【十】

 鳴り響く蝉の声に、遠雷のとどろきが混じりはじめていた。

 都の空はまだ青々と晴れ渡っているが、西の空は重々しい暗雲に塗り潰され、夕立の到来を予告している。

 徐々に水気を増していく風の中、徇は政宮まつりのみやおもむいた。《ハクカ》の大本を探る任務の経過報告だった。徇の部隊を含めて数隊が拝命していて、各隊を率いる隊長が徇に続いて並び、揃って頭を下げていた。ふすまが閉めきられ、蒸し暑さが充満する。

「まだ尻尾を掴めていないのか」

 壇上に座す年かさの大臣が、忌々いまいましげに扇を打った。

「売人が若い女だということは掴んだのですが……」

「私の捜査では、二人組の少年だと……」

「こちらは老婆でございました」

 隊長たちが、口々に自らの調べを述べた。きっと、どれも正しいのだろう。兄の協力者は、いったい、何人いるのか。なぜ、それほどまでに人間を集めることができたのか。

「どう思う? 徇」

 大臣が徇に視線を投げた。胸の内を探るように。

「これほど手を尽くしても、《ハクカ》の製造元に辿りつくことができぬのだ。これだけ蔓延させるためには、都の中か、あるいは、それほど遠くない場所に拠点を構えねば不可能なはずなのに、だ」

 心当たりはないか? 徇。

「……社を調べろと、おっしゃるのですか」

 徇の声が床に落ちる。隊長たちから、どよめきが上がった。

「そんな……下剋上だ……」

「社だぞ」

「聖域だ」

「ゆるされるはずがない」

「霊峰の怒りが下るぞ」

 ざわめきが飽和する。扇を大きく打ち鳴らし、大臣は彼らを黙らせた。

「おまえの兄は、当代の宮司であったな」

 大臣の目が、三日月のように細くなる。

「務めに反して嘘偽りをたてまつるのは、大罪だぞ? 徇」

 にやりと、大臣は口の端にいびつな笑みを浮かべた。

「……大臣様」

 頭を下げたまま、徇は床についた手を袖の中で握りしめた。額を汗が伝い、手の先に滴る。

「なぜ、それほどまでに、あの薬をお求めになるのですか」

「決まりきったことを申すな。この国のためだ」

 扇を広げ、大臣は背中を反らして徇を見下ろした。

「我々にあだなす不穏分子に、あの薬を服用させる。武装蜂起ほうきの気配がある村なら、村人全員に飲ませれば良い。いっそ、全ての国民に施しても良いくらいだ。民の余計な意志を封じ、この国を統べるのに、あれほど有用なものはなかろう」

 すべては、この国の平安のためだ。

「……それだけでは、ないでしょう」

 あなたの後ろには、軍部がある。

「この国の民から心を消滅させ……大量殺戮さつりくを可能にする兵器に変えるおつもりですね」

 隣国へ攻め込むのだ。

 死ぬ恐怖も殺す嫌悪も味わうことのない《空人》の兵士を使って。

「国は民のために在り、民は国のために在る」

 そうだろう? 徇。

 大臣は、ひらりと扇を振った。違う、と徇は胸の内で首を横に振る。叫びたかった。否定したかった。それができない自分に吐き気がした。

わしとて、できるなら事を荒立てたくはない。社の調べは、おまえに任せる」

 励んでくれるな? と大臣の言葉が放たれる。奥歯を噛みしめ、徇は肩を震わせた。頷けなかった。だが、拒むこともできなかった。

(そうか、これが……)

 瞼の裏が、じわりと熱くなる。悔しさが、涙になって滲んでくる。

(どれだけ願おうとも叶わず、憤っても、嘆いても、未来を動かすことができないのなら……)

 生きる世界に抗うことができないのなら。


 心など、なんのためにあるのだろう。


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