様を殺そうとするなんて俺への裏切りじゃねえか」とかショック受けてそうですね。

ああ、愛らしいですね。

私がどれほど真剣にあなたからターゲットを外し、あなたへ害が及ばない暗殺計画を練ったか知らないでしょう。

あなたに愛されながら一切気持ちを受け取ろうとしない王妃の心をズタズタにしてやりたかった。

でもあなたには傷ひとつつけたくなかった。

P–Ⅸキュウバンは冷静沈着な判断が売りなのに、デニス様がからむと思考がまとまらなくなるんです。

本当に、デニス様は私にとって麻薬のような人でした。


今更ですが、自己紹介させてください。

私はあなた方が二年半前に捕縛したエリザベータではありません。本当のエリザベータはプロイセンの片田舎にいます。

私自身はプロイセンの傍系王族です。

後でも書きますがこの時代の人間ではありません。

少し未来で生まれました。

王族らしい豪奢な暮らしどころか人間らしい平穏な生活なんてしたことはありませんが、転移魔法が使えるので嘘ではないと思います。

名前は与えられていません。コードがP–Ⅸなので「キュウバン」と呼ばれていました。

プロイセンは魔法大国と呼ばれるために狂ったことをたくさんしてきた国ですが、傍系王族の子供を暗殺者集団に育成するのは特に頭がおかしいです。合理的ではあるんですけどね、転移魔法と暗殺の相性はバッチリですから。


嘘だと思われるかもしれませんが、私が本気を出していたら騎士団長だったデニス様は百回は死んでいました。

私が転移魔法が使えることに気づいてなかったでしょう?その時点で詰んでいましたよ。


デニス様はもう殺せない存在になりましたが、あなたはいつだって弱いものを両手いっぱいに守ろうとしますよね。そして守れなければ自分を攻めると思います。王族に関わっている限り、これからも私みたいなのはいくらでも湧いて出てくると思います。でも、デニス様には幸福に生きて欲しいので、最期に説教めいたものをさせてください。


必死に侵入防止の魔法を強化しているあなたたちを見るのは滑稽で仕方なかったです。侵入防止の魔法は万能じゃないんですから。もっとわかりやすく言うと始祖竜の魔法とぶつかったら即負けてしまうんです。理屈では流石に知ってますよね?こんな単純なことを見逃していて、よく私が来るまで生き残れていましたね。

でも、いつまでもそんなに能天気じゃダメですよ?


…長々と話すフィメルは嫌いだと前に聞いたので本題に移ります。

デニス様が一番興味がありそうな「愛し子を殺す方法」についてご説明しますね。


魔法プライオリティってご存知ですか?赤魔法を長年研究してきた暗殺組織内でも機密とされている情報なので多分ご存知ないですよね。

この情報が組織外に漏れたとわかったときの上官の顔を想像するだけでうっとりしてしまいます…私にできる些細な復讐の一つです。


効果が相反する魔法がぶつかり合った時、どの魔法が優先されるか。

それぞれの始祖竜の魔法ーーー赤竜の転移魔法、黒竜の無効化魔法、黄色竜の運魔法、青竜の重力魔法、白金竜の治癒魔法ーーーこれらの魔法は発動のプライオリティが高いんです。

私が侵入に使っていたのは転移魔法…つまり、魔力プライオリティ最上位の部類。黒魔法じゃなきゃ打ち消しもできません。

そして愛し子よりも魔力プライオリティが高い存在ーーーもうわかりますよね。始祖竜であれば愛し子も殺せます。


…とはいえ、あなたの元主人、ジョシュア=シャーマナイトは少し例外です。

青竜様と赤竜であるあなたしか多分傷を負わせられないみたいです。

ジョシュア=シャーマナイトの黒魔法は白金竜や黒竜、黄色竜ではかすり傷もつけられないという分析結果をもらいました。

そう、あれは真の化け物。偉そうに語っている私は当然のように黒竜様に一切近づけませんでした。

ジョシュア=シャーマーナイトが365日、24時間警戒してるから。

王宮中心部を座標に転移魔法を発動しようとするとジョシュア=シャーマナイトの黒魔法が絡み付いてくるんです。

何度か試みましたが全て結果は同じでした。

…ジョシュア=シャーマナイトの暗殺依頼が存在しない理由がとてもよくわかりましたよ。

裏社会では「空気中の全魔素がジョシュア=シャーマナイトに味方している」って噂があるくらいです。魔法攻撃が一切届かないそうです。どうなってんですか、あなたの元陛下は。


でも、多分もうバレてるでしょうが、我々のバックにある時期から青竜様がつきました。青竜様の手助けがあれば話は変わってきます。

私はジョシュア=シャーマナイトを殺す力を手にしてしまったわけです。

デニス様はあいつがいなければ幸せになれるのに、あなたはあいつを守ってばっか。見てられないので私がやります。…結局失敗してそうですが、まあ、どっちにしろ私が結果を見届けるのは無理でしょうね。よくて相打ちだろうから。


ジョシュア=シャーマナイトについて調べてて思ったんですが、デニス様、ものすごく仲良いですよね?嫌いだって公言してる割に愛人説まで出てたとか。

ライバルに気に入られて仲良くなっちゃうとか、ほんとにデニス様って感じです。

…そのアホさがデニス様の最大の魅力だと思いますけどね。


ここから、らしくもなく愛の言葉を囁きますから。覚悟してくださいね。

暗殺者がこんなことを言えるようになるなんてーーー心っていうのはほんと厄介な代物です。どうりで暗殺者訓練の始めが「機械化訓練」なわけですよ。


上しか見てないデニス様の背中を追いかけるのは気持ちがよかった。

あなたは太陽です。ブリテンを瓦解させるために、真っ先にあなたを落とすべきだって私の上官も言ってましたよ。


まずあなたは真性の剣バカですよね。

強さを渇望する瞳が好きでした。コミックヒーローも真っ青なほどに努力家ですよね。

「デニスくんに追いつくぞ!」とか無邪気に言う若手騎士団員の脳内が見てみたくなってましたよ。同じ熱量を持って剣技と向き合ってから口にしろよって。

縮まるどころかどんどん差が開いていってるのに気づいてないんですかね?頭の中お花畑は羨ましいです。


持て余してしまうほどの才能を持ってるくせに現状に全く満足できてない。

騎士団長時代から本気でジョシュア=シャーマナイトを越えようとしてましたよね。本当に上しか見ていない。そして赤竜化してほんとに超えるんだからもう最高です。


「脳筋だ」なんてぼやいてるけどあなたはクールな人です。トレーニングも最大効率になるように組み立てているでしょう?トレーニングノートに毎日反省と改善策を書き付けてましたよね。朝の始業前にまめなことしてるって騎士団員の間じゃ有名ですよ。

ーーー安心してください、中身まで勝手に見たのは多分私くらいです。


21、22歳とは思えないほどに老練な立ち回りを見せるから不思議だなとは思ってました。

よっぽど実践経験が多いのかと思えばそんなことはない。当たり前ですよね、ジョシュア=シャーマナイトが本物の凶悪事件は速攻で片付けているのだから。


ではなぜデニス様の剣技は非凡なのか。

ストーカーまがいにあなたを観察してきましたが、きっと、全て糧にしてきたのでしょう?

王族の代筆で事件解決の報告書を作るときのデニス様の目、真剣そのものだったもの。犯人じゃなくてジョシュア=シャーマナイトやシャロン=ベローしか見てないように思えた。

あなたが歴代最強の赤竜になったのは偶然でもなんでもない。

努力の積み重ねに、磨いてきたセンスに、器がようやく追いついたってだけ。


ジョシュア=シャーマナイトの天賦の才も。

シリル=オゾンの実戦経験豊富な立ち回りも。

シャロン=ベローの人を喰ったような身のこなしも。


凡人が「すごいなあ」で終わらせるところをデニス様は自分との違いで見ているんでしょうね。何が足りないんだろうって貪欲に。ほんと、疲れそうな生き方。


シリル殿下の元へ移ってからも最高でしたね。しもべ魔獣使ってプロイセンとブリテン、和国まで守る範囲を広げるんだから。一人で世界中守る気かって突っ込みたくなりました。


そろそろ自覚してくださいな。

いっつもあの女のことで頭がいっぱいで、ジョシュア=シャーマナイトと比較するばっかりで自分を卑下するでしょう?

あなたが一番自分の魅力をわかってない。どれだけ人を惹きつけてやまないか全く自覚がない。


教科書のような模範的な剣技のくせに、時折見せる激情はとてつもない熱量を持って騎士団を照らします。

愚かなまでに一途な愛情は普段みんなが忘れている騎士の本質を思い出させてくれるんです。


…ご命令で私は一度ブリテン騎士団へ戻りましたが、デニス様がいなくなった騎士団の弱体化っぷりは目が当てられませんでしたよ。ブランドンが嘆いてました、トップがいなくなるだけでこれほど士気が下がるのかって。


ただ、何度も言いますが、フィメルを見る目だけは最悪ですよ。あのお気楽な黒竜王妃のどこがいいんだ。デニス様の愛情を受け入れないなんてイカれてる。しかもデニス様の強さの根っこがあいつなんて本当に愛されていて羨ましい…。


失礼、取り乱しました。

ジョシュア=シャーマナイトや黒竜、パーシヴァル王弟殿下ーーー誰もが持つ陰の部分を照らしてるのは紛れもなくあなただった。

自分がいなくなったブリテンがめちゃくちゃになってるって聞いて驚いてましたけど、そんなの当たり前でしょう。

太陽に照らされなくなったんだから。


…他人事のように書いてますが、私も例外ではありません。

太陽が容赦なく夜を追い払うように、あなたは下を向いて生きることを許してくれない。

デニス様は腐敗したゴミ溜めで生きることしか知らなかった私の心根すら変えてしまいました。


こんなはずじゃなかったのになあ。自己犠牲で身を滅ぼしてるなんて三年前の私が聞いたら絶対信じないと思う。

本当にバカですよね…暗殺者が一目惚れしてフィメル化するなんて。

デニス様は初めっから私がフィメルだと思ってたでしょ?


違うんです、騎士団の訓練場であなたを見た瞬間囚われてしまったんですよ。


魔法剣を振るたびに弾ける汗がダイヤモンドに見えました。

扇情的な色気を振りまく瞳に映るためなら全てが惜しくないと思えました。

炎のような赤い髪から目が離せなくなって、うなじにハートマークが浮かびました。

私にも人の心が残っていたことに自分が一番驚いて同時に絶望しました。まさにミイラ取りがミイラになる。


ーーー誰にも指示されてないのに、上官を裏切る算段をつけていました。

裏切り=死を意味するのに全く恐怖なんてなかった。何をあなたに残せるかって、どうすれば迷惑にならないかって。


そろそろ伝わりましたかね?私の愛。

あなたを不幸にしてるようにしか見えない王妃かジョシュア=シャーマナイトを消し去れてれば最高なんだけど…多分失敗してますよね。デニス様が悲しむってわかってる時点で、血も涙もないはずの私の心の迷いが生まれちゃってるし。

そもそも、デニス様がどうにかして現場に湧いて出そうだし。


ーーーどこまでも真っ直ぐなデニス様ですから「エリザベータの計画を未然に防げなかったのは俺のせいだ」とか落ち込んでたりもするのかな。


これでも三十年近く暗殺稼業で生きてきたんです。一応一流暗殺者んて呼ばれてきましたし、清廉潔白なデニス様を出し抜くくらいできなきゃ困るんです。

そもそも、ご存知だと思いますが、守ることよりも壊すことはずいぶん容易いです。いくらデニス様が強くても、一人でできることなんて限度がありますからね。


しかも今回は複雑な絡め手を嫌というほど使う予定だもの。

赤竜であるデニス様が外出できないタイミングに黄色竜の幸運魔法のおまけがついた。王妃とジョシュア=シャーマナイトが分断される時間が増えるように妃まで連れてきた。

コネというコネを使って潜り込んだ騎士団の副官の立場で王宮中に手を回して、二年近くタイミングを図り続けた計画でも「対象がジョシュア=シャーマナイトである」この事実だけで失敗確率の方が高いんだからやってられない。


また脱線しましたね。ーーーこれは遺書みたいなものだから、多少センチメンタルになっててもお目溢しくださいな。


冒頭にも書いたけど、当初の命令だった「デニス=ブライヤーズを消せ」はぶっちゃけ私レベルの暗殺者にかかればそこまで難易度の高い依頼でもなかったんです。

何しろエリザベータに出された依頼だしね。私はエリザベータの回収とエリザベータの不始末の証拠隠滅を頼まれたってだけ。


本来ひと月ほどで戻る予定だったんです。デニス様のそばを離れがたくなった私が「騎士団長の暗殺と黒竜の情報収集」へと依頼内容を改変してしまったってだけ。


嘘じゃないですよ?敵国の暗殺者を懐に入れてしまう迂闊なデニス様の命を吹き消すのなんてとっても容易かった。


あなたの寝顔をよく眺めていましたけど、その時にサクッと喉元を掻っ切るとか。

もしくはご飯の中に猛毒をほんの少しでもよかったんです。


ただ、あなたがまさかの青竜様に殺されかけ、しかも赤竜だったことが判明し、私への命令は一旦白紙に返りました。

…そういえば私のいた時代のことを話していませんでしたね。

未来の話は話すことも書くこともできません。

でも、瀕死のデニス様を助けるための医療器具だけは使えました。


赤竜がいない未来が来ないようにルールが歪められたんでしょうね。

ルールを歪めた私を組織は許さないようですが。


私への暗殺命令が出ていると知って、私はプロイセンを離れました。もう少しデニス様のそばで過ごしたかったけど、しょうがないですね。

私の身体に描かれた呪縛の魔法陣は消せないからどこにも逃げる場所なんてないし、何よりあなたに守られて生き延びるのは嫌だった。暗殺者としての吟自ってやつかもしれません。勝手に助けたのは私の都合だもの。優しすぎるあなたにお守りはこれ以上必要ない。

普通の人間は自分を暗殺しにきたやつを副官になんてしませんよ。

しかも気を許して自室の場所を教えたりして。

最後には暗殺者を副官に添えるのなんて最悪の選択肢だったって書こうと思ってたんですがーーー結果的には最善になりましたよね。だって、私は上に書いた暗殺計画何一つ実行できてないんですから。

それどころかデニス様の有益になる情報を必死に上官から引き出し続けてきましたからね。

魔力プライオリティの話はぜひシリル殿下と検証してみてください。嘘じゃないってわかるはずです。これからの暗殺者対策にもなりますよ。私が言うのもおかしいですが。


ああ、このような形で想いを読んでもらえて、なんて幸せなんだろうって。

ただ、あなたを遺していくのが心残りです。

…生きることを諦めないでくださいね。私が生まれる時代まで、楽しそうに赤竜として生きてください。



最後にシリル=オゾン。

デニス様を頼んだわよ。

知っての通りとても危なっかしい人だから。

心配なのは邪竜様に気に入られて面倒に巻き込まれないってことかしら。

誰でも彼でもたぶらかすのも問題よね…始祖竜がひっきりなしに訪ねてくるのを見て二人で頭を抱えていたのが懐かしいです。

ほんとに頼んだわよ?

腐ってもプロイセン王ならそれくらいの甲斐性あるでしょう?


一流の暗殺者になるための道具だった私がまさか一丁前に成分化して、ラブレターまでしたためてるなんて信じられません。

天国に行けるはずもないですが、地獄からデニス様の幸せを願っています。

来世は味方で会えますかね?…生きて告白したかったなあ、なんてね。


ジョシュア=シャーマナイトを叩き潰して、王妃様を略奪しちゃってください。

応援してます。


P–Ⅸ


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「とんでもねえ、ラブレターだな…」


シリル君が低い声で唸る。

俺は一読した後、一人じゃ抱えきれなくてシリル君を探したんだ。

シリル君は俺から差し出された白い便箋を受け取って、方眼紙に刻まれた機械みたいに揃った文字を眺めている。


エリザベータ改め、キュウバン。俺の副官だったフィメルの最期の手紙。

ジョシュア様暗殺未遂というとんでもない事件を引き起こそうとしながら、あっさり自害しやがった。

実年齢は結局わかんねえ。きっと三十そこそこだ。


名前を貰わない人生って何だよ。

俺のことシリル君に頼んでんじゃねえよ。逆だろそこは。

惚れてるとか、本気だったのかよ。わかるわけねえだろ、いつも飄々としやがって。


「死んでから、告白とか重すぎんだよ…ライラを略奪しろとか簡単に言いやがって」


視界がぼやけた。

手の甲に雫が落ちて、力一杯目を擦る。


不甲斐なかった。

彼女とは短くない時間を過ごしたはずなのに、何も分かっていなかったのだと突きつけられた。

何が団長だ。何が赤竜だ。

彼女は一言も話してないはずの邪竜様の関与さえ勘づいているのに。

俺はといえば、副官の苦労も、策略も一つとして見抜けなかった。


ジョシュア様が俺の立場だったならキュウバンを救えたんじゃないか。

青竜の必殺の攻撃からライラのことだって守って見せたあの人なら。

転移魔法で心臓の転移による自害を止められていれば。

生きて、彼女自身にこの手紙の本意を問い詰めることができたんじゃないか。


「大体、人に甘いとか言えた義理かよ。未来から来たなら俺が赤竜だって調べればわかっただろ…捨て身で助けてないで自分の身を守れよ」


キュウバンの暗殺計画は途中までは完璧だった。

青竜の協力という必勝のカードを隠し保ちつつ、時間をかけて噂をまいた。

今の王政に不満を抱く者を揺動させて宮廷内の保守派をまとめ上げた手際も見事なものだったし、ジョシュアをライラとデニスから引き剥がすことにも成功した。

さらには幸運魔法を使って王宮内のプライベート区域へ侵入し、ライラの戦闘経験の無さをうまく利用して、結果的にジョシュア様に致命傷を入れた。


でもデニスだって武人だ。しかも人を見る目だってあるつもりだ。

キュウバンはジョシュア様を殺すとか書いてるが、本気じゃなかったと思う。戦闘時に手心を加えられていたことくらいこっちだってわかっているのだ。

だって、触れるだけで致命傷になる毒だっていくらだってあったはずなのだ。

本来暗殺者とは接近自体が厳禁だ。

同じ空気を吸うのもタブーとでも言えばいいか。

どんな毒を使ってくるか分からないから。

それなのに、青竜に渡された武器だけを彼女は使った。

しかも狙ったのはライラの方だった。

見てたけど心臓の位置じゃなかった。

ジョシュア様が庇うのは予想外だったかもしれないけど、毒物がなかったから結果的にジョシュア様は助かった。

俺のそばにいたのだから、俺と白金竜が繋がってるのはよく知ってたはずだ。

一瞬で致命傷を負わせなきゃ治癒されるのは知ってたはずなのに。


「ーーーまあ、結局あいつは俺に甘いからなあ」


キュウバンが根っからの悪人じゃないことくらいわかっていた。そうじゃなければ副官になんてするわけがない。

暗殺だ何だと言いながら休日に押しかけて世話を焼いてくれたり。

デニスが落ち込んでいたらブランドンと一緒になって励ましてくれたり。


ライラやジョシュア様を傷つけたのは許せるわけがない悪行だ。

それでもーーーデニスは彼女の生き様を否定できない。

性文化のトリガーになった相手のためなら何だってできる、その気持ちが痛いほどにわかってしまうから。


「来世とか言わずに、生きていてくれればーーー馬鹿野郎って叱ってやれたのに」


ーーー俺も、もうすぐ俺じゃなくなるから。


「ーーーシリル君、よる遅くにごめんね、また明日会おう」


シリル君は顔を上げなかった。

帰ってきたのは「んー」という生返事。


…最後がこの会話だと、後悔するのだろうか?


「…まあいっか。どんくらい俺じゃなくなるのかもよくわかんないしな」


城へ戻った俺は、すぐさま寝台に横になった。

ーーー急ぐ必要があった。青竜は手段を選んできていない。

次に、ジョシュア様への攻撃があれば、多分俺はあの人を守れない。


瞳を閉じながら必死に願っていれば、俺はすぐさま見覚えのある壁一面が黒い部屋に立っていた。

心の底からほっとした。邪竜様は俺の訪問を拒まなかったらしい。

俺はすぐさま見えない存在に向かって叫ぶ。


「ーーー邪竜様、世界の魔素を調整するって言えば、褒美は俺が決められますか?」


今回も邪竜様は直接脳内へ語りかけてきた。

頭の中の邪竜が「できるよ」と告げてくる。


ーーーできるのか、よかった。

「じゃあ」と口を開く。

ここからが重要だった。交渉しなければいけない。

前回のように飲まれてはいけない。


「褒美も決めたんです。青竜の黒竜への不干渉の制約、後は俺の愛し子の記憶の消去」


邪竜様が一瞬黙った。

そして不思議そうに「愛し子って黒竜だよね?一個目はわかるよ。青竜の行為は最近目に余るしね。お前が怒るのも無理はない…でも、二個目は何?」


俺はすぐには質問に答えなかった。

自分でも馬鹿な理由だと思った。でも、これしか方法が思いつかなかったんだ。


「…青竜と魔素を調整するなら、協力が必須でしょう?でも、今の俺には無理です。俺の愛する黒竜を害するあいつを許せない…だから協力する前に恨ごと忘れたいっていうのが一つ目」


邪竜様は「んー、わかったようなわかんないような」と呟いた。

俺は続けて言葉を発するべく唇を濡らした。

一つ目と言ったくらいなので二つ目も当然ある。

ただ、言葉にするだけで覚悟が必要だった。

俺の言い分に邪竜様が納得して、記憶が消えたら「デニス=ブライヤーズ」としての俺は死ぬんじゃないかと思った。

怖かった。

でも、俺のせいでジョシュア様が死にかけてることの方が何千倍も怖いことに気づいてしまった。

しかも「俺のために」ジョシュア様を消そうとしたのは青竜だけじゃない。

エリザベータも同じことを言った。

シリル君までも同じことを言った。


いつの間にか、俺の強すぎる恋慕が彼女の不幸になり始めていた。

幸い、まだ、事は起こっていない。

赤竜に慣れていてよかった。

また知らないうちに大切なものを奪われるところだった。

…大丈夫、今度の俺は無力じゃない。


「俺が黒竜を愛してしまったせいで、周りが俺のためにジョシュア様を殺そうとするんです…俺はそんなの望んでない。だから恋心ごと忘れたいんです」


もっともらしく言ってみたが、結局のところ俺はもう疲れていた。

…叶わない想いを抱えながら数千年を生きなければいけないなら、いっそのこと苦しみから逃れたいのだ。

「ブライヤーズ家の愛の呪縛」とやらを解消できるのは邪竜様しかいない気がした。

俺の期待通り、邪竜様はあっさりと「まあできるけど」と言った。


「よくわかんないけど赤竜の記憶を消せば全部うまく行くってこと?」


「青竜と赤竜がうまくやれるのはいいね」と邪竜は言った。

邪竜の中には青竜と赤竜である俺と世界の魔力のことしかないのかもしれない。

全部消されたら色々と支障が出そうだけど、まあ、細かいことはいい。

彼女と俺の縁を断ち切ることが今の俺にとっては何よりも大事だと思った。


「記憶を消してくれるというのであればーーーやりますよ、魔力の調整」


畳み掛ければ、邪竜様は「ようやく引き受ける気になったか」と声を弾ませた。

あまり待たせていれば黒竜の番を殺す方の青竜のプランを実行しようとしてたと聞かされて肝が冷えた。


「…これが半年のリミットか」


ミシェーラちゃんの予知夢の裏が取れたな。

…まあ、史上初の実現しない予知夢になりそうだけど。


心臓のあたりを無意識にさすりつつーーー俺はもう一個の重要事項を思い出した。

愛し子だ、邪竜様の愛し子の話がどうなっているのか確認しておきたい。


「邪竜様、なぜ我々に愛し子の存在を周知したのですか?」


するとーーー邪竜様から、この日初めて「温もり」を感じる声がしてくるではないか。


「愛し子はボクの親友の生まれ変わりなんだよね。愛し子がこの世界に落ちてこなければこんなに介入してないのに」


どうやら愛し子がいるからこれほどまでに世界に介入しているらしい。

落ちてきたという言い方に引っ掛かりを覚えたが、納得はできた。

ーーー黄色竜が次代を作らずに消えても無関心だったのに、今は魔力のバランスがとか気にしてるのはその愛し子のせいか。


「魔力が整って愛し子が幸せそうにしてくれればいいんだ。人間の寿命は短いから、今すぐに幸せそうになってくれないとだめ。…赤竜、お前に魔素調整を急がせる理由がわかったかい?」


前回退治した際には黄色竜を微妙だから消せと言っていたのに。

同じ者から発せられた言葉とは思えなかった。邪竜様は自分の愛し子には「幸せ」を与えたいらしかった。

狂っていると思った。

でも、愛し子を幸せにしたいという邪竜様の願いだけは理解できた。


「…愛し子の場所は教えてもらえますか?」


邪竜は迷うことなく「無理だね」と返してきた。

「ダメ」じゃなくて「無理」と来たか。


「なぜですか?」


「人間の個体識別なんてできるわけない。愛し子の魔力がどういう状況なのかはわかる。だから元気か、楽しそうか、そういうのはわかるんだけどどこにいるとかそういうのはさっぱり」


肩に重石を乗せられたみたいだった。

幸せなんて抽象的なものを誰かもわからない相手に与えなければいけない。

そうでもしないと邪竜様はまた青竜を呼び出して訳のわからない計画を立て出すのかもしれないのだ。考えるだけでゾッとした。


ため息をついた俺にーーー邪竜様が、意外なことを言った。


「赤竜とボクの愛し子はいっつもそばにいるよね。魔力の調整だけでなく、守ってあげてね」


え?

俺の、そばにいる…?

邪竜様の愛し子って俺の知り合いなのか?


「何その驚いてるみたいな魔力。まさか全く気づいてない?いるでしょ、とびっきり澄んだ魔力をしてて、いくつもの始祖竜の魔法を使いこなせる可愛い子が」


ーーーそうだったのか。


俺は思わず笑った。

そうか、そうだったのか、邪竜様の愛し子は彼だったのか。


「ーーー初めて気がつきました。言われてみれば…固有魔法をいくつも使える時点で、おかしいんだよなあ」


ヒントはいくつもあった。

先代の赤竜が異世界から誘拐してきたくせに、次代の赤竜じゃなかった。

そもそも先代の愛し子だって主張を疑うべきだった。なぜ赤竜だけ愛し子が二人いるんだ?変だろ。しかも俺の愛し子でもないって、その時点で「赤竜」の関係者じゃないって気づくべきだった。


俺は大きく息を吸って、吐いた。

邪竜様の愛し子は知らなかったけど、偶然「幸せにする」と約束してるし結構順調だと言っていいだろう。


「邪竜様、愛し子のこともわかりました。結構仲良くやってますし、邪竜様に代わってちゃんとお守りします」


脳内の邪竜様が安心したように「赤竜が守ってくれるなら安心だね」と呟いた。


「よし、なんだっけ、記憶を消せばいいんだっけ?」


全然違う!

俺はすげえ不安に襲われたが、邪竜様にはなんとしてでも約束を守ってもらわないといけない。


「青竜の黒竜への不干渉の約束、俺の愛し子の記憶の消去、です」


邪竜様は「わかったわかった」ととても軽い感じでいった。

すごい不安だったが、邪竜様の魔力の気配を感じたので、おそらく誓約として捉えてもらえたのだろう。魔力を介していれば破られることはまずない。


ほっと胸を撫で下ろした俺に、邪竜様が言った。


「ボクの愛し子を守るっていうのも付け加えていい?赤竜いいやつそうだから、青竜に頼むより安心だわ」


青竜って邪竜様にも問題児だと思われてんのか…お気に入りなのに、ちょっと意外。

そして愛し子に対しては案外過保護な邪竜様に笑ってしまう。

「もちろんいいですよ」と答えつつ、付け足しておかないと。


「いいですけど、言われなくてもちゃんと守るつもりですしーーーあなたの愛し子は、俺が守らなくても強いですよ」


邪竜様は最後まで迷ってたけど、結局愛し子のことは黙って見守る事にしたみたいだった。

「自分の干渉で逆に不幸にすることもある」って言った邪竜様の声は誰かを思い出してるみたいだった。


「ーーーじゃあ、現世に戻すよ。目覚めた時から、ボクとの約束は果たされる。…また会おう、赤竜」


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