第二章 無欲の騎士
第30話 目を覚ましたら
暗い海の底を漂っていた。
光は届かなくて、寒くて、静かでなにも見えなかった。
時折出会う痛みに引きちぎられそうになりながらも必死にもがいていた。
そのうち、肺ができたのか苦しくてたまらなくて、光を求めて上を目指そうとしたけど体が重くて底からどうしても抜け出せなくて。
あんまりにも苦しいから、もう死んだほうがいいなと思ってもがくのをやめたら楽になってきたんだけどーーーふと、脳裏にカナリーイエローが浮かんで、ライラはきっと俺が死んだら泣くなって思ったら、もうちょっともがいてみようって気になった。すると、今まで気がつかなかった赤い光が見えたから、俺は必死にその光に向けて泳いだ。
ーーー俺が目を開けた時、視界に映ったのは白い無機質な天井だった。
身体を起こそうとして…右下腹部に切りつけたような痛みが走って「ぐふっ」って情けない声が上がった。ついでに身体中に繋がれた点滴の針に引っ張られて肌が引き攣る。痛い、身体中が別種の痛みでとてもしんどい!
再び枕に倒れ込んだ俺の横でーーー驚いたように、飛び上がった人物。
(俺もびっくりした。気配なさすぎて人がいると思わなかった)
「で、デニス様…!」
桃色の髪を後ろで一つに束ね、白と青の制服を着た彼女は、丸みを帯びていた頬がこけ、目元には化粧でも隠しきれない深い隈があった。俺の記憶よりも随分とやつれている。
「え、エリザベー…ゴホッ」
名前を呼ぼうとしたらおじいちゃんみたいにしわがれた声が出て、そのあとめちゃくちゃ咳き込んだ。(全身を文字通り針で刺されているので咳き込むだけで普通に泣くくらい痛い)
エリザベータは慌てた様子で水差しからコップに水を汲んできて手渡ししてくれる。彼女は俺が少しばかりの水を口に含み、喉が動き、湿った口元を拭うのを見てーーーようやく、エリザベータは俺が生きているのを実感できたみたいだった。
半分ほど水の残されたコップをサイドテーブルに置いていたら、エリザベータが俺の左手を取ったあと、額を擦り付けるみたいにして俺の手ごとベットサイドに崩れ落ちた。(腕を引かれるのさえもちょっと痛いけど流石に止められなかったよね)
静かに肩を震わせて、エリザベータは泣いていた。「よかった、よかった」って小さく叫ぶように泣き続けるから元気付けてやりたくて右手で桃色の頭を撫でる。
「お前…なんでここに?いや、ここはどこだ?」
動くたびに全身に走る痛みを堪えつつ、なんとか口を動かす。今度はさっきよりマシな声が出た、まだしわがれてるけど。
「ここは、プロイセンの王族専門の医務室です」
泣きながら頑張って喋ってくれるとこ悪いがーーーえ、なんでプロイセン?
「ブリテンじゃなくて、俺はプロイセンにいるの?」
意味がわからなくて首を傾げる俺の耳にーーー慌ただしく走ってくる音。
慣れた魔力の気配に微笑みかけーーー全身を、今まで感じたことがないような恐怖が突き抜け、俺は思わず息を止めた。
ーーー魔力の圧だ。これ。
脳内は冷静に分析するんだけど、苦しくて、ひゅう、ひゅう、と喉を押さえた俺にエリザベータが気がついた。
「シリル国王!ーーー魔力の乱れは厳禁です!落ち着いてからいらしてください!」
副官が怒鳴ってるのを初めて聞いたな、なんて暢気に考えながら苦しさで生理的涙が溢れてくる。
「デニス様、もう少し頑張ってください。あの馬鹿陛下が遠ざかれば息できるようになりますよ」
エリザベータがゆっくり背中をさすってくれてるうちにーーーシリル君は少し距離を取ってくれたらしい。彼女の言う通りに呼吸が戻ってきた。
ーーーし、死ぬかと思った!!!
今の一連の騒動で再び腹の傷が開いたらしく、血まみれになった包帯を見たエリザベータが悲鳴を上げた。
息が落ち着いたら今度はナースコールを押すハメになった俺。
包帯を変えられ、起きたんなら知らせてくださいと怒られ、問診を受けーーーようやく静けさを取り戻した病室へ、今度はいつも通り完璧に魔力を安定させたシリル君が、恐る恐るといった様子で入ってきた。
「看護師あんなにどっから湧いてきたのよ、問診のファイルを支える役、包帯の予備のさらに予備を用意する役って…暇か!デニス様を見たいだけのやつ絶対いたでしょ」などとエリザベータがぶつくさ言っていたのだが、シリル君が押しのけていた。エリザベータも負けじと踏ん張っていたのだが、流石にシリル君が押し勝っていた。なにしてんだこいつら。
シリル君も見ないうちにすごくやつれていた。
頬骨が突き出てしまってるし、目の下も青黒いしーーー正直言ってゾンビみたいでちょっと怖い。
内心シリル君の変化にひいていた俺だがーーー次の言葉で、懲りずにまた飛び上がってしまい、痛みで悶絶するハメになる。
「デニス…目覚めてよかった。三ヶ月も昏睡してたんだ…生きた心地がしなかったよ…」
「それは心配かけました…って、え!?さんかーーーっつううう」
「ばか、動くな」
「さっき注意されてたじゃないですか、ああ、また少し血が出てる」
口調は怒りながらも、並んだ二人が深い安堵の表情を浮かべている理由がよくわかった。
なるほど、三ヶ月も死んだように眠っていればこういう反応にもなる。
「で、俺はなぜプロイセンにいるんでしょうか。青竜様は?俺が倒れた後でどうなったんですか?」
矢継ぎ早に質問してしまったが、シリルくんは静かに頷いて一つ一つ丁寧に答えをくれた。
「おまえがプロイセンにいるのは弱った体にジョシュアとライラ、パーシヴァルの魔力が強すぎたことーーー」
この説明だけで納得してしまった。
なるほど…俺って一応騎士団長で国王夫妻の側近だもんな。一般の病院に入れるわけにいかないし、ブリテン王宮の特別医務室は王族の生活領域のど真ん中にある。誰かが移動するだけで昏睡しながらさっきみたいに呼吸困難になるんじゃあやってられないだろう。
「ーーーあとは、おまえの身体の魔素を貯める器官を青竜様が損壊させただろ?」
この言葉を口にした時、すごくシリルくんの声のトーンが下がっていた。隣にいるエリザベータの目もすわっている。
…お、怒っていらっしゃる。多分当事者の俺よりも。
「魔素を貯める器官は壊れたけど他はそのままだ。タンクが壊れてるのにポンプとその先の魔道具は動いてるっていえばいいか…そんなわけで常時魔素の枯渇状態になるもんで赤の魔石が大量に必要だった。世界で一番赤の魔石の発掘量が多いのはプロイセンだし、いざとなったら俺の魔素も透明魔石に込められる。…デニスの魔力への拒絶反応も赤魔法に関してはほとんど起きなかったから、もううちに連れ帰ってきた」
「ジョシュアとライラに猛反対されたけど…このままじゃいつか呼吸困難で死ぬぞって言ったら流石に引き渡した」とシリルくんがいい笑顔で言ってくれた。まあ、あの二人は自分で言うのもなんだけど俺のこと大好きだしなーーーっていうか、やっぱ目元の隈が酷すぎる。大丈夫なのかシリルくん…。
色々考えながらも、だんだん瞼が重いというか、いっぱい喋るのが辛くなってきて、一言だけ、うん。と大人しく頷いた俺。
「寝るか?」と聞かれたから「寝ない」と切り返した俺をやさしい目で見つめながらーーーシリルくんってこんなに穏やかな顔できたんだな、ちょっと意外ーーーシリルくんは「あのあとどうなったか気になるよな、さっさと続きを話すぞ」と口を開く。
「ーーーまあ、悲惨だったよ。腹から血が吹き出してるデニスを放置して青竜様は転移魔法でどっか行っちゃったからパーシヴァルがパニクってジョシュアに電話して。…ジョシュアがあんなに慌ててるのも初めて見たってシャロンが言ってたな。結局は医者で年長者のシャロンがデニスの止血とその場にいた使用人たちに緘口令を敷いてその場を収めた。俺もその時にあいつから連絡を受けてブリテンに飛んだ。魔力が荒れまくってるジョシュアとそれに気づいて飛んできて同じく魔力を荒れさせてたライラを遠ざけたのもあの人だ。…お礼言ったほうがいいぞ、シャロンがいなけりゃおまえはあの日に呼吸困難で死んでた」
ずっと黙っていたエリザベータが「ちゃっかりブリテン王族だけ悪者にしましたけど、この人も遠ざけられてました」と指差すからシリル君に睨まれていた。ーーーなんか仲良くなってんなこいつら。
俺はこの時めちゃくちゃに疲弊していた。まさに今、血で血を洗うようなシリルと反王族派との争いが勃発しているプロイセンで、敵対派閥に所属するこの二人が仲がいいはずがないーーーそんな単純な違和感に気が付けないほどには。
シリル君の声が途切れると意識が飛びそうになってふらつく。そんな俺のことを休ませたくて仕方ないらしいエリザベータがシリル君に向けて「もう話すのをやめろ」と責めるような視線を送っている。でもありがたいことにシリルは俺の意思を尊重して、あえて彼女と視線を合わさず、気付かないふりをして話し続けてくれる。
「
「魔法使いが白くされる現場私初めて見ました」とエリザベータが付け加えてくれて…俺は元気だったら多分頭を抱えていた。今は瞼が落ちそうでむりだけど。
そうじゃなくてさ…いや、その辺も気になるんだけど、一番気になってるのはーーー
「シリル君、ライラは、なんで俺がこうなったのか、なんて説明を受けた?」
沈んでいこうとする意識に逆らってるもんで、全然口が動かなくてすごい聞き取りにくかったはずだけど、シリル君はしっかり俺の声を聞いてくれたらしい。
なぜか、泣き笑いみたいな顔になってーーーすぐに真顔に戻って「パーシヴァルと…珍しくジョシュアもうまく立ち回って、なんとか誤魔化したみたいだ」と俺を心底安心させる報告をくれる。
「ライラも始祖竜だから邪竜様が怒ってるのは察してたみたいだ。その穴埋めにデニスが使えないかって青竜様が考えて、魔力の器を無理やり大きく作り替えるために一回ぶっ壊した…って説明したらしい。まあ、経緯が省かれてるだけでほぼ事実だ。ライラも結構聡いけど、バレないだろ」
ーーーそっか、よかった。ライラは俺が怪我したってことだけ知ってるのか。
「うん、ありがと…」
再度意識を飛ばす前に二人が泣きそうになっているように見えた気がしたのはーーー多分気のせいだ。
どれくらい眠っていたのかはわからない。
夢も見ずに目をあけた、先ほどと変わらず空はまだ暗かった。
俺の意識が再浮上した時ーーー聞こえてくるボソボソとした話し声。…俺の病室にはまだシリル君もエリザベータも残ってくれているようだった。
身体は回復のために眠れと司令を出してくるのだがーーー理性が拒否していた。だって、冷静になって考えてみろ。さっき三ヶ月眠ってたって言ったよな?…そんなにも長い間、あの俺以外にろくに友達のいない寂しがり屋を放っておいたなんて何してんだ俺。フランク王国で別れる前に「いつだってそばにいる」ってこの間約束したばっかりなのに。
半分寝ぼけた状態で睡魔に抗うの俺の耳に二人の声を潜めたの会話が聞こえてくる。
「ーーー忠誠を誓った騎士って…すごいですね。自分が死にかけてるのに、ほんとに、主人のことしか考えてない」
エリザベータの言葉に、シリルが小さく笑った。
「忠誠を誓った騎士の中でもデニスが特別なんだと俺は思うけどーーーライラのことを聞いた途端、子供みたいに笑ってすぐに眠るんだもんなあ」
おいおいーーー
目が覚めちゃっただろ?ありがとな。
「こどもみたいに笑うってーーーばかにしてるだろ」
俺の声は掠れきっていたのだが、耳の良い二人にはしっかり聞き取れたらしい。うっすらと開いたまぶたに二人が揃って「起きたんだ」と顔を綻ばせているのが見える…なんかむず痒いな。
すぐさまエリザベータが手首と首筋に指を当ててくる。
こそばゆくて僅かに身じろいだら「くっ…この無自覚!」と小声で罵られた。エリザベータがどんな顔してるのか見ようと目を開けたらすぐさま手で覆うようにして視界を塞がれた。…照れてるのか?いつも抱きついてきたりするくせにこいつの恥ずかしさの基準がわからん。
エリザベータからなんかいい匂いするな〜と思いつつ、俺は黙ってされるがままになったーーー脈と魔力を測ってるのはわかってるからな。できるだけ動かない方がいいんだ。簡単な診察方法は騎士団でも習うから俺もたまに負傷した部下にやったりするからもぞもぞされるとやりづらいのは知ってる。
「どうだ?」
シリル君の問いかけにーーーエリザベータは小さく頷いた。
「だいぶ安定しました」
安堵の表情を浮かべて何やら頷き合う二人。うん、自分でもさっきより随分魔力が落ち着いたのは感じたけどーーーそうじゃなくてさ。
なんだ、何かがおかしくないか?
気のせいか?いや、この二人が穏やかに言葉を交わし合ってると、どうしてかこうーーーざわざわするよな?
「ーーーあ」
突然声を上げたので視線を向けられるが、笑って誤魔化す。
「無理すんな」「まだ寝ていたらどうですか?」なんて言ってくるこいつら…俺の脳はようやく違和感の正体に名前をつけてくれた。
ーーーこいつら敵陣営だったはずだ。俺の眠っていた三ヶ月間に何かがあったんだ。
堰を切ったように倒れる直前の記憶が溢れ出てくる。
心臓が嫌な音を立てた。背中を冷たい汗が流れ、思わず身震いする。
青竜様と一緒に転移してきた時点でエリザベータに問い詰めなければと思ったのだった…。本人がよく「プロイセンの暗殺者会議」なんて話題を口にするから反王政派だとばかり思っていた。でも、じゃあなんで青竜様に連れられてやってきた?ただの反王政派じゃないのか?エリザベータの主人は誰だ?
「おまえは何者だ?」
口からこぼれ落ちた問いに、笑みを消したのはシリル君だった。一瞬だけ、非難するような視線が投げられて、すぐさまそらされる。
ーーー「今聞くのか、それ」シリル君が呟いた気がした。身体強化がいつもよりうまく働いていなくて音声が拾いづらい。自分が本調子じゃないのがわかって歯がゆい。
肝心のエリザベータは首を振っただけで答えてくれなかった。
「デニス様の容態も安定したようですし、私は下がります」
エリザベータは足早に立ち去った。去り際に「朝六時まではここにいてくださいね」とシリル君に言い残していく。「なんで?」とシリル君に尋ねたところ、頻繁に現れる暗殺者から二人が守ってくれているらしい。まじか。
「まじか…え、エリザベータって俺のこと殺したいんじゃなかったの?」
「あいつも拗らせてるよな」と顔を顰めるシリル君も同じようなことを思ったようだが、問い詰めたとしてもエリザベータからは「デニス様は私の獲物なので」なんて軽口が返ってくるらしい。
「ーーーよく言うよな…絶対、あいつデニスのこと殺せないだろ…」
シリル君は肩をすくめながらエリザベータが俺のために用意したらしい物資を「これとこれと…」と指差していく。
「エリザベータがどこの所属なのか詳しいことは俺にもよくわからない…ずっと反王政派だと思ってたのに違うみたいだから本気で一回問い詰めてみたけど『それだけじゃありません』なんてはぐらかされたし。ーーーでも、言葉にはしないけどデニスのことを誰よりも救いたいと思ってたのは間違いない。エリザベータが治療のために持ち込んだ道具は…貴重なものみたいだったし、本当は敵であるデニスのためには使っちゃダメだったんだと思う」
シリル君から、「今おまえの魔力を動かしてるそれとか」って腹のあたりを指さされて、慌てて包帯の上に手を当てる。
ーーー硬い感触が指先を押し返した。おれのからだの中に、なにか、はいっている。
「っつあ?ーーーか、硬い…え?これ、何?どういうこと?」
ーーーびっくりしすぎて腹をぐいぐい押していたら血が滲み出てきてシリル君にやめさせられた。ーーーでも、気になってしょうがない。
俺の右手首を捕縛したまま、シリル君は仏頂面のまま「ジンコウマゾウキって言うらしい」と教えてくれた。
ジンコウマゾウキ…「人口魔臓器」か?
いや、名前聞いてもわかんねえ…しかも響きが怖え。
若干顔色を悪くする俺にシリル君は眉間のしわを深くした。
右手をずっとぷらぷらさせてたらようやく解放される。…自分の中に何がはいってるのか気になってしょうがないけど、シリル君の視線が怖いのでなんとか我慢する…一人になった時にじっくり調べればいいしな。
「ソレがなきゃ今もおまえは昏睡状態だ。ーーー当たり前だよな、魔力を生み出すタンクを破壊されてんだ。魔石の輸血で命は繋いでるけど貯める場所がないんじゃ話にならない」
見かねたエリザベータが覚悟を決めたような顔で、これらを差し出してきたのはデニスがプロイセンに運び込まれてひと月ほど経ったあとだったらしい。というのもーーー
「二ヶ月経ってもデニスの壊された魔力生成器官は一割も再生してなかった。医者が『2度と目覚めないかもしれません』なんて言いやがったせいで、ジョシュアとライラがプロイセンに突っ込んでこようとして、『これ以上魔力バランスを崩すな』ってキレた青竜様と全面戦争になりかけたーーーのを止めたのがあいつ」
ぜ、全面戦争!?始祖竜同士の戦争って国なくなりそうじゃね?
…あいた口が塞がらない。シリル君も当時を思い出したのか(と言ってもひと月前だな?)しきりに眉間を揉んでいる。
「青竜様と陰で何度も言い争ってるのを見たし、あいつなりに悩んだみたいだけどーーーちょうどひと月くらい前、エリザベータは人工魔臓器だとか完全セイセイされた人工輸血だとか、俺でも見たこともない大量の医療物資ととんでもない腕をした和国の医者を一人連れてきた」
待て、人口魔臓器の次は完全セイセイ…?
医療用語か?騎士団では耳にしない単語の羅列に頭がついていかない
もう何が何だかわからない、と頭を抱えた俺を見てシリル君も「そういう反応になるよな…」と遠い目をした。
「最初は俺もブリテン王族側も見たこともない魔道具を治療に使おうとするエリザベータを止めようとしたーーーでも、さっきも言ったけどさ、言葉にはしない…というかしちゃいけないみたいだったけど、『デニス様にはいずれ死んでもらうつもりではありますけど、今は困るんです』なんて言ってるあいつの赤魔力がーーー燃えてるんだよ、ずっと。同じ赤魔力の使い手として、『こいつはただデニスが心配で助けたいだけなんだな』ってわかったから。俺がジョシュアとライラを説得してエリザベータに任せた」
結局、エリザベータの持ち込んだ医療用の魔道具のおかげで俺はみるみるうちに回復していったらしい。
「人口魔臓器」の助けを借りて半分ほど俺の魔力器官は再生した。
そして、俺は目覚めた。八割ほど再生した時点で魔臓器は外すと告げられて、正直ちょっとホッとした。体の中に知らない魔道具が入ってるのは少し気味が悪かったから。
眉間に深い皺を刻んだまま、シリル君は「あいつは何も言わないけど、たぶん敵であるデニスのためには使っちゃダメな魔道具だったんじゃないかな」と言った。
「医療用の魔道具は頻繁にメンテナンスが必要だーーー例に漏れず、この魔臓器動かすためにも必要なものがいっぱいあって。しかも消耗品だから補充が必要で…もうすぐ物がなくなるなってタイミングになると、あいつは決まって姿を消した。数日姿を見せないなと思ったら、大量の物資と一緒にボロボロになって現れるんだよ…」
「ぼ、ぼろぼろ?ーーーそれって…」
「多分、主人に躾けられてるんじゃない?ーーーわかりやすく顔が腫れてる日も、手首とか縛られた痕もよく見かけた」
つまるところーーー殴られたり、縛られたり、したということだろう。
ふーっと、体の空気が全部抜けていったようなため息が出た。
心が痛い。
俺のためだというなら、やめてほしい。
そこまでして助けて欲しくない。
先ほどまでかたわらで笑みを浮かべていたエリザベータのことを必死に思い出す。手首に傷なんてあったか?…ダメだ、そんなとこ見てまでない。
「執務と内乱の対応で深夜しか来てない俺と違って、エリザベータはほぼ全ての時間をこの病室で過ごしてた…デニスの暗殺命令を出してる主人になんて説明してるんだろうな?」
「まあ説明しきれないから罰せられてるんだとは思うけど」とシリル君は首を振った。ーーー俺はこういう時言葉を何も生み出せなくなる。
やるせない。全部が思い通りにならない。主と部下ーーー手に届く範囲でさえ幸せにする力が俺にはない。
絶望しながら、ふと思い出して、エリザベータとどうやって打ち解けたのかシリル君に尋ねる。
「エリザベータとシリル君は敵対しなくなったの?」
一瞬だけ、含みのある笑みを浮かべたシリル君。
すぐに仏頂面に戻ってボソボソと話す。
今の俺には聞き取りづらい。普段自分がどれだけ身体強化に頼って生きていたか思い知らされる。「ああ、早く回復してえ」とイライラしながら必死に耳をすませばーーー
「敵だけど一部協力関係になった」
なんてぼやかした言い方。「一部って?」と質問を重ねるも、「おまえには秘密」と首を振られてしまう。子供みたいに唇を尖らせてしまったけど、俺は悪くないよね?
「勿体ぶらなくてもーーーあ、まさか二人とも俺に惚れた?」
からかいまじりで言葉にすると、シリル君がこれ以上ないくらい顔を顰めた。
今のシリル君の顔がツボに入って笑ってしまう。ブサイクだ。
「冗談はさておきーーー今回だけは追求しないでおいてやるか」
シリル君も小さく頷く。
「暗殺者として重要事項は言えないよう身体中に魔法陣が描かれてるみたいだ…今回のことは言いたくても言えないんじゃないかな」
身体中に描かれた魔法陣ーーーそんなの、息をしている限りはずっと他人の魔力で縛られてることと同義だ。
想像しただけで気持ち悪くて、鳥肌が立った。
俺じゃ絶対に耐えられない。
俺の反応を見て考えていることを大体察したらしいシリル君も苦い笑みを浮かべている。
「魔法陣なんて魔力そのもの。他人の魔力を纏うなんて気持ち悪いーーー俺も、そう思うけど、プロイセンの暗殺集団はひとを駒としか思ってない…子供の頃から『そういうもの』と思わせておけば、どうにかなるのだと、女王陛下は言ってた」
女王陛下、と口にするときのシリル君の瞳が揺らぐ。
一瞬波打った魔力。息が止まるけど、すぐにおさまる。シリル君から「悪い」と謝られる。ーーーああ、不自由な自分の体が煩わしい。これくらいの魔力に怯えるなんて…ライラの前に出るまでの道のりを考えると絶望しか湧かなかったので、必死に思考を切り替える。
ーーーひとを、駒としか思っていない、だっけか。
エリザベータの生きる修羅の道の一端を目にした気分になる。
シリル君も俺もエリザベータのことをよく知らないけれど、今回俺を助けるために彼女が身体を張ってくれたのは事実だ。
口をつぐんだ俺を気遣うように見たシリルくんがーーーいや、いつもの仏頂面だったけど、多分心配してくれてる気がするんだーーー「なあ」と喉の奥に何か詰まったみたいな声をかけてくる。
そろりと視線を上げると「ライラと魔力通話したい?」と不機嫌そうに告げられる。
ふはって、思わず吹き出してた。
「ライラと魔力通話したいに決まってる!…けど、笑っちゃうだろ。優しいことを言うときはその顔になるんだな」
不機嫌そうに細められた赤い瞳。
それでも胸ポケットを探って、すぐさま画面を操作してる。
旋風が窓を打って、ガラスが鈍く揺れている。
外はまだ暗い。明け方まであとどれくらいなのか、時計のない病室ではわからない。
「ライラはまだ寝てるんじゃないの?」
「いや、黒竜は寝ない」
ーーーそうだった、シリルくんに言われて思いだす。
あいつは黒竜になったんだった、死にかけたせいかまだ混乱しているかも。
「…そうだった。でもあいつ魔力通話あんま見てないから出ないかもよ?」
「いや、さっきデニスの意識が戻ったって連絡入れたから、むしろ目の前で正座してるかも」
…あれ。そういえば俺の魔力通話とか、荷物とかどこにあるんだろう。
思わず辺りを見回した。
サイドテーブルのガラスコップ、銀の支柱に吊るされた点滴袋、脱脂綿や銀の医療器具が整然と並んだワゴン。空のベット。面会用の椅子。
ーーー俺とシリルくんしかいないこの病室に俺の私物は見あたらない。
「俺の私物はーーー」
どこだって最後まで言えなかった。
魔力通話を耳に当てているシリルくんに「静かに」と目で促されたから。
轟々と鈍く響く風の音に混じって、無気音が数回響く。
耳を澄ませていればーーーかすかに聞こえてきたさえずりのような可憐な響き。
シリルくんは低く「あの件はまだ言うなよ」なんて秘密めいた脅しをしている。
ーーーめちゃくちゃ気になる言い方じゃね?「あの件」なんて気になる言い方はやめてくれよ。
しかし、俺の葛藤などシリルくんから手渡された魔力通話の先にいる俺の天使のことを考えれば、些細なことすぎて吹っ飛んでいってしまうわけである。
「もしもし、ライラ?ーーー久しぶり」
確かに繋がっているはずの電話口からは何も返ってこなかった。
思わず画面を確認してしまう。ーーー通話中になってるな。
「さっき、目が冷めたんだ。ーーーあんまりまだ倒れてた間のこと聞けてないんだけど…」
この辺で、返事の代わりに嗚咽が聞こえてきてーーー
ああ、たまらない。
俺って最悪だ。
今すぐそばに行って抱きしめてあげられないことに胸が痛むんだけどーーーそれ以上に、ライラが俺を想って泣いてくれているのが、すごく、嬉しい。
「心配かけてごめんな?」って含み笑いで言ったら、やっと一言返してくれた。
「ばか…そばにいるって言ったそばから攻撃されて危篤状態って聞かされてどれだけ心配したと思ってんの」
「うん、うん」と締まりなく笑う俺を見て、シリル君が呆れていた。
でも、シリル君も心なしか華やいだ顔をしていた。
「やっとお前らしい顔が見れた」って呟いてた気がする。
俺が寝込んでいた間に彼女の周りで起きたいろんなこと。ライラのお気に入りの作家の本が出たとか、またジョシュア様が迷子になったとか、パーシヴァル様がお菓子の食べ過ぎで寝込んだとか。どんな話だってライラの声で話して貰えば俺にとっては極上で、笑って、なんだよそれって突っ込んでーーー俺たちは夜中だというのに長々と色々話し込んでしまう。
話の切れ間に、何気なく俺のはなった一言。
「治ったらすぐに帰るから、待っててね」
急に、ライラが笑うのをやめたのがわかった。
不自然な沈黙。
俺の耳にーーーなぜか、ひゅっと喉を引き攣らせた音が届く。
ーーーえ?
勘違いだって思いたくて、もう一度同じセリフを繰り返す。
「すぐ帰るから、待ってて」
ーーー聞こえてないはずがないのに、黒竜は耳だってありえないくらいいいんだから…
なのに、返事は返ってこなかった。「早く帰ってこい」って言ってくれると思ったのに、ライラはただ静かに、息を吸って吐いていた。
「ねえ、ライラ?どうしたの?」
胸によぎった不安をかき消したくて、言葉を重ねる俺にライラは「ゆっくり休んで早く良くなって」なんて答えになってないことを言ってくる。
ーーーえ。
嘘だろう。
「ライラーーー俺に帰ってきて欲しくないの?」
心の中でつぶやいたつもりだったのに、間抜けな俺の口は動いてしまっていた。
からわらのシリルくんが、息をつめたのがわかった。
電話口のライラは「そんなわけないじゃん!」と悲鳴のように叫んだ。
彼女の焦った声と否定の言葉を聞いて、一瞬安堵の息を吐いたけどーーーすぐに飲み込んだよね。
だって、
「そうじゃないんだけどーーー今は、プロイセンで、ゆっくり休んで」
がつん。
鈍器で頭を殴られた気がした。
ものごとをやさしさで包んで話す彼女が、「プロイセンで」を強く発音したことの意味をわからないほど、俺とライラの付き合いは短くなかった。
まあ、つまり、そういうことだ。
風船が萎むみたいに力が抜けていって、手から転げ落ちた魔力通話。
背中をベットサイドに強打した。
魔力通話が硬い床落下していき、バウンドしてた。
焦ったような声をあげている電話口のライラとシリルくんの舌打ち。
ぜんぶ、薄壁一枚挟んだ向こうの世界みたいだった。
俺はついに、
ライラに愛想を尽かされたらしい。
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