第31話 寝てるお前に俺は言いたい

いつだって、ただ一人の声を聞くだけではちみつを溶かしたみたいに幸せそうに笑う。

たくさん喋りすぎたのかデニスが何度か咳き込んで、電話口のライラが心配しているようだった。三度目の「まだいける」の後でーーーデニスは不満げに口を曲げていた。「ライラ」と甘さをたっぷり含んだ声で俺の魔力通話に囁くものだから、俺は明日からあの魔力通話を使うのがちょっと嫌だ。


ーーーなんて思って見守ってたらさ、延々と話し込んだ挙句…勘の良すぎるデニスは何かに気づいたようだった。

絶望を目に宿して放心するデニスから全身の力が抜けたのを見て、俺は慌てて赤髪の後ろに手を入れる。頭は守れたけど、大柄の彼を咄嗟に支え切るのは無理で、デニスは背中をベットの枠に強く打っていた。

俺の魔力通話は地面へ放り出されたけど構ってる余裕がない。

すでに満身創痍なくせに、自分の身体を打ち付けるデニスに思わず怒鳴ってしまう。


「おいっ!お前自分が今どんだけ傷ついて弱ってるのかわかってんのか…」


虚な目をするデニスから返事はなかった。

目の前で手を往復させても、反応がない。…俺の声は届いていないらしい。

呆れたせいかちょっと形のいい頭を支えていた手がずれた。

すると、またもやベットサイドへ崩れ落ちようとした彼の肩を慌てて支えーーー人形のように力が入らなくなってしまったらしいデニスを見下ろして、ため息をついた。

デニスの後頭部を掴んでいる手を少し下にずらす。

膝裏にも手を入れてよいしょっと持ち上げて寝かせてやる…つもりだったんだけど、スマートにはいかず、身体強化を使っていいのかもわからず(呼吸困難になられたら困る)、俺は必死の形相になりながらデニスをベットに横たえる。

視界の隅に映った薄青色の病院服からのぞく足首が、あまりにも細くて、見てられなくて掛け布団を引っ張って隠す。…ガリガリに痩せてるくせに、デニスは重い。お姫様のように俺にされるがままだが、こいつデカいんだよな。

何度目かもわからない舌打ちしつつ、デニスを絶望させ先ほどから電話口でずっと叫んでいる相手と話すべく、床に転がっている自らの魔力通話を拾い上げ、「おい」と呼びかける。耳障りな高音が止んだ。俺の口からは腹の底から唸るような声が出た。


「騎士団長じゃなくなってることは、デニスに伏せろって言ったよな?」


するとライラは『言ってない!』と涙声で反論してきた。

「え、」と声を漏らした俺に彼女は言い募る。


『私はプロイセンでよく休めって、それしか言ってない。ーーーデニスに早くブリテンに帰るよって言われた時、なんて返していいのかわからなくて言葉に詰まっちゃったの。その、一瞬の間でデニスは何かを察したの。…ねえ、デニスは大丈夫?』


ライラに「んー、生きてはいる」などと返しながら、俺は電源が切れたように寝むり出したデニスをみやった。


『デニスと話したいよ。何か誤解してる気がするの』


「そう言われても、絶望した顔で俺の魔力通話投げ出して、今はもう寝てるよ」


『明日またかけ直す』と言って聞かないライラにーーー尖った声が出たのは、仕方がないと思う。


「お前らに、今のデニスに何か言う資格あんの?…あんなにライラのために働いたマスキラを青竜様に言われたくらいで突き放すなんて」


『…………シリルに何がわかる、私たちの何がわかるの』


「なんもわかんねえよ。ただ、デニスがこの数年間どんな想いでライラとジョシュアを影から支えて、好きでもないフィメルと遊んでわざと評判落としてヘイトを自分に全部集めようとして、ストレスで食欲落ちてるけど魔力は落とさないようにって魔素濃度ばっか気にするようになって…そういうことばっか、知っちゃってんだよ」


デニス=ブライヤーズの行動は、すべて、本当に全てがライラック=

ガブモンドのためなのだ。


『でも、青竜が…デニスはプロイセンにいないとダメだって…』


魔力バランスがうんちゃらと続けたライラの言葉を俺は最後まで聞かなかった。「もうかけてくんな」と突き放すような声が出た。

乱暴に画面をタップして、沈黙した魔力通話を強く握りしめる。

髪をぐしゃぐしゃにしてーーー俺まで泣きたくなってきた。


「いつまで秘密にできるかな…」


たぶん、看護師や見舞客かなんかの噂話でバレる気がする。

数日ももたない、そう分かっていても、俺はデニスに言えなかった。

この三ヶ月で起きた出来事で、きっと、何より優先して伝えなきゃいけなかったこと。


ーーー青竜、黒竜、ジョシュア、シリル…存命中の始祖竜関係者の間で行われた会談により、ブリテン騎士団からデニス=ブライヤーズの名前は除籍され、その身柄はプロイセン預かりとなった。


つい、二週間前ほどの出来事だ。世間はこの話題で持ちきりだから、デニスにこの事実を知られたくなかった俺は、デニスの魔力通話を破壊してしまったのだ。

ちなみに言うと、シリルだけがこの決定に反対した。黒竜夫妻は本当に使えなかった。あの青竜信望者たちは「デニスは赤の魔力に愛された人間だからプロイセンにいることが彼のためであり、世界のためだ。今のブリテンはそれを邪魔している」という胡散臭い台詞を鵜呑みにし、今までのデニスの行動を知っていればあまりに無慈悲な青竜の要求に対し、一切反対しなかったのだ。

シリルはその場で激昂した。でも、あまりに力不足だった。現最強の始祖竜の要求を突っぱねることなんて、赤竜の存在しない世界の赤の愛子であるシリルには到底無理な話だったのだ。


シリルがぼうっとデニスをみていると、眠っている薄紅色の唇が、うっすらと開いた。うなされているのか、微かなうめき声が聞こえるし、よく見ればわずかに眉間に皺も寄っている。

わずかに身じろいだデニスの病院服の襟元から鎖骨のくぼみがのぞいて、シリルはみてはいけないものを見てしまった気持ちになる。

なんとなく気まずくなってかけ布団を少し引っ張り上げた。

すると今度は足が長すぎてくるぶしが出てしまって…特注のキングサイズだぞこのやろう、と悪態をつきたくなる。


「よく、これを、手放せるよなあ」


…色気過多なのは通常運転だとして、彼女が関わる時にだけ、歳相応のあどけなさが浮かぶその表情を見ただけで、俺は再確認するのに。

どんなに強く望んだって俺ではデニスを留めておけないなって。

だから、とんでもなくムカついたし、あの場にいた全員卑怯だと思ったけど、青竜様の思惑を利用することにしたんだけどさ。


「シリル=オゾン…赤竜の1日も早い誕生を、一番望むのは、お前だろう。今ジョシュアが死んでこれ以上魔力バランスが崩れれば、赤竜はおろか、お前の敬愛する女王陛下が残したプロイセンなどいとも容易く吹っ飛ぶぞ」


青竜様の紫色の唇が釣り上がった様子が忘れられない。

俺はビビリなので三回ほど夢に出てきて夜中に飛び起きている、ふざけんな。俺のフィメル嫌いをこれ以上悪化させてどうしようっていうんだ。


青竜様は、怖い。魔力量もだけどーーー何を考えてるかこっちはちっともわからないのに、青竜様は俺たちが何を一番恐れているかとてもよくわかっているところが怖い。ジョシュアは自分のせいでデニスが死ぬのが怖いだろうし、ライラはジョシュアが死ぬのが怖い。俺はプロイセンが壊れるのが怖い。


でも、青竜様にも誤算はある。

例えば…俺が、人から言われた通りにするのが大っ嫌いなこととか。


「…ジョシュアを殺せば、邪竜様も満足するし、デニスも死ななくて済む」


そもそも魔核でもある心臓を移し替えるなんて青竜様は正気じゃない。受け入れるデニスも頭がおかしい。

どうしても納得できなくて、医術に詳しいシャロンに確認もした。思った通り、二人とも死ぬ確率の方が遥かに高いって言われた。

あと、たとえ成功しても…デニスが死ぬのは絶対だ、とも言われた。

心臓がなくなれば、人間は死ぬ。

当たり前だ。

だから、俺は決めた。

親友のジョシュア=シャーマナイトと敵対しようって決めた。

デニス=ブライヤーズが自分のものになるなんて思わないし、うまくいくかもわかんない。デニスも力のある魔法使いだし、青竜様も当然妨害してくるだろう。

俺らしくない無茶な賭けかもしれないーーーけど、勝算がないわけじゃねえ。少なくとも、デニスがすぐに駆けつけられないような状態で、ジョシュアの事故が起きれば…魔核なんて渡したくたって渡せやしないだろう。


「なんで仲良くなってるの?」なんて寝ぼけた声で言ってきたデニスの顔にかかった前髪を退けてやる。整った顔がよく見えるようになったけど、眉間のしわは刻まれたままだ。


「デニスーーーお前には、絶対に言えねえよ」


デニスが騎士団から追放されたと知って荒れ狂ってたエリザベータは恐れ知らずにも関係者全員に直談判に行ったようでーーー青竜様には相手にされず、ジョシュアに阻まれ黒竜には会えなかったようだがーーー髪を逆立たせ、俺のところにも乗り込んできて「この役立たずが」と言い放ったのだ。


「この役立たず。ーーーあの人がどんな思いでこれまでの日を送ってきたと思ってる!どろっどろの王宮で、あの頭お花畑国王夫婦を守るために、わざと目立つことばっかして…フィメルからもマスキラからもセクハラまがいのことされて、そんな顔するくらいならやめろって何度言っても『俺にしかできないことだから』って歯を食いしばってたのに!こんな簡単に追い出すなんて!」


俺と、おんなじこと言ってる奴がいる。

驚きで一瞬固まったけど、次の瞬間には肉薄してきたエリザベータが赤の魔球を振りかぶってぶつけようとしてきたので、俺は倍以上の青の魔力咄嗟に投げつけた。

爆風で吹っ飛んでいったエリザベータの元に走り寄る。

…心配はしてない、こいつ、明らかに「弱いことを装ってる」し。デニスは気付いてないみたいだから口にはしないけど。


這いつくばったふりをしているエリザベータの足元に立って、「俺が役立たずなのは俺も知ってる」と吐き捨てる。


「でも、会談の場所にさえ立ってないお前はもっと役立たずだ。癇癪起こして暴れるくらいなら、俺に、協力しろ」


疑心の一色だったエリザベータの赤い瞳は、俺の計画を聞いてどんどん研ぎ澄まされていった。


「ーーーお前はどうする。俺の協力者になるか?」


返事の代わりに腰に下げていたエナメルのバックに手を突っ込んだエリザベータは、すぐに魔力通話を取りだすと、数回タップした後で画面を差し出してきた。

俺たちは無言でお互いの魔力通話の番号を交換した。

俺たちはお互いなことが生理的に受け付けないのはお互い分かってたけど(たぶん同族嫌悪だ)「デニスを守ってジョシュアを殺す」という同盟をこの日結んだ。

一連の出来事の結果としてジョシュアに敵対したことでいよいよ孤独を極めてた俺は協力者を欲していたし、常になんらかの方法で監視されているのか、本心を語るときは絶対にデニスの名を口にしないエリザベータも多分同じだった。


エリザベータは嫌そうな顔で自身の魔力通話を見つめていたがーーー小さな声で「でも結局お前たちは仲良しごっこをしそうだ」と不平を述べてきた。


俺は首を振った。

あんまり俺のことを舐めないでほしい。


「明日あたり自分で行ってジョシュアと話をつけてくる」


俺の目を温度のない目で見返した後でーーーエリザベータは腹の底が寒くなるような笑みを浮かべた。


「ふふふーーー残虐王、の本領発揮だ」


転移魔法っていうのは大変便利なもので、魔力さえあれば隣国へでもすぐに飛べる。特に、ブリテン王族とはここ数年何度も行き来するほどに親密だったので、補助の魔法陣まで取り付けてあるから往来がとても楽なのだった。


王宮の外れにある巨大な転移補助の魔法陣の前まで走って移動する。

物陰からそっと様子を伺う…運よく他の王族などの難癖つけてきそうな魔法使いはいなくて、魔法陣の横に置かれたテントの中で監視役の魔法使いが眠そうな顔で欠伸をしていた。


フードをかぶってこそこそと近寄ってきた俺を訝しげに見ていた監視役だったが、近づくにつれ俺が誰だか分かったらしく、見るからに緊張した様子で外に走り出てきた。


「な、なんの御用でしょうか…」


俺がフードを外すと、目の前に立った長身の魔法使いは「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。…人と話すときにフードをかぶってるのは失礼な気がしただけなのだが、随分な怯えられようだ。

目を見たらすごい勢いで逸らされた。若干傷つきながら、早く立ち去りたくて手短に要件を告げる。


「お前、明日から来なくていいよーーーブリテンとプロイセンの友好条約は破棄される。ここの魔法陣はこの後で俺が撤去する」


パカリと大きな口を開けた魔法使いを無視して、俺はさっさと補助の魔法陣を起動した。黄色の光で包まれた補助の魔法陣はライラのお手製だ。


「ーーー転移」


リン、と聞き慣れた鈴の音がして、俺はブリテン王宮の前に降り立った。

わざとフードをかぶってなかったし、俺の黒髪はアホみたいに目を引くので何も言わなくても門番が王宮内にいるジョシュアに連絡を入れてくれる。

ーーーこんな顔パスみたいな扱いをされるほど、通い慣れた場所に明日から来られなくなると思うと、少し胸が痛む気がする。


程なくして俺の魔力通話にはジョシュアからメッセージが届いた。

私の執務室。転移魔法は今から五分間だけ通れる、必要な要件だけが書かれたジョシュアらしい文面だ。


脳内にジョシュアの執務室を思い浮かべて再び転移魔法を使う。

切り替わった視界の正面にいたジョシュアは、窓際に転移してきた俺に挨拶さえせずに顎で自分の前のソファを指した。


ーーー部屋にライラがいないのには気付いていた。

いつもだったら、ライラも共に出迎えてくれるのだが、今日は代わりにいつもは暇を出してる護衛騎士を数名侍らせている。まるで、正式な交渉の場にいるみたいだったし…ジョシュアは、そのつもりなのかも知れなかった。

…この時点で、都合の良い思い込みかもしれないけど、多分ジョシュアは単身でブリテンを訪れた俺の行動を理解していた。これから俺が何をいうか、予想していたからライラを呼ばずにわざとらしく無関係な護衛騎士を立たせてるんだろうなって。

「独英友好条約破棄通知」を亜空間から取り出して、ジョシュアに差し出す。

ジョシュアは書面をいつも通りの凪いだ表情で受け取って、一瞥しただけでそれを側近に渡した。てっきり質問攻めにされるかと思ってたから、拍子抜けしたけどーーーあの、群青の瞳を真っ直ぐに向けられて、聞かれた。


「お前は、私の親友だと思ってた」


はっ、と知らぬ間に俺の口元から空笑いが出て、その場に詰めていたブリテンの騎士が血色ばんだ。ーーージョシュアにすぐに視線で制されていたけど。


多分、血のような濁った赤い魔力が俺の中には巡ってた。

怒りと憎しみを煮詰めたような俺の視線を受けてもジョシュアは一切動じず、急に視線を鋭くした俺のことを不思議そうに見てた。

…そう、俺の親友は人間の感情がわからない。

長い付き合いだ。ジョシュアには説明してやらなければいけないことは知っている。

ーーー目の前に立つ最強の魔法使いの唯一の欠点が「人間の機微が魔力でしかわからないこと」なんだからな。


「教えてやるから人払い」


短く告げた俺にジョシュアはすぐさま応じた。

俺を睨みつけ、不平の声を上げようとした騎士もいた。

でもジョシュアが一言「しばし外せ」と手を振るだけで瞬く間に執務室から人がいなくなった。

ーーーこういう何気ない瞬間にも見せつけられる。家臣の中にジョシュアへの信頼が根付いているのがわかる。王としての格の違いとでも言えばいいか。


だだっぴろい執務室には魔道具たちの奏でる低い振動音だけが響いている。

俺は、小さく息を吸った。

ジョシュアに…この、誰よりも人間を理解したいのに生まれつきそれができない親友にわかってもらうために、必死に言葉を引き絞る。


「俺もお前のことは親友だと思ってる。ーーーだからこそ、わかるだろ。俺はデニスが死ぬっていうなら抗うよ」


ジョシュアは何かを悟ったらしく、小さく「そうか、魔力か」と呟いた。


「陛下の形見魔石を、托されたお前が妬ましくってしょうがなかった。陛下は俺のこと…お互いに好きだと思ってたのは勘違いだったのかなって裏切られた気分だったーーーなのに、お前ときたらとんでもない罰当たりなやつだよ。本当に、驚いたなんてもんじゃなかった。陛下の魔力をデニスから感じた時も、それがありえないくらいデニスに馴染んでた時も…デニスから陛下の魔力の匂いがしても、ちっとも嫌じゃなかった自分にも心底驚いた」


「うん、ライラと二人で考えた」とジョシュアは言った。

いつだって海の底のように静かな親友の目を見て、苦笑いするしかない。

ジョシュアとライラーーーいや、きっと隣国の事情に首を突っ込むようなことを言い出したのはライラだなーーー黒竜になったライラは、きっとあわれな俺のことをかわいそうがってくれたのだろう。余計なお世話だが、絶対そうだ。

そんな妻殿の憂鬱を見かねたジョシュアが具体策を考えたんだな。俺の最愛の女王陛下の形見魔石の魔力がデニスに馴染むこともそれを俺が喜ぶことも全て承知の上で、形見魔石を砕き、デニスに取り込ませたに違いない。


むかつくなあ。

ジョシュア=シャーマナイトは本当に出来過ぎなんだ。

黒竜の儀を成功させた世界最強の魔法使い…そんな肩書きで褒め称えられても、驕り高ぶることもなく、かといって謙遜することもなくーーー自身の力を正しく使う方法をちゃんとわかってて、俺みたいな自分の妻を殺しかけた奴のことも親友って呼んじゃうお人好し。


貧乏ゆすりが止まらない。

舌打ちしたら、ジョシュアが少しだけ首を傾げた。

イライラして仕方ない。

何に苛立ってるんだ?とでも聞きたげなジョシュアーーージョシュア、お前にもだけど、俺はな、何より自分に腹がたって仕方ないんだよ。

俺だって立派な王様になりたいんだ。ジョシュアみたいに俺がなれたら、臣下の心を掴むことができていたら、プロイセンの内情はきっと今ほどまで荒れなかった。魔法大国プロイセンで、反王政派のテロが頻発したせいで、王都から逃げ出す民があとをたたずに難民が出てるなんて、俺が一番信じられない。

敵対勢力の主力は潰した。でも、俺のやった実力行使によって、あちらも手段を選ばなくなりやがった。あいつらは自分は王宮でのうのうと優雅にワイングラスを傾けながら、手下を使って民を巻き込む事件を引き起こす。


「お前が今のプロイセンの王だったらーーー」


いや、俺は何を言っているんだろう。

これ以上は、流石の俺も、自分が恥ずかしくなってきて言葉にしなかった。

ジョシュアが責めるような視線を向けてくる。「王たるもの弱音を吐くな」とでもいいたげなありがたい視線だ。

でも、よせば良いのに俺の口は回り続ける。

ボソボソとした、自分でも嫌いな聞き取りづらい低音がジョシュアの前に流れ出す。


「俺は国王に向いてない。あの方に托された、大切なプロイセンを現在進行形でぶっ壊して、親友って呼んでくれる今の俺にとって最大の後ろ盾も敵に回して、目の前がどんどん塞がってる気がしてる。でも、この選択肢だけは、譲れないんだ」


やけになって、ジョシュアを睨む。

ジョシュアは、ただ、静かに俺を見つめている。

全てを見透かされそうで、思わず視線を落とした。ジョシュアの顔は、整いすぎていてたまに怖い。


「あの魔力が帰天するのを…もう二度と見たくない。ーーー親友だって言うなら、わかって」


俺の長くて容量を得ない説明にも、ジョシュアは間髪入れずに「うん、わかった」と頷いてくれた。

「何がいいたいのかわかりません」そんなしかめっ面を向けられることが、最近は本当に多いからーーー余計なことは何も言わず、伝えたいことを汲み取ってくれる目の前のマスキラの反応を見て肩の力が抜ける。

そうだった。俺らはどっちも話すのが下手で、でも、思考回路が似てるのか、お互いの言いたいことは大体正確に掴み取れた。一緒にいるのが心地よくて、むず痒かったけど、親友なんて認め合うようになった。

少しだけ、心に温かいものが溢れてきて、自嘲する。

ーーー寂しそうにジョシュアの黒の魔力が揺れたのにも、気が付かないふり。


両国間の転移魔法陣を撤去しようだとか、来年から外交師団の派遣と交換留学を取りやめようだとかそういう事務的な会話を交わす。

俺とジョシュアが直接動けば、すぐに解決できそうな問題ばかりでーーーすぐに再度沈黙が落ちる。


ーーー長居するのもなんだし、帰ろうか。


緊張感が解け、そんなことを考えていた俺に、


「この間はーーー青竜様に反対してくれてありがとう。私はデニスを守ってくれるというならシリルを応援したいくらいだ」


などとびっくりするようなことをジョシュアは言ってきた。


「…私は自分の国民を守ることが一番でーーーデニスとブリテン国民の安全を天秤にかけられたら、国民を取る。でも、デニスだって大切な臣下だし死なせるのは愚か手放すのだって嫌だった。もし本気で邪竜様が望むのであれば、別に他人に手を下されなくても私が自死すればと思ったりしたがーーー」


珍しく、ジョシュアは「はあ」と人間味あふれるため息なんてついた。

いや、こいつ人間だった、そうじゃない、今なんて言った?と大混乱する俺に、


「でも、私の手で私を終わらせることはできないみたいなんだ」と本気で困った様子で手のひらを見つめてみたりする。


「いや、お前は軽々しくそんなこと言っちゃダメだろ」


ーーーと正反対の行動を起こそうとしている俺が突っ込むことになったのだけど、まあ、それは余談であろう。

ジョシュアはちっとも変わってなくてーーー自分の国民、特に側近であるデニスのことを可愛がってるのがよくわかった。ジョシュアは国民を守りたいし、逆はちっとも望んでないみたいだった。


「デニスにはーーー黒竜の儀の時から助けられてばかりなのに」


切なさを感じるジョシュアの声色に、俺は思わず吹き出した。

そうだった。こいつも、デニス(の魔力かもしれないが)に魅せられた1人だった。ジョシュア直々にデニスのことを最年少騎士団長に御指名したのを忘れてたな。解任なんて、このマスキラが一番望んでいなかっただろう。


「ーーーメディアというのは、恐ろしいな。昨日まであんなにデニスをたたえていたのに…今じゃ『裏切り者』呼ばわりだ」


デニスが危篤となったニュースがブリテン全土を駆け抜けた。

心配の声が相次いで、誰もが続報を望んだ。

そんな情勢の中に昨日新たに加わえられたのが…どこから漏れたのか俺にもジョシュアにもわからない「デニス=ブライヤーズ騎士団長を退任、プロイセン国王の側近へ」のニュースだ。

朝方のニュースの胸糞悪いコメンテータの声が脳内を流れて、思わず拳を握りしめる。


今までの女癖の悪さをここぞとばかりにメディアは取り上げて、ジョシュアとシリルデニスの三角関係なんていうわけのわからない主張を真面目に公共の電波で垂れ流す。

王宮内ーーー特に騎士団は大荒れ。ーーーそりゃあそうだ。自分たちの長が変わったことを何も告げられていなかったのだから。


まあ、ジョシュアが「苦渋の決断であり、我々にもデニスにも受け入れ難いことであったために発表が遅れた」とだけ喋る一本の動画をあげたことで大方の騒ぎは収まったんだけどさ。

…デニスの裏切り説を根強く主張するメディアがあるのは事実で、俺はいつこれをデニスが知るんだろうって思うと本当に怖い。


「デニスがいなくなってまだ三ヶ月。今は彼を批判する意見ばかりが目立っているが…私たちはこれから何度も彼の功績を思い知らされることになるんだろうな」


溢れたのは本心からの呟きだろう。まあ、このマスキラは国民を最優先にするので選択を変えることはないんだろうけど…それでも、ジョシュアの顔を見れば本当はどうしたかったのかくらい、俺にもわかった。


ーーーデニスは、本当に人たらしだと思う。

ーーー最強の魔法使いも、敵国の王も、暗殺者もみんな骨抜きだ。


こんな風に思考を飛ばせるのも…デニスの容態が安定してくれたおかげだろう。

もう、二度と目を覚まさないんじゃないかと本気で思ったし、目の前の呼吸が少しでも弱まりそうなら魔力を継ぎ足そうと、エリザベータと二人で気を張り続けた三ヶ月間だった。


月影に照らされて影を落とす長いまつ毛。

すらりと通った鼻筋。

180以上余裕であるくせに、片手で掴めるんじゃないかってくらい小さい顔。

…血色悪く眠っているくせに、イラつくほどに華やかな顔立ちの男だ。しかも瞳を開いて口元に笑みを浮かべれば、甘やかな笑顔と子犬のように透き通った瞳に老若男女問わず籠絡されることをシリルはよおく知っている。

誇張ではない、ブリテンから毎日山のような見舞いの品が届くのだ。暗殺対策でシリルも目を通すのだが…連日のデニスへの批判報道など意に介さない暖かな気持ちの込められたメッセージの数々に本当の彼を見ていた人がこれほどいたのかと驚かされる。特に騎士団はデニス派と反デニス派で分かれたはいいが、デニス派があまりに多すぎて新騎士団長では団をまとめられないとか。


デニス=ブライヤーズというマスキラの底知れない魅力はきっと本人以外がみんな理解しているのだ。


シリルはこの大馬鹿者に言いたかった。

陶器のように白い頬を少しだけ人差し指で突く。…骨と皮の感触しかなくて、やめとけばよかったと後悔した。

いくら弱ってたって、魔法剣さえ持たせれば馬鹿みたいに強いのは知ってるけどーーーガラス細工みたいに脆くて壊れてしまいそうな儚さがデニスにはある。


「ジョシュアの代わりだとはいえおまえが死ぬってことがどんだけの人を絶望させるか、ねえ、おまえちゃんとわかってる?ライラしか見えてない俺の綺麗なお月様?ーーー元女王陛下あの方の形見魔石の魔力を取り込んだなら、俺より長生きしろよ…」

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