【一】

 都の西の外れには、うるし塗りの舞台を設けた広場がある。

 平時ならば、好んで訪れる者などいない寂れた一角だが、月に一度ほど、詰めかける人々の喧騒で飽和する日がある。ここで行われる儀式をひとめ見ようと集まってくるのだ。

 ひとだかりの中心にたたずむ舞台は、一辺が三丈ほどの方形で、雲ひとつない青天井の下、燦々さんさんと降り注ぐ光に濡れて黒々とつやめいている。

 しゃらん。おごそかな鈴のが人々の口をつぐませる。固唾かたずんで見つめる舞台の中央には、むしろの上にひざまずく一人の男。痩せた体に薄汚れた作務衣。手足を縛める縄は、舞台を支える四方の柱に結わえられ、男の身動きの一切を封じている。頭からかぶせられた布袋が、男の面持ちを覆い隠している。

 しゃらん。再び鈴の音が響き、舞台の袖から少女が一人、現れた。風になびく緋袴。結い上げた長い黒髪。照りつける初夏の陽射しの下で、真白の千早がまばゆく映える。年は今年で十六になるが、同じ年頃の少女たちと比べて体は小さく、細い。

 華奢な背筋を、すっと伸ばして、少女は舞台へと上がる。その手には一振りの、細身の太刀が握られている。男の横に立ち、少女は、ゆっくりと、それを抜いた。研ぎ澄まされた刃が鋭く光をはじく。男が何事かを叫んだ。布に遮られ、言葉を拾い上げることはできない。少女は静かにつるぎを構えた。眉ひとつ、動かすことなく。

 しゃらん。しゃらん。鈴の音が連なる。段々と大きく、数を増し、岩を叩く清流のように激しく打ち鳴らされていく。集束する視線。制される呼吸。やがて、ふっ、と吸い込まれるように、鈴が鳴り止む。打ちひらかれた無音。ひらめく光。少女の剣が風を奏でる。男の首がむしろの上に転がる。ほとばしる真紅の飛沫しぶき。広がる血溜まりが、黒漆の舞台をてらてらとうるおしていく。

 ひらり。剣を振り、少女は音もなく身をひるがえした。白い裸足はだしのつまさきが軽やかに床を蹴る。しなやかな黒髪が華奢な肩を流れる。紅に染まった剣を手に舞う少女は、返り血を一滴も浴びていない。

「いつものことながら、見事なものですね、くらき様」

 群衆から離れた広場の端、侍従が支える日除けの傘の下で、私の隣に立つ青年――あまねが、扇で口もとを隠しながら、私に向かってささやいた。身にまとう赤いほうから、微かに白檀びゃくだんの香りが立つ。

「さすが、我が兄上です」

 無邪気に笑顔を向けられて、私は小さく苦い息をついた。検非違使けびいしの一隊長を務める徇は私の腹違いの弟で、年は私と一つしか違わないが、私よりもずっと大柄で、精悍な顔つきをしている。知らない人間が見れば、小柄で線が細く、年齢に不相応な幼い体をもつ私のほうが弟に見えるだろう。

「私は儀式のすべを教えただけだ。完璧に身につけたのは彼女の力だ」

 徇とは目を合わさないまま、私は視線を舞台へと注いだ。とどこおりなくり行われてゆく《浄罪の儀》。此度こたびの罪人は、奉公先で金を盗んだあげく、見咎めた主人と女将を刺し殺して逃げた男だ。法に基づくさばきだ。なにひとつ間違っていない。今までも、これからも、続いていく、続けられていく、公正に保たれた正しいはかりだ。

 剣を水平に掲げ、少女はうやうやしく、北の果てにそびえる山に向かって一礼した。いただきに濃い霧をまとい、この国を悠然と見下ろす霊峰。

「幽様の教え方が素晴らしいのですよ」

 徇の声は明るい。夏空のように曇りひとつない瞳で、私を見つめる。私は、ただ、目を伏せる。

 しゃらん。再び奏でられる鈴の音が、儀式の終焉を告げる。少女が舞台をおりていく。群衆にも、いましがた手にかけた亡骸なきがらにも、一瞥いちべつもくれないまま。

「……浄めの……巫女……様…………」

 舞台の下、ある者は感嘆に唇を震わせて、ある者は畏怖に声を詰まらせて、小柄な少女の背中を見送る。私は身を包む黒い袍の影で、こぶしを固く握りしめていく。

 徇に別れを告げ、私は舞台の裏へと回った。待機していた輿こしが少女を迎える。私に気づいた少女が、ふっと顔を上げ、私を見た。硝子玉のように冷たく澄んだ黒い瞳。一切の表情を宿さないそれは、あまりにも正しく務めを果たしていた。

「……はく

 私は呼ぶ。正しく完璧な、巫女の器の名を。人々が決して呼ぶことのない、少女の命につけられた名を。


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