第34話 おまけ③ 別れ支度

「やっぱり……何か違うよな」


 いつものランニングメニューをこなしながら、ルークは頭を抱えていた。


 ひとまず始めた体力作り。おかげで40kmほどは毎日でも走れるようになった。だがそれで自分に足りないものを埋められた手ごたえがなかった。むしろ順調にマラソンランナーへと近づいている気がする。


 ココノはあれから毎日ココと生活しているようで、昨日は2人して手作り弁当をルークの家に持ってきた。どちらが「あーん」をするかで口論をしていたが、ずいぶん長く揉めていたので、召喚を長持ちさせるという修業は順調なのが感じられた。


 そりゃ旅には体力だって大事だけど、それだけじゃなぁ。


 村の中央広場。ルークはストレッチをしながら、村の守り神と呼ばれる大岩を見上げた。


 “避獣石”という名の鉱石だ。


 ――この世界は、魔獣と人類の領域に分かれている。避獣石の周囲が人類の領域、それ以外はすべて魔獣の領域だ。


 避獣石は魔獣の忌避するエネルギーを放っている。先日の訓練で蛙がルークたちを村まで追わなかったのもそのせいだ。


 避獣石の周辺にのみ、人類は生きることを許される。ルークたちの言う“旅”とは、簡単に言えば大陸に点在する避獣石を渡り歩いて進むことだ。


 魔獣の領域を抜けなければならない以上、もちろん持久力だって無駄にはならない。


 しかし、ただ体力があればいいかって言えばそれも違う気がした。


「ルーク。こんなところにいたのか」


 腕を組んで唸るルークに届いたのは、カレットの明るい声だった。


「あ、姉ちゃん。なんか久しぶりだな」

「ルークがぜんぜん学校に顔を出さないからだろう」


 カレットは騎士と教師の仕事を兼任している。村を発つにあたって学校の仕事を引き継いでいたのだが、ルークが一向に登校しないので探しに来たのだという。


「もしかして……不登校? 何か悩みがあるのならお姉ちゃんが相談に乗るんだ」


 毎朝40kmも走るほどアクティブな不登校児はいない。


 ルークは「マヤ先生から自由登校でいいって聞いたからさ」と返した。


「10日後に大冒険が始まるんだ。なんか学校に行ってる場合じゃない気もして」

「大冒険か。ルークらしいな。なんだか胸が躍る響きだ」

「楽しそうだな、姉ちゃん」

「え、ルークは楽しみじゃないのか」


 しゅんとするカレットに「違う違う」と首をふるルーク。


「そりゃ楽しみだよ。ずっと夢に見ていた、外の世界への挑戦が始まるんだ。

 けど冒険の成否にはココノの右手が賭かってる。そう思うと、変に身構えてしまう自分がいる」


 らしくないなと思うけど。その言葉は飲み込んだはずだが、カレットは「ルークらしくもないな」と口を尖らせた。


「確かにココノの治療は最も優先すべき目的の一つだ。けれどルークの目的はそれだけではなかったはずじゃないか。

 冒険の先には、小さなころから抱いてきた夢の実現が待っている。

 “王の騎士団”に入団するのだろう?」


 ――それは物心がついたころから抱いていた、少年の野望だった。


 この大陸の中央にはひとつの王国がある。その王国を拠点とし、魔獣と戦いながら世界を回っている者たちがいる。それが、王の騎士団と呼ばれる集団だ。


 人類は避獣石の外で生きることはできない。教科書にも書かれている、この世界の常識だ。


 だが王の騎士団という化け物じみた戦力をもつ連中は、世界の常識に抗う存在だった。魔獣の脅威に晒された人々を救って歩き、大陸にはじめての“地図”を作った。


 その地図は、ルークに世界が広いことを教えてくれた。


 その地図を見た日に、いつか王の騎士団に入って外の世界に羽ばたこうと決めた。


「夢がようやく手を伸ばせるところまでやってきたんだ。この日を目指してがんばってきたルークの姿を、私はずっとそばで見てきた。

 だから……もう少し嬉しそうな顔を見せてもバチは当たらないと思うんだ」

「それはそうなんだろうけど」


 自分でもうまく言葉が見つけられないのか、ルークはたどたとしく言葉をつないだ。


「ひとまず俺たちは王国を目指す……ことになるのは変わらないよな。そこで優秀な医者だったり、ココノの傷を癒せる魔法の使い手に出会えたら、そのまま王の騎士団への入団試験を受けたらいい。

 けど王国で手の件が解決しなかったら、その先のことを考えなくちゃ」

「――ありがとう。妹に代わって礼を言う」


 躊躇いもなく夢よりもココノのことを案じたルークに、カレットは心をこめて頭を下げた。


「ただし、ルーク。もしココノの手がすぐに治せなくても、ルークは騎士団の試験を受けたらいい。もちろん私達姉妹も受ける」

「え?」


「気を遣っているわけではないぞ。その方が都合のいいことも多いのだ。


 もし王国で解決をしなければ、また新しい手段を探して旅立つことになる。そうなれば、王国への旅路以上に未知の世界へ挑むことになるだろう。


 たった3人ですべてを何とかできるほど、この世界は簡単じゃない。だとすれば、私達は王の騎士団として任務に随行し、その過程で方法を探していく方がずっと安全なはずだ」


 そう言って人差し指を立てるカレットに、ルークは目をしばたかせた。目から鱗というか、都合が良すぎてすぐに理屈が飲み込めなかったという具合だ。


 俺が夢を追うことがココノを助けることにつながるって? 


 確かに手段であれ魔法であれ、何かを探すのは王の騎士団の本領だ。組織に蓄積された経験や知識も、きっと役立つ時が来るだろう。


「なんか俺、都合よく解釈してないかな」


「解釈しているのは私だぞ? それにココノもだ。片腕しか使えない状態でなおも、王の騎士団に入団する気でいる。私たちこそあの子に置いて行かれるわけにはいかないな」

「そうか……そっか」


 姉ちゃんとココノはとっくに覚悟を固めていたのか。


 姉妹の想いが飲み込めたとき、ルークは思わず笑っていた。


「もともとそうだったはずだけど、本格的に二兎を追う形になりそうだな」

「不安か?」

「やる気出た」


 目標が2つになればやる気も倍になる。ルークの思考は単純だった。久しぶりに見た曇りのない表情に、カレットもまた優しく微笑んだ。


「心配事もなくなったことだし、不登校も終わりにするかな」


 思えば次の旅は決して短いものにならない。しばらく戻らないのなら、それなりの別れ支度をして出るべきだ。


 こんなことを今になって思うほど俺は余裕がなかったのか。それを見抜いてくれたカレットはやはり先生であり、姉ちゃんなんだなとルークは思った。


「王の騎士団には入団試験がある。辺境の村から受験する者の一次試験は“無事に王国へとたどり着くこと”。そう明記されている。

 無事を担保するのに、いちばん大切なことはなんだと思う? ルーク」

「平常心だ。いつも通りに勝る自分はない」


「うん、よくできました。

 で、ではそんな優秀な生徒にはだな……ご褒美をあげなくては」


 はい?

 予期していなかった流れに、ルークの喉から素っ頓狂な声が飛び出した。


 見ればカレットの手に小さな包みが握られている。これは、お弁当?


「たまたま昼食を作りすぎてしまったんだ。偶然にもお昼時だろう? 奇遇にも出会えたことだし、学校に戻って一緒に食べようではないか」

「たまたまとか偶然とか多いな」

「わ、私が食べさせてあげるからな」

「ちょ!」


 わざわざ学校に戻ってそれをやるんかい!


「それはさすがに恥ずかしすぎるだろ! 姉ちゃんは学校じゃ先生。俺は生徒!」

「先生と生徒……なんだかいけない響きだ」


 にわかに顔を赤らめるカレット。ダメだ聞いちゃいねえ。


「――ココノもルークに弁当を作ってきたのだろう? 『今日はねえ。ココと一緒にお兄ちゃんにお弁当食べさせてきちゃった。一度に2人であーんしたから、きっと2倍の効果があるよね』って言っていたぞ。


 妹が手作り弁当をしているのに姉がやらないわけにはいかない」


「なんすかその理屈」


 ていうか偶然作りすぎた設定はどこに行った。


 ひとしきり言い合った末に、結局はこの場で弁当を食べることに落ち着いた。


 だがここは村の中央広場。あーんという名の公開処刑は、道行く人々に生温かい目で見守られつつ執行された。

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