【三】
雲ひとつない夏空の青は、目が
縁側に手桶と染料を並べて、僕はレイの髪を
白絹の髪に白磁の肌、そして琥珀の瞳――千人に一人いるかどうかと
だから、髪を染めて、色硝子の眼鏡をかけて、髪と瞳の色を隠さなければ、レイは真昼の都を歩けない。
「悪いな、いつも、手伝ってもらって」
「なんてことないよ」
レイは、僕以外には頼まない。
揃いの
屯所から山を下ること四半刻弱。蝉時雨が降り注ぐ木立を抜けると、社の境内に上がる大階段の中腹に出る。ちょうど昼時のせいか、人通りは
「リク」
透きとおったレイの声が、飽和する蝉の合唱を凛と打った。
雑音を
「どうしたの?」
階段の下から僕を見上げる、笑みのかたちに細められた目。帽子の
「なんでもないよ」
笑顔とともに返した僕の声は、蝉の声の嵐に、
階段を駆け下りて、レイに追いつく。肩を並べて、歩いていく。
今日も、レイは、僕の隣にいてくれる。
都の門は、東西南北に設けられた大門と、それぞれの間に設けられた小門がある。霊峰のおひざもと、社へと続く北の門が最も豪奢で格式高く、南に下るにつれて簡素で庶民的なものになる。
僕たちは、参拝者が多く利用する最寄りの北の門ではなく、行商人に
門の前では、大小様々な荷台を引いた商人が長く列をなしていた。大柄な門番が何人もいて、彼らの積み荷を
都の街路は碁盤の目のように整然としている。東西に走る大路を
四ノ条、三ノ通、下ル――僕たちの目的の店は、官立学校に程近い商店街の一角にあった。両開きの扉に、赤と黄色の色硝子が幾何学模様に
「それじゃ、これ、次の分ね」
人払いされた座敷で、僕たちは店主と向かい合って座った。畳の上で、レイが徐に包みを解く。桐の箱に、白い薬包紙が隙間なく詰められている。店主の目が丸くなった。
「毎度毎度、どこから仕入れてくるんだい?」
黒縁眼鏡をかけなおし、店主は身を乗り出して、しげしげと薬を眺めた。店主の年は、僕たちよりも二十ほど上らしいけれど、顔は年齢よりも随分と若く見える。
「それは詮索しない約束だよ」
僕は言う。そうだったね、と店主は肩をすくめた。
「君たちが何者なのかは知らないし、法に触れずに稼がせてもらえるなら、こっちとしては構わないが……これからも、これを欲しがる客が来たら、売り
刹那、レイの手が、ひらりと空を切った。
「そのことだけど」
レイの薄い唇が、笑みのかたちに弓をひく。
「勝手に値を吊り上げて売るのは、やめてもらえるかな」
みんなが気軽に買えなくなっちゃうじゃない。
「やくざじゃないんだ。勘違いしないで」
レイの切れ長の瞳が、三日月のように、すっと細くなる。額に玉の汗を滲ませて、店主は大きく何度も頷いた。
時々、協力者の中に、こういう、欲をかく人間が出てくる。人間の
だから、たとえば……せっかく昼の都に来たのだからと、帰りに寄り道をする余裕だってある。
「
「迷うけど、五ノ条かな。僕、あそこの黒蜜が好き」
からころと下駄を鳴らしながら、並んで通りを歩いていく。ちょうど講義が終わったところなのか、官立学校から続々と生徒たちが出てきて、僕たちは彼らの波に乗る格好になった。
「遠くから見れば、さ」
レイが小首をかたむけて、曖昧に笑う。
「俺たちも、こんなふうに見えるのかな」
通りを満たす、たわいない談笑。身内以外の死体なんて、生涯、目にすることはないだろう、僕たちと同い年くらいの少年たち。
「見えてほしい?」
僕は尋ねる。
「ううん。気持ち悪い」
細い首を揺らして、レイは答える。
ガタガタと、古びた車輪の音が、
「気づいた? リク」
工夫たちが行き過ぎても、レイは足を止めたままだった。再び流れはじめた学生たちの談笑が、ゆるやかに脇を過ぎていく。
「今の人たちのこと?」
訊き返した僕に、レイは小さく頷いた。
「あの人たち、多分……全員、《
痛みからも、苦しみからも、解放された人間たち。
僕たちがばらまいている薬の常習者。
「うん……増えてきたね」
それだけ、あの薬を必要とする人が、この都に……国に、溢れているということ。
僕たちの主が、数年かけて、広めてきたもの。
ささやかなよろこびを味わうために、たくさんのかなしみを噛みしめなければならないのなら。
さいごの安息を手に入れるために、それまでずっと苦しみぬかなければならないのなら。
いっそ、何も感じなくなったほうが、らくなんじゃないか。
そう、悟った心に、あの薬――《ハクカ》の需要はある。
《ハクカ》は、僕たちの主がつくりあげた特別な秘薬だ。普通の麻薬と違い、多幸感や幻覚を
「……ハクカって、さ」
ぽつり、と呟くレイの声が、足もとに張りつく影に落ちる。いつしか学生たちの波は引き、街路に残ったのは僕たちだけになっていた。
「どんな味がするのかな」
からん、とレイの下駄が涼やかな音を奏でて影を踏む。
「苦いらしいよ」
さらり、と僕は答える。味見したことはないけれど。
「そうなんだ。意外」
「意外?」
甘いとでも思っていたの?
尋ねた僕に、レイは微かに目を伏せて、ふるり、とゆるくかぶりを振った。
「ううん。俺が想像していたのは、塩味」
「塩味?」
「そう。涙の味」
からん。からん。下駄の音を連ねて、僕たちは歩いていく。
街路に並ぶ、いくつもの商店。笑顔を振りまく茶屋の店員。客に何度も頭を下げている呉服屋の主人。女将に怒鳴りつけられている奉公人の子供……この国という火にくべられる、名前も残らない無数の
(……僕たちも、いつかは……)
働くのに、心はいらない。
この国に消費される日々の中で、僕たちは、あとどれだけ自我を保っていられるのだろう。
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