第29話 世界のことわり

いまだに混乱から立ち直れない俺だったが、流石に転移魔法でブリテンに連れ戻されたあたりで正気に戻った。

支えてくれていたエリザベータの腕をそっと外し、ついてこようとする彼女に「席を外せ」と名を下す。


納得行かなそうに眉を寄せたエリザベータだったが、逆らうことはせずに胸に手を当てると踵を返した。

…後で問い詰めなければいけない。あいつと青竜様との関係はどうしてもはっきりさせないと。


去っていく背中を睨んでいたら、青竜様に腕を引かれた。


「急いで…パーシヴァルも待ってる」


青竜様の言葉で我に帰る。

あたりを見回して自分の立ち位置が…王宮内の正門前であることを悟る。


パーシヴァル様はどこにーーーそんなデニスの疑問を先回りしたように、青竜が「黒竜団の執務室にいるって」と教えてくれる。


すぐさま駆け出した俺の背中に張り付くようにして浮遊魔法で移動する青竜様。

正門の騎士たちはただならぬ様子の俺たちを見て慌てて並んでいた人たちの列を避けさせ、敬礼してくる。


…今理解した、青竜様は一応ブリテンの顔を立てて王宮の外に転移したのか。

デニスと一緒であれば正体不明の美女でも王宮内に問題なく出入りできる。

そんな、人間同士の小さなルールなど無視しそうなものなのに…物語を書くために人間の世界に興味があると言っていただけのことはあるな。


そんなことを考えているうちに、屋根の上をショートカットしながら進んだ甲斐もあってすぐに黒竜団のパーシヴァル様の執務室に到着した。

上から来ることなど予想済みだったのであろう。窓は開け放たれていた。


減速することなく窓枠へ滑り込んだデニスは空中で一回転して着地した。

紫と白の豪奢な家具で統一された室内にはパーシヴァルその人しかいなかった。後に続く青竜が浮遊魔法の金色を纏ったまま、絨毯の上に音もなく着地したのを確認するとパーシヴァルはすぐさま窓を閉め、難しい顔のまま遮音の結界を張っている。


立ち尽くすデニスに向けてパーシヴァルは無言でソファを指さした。

青竜はといえば、空中にベットでもあるように宙に浮かんだまま横向きになって肘を立てると頬に手を当てている。


パーシヴァルはデニスの向かいに腰掛けた。

そして、やや赤みを帯びた濃紫の瞳でデニスを射抜いた。


「電話で話した内容はお前とーーーなぜか一緒にいた様子の青竜様しか知らない」


「なぜか」のところでパーシヴァル様が皮肉めいた笑みを浮かべ、青竜様を一瞥した。青竜様は鼻歌でも歌い出しそうな笑みを浮かべ、俺たちを見下ろしている。


俺は、口を開こうとして…失敗した。

言葉にすると、ソレが本当になってしまう気がして。

モゴモゴと口を動かす俺をパーシヴァル様が無言で見つめてくる。

そして、何も言わないのを見ると再度口を開いた。


「ミシェーラの様子が昨日から変だった。ーーー悪夢を見たようで、朝起きてからずっと部屋に引きこもって泣いている様子だった」


はじめは仕事で嫌なことがあったのかと思ったらしい。

それでも、今日になっても姿を見せないミシェーラにパーシヴァルもおかしいと気づき始めたらしい。


「何かあったのか尋ねた俺に『誰にも話せない、絶対に』ーーー彼女は、そう言った」


俯いたパーシヴァル様の表情に影が落ちた。


「絶対に…ミシェーラちゃんが『絶対に』と言ったんですね」


信じたくなくてパーシヴァル様の言葉をアホみたいに繰り返す俺にパーシヴァル様が重々しく頷いた。

力が抜けて、ソファに項垂れるしかなかった。

何も言葉を発せなくなってしまっった俺たちに向けて、空中の青竜様がこの場にそぐわない明るい調子で言った。


「ちょっと二人だけでわかり合わないでよ。ミシェーラって子が『絶対に』って言うと何かまずいの?」


パーシヴァル様がすぐさま姿勢を正した。

いつもは怠惰なこの王子だが…青竜様の問いかけには即座に反応しているし、表情にもどこか緊張を滲ませている。

…青竜様が敵か味方かわからない、というのはパーシヴァル様と同意見みたいだな。


「ミシェーラは黒竜の儀において『先読みの巫女』の役割を与えられていました。ーーー我々は理解しているのです、彼女が『絶対におこる』と予言した出来事は全て、未来に起きてしまうのだとーーー」


「…なるほどね。その『予言者』の子が泣いていると…でもそれだけじゃジョシュアが死ぬとは限らないわよ?」


その通りだ、と俺は思った。

希望のかけらを見つけた気がしてパーシヴァル様を見つめた俺だったがーーー沈痛な面持ちで、パーシヴァル様は首を振った。


「彼女と以前話したことがありますーーー『先読みの巫女』の役割は終わったと。もしこの先黒竜からミシェーラに向けてメッセージが来るとしたら、『愛し子』の身に万が一のことが起こるときくらいであろう…と」


ミシェーラちゃんは「ジョシュア様より私の方が先に人生を終えるはずだから、もう予知夢は見ない」と笑っていたらしい。

つまり、そういうことだ。

みてしまったのだ。彼女が存命のうちに見るはずがないと思われていた予知夢を。


「彼女は自分がみた予知夢の内容を言える時期が定められています。…今はまだ我々には言えないのでしょう。でも、その『言えない』期間に最善の策を打つしかないーーー『少しでも未来をいい方向に導いてください」とミシェは泣いていた…そしてジョシュアは…」


「そうか…もう少し先かと思っていた」

ミシェーラが予知夢を見たと報告したときの、ジョシュア様の言葉である。

恐怖心も、絶望の色も浮かべずに…いつも通り凪いだ表情で目の前に書類に向けてペン先を動かし続けたらしい。


「『引き継ぎ資料を作っておこう』って…あっさりしすぎなんだよ…受け入れてんじゃねえよ」


言葉を失ったパーシヴァル様のことをジョシュア様は慈しむように撫でたらしい。「人は遅かれ早かれ死ぬんだ」と。


「ライラには言うな…彼女のまだ覚醒してない黒竜としての部分からの警告なのだろう。初代の愛し子を失った後の始祖竜は荒れるからな。ーーーあの子が知ったら、毎日泣き顔に揺れる青の魔素しか見られなくなる。パーシヴァルも隠し通せ」


愕然とするってこういう時に言うんだろう。

なんだよそれ…。


「俺ばっか、取り乱してて、逆に慰められた…あいつ、やっぱ壊れてるよ。恐怖心とかねえのかよ…」


パーシヴァル様が悔しげに拳を握っていた。言葉は粗く厳しいが…硬く強ばった表情が何よりも物語っている。最愛の兄が近いうちに死ぬかもしれない。その恐怖と戦っているのだ。

パーシヴァル様にとって、ジョシュア様は異母兄であり主人でもある。

本当だったらミシェーラちゃんと一緒に部屋に引きこもっていたいだろう。

それでも、足掻く。

しんどいだろうに、この国の王族は、どんな時でもつよい。


パーシヴァル様がこうやって気丈に振る舞ってるんだ。俺も、しっかり、しなきゃ。


背筋に力を入れて、深呼吸する。

脳内に赤の魔素を回せ。思考を研ぎ澄ませ。


一旦出来事を整理しよう。

パーシヴァル様はなぜ俺を呼び出した?


…ジョシュア様に言っても対策をとってくれそうになかったから。一番はこれだな。ライラは自分のことでまだ手いっぱいだ。一緒に対策を練るには彼女はまだ安定していなさすぎる。

それに、


「ライラはーーージョシュア様が死んだら、どうなっちゃうんでしょう」


思わずこぼれた問いにーーーパーシヴァル様は苦く笑った。


「さあ。ーーー虚無化で王宮まるごと消えるくらい起きてもおかしくはないんじゃない」


ありえるな、と思ってしまった。

だって、人間の時から今に至るまで、ライラの人生は黒魔法とジョシュア様でできている。

魔力を暴走させてーーーそのあと、多分、壊れるだろう。

絶望した彼女の顔が脳裏に浮かぶ。

数年目には何度も目にした。

ーーーやめてくれよ。ねえ、


「ーーーやっと、やっと、やっと幸せを見つけたライラからなんでまた奪うんですか」


あれ、声が震えてる。

手のひらに雫が落ちたことで、初めて自分が泣いていることに気がついた。


パーシヴァル様は俺には応えずーーー視線をつうっと引き上げた。

ずっと浮かんだままの青竜様に向けて「あの」と呼びかける。


「青竜様ーーー今、ジョシュアがいなくなってライラが暴走したら、この世界、持ちますか?」


パーシヴァル様は何を言い出したんだろう。

世界がもたない?


でも青竜様はしっかりとパーシヴァル様の言わんとすることを理解しているらしい。うんうんと頷いて、まるで生徒を褒める先生のような声色で「お前は賢いねえ」と笑った。


「多分10年もしないうちに魔素バランスが保たれなくなって魔力を持った人間が住める環境じゃなくなるよね。ーーー始祖竜のパワーバランスが悪いなあとは思ってたんだけど…そんな悠長な話じゃなかったんだなあ。怒ってるね、我らの邪竜様」


その後で告げられたのは俺にとっては衝撃の内容だった。


「この世界は魔素で成り立ってるよね?でさ、魔力を持った人間は生きるのに赤、青、黄、緑のどれかが必要なのね。それでこの四つは…生態系と一緒でどれか一つ消えてもダメなんだ。四つないとダメ。で、黄色竜が数十年前に死んだでしょ?で次代も出てこないし黄色の魔素が減る一方なとこで困ったなあってボクが頭を悩ませてたところで、赤竜まで次代を待たずにこの世界から消えた。まあでも赤は愛し子がいるから当分は大丈夫ーーー死にかけの白金竜には任せられないからボクが必死に黄色の魔素を世界に補充してるのに…黒竜が暴走?黄色の魔素全部消えるよ。よわっちい魔法使いたち、黄色から順番にドミノみたいに倒れてみんな死んじゃうよ」


はあ、とため息をつく青竜様。

あまりにスケールの大きな話についていけずに固まる俺。目の前には、「やっぱりか」などと首を振ってるパーシヴァル様。


なんでも、ジョシュア様もよく世界の魔素バランスを気にしているらしい。


「ライラがジョシュアにあんまりプロイセンに行くなって言ってたのも赤の魔素が減ってるから変に刺激しない方がいいって意味らしい。ーーー俺も詳しくないけど。…でも、なんでジョシュアが」


パーシヴァル様はたぶん答えを求めてなかった。

でも、意外にも青竜さまは「なぜ?」への答えを持っていた。


「言ったでしょ。邪竜様が怒ってるってーーー僕たち始祖竜は邪竜様の子供だからね。僕たちを軽んじて次々に寿命を全うさせずに死なせてく今の魔法使いは一回滅ぼそうって思ったんじゃない?ーーーそもそも、誰がジョシュアを殺せるっていうの?あんな常時黒魔法シールド展開してるような子を」


ーーーつまり、始祖竜様より偉い邪竜が…世界から始祖竜の加護をもらっている人間を消そうとしてる?


俺の考えは口からこぼれ出てたらしく、「正解」と青竜様が頷いてくれた。


ーーー部屋の空気が重くなった。

だって、無理だ。

青竜様の言う通りだ。

どこかで期待してた。魔石しか食べないから毒殺も無理だし、黒魔法で満たされすぎててろくに風邪もひかないあのジョシュア様が死ぬわけないって。

でも、始祖竜様ーーー邪竜様なら、話はべつだ。

ジョシュア様は人間だ。流石に始祖竜に狙われたら勝ち目はない。


黙り込んだ俺たちに向けてーーー青竜様が「ちょっと、まだボクの話終わってないんだけど」とむくれたような声を出した。

ノロノロと顔を上げる。


青竜様の深海のように飲み込まれそうな碧の瞳と視線が交わる。

青竜様はなぜか、俺を見て微笑んだ。


「ジョシュアを助ける手段はあると思う」


青竜様の言葉に、ずっと俯いていたパーシヴァル様が勢いよく顔を上げた。

視界が急に開けたような気持ちで、目の前の人間離れした青髪の美女を食い入るように見つめる俺たち。


青竜様が口を開いたとき、俺の中で頭の中にいつかのブランドン兄さんの言葉が再生された。

「お前には役目があるよ」


「予言は絶対なんだろう?ーーーでも、予言を出してるのは聞いてる限り黒竜だ。邪竜様が手を下すつもりなら黒竜に悟られるような甘いやり方なんて取らず、今この瞬間にでも人間の一人消し去れる」


確かに。ーーーでも、じゃあなんで?


「多分邪竜様に見られてるーーー始祖竜と今の人間たちが協力できるのか。…生かす価値があるのか。そもそも邪竜様はボクたち始祖竜から愛し子を奪うようなことはしたくないはずなんだ。抜け道はあるはずだしーーー実はボクにはもう予想はついてる」


青竜様はずっと俺の方を見ていた。

自然と背筋が伸びた。

「そのジョシュア様を助ける抜け道とは、なんでしょうか」ーーー俺がなんとか絞り出した声は、情けないほどに掠れてた。

青竜様はもったいつけるように笑った後にーーー


「デニス、お前の心臓をジョシュアに渡しなさい。心臓が止まってすぐに移せば、多分うまく行く」


すっごい残酷なことを言われてるなとか、

多分ってなんだよ、そこは絶対って言ってくれよとか。


頭に浮かんでシャボン玉みたいに消えていった言葉じゃなくて、俺の口から滑り出たのは、


「拝命いたしました」


俺の顔を見て絶句しているパーシヴァル様には悪いけどーーー多分、今俺は笑ってる。

だって、嬉しい。役割もなく、ライラに愛されることもない国王より弱い護衛騎士で終わるはずだった俺にこんな使命があったなんて。

ライラの笑顔を守るために死ねるなら本望だ。


幸福感でいっぱいになってる俺を見て愉快そうに喉を鳴らす青竜様にパーシヴァル様が噛み付いている。


「ーーーなんでデニスなんですか?俺じゃダメですか?兄弟の方が都合がいいとかーーー」


「だめだめ、パーシヴァルは一番だめだ。…黒魔法同士は反発するからね、ブリテン王族は絶対にだめ。だからといって弱すぎる魔法使いもだめ、ジョシュアのあの魔力量を動かせるエンジンになるのが心臓だからねーーーデニスもこのままじゃ使えないけど、ボクが確認した限りでは一番マシだ。ちょっと作り替えれば適合できるようになるよ」


ーーーちょっと、作り替える…?


不穏な言葉に固まる俺だったが、パーシヴァル様が突然掴みかかってきたので息が詰まった。

歯を食いしばって襟首をつけ見上げながらーーーパーシヴァル様が獣が唸るような声で「なんで笑ってる」と問いかけてきた。

…パーシヴァル様の人形みたいに端正な顔立ちを間近で見てたらわかった。この人泣くの我慢してるんだ。

優しいもんなあ。俺のために怒ってくれてるんだなあ。


「息苦しいから離してください」とパーシヴァル様の右手を軽く叩く。

放り投げるようにして話されたせいで若干涙目になりながらーーー俺は、なんて言えばいいかわからなくて頬をかいた。


「なんで笑ってるかって言うとですねーーー嬉しいから?」


俺の説明は短すぎたみたいでパーシヴァル様の険しい表情は一才晴れなかった。

うう、なんて言えば伝わるかな。


「ええと…当事者だったパーシヴァル様にこんなこと言うのあれですけど、俺、黒竜の儀のメンバーに選ばれなくて、本当に悔しかったんです。ーーーライラを生涯守るって剣に誓ったのに死にかけながらも頑張ってるあいつに、何もできない。俺は当日の儀式に参加もできない。自分の無力さに折れそうになれました」


パーシヴァル様がハッとしたように目を見開いた。


「俺は始祖竜に選ばれる価値がないんだって思うとやりきれなかった。ーーー世間の人が最年少騎士だ、天才剣士だって散々讃えてくれたけど…俺の物差しはあなたたち黒竜の儀のメンバーでした。次代の黒竜の復活を成し遂げたあなたたちと比べたらどうしたって自分が見劣りして、本当に嫌だった。でも、今日わかりました。ーーー赤の魔素しか持ってなくてよかった、黒竜の儀のメンバーじゃなくてよかった。だっておかげでライラにとっての最愛の人を救える」


納得してくれたのか、何も言わずに拳を握りしめたまま考え込んでしまったパーシヴァル様から視線を外し、俺は空中の青竜様に向き直る。

…なんかメモしてるな。


「いいね。デニス、物語映えするよ、次回作に使えそうな素敵な不幸さ加減だ」


「不幸な人間はいいねえ」と満面の笑みで言われて思わず後ずさりたくなった。ソファに座ってるんだけどな。


のけぞった俺に向けてーーー今度は近寄ってきた青竜様。

鼻先がぶつかるんじゃないかってくらい近くで止まって…俺の、ちょうど魔力の器があるあたりに右手をかざした。


凄まじい量の青の魔力が青竜様の右手に込められてて、俺はヒュッと喉を鳴らした。あ、殺されるって思った。


「じゃあ、作り替えようかーーー手始めに、魔力の器、壊すから」


ぐしゃり。

なにがおきたのか、まったく、わからなかった。


恐る恐る視線を下げてーーー自分の右腹に穴が空いてるのが見えてーーー


脳を突き刺すような痛みが全身を貫き、視界が真っ赤に染まった後で、俺の意識は谷底へ転がっていった。


「なにやってんだよ!!!おい!デニス!」


薄れていく視界で、パーシヴァル様が泣いているのが見えた気がした。

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