【十二】

 夢をみた。記憶を再現してみせるだけの、いつもの夢とは違う。何も見えない真っ暗な闇の中、僕は上も下も分からず、浮かんでいた。

 ふっ、とかたわらで白い光が揺れて、僕は振り向いた。レイだった。自分の体すら見えない暗闇なのに、レイの姿だけは染め抜かれたように浮かび上がって見えた。僕を見つめて、微笑んでいる。

「レイ」

 呼ぶ。僕の声が闇にとける。くぐもった響き。まるで水の中にいるみたい。僕はレイに両手を伸ばす。

 白くて細い、レイの首に。

「リク」

 レイが僕を呼ぶ。微笑を崩さないまま、果てなく澄んだ空のように、透きとおった声で。

「俺は――」

 言いかけた喉を、僕は封じる。首にまわした両手に、力を込めて。

 ゆらり。

 影に沈んだ僕の両手から、橙色の炎が上がる。いつか僕の身を焼いた、火箸のささる囲炉裏の炎と同じ色。

 ずぶり。

 僕の指がレイの喉に食い込む。

 血は流れない。

 ただ、炎に触れた蝋のように。

 僕が触れたところから、レイの体が融けていく。

 どろどろと流れて、僕の両腕を伝っていく。

 崩れていく。

 落下する琥珀の輝き。僕を見つめる、光。


 レイの瞳に、さいごに映っていたのは――


 飛び起きると、世界は蒼かった。夜明け前の色だった。

 夜着は冷や汗に濡れそぼち、体にひたりと張りついている。足は竦み、肩は震えが止まらない。

(……夢……?)

 こわばった手を、おそるおそる持ち上げる。炎はない。

 口もとを覆い、荒く乱れた呼吸を抑える。

(レイは……?)

 そろそろと、視線を傍におとす。

 隣の布団で、レイは変わらず眠っていた。いつものように、僕のほうを向いて、軽く俯いて。穏やかな呼吸に、かすかに上下する肩。どこも融けていない。僕は安堵の息をつく。

(今の夢は……)

 伸ばしかけた手を、握り込む。

 レイに触れたい。

 僕に触れさせたくない。

 起きて目をあけて、綺麗な瞳で僕を見て。

 眠ったままでいて、醜く汚い僕を見ないで。

 ぎゅっと目をつむる。暗闇の中、相反する感情が浮かんでは消えていく。黒い水の中に泡を吐いて、ゆっくりと体から、空気を失っていくように。

「……リク……?」

 凛と澄んだ声が響いた。僕は、はっと目をあける。どろりとにごった黒い闇の水面に、静謐な朝の青が射す。

「どうし――」

 問いかけたレイの声は、半ばで途切れた。僕を見上げようとしたレイの瞳を、僕は夢中で両手で覆っていた。

 見ないで。

 みないで。

 僕を映さないで。


 夢の中で、レイの瞳に映っていた僕は、

 僕の父あのおとこと、同じ目をしていた。


「リク」

 僕の手に、レイは自分のそれを、ふわりと重ねた。僕より少し低い、レイの温度が、僕の熱を吸っていく。夢の光景を思い出し、びくりと肩が震えたけれど、僕の手はレイの体を融かしはしなかった。レイは、僕に触れたままでいた。僕が落ち着くまで、手を重ねていてくれた。

「……レイ」

 僕の声が、青にとける。清冽な水に満ちたように、冷たく澄んだ夜明け前の薄明かりの中で。

「きみは、もう、どこへだって行けるよ」

 薄々、きみも、気づいていたはず。

 この国に、神様なんて、いないって。

 《魂結》の術なんて、嘘だって。

――そうだろう? 幽。

 あなたは僕たちを騙してくれた。

 僕を生かすために、優しい嘘をついてくれた。

――でも、もう、それも終わりだ。

 こころの呪縛から、きみかみさまを解放するよ。

「術を施さなくても、きみは死なない」

 僕の血は、もう必要ない。

 きみの命に、僕はいらない。

「……どこへだって、行って良いなら……」

 レイは微笑む。僕に瞳を閉ざされたまま。

「行先に、おまえの隣を選んだって、良いだろ?」

 悪戯っぽく、あどけない声をつくって。

「置いていかないから」

 今までも、これからも。

「置いていくなよ」

 ずっと。

 レイの声が、僕の体にとけていく。やわらかな白い雪が、体温に触れて、透明な水へと姿を変えていくように。

「レイ」

 僕が求めてやまない言葉を。

「僕は……」

 どうしたって、この体を、肯定できなくて。

 この命を、嫌悪するばかりで。

「心は、呪いなんだ」

 けれど、それを解くことを、僕は僕に許せない。


 この心こそが、僕の罪で、

 ここから生まれるいたみこそが、僕の罰だから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る