第36話 おまけ⑤ vsカミル

 ここじゃさすがにな。――そう言ったカミルに案内された先は、学校の運動場だった。


 授業後の校庭に生徒たちの姿はない。穏やかな風と、木の葉の舞う音だけが夕暮れの校庭に聞こえた。


「今なら邪魔は入らないだろう。さて、やるか。2人同時でも構わない」


 カミルの抜いたサーベルがオレンジの光を帯びて輝いた。実際に魔獣と戦う際に用いる真剣だ。もちろんそのまま刃を突き立てるつもりで使うのではない。それでも武器の放つプレッシャーは、ルークたちを身構えさせるのに十分なものだった。


「俺1人で行っていいか?」

「もちろん」


 ていうか手を出すわけないじゃん。ロイドはルークの隣から一歩をひいた。王の騎士団に挑むルークと、騎士団の団長カミル。とても自分が手を出せるレベルじゃない。


 そんな判断をした一方で、ロイドは単純に興味を持っていた。この戦いの結末に。


 カミルに分があるのはわかっている。それでも、ルークは何かをしでかすんじゃないか。根拠もなくそんな期待を抱いた。


 ――ココノちゃんが入団せずに村を出ていくことになった今、カミル団長が間違いなく村で最強の騎士。その団長相手に、今の君はどこまでやれる?


 静寂の中でルークがカミルと向かい合う。そして双方が構えたのを見届け、ロイドは静かに右手を振り上げた。


「始め!」


 先手……ルークの唇がそんな風に動くのと同時に、姿は残像へと変わっていた。そして


「必勝ッ!」


 続きを叫んだときには、ルークはもうカミルの懐に潜り込んでいた。最初から至近の距離ではあった。それでもルークの見せた動きは、文字通り目にもとまらぬ早業だった。


「これがお前の得意技、身体強化か」


 攻撃を捌いたのは紙一重でありながら、普段の調子でカミルは口を開いた。


「人間離れした速さだな。拳も固い」


 この間にももちろんルークの繰り出す拳の弾幕は続いている。カミルのお喋りは、その1つ1つを捌きながら行われた。


 人間離れしてるのはどっちだ。そんな風に思ったルークだったが、もちろん彼の方に無駄口を叩く余裕はない。


 全力を出し尽くしても足りない相手だ。


 小細工を弄(ろう)する暇はない。一気に畳み掛ける!


 カミルの目前に拳の壁が迫った。当たれば一撃で顔が潰れる威力だ。しかし、一撃たりとも攻撃は掠らなかった。避けたり受けたりは色々だが、とにかくダメージが入らない。決定打が得られない。


 防御ごと吹っ飛ばそうとしても、紙一重で打撃の芯をずらされる。


 スピードもパワーも俺が上のはず。なのにどうしてこうも決まらない。


 技術の差? 実戦経験の差? ルークの脳裏に焦りが生まれた、その刹那だった。大振りの拳を掻い潜ったカミルの刃が、ルークの首筋に当てられていた。


「――。参りました」


 ロイドの「勝負あり」のコールが届くのも待たず、ルークは握った拳を開いていた。


「だいたい8:2ってところか」


 ルークの首から刃を離すと、カミルは音もなくサーベルを鞘に収めた。


「俺とルークが10回勝負をしたら、今のお前が勝つのは1・2回だろうな」


 そんなに遠いのか……。カミルの言葉に悔しさを滲ませるルーク。


 そんな友の表情を覗きながら、充分じゃないかとロイドは思った。騎士団の上位陣でさえ、模擬戦でカミルから一本をとった姿はほとんど見たことがない。


「子供にしては上々だ。王国にたどり着くころには、もうちょいマシな結果にできるだろう。

 だがそれが簡単じゃない。外に出たら、俺よりやばい魔獣なんざゴロゴロいる」


「俺……どうしたらいいんでしょう」

「一朝一夕で結果を出そうとするな。お前は素質がある。いずれ強くなる。だから、それまでとにかく生き延びろ。


 1対1で戦わなくたってかまわない。時に逃げたってかまわない。外の世界じゃ、戦って倒すことだけが全てじゃない。それを忘れるな」




『――カミル=ロー隊長。本日を以て、君を騎士団の団長に任命する』

『最初の任務は、部下たち全員を村へ帰還させることだ』




 血しぶきの散る修羅場の最前線。前団長が命じた最後の任務がカミルの脳裏に甦った。


 命を守れという命令。前団長の命と引き換えに、それを達成した自分。


 耳に焼き付いた「さらばだ」の言葉。


 カミルは胸に込み上げる痛みを噛み殺しながら、短い言葉に伝えたいことの全てを押し込んだ。


「団長……」


 カミルが何を思って旅立つ少年と向かい合っていたのか。ルークとロイドにはわかった気がした。


 王の騎士を目指すとなれば、次に戻るのは何年先になるかわからない。二度と戻ることはないかもしれない。


 それでも。たとえ村を出て行こうとも、ルークは村で育った子供だ。だから村の騎士団の団長として。未来を託された者の一人として、背中を押さずにはいられなかった。


「ありがとうございました。カミル団長」

「王の騎士団に入団できたら、便りの一つはよこせ。お前の帰りを待つ連中は少なくない」

「はい。必ず」


 ルークが敬礼をすると、カミルは踵を返した。去り際に見えた横顔は、少し嬉しそうに見えた。


「やっぱ団長はかっこいいねえ」

「ああ。知ってはいたけど超強かったしな」

「いやいや、ルークも負けてはいなかったぞ。お姉ちゃんはつい見入ってしまった」


 お姉ちゃん? ルークとロイドの声が重なった。


 振り向くと、微笑みをたたえたカレットが小さく手をたたいていた。


「――姉ちゃん。いたなら近くにこればよかったのに」

「いや、男同士の勝負に水を差すのもどうかと思ってな。覗いちゃダメ覗いちゃダメと自分に言い聞かせていたんだ。しかしルークの攻勢には心が躍ったぞ」


 しゅ、しゅと拳を突き出すカレット。「結局ガマンできずに見たんですね」とロイドは半笑いで突っ込んだ。だろうなとは思っていた。カレットが映像を記録する魔法の使い手なら、彼女はルークの活躍を収めて繰り返し視聴するタイプの人間だ。最悪、ご近所さんを招いて上映会を開く可能性すらある。


「ルークのスピードにはまた磨きがかかっていた。カミル団長だから捌かれてしまったが、私が相手なら懐に入られた時点で打つ手はなかっただろう」

「それなら懐に入られないようにするのが姉ちゃんだろ」


 苦笑いを浮かべながらも「けど確かに」とルークは右の拳を見つめた。


「確かに俺の初手。懐に入るまでの攻めは自分でも会心の動きだった。振りかぶったときにはさすがに決まったと思った。

 なのに刀身で受け流された。わずかの距離だけど……俺には団長が瞬間移動したように見えた。団長はあんな魔法まで使えたのか」


 ロイドから見てどうだった? 少し距離を置いて戦いを見ていたロイドに問うと、「団長はルークの拳にあわせて身体を倒していた……」と言葉を探すように口を開いた。


「いや、倒すというより傾けた? 上体を傾けたと同時に、団長の立ち位置が変わっていた。

 ルークの攻撃は、繰り出した時点では確かに団長を捉えていた。けど団長はあの動きでガードの隙間を作ったり、攻撃の芯を外したりしていた」

「うん。さすが、いい目をしているな。ロイド」


 生徒の成長が嬉しかったのか、カレットはにっこりと目を細めた。


「あれはスウェイという技術だ。身体の重心を倒して移動をする。性質上後方180度にしか移動できないが、とにかくモーションが小さくて速い。目の前に立つと急に姿が消えたと思うだろう。魔法のように感じたルークの気持ちはわかる」

 カレットの説明にルークは目を丸くした。あれが魔法じゃなくて技術? 


「驚いたな……。けど技術なら、俺にもできるようになるかな」

「――今はまだわからないけど」


 さっきまでルークに太鼓判を押してばかりのカレットだったが、ここは言葉を濁した。


 スウェイは精密な重心調整を用いた高速の移動術。高い格闘センスをもつカミルでさえ、習得できたのは20歳を過ぎた頃だった。


 村で扱えるのはカミルとココノの2人だけだ。カレットでさえ再現することはできない。


 しかし、もし村で3人目の習得者が出るとすれば。それは自分ではなくルークだと思った。だからカレットは


「いずれは、できるようになるだろうな」


 希望を込めて、未来のことを口にした。


「そう思わせるくらい、今日のルークは輝いていた。それにかっこよかった。私は惚れ直してしまったぞ」

「ほ、惚れ直したって姉ちゃん」

「――おーい、2人とも。僕もいますよー」


 ほんのり甘い空気を醸し出す2人に、ロイドは自分の存在を主張した。


「特訓ならお姉ちゃんも付き合うから。あ、つ、付き合うというのはだな。別にそういう意味じゃないんだぞ。だがルークがいいと言うのなら、私はいつでも……」

「聞いてますかー」


 ダメだ聞いちゃいねえ。ふだん真面目なカレット先生も、ルークの前だとこんなになっちゃうのか。


 この2人これから一緒に旅に出るんだよね。大丈夫なんだろうか。いろんな意味で。主にエロい意味で。


 ロイドはちょっと羨ましい気もしたが、そこで大事なことを思い出した。


 旅にはココノもいることを。


 大丈夫なんだろうかマジで……。さっきまでの羨ましさはどこへやら。ガッツリ顔を覗かせている修羅場の影に、ロイドは秋風とは別の肌寒さを感じた。

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