【六】

 最後の夜の、夢をみた。

 満天の星空と、それを焼き焦がす、たくさんの火。

 私と紅葩が生まれたのは、都から遠く離れた寒村だった。社の方角――西の丘のふもとには、小さなほこらが建てられていて、毎朝の仕事始め、そして毎晩の仕事終わりには、必ず野花を供え、村人全員で祈りを捧げていた。

 都から書簡が届けられたのは、私たちが七つを迎える日の七日前の暮れ方だった。農具を置いて、いつものように祠へ向かおうとしていたとき、村長むらおさが血相を変えて私たちの家に駆けてきた。

 この国には、双子の巫女がいる。人々の罪やけがれをはらい、永遠の安息を与える《浄めの巫女》と、守り神のおわす霊峰に身を捧げ、この国に安寧をもたらす《鎮めの巫女》だ。十八のよわいを迎えたつごもりに、《鎮めの巫女》は山のいただきそびえる柱にくくりつけられ、守り神のにえとなる。ただし、十八を迎える前に《浄めの巫女》が没すれば、その月の末が《鎮めの巫女》を神に捧げる日となる。そして《浄めの巫女》が世を去ったのちに生まれた双子の女児の中で、最初に七つを迎えた双子が次の巫女に選ばれる。今までも、これからも、続いていく、続けられていく、この国を支える二つの柱だ。

 姉の私が《浄めの巫女》。妹の紅葩が《鎮めの巫女》。社の使いが迎えに上がるまで大事のないようにつとめよ、というのが、書簡の内容だったらしい。村の名は一気に知れ渡り、祝いの品として次々と絹や宝玉、黄金こがねの数々が届けられた。寂れて貧しかった村は、瞬く間に名実ともにうるおった。怪我のひとつでもあってはならないと、私たちは外出を禁じられ、父も母も、村中から下にも置かないもてなしを受けた。毎晩うたげもよおされ、村全体が沸き上がっていた。

 父は喜んでいたけれど、私も紅葩も実感が湧かず、ただ、村から遠く離れた都へ行って、父や母に会えなくなるのは、さみしいねと、手を結い合った。紅葩がいるから平気だよと、私は強がった。紅葩も頷いた。私と紅葩は生まれたときからずっと一緒で、離れ離れになるなんて、考えもしなかった。ただひとり、俯いていたのが、母だった。ひとかけらの笑顔もなかった。今思えば、高揚した村の中で、母ひとりだけが、私たちが負うことになる巫女の定めを正しく理解していたのだろう。

 母は、私たちを逃がそうとした。

 私たちが七つを迎える前の、最後の夜、母は私たちの手を引いて村を出た。梅雨は明けたばかりで、星明かりを頼りに進む私たちは、ぬかるみに何度も足を取られた。

「見て!」

 畦道あぜみちを抜け、村境むらざかいの丘を上がったところで、紅葩は空を指さして言った。泥のはねた頬で、無邪気に笑って。

「流れ星!」

 それは、紅葩が私たちのためにしてくれたことだった。

 私たちは足を止めていた。母は泣いていた。

 丘の下から、連珠のように並んだ光が、私たちを取り囲むように押し寄せていた。空を焦がすほどに赤々と燃やされた、村の人たちが掲げる松明たいまつの炎だった。

 繋ぎ合った手を引き離されるまで、私たちは眼下の炎から目を背け、ひたすらに星空を見上げていた。




「白華」

 呼ぶ声に、私は目をあけた。薄闇の中、見慣れた木組みの天井が広がっている。

「……幽……?」

「起こしてさしあげるべきか、迷ったのですが……」

 御簾みすを隔てて、幽が私を見下ろしている。紅葩のもとから戻ったばかりなのだろう。やわらかな夜露の匂いがする。

「うなされていた?」

「ええ、酷く」

 追加の薬を、と幽は尋ねた。大丈夫、と私は上体を起こし、首を横に振った。

「懐かしい記憶を、夢でみただけ」

 あの夜の翌朝、私たちは何事もなかったように社の使いに引き渡された。見送りにひしめく人々の中には、母の姿も、父の姿も、なかった。

「……あなたは」

 さら、と衣擦れの音が夜気を掠めて、御簾の向こうで幽がひざまずく気配がした。

「恨んでいますか?」

 幽の問いかけが、雫を一滴、落とすように、静寂を打つ。それは呼び水だった。私の中に、さざなみが立つ。それは瞬く間に大きなうねりになり、せきとめていたつつみを押し流した。

「……私は」

 幽を見つめる。御簾に遮られて、顔は見えない。けれど、きっと、いつものように、うれいにかげった瞳に私を映しているのだろう。

「巫女、なのに……巫女に、ならなきゃ、いけないのに……どうしたって、私、この国の人たちを愛せない……この国を、許せない」

 堰を切って、言葉はあふれた。きっと、あの夢をみたせいだ。こんなこと言うべきじゃない。そう思うのに、喉は声をきつづけた。唇は言葉をぎつづけた。幽へと、振りかざし、斬りつける、刃の科白せりふを。

「幽、あなたは……」

 弓弦ゆづるのように、私は震えた声を引き絞る。

「国のために、殺されることと、殺して生きつづけること、どちらがこわいと思う?」

 心を、放って。

「務めのことを知ったとき、私……紅葩じゃなくて良かったって、思ったの……生きられるほうで良かったって…………だから、きっと、ばちがあたったのね。だって、私、今……こんなにも、紅葩が、うらやましくて、たまらない……」

 生きることに縛られて。

 殺すために生かされて。

 生きていたいと、思えたなら。

 生きるために殺すなら、まだ、ましだった?

「教えて、幽……黄泉に逃げたいと思うのは、贅沢なこと? 紅葩は生きたがっているの? 生きたくても生きられないというのなら、私は……わたし、は…………っ」

 膝の上で、両手を握り込む。ぎゅっと目をつむり、滲む涙を抑え込む。

「白華」

 穏やかな、幽の声が降る。

「御簾を、上げても……?」

 さら、と衣が床を流れる。幽の影が御簾をくぐる。両手で何かを包んでいた。瞬きを数えた私の前で、幽は、そっと、手をほどく。

 ひとひらの光が、手の中から飛び立った。ほのかに灯る、みどりの光。懐かしい、光。

「……蛍……?」

 村を出て以来、初めて目に映す、夜の光だった。

「…………星みたい…………」

 私の声が、涙にとける。流れないように、ずっと、こらえて、抑えていたのに。

「白華」

 もういちど、幽が私を呼ぶ。閉ざされた暗闇に、優しく、真摯な、声が灯る。

「それが、あなたの望みなら」

 淡く、儚く、それでも輝く、蛍火のように。

「私は、この国を……巫女の定めを、変えてみせたい」

 幽の瞳が、私を見つめる。かげりを拭い去ったそれは、黒く澄みきり、夜空のように光を湛えていた。

「これは、私の意志です」

 だから、あなたのせいではない。

「罪も、咎も、すべて私が引き受けます」

 あなたの心をさいにする、この責さえも、私に。

 幽の言葉が、私の中に落ちていく。一言、ひとこと、私のうつおの体に、翠雨すいうのように降り注ぎ、うずめていた願いの種を芽吹かせていく。

「……紅葩は、生きられる?」

「はい」

 ですが……と幽は俯いた。言葉の続きを、私はすくう。

 ただひとつ、心を、飛び立たせて。

「そのために、私は私の命を使える?」

 差し出した言葉に、床についた幽の手が、かたく握りしめられていく。きつく、てのひらに、爪を立てて。

 それが、すべての、答えだった。

「幽」

 幽の手に、私は自分のそれを、ふわりと重ねた。温かい手。幽が顔を上げる。私は微笑む。心から、幽に宛てて。

「あなたの罪じゃない」

 愚かなことを、とさげすまれるだろうか。

 他に方法が、あっただろうか。

「あなたの咎じゃない」

 自分の意志で死ねたなら、それは、その瞬間まで、自分の意志で生きられたということ。

「あなたは、私の願いを、叶えてくれた」

 これは、復讐だろうか。それとも、賭けだろうか。

「ありがとう、幽」

 紅葩を、よろしく。



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