【十四】

 朝もやの紗が木立のあいだを渡ってゆく。蝉の声も今はなく、すべてが蒼褪あおざめた沈黙の中に沈んでいる。下草を踏む音が、ぬさのように粛々と響き、静寂を際立たせている。

 そびえる霊峰――この国の神に最も近い、社の最北に建てられた殿舎の中。整然と並んだ幾千の鉢に、闇を染め抜く白が咲いている。

 せ返る花の香。

 歩みを止め、幽は後ろに続く少年を振り返った。

「この花は……」

 擦り切れた願いが紡ぐ、微かな笑みを浮かべて。

「元は、私が、たったひとりのために創り出した薬だった」

 壁一面に備えられた戸棚のひとつをひらく。氷砂糖に似た半透明の白い結晶――《ハクカ》が、整列する遮光瓶に収められている。慣れた手つきで、幽はそれを量り取った。

 幼さの残る幽の手が、ひとひらの薬包紙を少年に差し出す。おとなびた少年の手が、それを受け取る。幽に拾われたときは小さな子供だった彼の背は、今は幽を頭ひとつ分は追い越していた。幽の体は、少年だった頃のまま変わっていない。宮司に選ばれた日、ほどこされた術で、男の体でも女の体でもなくなってから、肉はつかず背も伸びなくなった。

 咲き誇る白い花。いつかの山の頂を、幽は思い出していた。かつて先代に手を引かれて上り、そしてまたみずからもそれを辿った道の先。《鎮めの巫女》を捧げる柱。頂を覆い尽くす白い骨――心の残骸。

「ありがとう、幽」

 少年は微笑む。骨のように白く。

『ありがとう、幽』

 いつか、この手で柱に結わえた少女が宛てた心と等しく。

「これで、やっと」

 ふたりのかみさまを葬ることができる。

「呪いを解くんだ」

 心という、永劫の呪いを。


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