第32話 崩れるのは最も容易い

ライラとどうしても直接話しがしたい。

嘘だと言って欲しかった。

俺にはライラが必要で、ライラにもそうだと思ってた。

昨日の電話口の彼女の言葉を俺が聞き間違えたんだ。


「ーーー俺、ブリテンに帰らなきゃ」


明け方目覚めた俺は、点滴の針もそのままにベットから降りようとして、シリル君に肩を押さえつけられた。


「お前、今は動ける状態じゃないって自分が一番わかってんだろ!?」


押さえつける手が邪魔で、身体強化を使って振り払おうとした。

だけど、俺の魔力の器が壊れてるっていうのは本当らしく、全然いつもみたいに魔素が動かせない。


ーーーと、なったからって諦められる俺じゃない。

全然力が入らなかったけど、必死にシリルくんの腕を振り払おうと暴れたら、腹の傷が開いたみたいで鋭い痛みが全身を突き抜けた。

痛みで顔が歪んだけど、それでも抵抗を続けてたら「わかった、抑えないから暴れるな。お願いだから!」と懇願される。


肩の重みが消えたので、即座に立ち上がる。

歩き出そうとしたら今度は両手両足が痛い。


舌打ちしながら、右腕を見た。

ああ、そうだ、全身点滴で繋がれてるんだった。


赤の魔素が流れている半透明の管を見ながら「外したら動けなくなるだろうか」と思案していたら、不穏な気配を感じ取ったらしいシリルくんが点滴のチューブを銀の支柱から外してた。ついでに予備の点滴袋もつかんで亜空間に放り込んでいた。


もしかしてーーー


「ついてきてくれるの?」


シリルくんは心底いやそうな顔で、頷いた。

まだ何か言いたげだったけど、俺は今すぐブリテンへと帰りたかったのでさっさと窓の方へと歩き出す。


「どこ行く気だよ…なあ、デニス、ここは20階だ。今のお前は窓から降りたら死ぬぞ!」


ああ、そうだね。確かに身体強化使えないし。

ーーー頭ではわかってるのに、勝手に窓から飛び出そうとすると、「待って!だからどこ行くの!俺が連れてくから!」とまたもや右手を掴んで引き戻されてしまう。


「ブリテンに帰るんだ、ねえ、シリルくん、放して」


右手を振り払おうとしたら、シリルくんは「ブリテンだな、わかった」と言って自分から手を離してくれた。

着いてこい、と小声でドアを指さされる。


「転移魔法がいい。はやい」


ーーーそう抗議した俺に…シリル君は顔を歪めて「今のお前じゃ無理だ」と首を振る。


「重病人って自覚をもてよ。今のデニスは転移魔法の魔力に耐えられないんだよ。ーーー俺が持ってる赤のプレートに乗せて最高速度でブリテンに送ってやるから。文句あるか」


転移魔法に耐えられない?

俄かに信じられなくてーーーこの時の俺は動揺のあまり誰も信じられなくなってたーーー眉を顰めていたら、舌打ちして病院服の袖を掴まれた。


「ほら、肌に触れなきゃいいんだろ。ーーー行くぞ」


放して欲しい、一人でいけるーーーそんな俺の苦言を全部無視してシリル君は無言で病院の廊下を歩く。


シリル君の歩みが、俺が記憶するよりも随分と遅くて、もっと早く歩いてよと文句を言いたかったけど、ゆっくりと歩くシリル君の後ろを歩くだけでも息がすぐに上がってきて、ようやく察する。

シリル君は体力の戻っていない俺に合わせて歩みを遅くしているのだ。


息が上がる感覚なんて久々すぎて、不思議な感覚だ。

一瞬足をもつれさせたら、シリル君が泡を食ったような顔で振り返って肩を掴んでくる。


「悪い、歩くのはやかったな」


「ーーーいや、全然はやくない、むしろもっとはやく…」


息を切らしながら、必死に言葉を紡いだけど、シリル君は舌打ちしただけで聞く耳を持たなかった。


「俺に触られたくないかもしれないけど、緊急事態だから我慢しろ」


「俺がもっとデカければおぶえるのに、というか、身体強化使えないって不便すぎる」とぶつぶつこぼしながら、シリル君は俺の腕を自分の肩に回した。


…めちゃくちゃ口では文句を言ってるくせに、支えて歩いてくれるらしい。


ゆっくりと夜間ライトしか灯ってない薄暗い病院の廊下を進む。

三ヶ月寝込んでいたせいか体力が最弱レベルになっているらしい俺にとっては、一歩が遠い。

シリル君が「お前デカすぎて重い」と繰り返しながら、引きずるようにして俺を運んでいく。

時折すれ違う看護師がギョッとした顔をするのだが、シリル君の表情があまりに険しいせいか声をかけてくる者はいなかった。

エスカレーター式の魔道具で一階に降りると、照明の落とされたロビーに出た。

左手に見える受付カウンターらしき場所は無人だった。右手の少し開けた場所にはプロイセン語で表記された「病院内でのお願い」のポスターが貼られ、隅には背の高い観葉植物、待合室の患者用であろう赤い合皮の長椅子が六脚ほど並べられている。

シリル君がその皮椅子の一つへと俺を連れて行った。

「一回休んで」と低く小さな声が耳に届く。

返事を返すには息が上がりすぎてた俺は、シリル君の手で長椅子へと寝かされた。シリル君は手に持ってた点滴の袋を俺の頭のそばに置くと、近くの自販機へ足速に歩いて行った。

すぐに戻ってきたシリル君に水を手渡されたので、受け取る。ラベルの説明が全てプロイセン語で書かれている。

…そうか、ここはプロイセンなんだったな。看護師さんも俺にはブリテン語で話しかけてくれてたようだと今更気づく。

少しだけ体を起こしてボトルの蓋をひねっていたら、シリル君は今度は魔力通話を取り出していた。


コール音が三回鳴ったあとで、電話口から「どうかしましたか」と訝しむエリザベータの声がした。初めてエリザベータのプロイセン語を聞いた。


「ーーー今からブリテンに行ってくるから………あ゛?俺が止めなかったのでも?点滴引きちぎって一人で窓から飛び出そうとしたからやむを得ずだよ!いいからプレートを病院前に運んで、九時になったら主治医には説明しとけ!…………点滴の交換のタイミングは知ってるって、それで長くても半日で戻ればいいんだろ。時間が惜しいからもう切る、プレート頼んだ」


シリル君はプロイセン語だと若干ガラが悪くなるな…。

明らかに電話相手は何か言ってたけどシリル君は通話を強制終了したみたいだった。こちらへ向かってくる。俺も行こう。

水分補給もしたし、息も整ってきていたので、俺も重い体を叱咤して長椅子から立ち上がる。…点滴の袋は自分で持った。シリル君と電話口でキレてたエリザベータの言う通り、これがないと動けない気がしてきた。今でも満足に歩けねえし。


体を引きずるようにして歩き出した俺の横にシリル君が追いついてきた。


「エリザベータがプレートを正面玄関前につけてくれる。…十分はかかるから、焦らずゆっくり歩けばいい」


ーーーさっきの電話で、エリザベータにそんなことを頼んでいたのかと鈍った頭で考える。シリル君のブリテン語は少し幼い感じだ、なんてぼんやりと考えながらも言われた通りに歩調は緩めた。今度はすぐに息切れすることは無くなった。

すぐ近くを同じ速度で歩いていたシリル君は、なんとか自力で歩いている俺を見てほっとした顔になっている。

もうずっと俺の中には自分でも説明のしがたい焦燥感が募るばかりだ。ライラのとの通話を手放した瞬間から、しんしんと不安が積もって心が冷えていく。

だけど、今の俺の状態は相当にポンコツだ。体力は温存したほうがいいって自分に言い聞かせながら、今の俺の最高速度で正面玄関を目指す。

ロビーを抜け、ノンアルコールビールのラベルがやたらと目立つ売店を抜け、一般診療室を抜けーーーようやく見えてきた。

シリル君が歩調を早めた。

ドアの開閉のための魔力感知のボタンを押してくれる。緩慢な動きで近寄っていく俺に合わせるみたいにして、透明のドアがゆっくりと横にスライドした。


機械音をかき消すように、冬の突風が吹き付けてくる。

一歩外に出れば、旋風で髪が舞い上がった。冷気の鋭さに目を細める。

一瞬で体温が奪われた気がして、病院服一枚だった俺はすくみあがった。

身体を抱き込んで固まった俺にシリル君は気づくと、無言で自分のマントの首元の留め金に手をかけた。

そのまま両手でマントを持ったシリル君に「じゃがめ」と命令される。

寒すぎて何も考えられずに、とりあえず足を折って丸まった。

シリル君が黒のマントをふあっと広げたのが視界の端に写った。

次に、マントで背中と肩を覆われた。

自分のものではない赤の魔力が優しく俺を包み込んだのがわかった。


「ーーーこれ、暖かい」


かけられたマントの端を掴んでアホみたいな感想を漏らす俺を無視して、シリル君は自分もしゃがみこんでいる。

「貸せ」と両手に持っていたマントの端を取り上げられた。

俺の首元で金具を留め合わせてくれるシリル君。「それくらいならできるんだけどな」と思いながらも、赤の魔素で外気から守られた俺はようやく息をつけた。


玄関の軒下でしゃがみこんでいた俺たちだったが、遠くから魔力プレートのエンジン音と赤の閃光が近づいてくるのが見えた。多分エリザベータであろう。

片手を引っ張って俺を立ち上がらせた後、シリル君は亜空間に手を突っ込んで何かを探している。


「このマントをデニスにかけたの見たらあいつ絶対うるせえよ…防寒のついてる装備どれだっけ…」


ぶつぶつとプロイセン語で呟いている。

ーーー何気なく「なんでうるさいの?」ってプロイセン語で返したら、ギョッとした顔をされた。


「そ、そっか、お前話せるよな」


ヒヤー、って頷いたら何故かしょっぱい顔をされる。


「こいつの基本スペックの高さを忘れるな、俺より綺麗な上流階級っぽい発音にショックを受けてる場合じゃないんだ、はやくしないとーーー」


「あーーーー!シリル王いくらなんでもそのマントはまずいですよ!国王しかつけちゃダメってことになってるんだから!」


エリザベータが主張激しく滑り込んできた。

言い争っている二人に構わず、プレートに乗る。

いつも俺が使ってる座椅子があったので勝手に座った。相変わらず用意がいい副官だ。

背中を向けたまま未だにシリル君と「本当に連れて行く気なんですか!?」と激しく言い争っているエリザベータの裾を引く。全然力入んねえ。


「…まだ?」


「っっっ!…はい、行きましょう。可及的速やかに向かいましょう」


「…ほら!ほらあ!お前もじゃん!そうなるじゃん!」


二人は朝だと言うのに随分と元気だな…俺なんて歩いただけで眠くてしょうがないよ。

シリル君が運転席に座り、魔力を込めたことでようやく動き出したプレート。

俺の気持ちを汲んでくれているのか周りの景色が霞むほどのスピードが出ている。でもエリザベータがシールドを貼ってくれるので全く風は来ない。

結構無理言って飛び出してきたはずが謎のVIP待遇なんだよなあと思いつつ、あくびを噛み殺していると、シリル君が装備を投げて寄越してきた。

「病院服から着替えろ」だって、ありがたく受け取る。


病院服を脱ぎ捨てて、レザー(魔素の匂い的にたぶん赤飛竜製)のシャツとスラックスを身につける。俺の脱ぎ捨てた病院服を畳む…のかと思ったら、チャック付きの袋に入れた後で私物の空間魔法の鞄にしまおうとするエリザベータに「やめろ、しまうな変質者」と注意し、シャツのボタンを留めようとする白い指先を振り払ったりしてたので時間がかかった。いや、幼稚園児じゃないんだから魔法が使えなくても服は着れるっつーの。


「…この装備、防寒だけじゃなくて身体強化の補助機能もついてますね」


感心したようにエリザベータが呟いた。

確かに、暖かいだけじゃなくて動きやすくなったかもしれない。

腕を上下してみる。…さっきより軽い。

立ち上がってみる。…普通に立てる!

次は歩いてみよう、と一歩踏み出したところで背中を向けてるはずのシリル君から「体力は戻ってないからはしゃがない」と注意された。


「装備は体にあったな?エリザベータ、呼吸に異常は?」


「ないです。ないので赤竜のマントを外してください、デニス様。本物なんかよりずっと着こなしてて国王なんじゃないかと頭が主張してくるので脱いでください」


「ーーーおい、喧嘩売ってんだろお前」とシリル君が振り返ったが、エリザベータは俺のことを真顔で写真に収めている。撮りすぎだろ、と思ったけど口にはしない。エリザベータの行動がおかしいのは日常茶飯事だから俺も慣れてる。

フラッシュの光から顔を背けるようにしてマントを脱いだらーーー背中が冷たくなったせいか変なくしゃみが出た。


「「寒いんだな?(ですね?)」」


そんなことないと否定しながら運転席まで歩いて、シリル君に手渡したのにーーー受け取ったシリル君はエリザベータに目で合図をした。


「ーーーエリザベータ、手持ちにこのマントよりあったかい赤魔法の装備あるか」


「プロイセンの最高級の魔道具より高性能な手持ちなんてあるわけないでしょう」


重々しく頷いたシリル君が無言でエリザベータにマントを渡した。

え、と首を捻ってる間にエリザベータが素早く俺の背後に回り込んでもう一度マントを着せてくる。


「隠蔽魔法を使えばいい、そうだ、そうに決まってる」


「いつもは見れないのんびりとした動きのデニス様…守りたい、この生き物。じゃなくてですね、今のデニス様には赤魔法しか使えませんよ」


「ーーー赤魔法で隠蔽魔法をかければいい」


「え…え?そんなことできるんですか?」


「やったことないけどたぶんできる」と顎を撫でたシリル君。

疑わしそうに見上げるエリザベータに運転席を任せ、シリル君が俺の手を引く。

「座って休め」と真面目な顔で言われるので、促されるままソファに座った。

過保護全開のシリル君は仏頂面のまま、自分の下腹に手を当てた。

すぐに赤い魔素の光がシリル君の黒い服の上に漏れ出てきて…そこからはよくわかんなかった。赤魔法を練り上げているシリル君の動きが素早すぎたし細かすぎた。気づいたらシリル君の手の上には握り拳大の液球が浮いていた。球体の中では深紅の魔素が黒い瞬きをチラつかせながら渦巻いている。


「よし、できた」


シリル君に「目を瞑って」と言われた。

指示通りに瞼を閉じる。シリル君が低い声で「隠蔽魔法発動」と呟いた。

シリル君でも詠唱が必要な難易度の魔法なんだな、と気づいて、少し呆れる。


「ほんとーーー俺のこと甘やかしすぎ」


シリル君は「悪いか」と不満げに言った。たぶん口を曲げてるんじゃないかな。目を開けられないから予想でしかないけど。


赤の魔力でうっすらと包まれる感覚がして、続いて隠蔽魔法特有の麻酔にかかったみたいな見覚えのある感覚がやってくる。


「わあ、本当に赤の魔素で隠蔽魔法かかってる!さすがは天才魔術師!」


珍しく手放しにシリル君を褒めるエリザベータの声がする。

シリル君に「デニス、もうおわってるから目、開けていいよ」と少し笑いながら言われる。

恐る恐る顔を上げるとーーー全身が赤のベールで覆われてた。

透き通ったそれに恐る恐る触れてみる。

ーーー自然と笑みが溢れた。これやべえ。


「視界隠蔽だけじゃなくて魔力の隠蔽もつけたのかよ」


シリル君は当たり前だみたいな顔で頷いた。魔力でデニスってバレたら意味ないだろって。ーーー普通の魔法使いは、そもそもが最高なんどの隠蔽魔法をいじろうなんて思わないんだけど、そういうのこの人には関係なさそうだよな…。


俺とエリザベータの生ぬるい視線にシリル君がたじろぐ。


「な、なんだよ。隠蔽魔法が得意で悪いかよ。普段から使いまくってるから上達しちゃったんだよ!」


…口を開くと残念なんだよなあ。


「……デニス様、もうすぐ到着します」


エリザベータがいつもの弾むようなトーンで告げてきた。

もうすぐ、着くのか。


ふらふらとプレートの端へ寄っていく俺。

シリル君が慌てたようにマントの端を掴んでいる。


見下ろすと、ちょうど王宮の南に位置する第一プレート置き場が見えてきた。

おもちゃみたいなサイズのプレートが止まっているのが見える。まだ夜が明け手間もない時間だから夜勤の騎士のプレートかもしれない。


「ライラは…今、どこにいるのかな」


声に出して、そうだ事前に連絡しようと考えて、俺はようやく自分の魔力通話を持っていないことを思い出した。

誰が持っているのだろう。返してもらわなきゃな。


シリル君に魔力通話を借りようとしたら、すでにシリル君は耳元に端末を当てている。

時折「パーシヴァルは…」などとシリル君が呼びかけているので、電話の相手はパーシヴァル様らしいと察する。

そこは親友のジョシュア様じゃないんだな、と少し不思議に思いながらシリル君に「ライラのとこに行きたい」と訴えてみる。

わかってる、と言わんばかりに手を振られた。

わかってんなら今すぐ行こうと言いたいのを必死に我慢して待つ。眼下にはいよいよ王宮の中心部が見えてきていた。ーーーこのまま降りるには王宮を守るシールドが邪魔な気がするんだけど、なんでエリザベータはわざわざこんな上空の進路をとっているんだ?


「あー、デニス、ちょっといいか」


歯切れ悪くシリル君が俺の名前を呼んだ。

即座に、「あ、悪い話がくるな」と理解する。


黙って振り返った俺にシリル君は自身の魔力通話を差し出してきた。


「パーシヴァルと繋がってるーーーたぶん、俺の口から聞くより信用できるだろ」


自嘲気味の笑みを浮かべるシリル君から四角い端末を受け取った。

もう嫌な予感しかしない。

鼓動が徐々に早まっていくのを感じながらパーシヴァル様に向けて「もしもし」と呼びかけた。


『ーーーデニス、久しぶり。お前の声がもう一度聞けて本当によかった。…これから話す内容はサイアクなんだけどな』


「一番事態を客観的に説明できるから」という理由でシリルの連絡を受けたらしいパーシヴァル様。

「ほんとにサイアクの話だから心して聞けよ」と耳馴染みの良いアルトの声が告げて、俺は「はい」とどうにか口にした。


『まずーーーお前、デニス=ブライヤーズは黒竜様の護衛を解雇された』


え。


「え」


聞こえた言葉が信じられなくて、思わず電話口を耳から離した。

俺は、ドッキリかなんかにあってるのかな?


「デニス、聞いてるか?デニス?」と聞こえてくる電話口に向けて「聞き間違えたみたいなんでもう一度言ってくれませんか」と掠れた声で俺は話す。


パーシヴァル様は深い息をついたようだった。

数秒の沈黙の後で「何度でも言うよ」と。


「デニス=ブライヤーズは黒竜様の護衛騎士を解雇された。ついでに騎士団長でもなくなってる。ーーー世間的には騎士団長交代のほうが大騒ぎになってるんだけど…っておい、デニス聞いてるか?」


なんだか、顔が冷たくなったなと思って、手を当ててみて、気づいた。

俺、泣いてるわ。


壊れた水道みたいに止まらない涙を流し続ける俺をシリル君とエリザベータが少し離れたところから心配そうにみていた。

プレートは止まってるみたいだった。

こんな高度の高い場所、浮かせてるだけで魔力の消費が凄まじいのになんでって思ったけど、わかってきた。


ーーーたぶん、今の俺は王宮内に入っちゃまずいんだ。


パーシヴァル様は俺が泣いてるのに気づいてるだろうに、何も言わずに説明を続けた。


『ーーーデニスが青竜様の攻撃で倒れて、そのままブリテンの王宮に救急搬送されてきた。青竜様も殺す気はなかったみたいなんだけど「やりすぎちゃった」とか言うもんだからライラがキレて建物が半壊したーーーその話は置いておこう。デニスは血を失いすぎてたんだけどそこはシャロンが必死に処置をしたし、とにかく魔力が足りなかったのは赤の魔法使いが片っぱしから集めた。ジョシュアが在位後初めて『強制命令』を発令したんだぞ』


一月以上も生死を彷徨ってたと聞かされるが、今こうして目覚めているとあまり実感がわかない。「そうなんですか」と気の抜けた返事しかしない俺に向けても、パーシヴァル様は「もう、その返事の声が聞こえてくることさえ涙が出るレベルで嬉しいんだよ、俺は」などと言ってくれる。


『デニスの容態はお前のとこの副官が一番詳しいから省くな。ーーーで、問題の二週間前。青竜様から始祖竜と愛し子に呼びかけがあった…わかると思うけどジョシュア、シリルとライラと白金竜が集まったわけ。まあ、デニスのことがあったしみんな転移魔法を使えるしですぐに飛んで行ったわけだ』


そして、帰ってきたら、真っ白な顔色をしているジョシュアが告げたそうだ。


『ーーーデニス=ブライヤーズを王族側近、騎士団長職から外す。身柄はプロイセン預かりになった…これは、青竜様をはじめとする始祖竜様方の決定である、と』


何があってそんな結論が出たのかは俺にもわからない、とパーシヴァルは沈んだ声で告げた。


『ジョシュアとシリルを見ている限り、二人は話し合いの内容を言えないように誓約を結ばされてると思う。今もこうしてまどろっこしく俺が間に入ってるしな。ーーーなあ、デニス、勘違いするなよ?お前がどれだけブリテン王家に尽くしてくれたか、みんなわかってる。お前がいらないからこんな決定をしたんじゃない』


鍵は青竜様にあるし、ライラは納得していない気がする、とパーシヴァル様は続けてくれた。言葉を選んでくれたんだろうなってわかった。「気がする」なんて希望的観測普段は言わない人だもの。

ライラは俺がいなくなることに関してなんて言ったのかな。まさか、何も言わなかったのかな。


『話し合いの後ーーー青竜様の手でそれぞれの国に戻された。一番納得してなかったのはシリルだったみたいで、単身ブリテン王国に乗り込んできた』


俺のソファの傍に立つシリル君を思わず仰ぎ見た。

赤い瞳と視線がぶつかった。会話の内容が聞こえているらしいシリル君は「何もできなくてごめん」と顔をしかめた。

ーーージョシュア様に異議申し立てをしてくれたんなら、十分「何か」してくれてるよ…。


『ジョシュアはあの場で青竜様に賛同したのだからと決定を変えなかった。シリルは俺は賛成していないって何度も言ってた。一番デニスをプロイセンに欲しがってたはずなのに…すっかり立場が逆転してたな」


まあ、ジョシュア様は始祖竜様が言えば頷くだろうなあと考えていた俺にーーー最終宣告が告げられた。


『シリルが、反対したみたいでーーー他の出席者は、デニスをプロイセンに移すことに納得したらしい』


ひゅっと喉が鳴った。

今、シリル君だけが反対したのだとパーシヴァル様は言ったよな。

他の出席者なんてぼかした言い方をしてくれたがーーーもう誤魔化せない。

ライラは俺のプロイセン行きに反対しなかったのだ。やはり、昨日の電話で感じた違和感は当たっていたのだ。

昨日みたいに失神できたらよかったのにーーー残念ながら俺の脳は、もうこれが夢ではないとわかってしまっている。


『デニスがブリテンにいられないなら騎士団長にもして置けない。後任はーーーなんだっけ、お前のの兄貴になったみたいだよ』


ライラの専属護衛になるために騎士団長を引き受けたに等しい俺にとって、そっちの話はすごくどうでもいいことに聞こえた。

今の騎士団長は俺じゃないんだってあっさり受け止めたもの。

まあ、虚しさはあるけどな。

この数年間結構必死に働いたけど、辞めさせられるのは一瞬なんだなって。

後任は…上の兄ってことはジュリアンか。兄さんなら俺より上手くやりそうだ。


「ーーーそっか、騎士団の後任も決まってるならよかった」


変に明るい声が出て、パーシヴァル様が凍りついたのが電話越しでもわかった。

涙は止まっていた。心が石になっていくみたいで、なぜか俺の顔には笑みが浮かんできた。

ああ、まずい、この反応は明るすぎたみたいだ。


俺が「ライラは、今何してるの」と問いかけるとーーー「あいつは…」とパーシヴァル様の言葉に不自然な間が空いた。

「あいつは、なんか変わったよ」そう言うパーシヴァル様は泣きそうな声だった。


「変わったって?」


『急に強くなった。ーーー今いる場所から見えない?結界を支えてるの、ライラ一人の魔力だよ』


「それはよかったね、結界今見てるよ。この魔力量なら、俺がいなくてもライラは自分の身を守れるね」


ーーー失敗した、と思った。言うべきじゃなかった。

でも、わかんないんだよ。もう、自分が何を言ってるのかもさ。


パーシヴァル様はしばらく沈黙した後で、「大事なことは伝えたからシリルに代わって欲しい」と言った。

俺はすぐに端末をシリル君に差し出した。


大丈夫ですかと言いかけてやめてるエリザベータをわざと無視した。

大丈夫かって聞かれても困る。大丈夫って答えるつもりだけど、今の俺って全然たぶん大丈夫じゃない。


朝の光を反射してうっすらと黒く光る魔力のかべ。

ライラが作ったというそのシールドは、ジョシュア様が自ら貼っていた以前のものよりもさらに強化されているように見えた。

まあ、つまり、俺が三ヶ月寝ている間にライラはジョシュア様よりも上手にシールドを貼るようになったわけだ。


真下に見える建物に視線を滑らせていくとーーーケンジントン宮殿の最上階、東側の窓にひっきりなしに飛竜が訪れている部屋があった。


「エリザベーターーーあのあたりまでプレートを動かして」


指さした先に見えた光景から、エリザベータも同じことを思ったようで「この後に及んでまだあいつに構いますか」と顔を歪めた。


そんなこと言われても…自分の笑い顔に困り顔が足された気がする。

なんで笑えるんだろう俺。


「俺はそのために来たからさ」


話すことはできないだろうと思った。

ライラ自身が貼った魔力障壁がなかったら、きっとこの距離でも今の俺の体は彼女のプレッシャーに耐えられないのもわかった。


なかなか動こうとしないエリザベータに「最後かもしれないから一眼でもいいからみたい」と頼み込む。

余計に泣きそうな顔をされた。


「一途にも、限度ってものがあるんですよ…あなたの思いはちっともあいつの元まで届いてなくて、プロイセンに行くってことは今後も報われない可能性が高いんですよ?」


ーーーそう言いながらも、エリザベータはプレートを動かしてケンジントン宮殿の窓に一番近い場所まで移動してくれる。

俺は、必死に考えてた。

彼女に会えたらなんて言おうって。

だって、別れの挨拶をすることなんてないと思ってたから、すぐには浮かばない。

プレートが近づくにつれて、一匹、また一匹と窓から飛竜が離れていった。

最後の赤飛竜がどくと、窓際に頬杖をついていたライラが視線を上げた。


彼女は笑ってなかった。

泣いてもなかった。

俺をみて、一つだけ、瞬きをした。


彼女の瞳は表情より雄弁に感情を流すのだけど、ここまでやかましいことはなかなかない。万華鏡みたいにコロコロ色を変えているのは俺が現れたことによる彼女の動揺なのだろうか。


なんて言おうかって考えてたけどーーー意外と、すんなり言葉は生まれ落ちてきた。


「ーーー生まれてくれて、出会ってくれてありがとう。…元気でね」


崩れ落ちるように顔を覆ったライラのことを俺はもう慰めてあげられないけど、遠くから君を想い続けるよ。


再び涙は溢れてきたけどーーー不思議と、心は凪いでいた。

ああ、そうか俺はずっと苦しかったんだ。

ライラの横にいることは幸せで…同時に彼女の今の幸せを心から祝福してあげられない自分が嫌だった。

俺は諦めが悪すぎるから、自分から手を離すのなんて無理だった。

これまでに後悔はないけどーーー彼女と他のマスキラの幸せを応援するのは、しんどかった。


ライラが動揺したせいか、黒魔力の余波が飛んできて、俺たちは慌ててその場を離れることになった。

流れる涙をそのままに曇りがちな空を見上げていたら…俺よりも顔をぐしゃぐしゃにして泣いているエリザベータに手を取られた。


「デニス様、あなたならあいつ以外に誰だって選べます。だからあいつと別れるくらいで泣かないでください」


まゆがハの字になったのは仕方ない。

だってーーーエリザベータは何もわかってないんだから。


「ブリテンにいても、プロイセンにいても関係ない。俺が生涯愛するのはあの人だけだよ」


さあ、護衛騎士じゃないなら彼女をどうやって守ろうと既に考えてる俺は果たして片思いを終わらせられたと言えるのか。

…たぶん、俺の諦めの悪さは一生治らないんだろう。


「こいねがえば、叶うと思ったんだけどなあ」

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