【六】

 社の木立の中を、幽は歩いていた。点在する燈籠とうろうは、今はもう灯されていない。月明かりだけが、頭上を覆う梢の影を、薄く足もとに散らしている。

 木々の先に佇む門にも、衛士の姿はない。守るべき巫女が、もういないからだ。今、門前に立っているのは、幽がみずから従えている者たち。彼らは幽の姿を認めると、ぴたりと揃った動作で道をあけた。無表情に塗り潰された顔を並べて。

 かつての《鎮めの巫女》の殿舎は、当代の役目を終えた今、立ち入りの一切を固く禁じている。

 重い殿舎の扉を、幽は、ゆっくりとひらいた。

 途端、闇に慣れた目に、まばゆい白が打ち広がる。

 広い殿舎を埋め尽くす、白い、しろい、花の群れ。

 幽の肩に届くほど草丈が高く、花弁だけでなく茎も、葉も、すべてが白い。陽に当てれば数刻のうちにしおれてしまうが、闇の中では急速に成長し、播種はしゅから僅か十日で結実する。

《ハクカ》の原材料となる、人工の花だ。

 作業をしていたひとりが立ち上がって、一礼した。続いて花の影から、何人もの人間が次々に顔を出し、最初の一人にならって頭を下げていく。先ほどの門番と同じく、誰ひとりとして、その面持ちに表情らしい色は浮かんでいない。

 彼らは皆、かつて《御霊送りの儀》を望み、社を訪れた者たちだ。幽は彼らの中から身寄りのない人間――縁者に遺体を返す必要のない者を選び、儀をほどこすことなく《空人》に変えた。彼らは幽の命じるままに、ここで《ハクカ》を作り、守りつづける。

(この者たちは私を恨むだろう。死ぬために社を訪れたのに、こうして死なずに使われているのだから)

 しかし、恨む心も、彼らはもう宿していない。

 感情の一切から解き放たれ、彼らは定められた〝日常〟を繰り返す。


――この国を、抜け殻の人間ばかりにするつもり?


 耳を掠めた幻聴は、紅葩の声か、それとも、白華の声か。

「……ずっと、平和で、いられます」

 かすかに笑みのかたちに目を細めて、闇に浮かぶ白い花を、幽は静かに見渡した。甘い香りが、幽の全身にまといつく。たおやかな腕を、優しく絡めるように。

「誰も争わず、傷つかず、穏やかに在れる」

 絶望の雨が止んで、

 怒りも、嘆きも、降り注がなくなれば、

 くるしみは芽吹かず、かなしみも咲かない。

 死の望みは実を結ばない。

 幽は夢想する。

 神様の生まれない、箱庭の国を。

「いつか、この手で……」

 願いひとつを糧にして。


 心が滅んだ、空人の国を。


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