リヴェール姉妹と少年の旅路 おまけシナリオ
第32話 おまけ① 遠足
旅路の鞄はつい膨らみがちになるが、それにしても少年の荷物はひと味違った。
「弁当に水筒、これは小腹がすいたときのおやつ。こっちのポケットには風邪薬とかの常備薬。でもって、これは暇つぶしのための本」
「――百歩譲って、そのあたりまではいいとしよう。しかしルーク。これはいったい」
スイカが2~3個は入りそうなタンクが、ちゃぷんと音を立てる。腕を震わせながら持ち上げる少女に、ルーク少年は嬉々として語った。
「それは非常用の水だ。いざという時に一番大事なのは飲み水だって言うだろ。これがあれば、遭難したって大丈夫。転ばぬ先の杖ってやつだな」
「杖が重すぎて転んでしまいそうだ……」
もう限界……! そう呟いて、タンクを持ち上げていた少女――カレットは大きく息を吐いた。
地面に手放されたタンク。その周りをルークの荷物たちが取り囲んでいる。炊飯器具やら図鑑、狩猟道具のようなものまで並んでいた。日帰り遠足の荷物とは思えない充実ぶりだ。
「村から30分の森に行く遠足なのにね。あれ、もしかしてお兄ちゃん。わたしと駆け落ちするつもりだったとか?」
そんなことを言いながら、サバイバル用品の数々を眺めていたカレットの妹――ココノはルークに腕をからませた。
「だってほら、あれ寝袋でしょ? ちょっと狭いけど、くっつけば2人で寝られるよね。やだなあ、お兄ちゃん。そういうつもりなら言ってくれればいいのに」
ひとさし指でルークの胸をなぞるココノ。「な……!」そんな妹の攻勢に待ったをかけるかのように、姉のカレットは寝袋を取り上げた。
「く、訓練の遠足で不埒な発言は控えるんだ! いや、訓練じゃなくてもお姉ちゃんは許さないぞ!」
「あれえ、お姉ちゃんやきもち? そっか。お姉ちゃんじゃ1人用の寝袋に2人で寝るなんて無理だもんね。わたし、小柄でよかったあ」
「なんだと!? 私だって服を脱げばなんとか」
「2人ともストップ」
カレットが衣服のボタンに指をかけたあたりで、おいてきぼりだった少年から静止がかかる。「真面目な話だけど」ルークは眉間に皺を寄せながら、10kgのタンクを持ち上げた。
「俺はふざけて荷物を選んできたわけじゃないぞ。姉ちゃんの言うように、今日は“訓練”の遠足だって聞かされた。
“本番”の遠足はもう2週間後に迫っている。ここで命を落とすわけにはいかないだろ」
命を落とす。遠足の最中にはおよそ耳にしない言葉だが、姉妹は黙って頷いた。事実、3人がいるのはそういう場所だった。
人間の住む村の外。魔獣の住まう領域。
ここには大袈裟なんて言葉は存在しない。文字通り何が起きたって不思議ではない世界に、足を踏み入れているのだ。
「2人に何かあったら嫌だからな、俺。
それでも……これは正直びびり過ぎたかなって思うけど」
言い終わって周りが目に入ったのか、気恥ずかしそうに荷物をまとめはじめるルーク。
何かあったら嫌だから。
彼の言葉を振り返りながら、ココノは自分の手に視線を落とした。包帯の巻かれた右手首。苦い思い出が甦った。
「そっか。そうだったね。油断大敵、油断大敵。
――実際、近くに来てるかもだし」
ココノの呟きに、鞄の口を縛るルークの手が止まる。カレットは黙ってレイピアを抜くと、焚いていた炎を振り消した。
清流のせせらぎに混じって聞こえる虫の声。それらが一斉に止まったとき、3人の中で予感は確信へと変わった。
敵意のある魔力がこちらに迫っている。
「隊列を組む」
そう言うと、カレットは静かに2人の前に立った。
「ココノは“分身”とともに、村へのルート取りを。私は“炎”で、敵の接近を妨害する。ルークは索敵をしながら私の援護を」
言い終わるよりも先に、手にした剣には炎が灯っていた。カレットは自分の魔力を炎に換えることができる。それが彼女の魔法。
この世界で、人類が魔獣に対抗しうる唯一の手段だ。
「じゃあ、わたし“たち”は先に行くね」
そう話すココノの隣では、金髪碧眼の小さな少女が靴の爪先を叩いていた。姿形から服装までココノと瓜二つ。自分をもう1人生み出す分身の魔法だ。3人の間では“ココ”と呼んでいる。
ココはルークにウインクすると、吐息のかかる距離で囁いた。
「では、お兄さん。2人きり時間はのちほど」
雰囲気はちょっと違うが、嗜好も瓜二つの仕様である。
「こらココ! 急いでる空気なの分かるでしょ!?」
「なーに、焦っちゃって。余裕のない女は面倒がられるよ? ココノ」
「余裕があるときだったらわざわざ呼ばないよ! ていうか2人っきりにさせるとでも……」
口げんかをしながらだが、2人の姿は猛スピードで遠ざかって行った。あっという間に声も聞こえなくなる。
ふざけているみたいなのにあの身のこなし。つくづく神様は不公平だとルークは思った。
っと。俺も追わないと。
鞄を背負い直して一歩を踏み出す。瞬間、肩に凄まじい圧力がかかった。行きの道すがらで重いのは承知していた。だが走ると尚更重く感じる。
どうする? 置いていくか? けど、もしこれが本番だったら。例えば重要な荷物を運ぶ局面だったら。例えば、負傷した誰かを運ぶ局面だったら?
場面が脳裏に浮かんだ時、ルークの脚に力がこもった。
捨てずに逃げ切ってみせる。
覚悟を決めて森を駆け抜ける。木々の密集がまばらになったころ、姿を見せたのは蛙(カエル)の魔獣だった。
もちろん魔獣という以上、ただの蛙とは違う。
まずは大きさ。体長2m。人間を丸呑みするには十分なサイズ。加えて敵は――ルークたちと同じで“魔法”を使う。
「表皮に見える赤い斑点……大型のぬめり蛙か」
突然の遭遇にも関わらず、カレットは表情一つ変えずに分析を口にした。
「やつは背中と舌先から特殊な粘液を分泌する。魔力が練り込まれた粘液は、ひとたび触れると簡単には落とせない」
「触れたらどうなるんだ?」
「手に付着すれば、すべって物が握れなくなる。足なら立つこともできなくなるだろう。敵もそれが狙いのようだ」
言われて、敵の飛ばす粘液が足元に集中していることにルークは気がついた。なるほど、粘液で走れなくしたところを丸呑みか。えげつないこと考えやがる。
そんな考えを巡らせる間にも、蛙は距離を詰めてきていた。口から吐かれている粘液も、徐々に2人のかかとに迫ってきている。一度の被弾なら靴を脱いで済むかもしれないが、二度くらえば終わりだ。
前方の樹木には、2時の方角に赤いマーカーが貼られていた。ルートどりを担当したココノが貼ったものだろう。それに従って進行方向を修正する。
今のところ他に魔獣の気配を感じない。完璧なナビゲートだ。
それでも……村までは逃げ切れるか微妙なところだ。ルークはグローブで覆われた拳を握った。
「倒すか、姉ちゃん」
「その前に試してみよう」
カレットはレイピアを振り上げると、複数の炎を放物線状に飛ばした。数発が蛙の背中に命中する。しかし分泌される粘液のせいか、ダメージが入った様子は全くない。
「ずいぶんと粘液が濃いようだ。あれでは打撃も効果がないだろう」
「炎も打撃も通らない……ほぼ無敵ってことか」
「そんなことはない。敵の動きを見てみるんだ。背中を狙った炎は無視して受けたくせに、進路に落ちた火種は跳んで避けている。
粘液を分泌できるのは背中と舌先のみ。つまりそれ以外は守られていないことを意味している」
考えてみれば、粘液がつけば動きを制限されるのは相手も同じだ。たとえば四肢や腹にまで粘液が分泌されてしまえば、獲物を追うことができなくなってしまう。
つまり敵にも弱点はある。倒せるかどうかはやり方次第ってことか。
「作戦を思いついた。姉ちゃん、もう一回あいつの前方に炎を撃ってもらえるか。ジャンプしないと避けられないやつがいい」
カレットは頷くと、すぐさま魔力を溜めた。ルークの思いつきには彼女も命を救われたことがある。
放った火の粉は並ぶように地面に落ちると、燃え連なって炎の壁を作った。およそ80cmほど燃え上がる高さ。
跳び越すのは簡単だろう。
だからこそ、やつは絶対に跳ぶ。
「もらった」
蛙が炎を跳び越した、その着地地点。ルークは寝そべりながら、落ちてきた白い腹に両手と足の裏を当てた。
そして体中の魔力を一気に解放する。
筋力を増加する“身体強化”の魔法。
「地の果てまで滑っていけ」
蛙の勢いに乗せて足を跳ね上げる。ルークは知る由もないが、それは柔道における巴投げの形だった。
重さ100キロはあろう巨体が空中で反転し、地面に落ちる。背中から落とされた蛙は、自分の粘膜によってなだらかな下り坂をすべり落ちていった。
蛙の避けるクセと、下り坂の地形を利用した作戦。ルークは我ながら上出来だと思い笑った。だが。
蛙の滑った先から轟音が届いた。見ると、倒木にぶつかった蛙がルークを睨みながら身をよじらせていた。
「――ごめん、姉ちゃん。しくじった!」
カレットに駆け寄り、謝るルーク。再び並んで走りながら、「失敗? そんなことはない」そう言ってカレットは微笑んだ。
「たまたま大木が横たわってさえいなければ、蛙は坂の下まで滑り落ちていったことだろう。動きも発想もすばらしかった。運が少し足りなかっただけだ」
「でも俺がちゃんと投げる先を見てなかったから」
「大丈夫。だってほら」
木々の向こうに見える門。それを先に走っていったココノとココが開いている。
「距離が生まれたことで、蛙は追いつくチャンスを失った。私たちの勝利だ」
2人で門を駆け抜ける。人類の領域に帰還を果たす。
その姿を捉えると、蛙は門に近づこうとすらせずに森へと姿を消した。
「14時25分。3人とも、無事に村まで帰還」
息を整えながらも自分の足で立っているルークとカレットの姿を見て、眼鏡をかけた女性がメモにペンを走らせた。
「遠足訓練、お疲れ様でした。これより成績発表を行います。10分後に広場に集合してください」
広場に着くと、さきほど記録をとっていた女性が騎士たちの中央に立っていた。
彼女はマヤ。村の学校の先生だ。ルークが村を発つことが決まるまで彼の担任をしていた。そんなわけで、3人の訓練の記録係として参加していた。
「それでは、3名それぞれの動きについて反省を行います」
びっしりと書かれたメモをなぞりながら、マヤは3人それぞれに視線を送った。
「まずは指揮をとったカレット。撤退の指示、役割分担の指示については、小隊の隊長として的確なものでした。ぬめり蛙の特徴を知っていながら、攻撃によってきちんと確認をとったのも良し。分析の早さはさすがの一言です。
一方で、ルークの作戦確認をとらなかったこと。荷物の件。彼に対する甘さが随所に目立ちます。反省してください」
――耳が痛い。カレットとルークは2人してばつが悪そうに頷いた。
「次にルートどりを行ったココノ。周囲数か所に魔獣の気配がありましたが、それらをすべて避けた察知能力は見事でした。最初に蛙の気配を捉えたのもあなたでしたね。天性の感覚が実戦でも生かされたのは、チームにとって大きな収穫でした。
ただ帰還の前のルークとのやりとり。寝袋のくだりは……先生としてはちょっといただけなかったかと」
別の意味であなたとルークを旅に出すのが心配です。そんな風に言いたげなマヤに、「はぁい、反省してまーす」とココノは元気に返事をした。
「でも本番は先生たちもいないし、ばれっこないけどね」
最後にぼそっと付け足すココノ。悪いなコイツ! ほくそ笑むココノを見て、ルークは身震いを隠せなかった。
「最後にルーク」
マヤの声に、「あ、はい!」と背筋を伸ばすルーク。
今のところ、姉妹の評価は満点に近いものだった。というか2人の弱点はほとんどルークがらみのものだった。なんとか自分も、他の部分で評価されてたらいいんだけど。
ルークは固唾を呑みながら、眼鏡の奥に光るマヤの瞳を見据えた。
「魔法の強さに磨きをかけましたね。あの巨体を跳ね上げた力には、確かな鍛錬の跡を感じました。足が竦むことなく魔獣と対峙した精神力も、騎士を目指す者として十分なものであったと言えるでしょう。ただ」
注意するときは一つ褒める。教育的な手順を踏んだのち、マヤは厳しい視線を向けた。
「あなたの動きには無駄が見られます。まずは荷物ですが、人類領域の外に出る際は軽装が基本。魔獣の領域をいかに速く抜けるかが大切である以上、魔力と体力が最大の資本になるからです。
きっと荷物を捨てなかったことは、あなたなりの考えがあったのでしょう。
ですが、それを運ぶために身体強化の魔法を使い、魔力を消費してしまっては、チームの生存率を下げることにつながりかねません」
そこまで言ったとき、「あ、でも先生それは」とココノが何か言いかけた。けれどルークが目線で静止を促すと、しぶしぶといった様子で言葉を飲み込んだ。
「――反省は以上になります。今回の訓練で各々が感じたことを、二週間後の“本番”に生かしてください。
騎士団の方から何かありますか?」
周りを取り囲んでいた騎士たちの姿をマヤが見渡す。彼らは村の防衛を行う騎士団の戦士たちだ。今回の訓練にも、いざというときに3人の安全が守られるよう裏方で動いていた。
その中の1人。騎士団の団長、カミルが3人の前に歩み出た。
「お前ら。訓練の最中に、何人気付けた?」
気付けた? 質問の意図がわからずにリヴェール姉妹の表情に視線を送るルーク。
ココノは小さく唸った後に、「たぶんですけど」と口火を切った。
「訓練の最中にはマヤ先生を除いて3人がついていました。サラさんとルロットさん、あとは……カミルさんだと思います」
その言葉に騎士たちからざわめきが起こる。そんな様子を見ながら、ルークはやっと状況を飲み込んだ。
何人かの騎士が自分たちについて監視をしていた。そしてそれに気付けるか、試されていたのだ。
「正解だ」
カミルの言葉に、ココノは「よかったぁ」とほっとした笑顔を浮かべた。
「3人いると思ったけど、1人だけ誰だかわからなかったんだ。けどすごく気配を消すのがうまいからカミルさんかなって。勘も実力のうちだよね」
ココノはあっけらかんと言い放ったが、参加した3人は騎士団で最も気配を消すのが上手い3人だった。あっさりと存在を見破られた2人の騎士は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
だがそれ以上に、表情を歪ませていたのはルークだった。
今回の訓練、いちばん索敵に集中するポジションにいたのは俺だ。なのに俺は。
「――。気に病むことはない。相手は熟練の騎士たちだ。私だって、カミル団長がいたことは最後まで気づけなかった」
ルークを横目に見ながらそんな風に話すカレット。彼女の言葉に偽りはなかった。カミルについては彼女も存在すら捉えられなかった。一方で、残りの二名については察知できていたことを意味する。
受け止めざるを得なかった。
リヴェール姉妹に比べて、俺の力量は大きく劣っている。
「俺、顔洗ってきます」
話が終わって立ち上がるルークに、「あなたも14歳としては充分すぎる実力の持ち主ですよ」とマヤが声をかける。しかしルークは「ありがとうございます」と形だけの会釈をして、その場を去って行った。
「伝え方が良くなかったでしょうか」
ぽつりと漏らすマヤに「お前の仕事も大したもんだ。よく見ていた」とカミルが口を挟んだ。
「だが一つだけ……マヤは遠くから観察をしていたせいだな。見落としがあった。
ルークはでかい荷物を運ぶというミスをしたが、魔力の無駄遣いはしていない」
大きな荷物を背負って走るために使った身体強化。それが魔力の無駄遣い。
それが間違っていた? ということは。
「ルークが魔法を使ったのは敵を投げた瞬間だけだ。走るときは身体強化を使っていなかった」
それって……。マヤが呟きながら、ルークが残していった鞄に目をやる。
「10kgの水が入った荷物を背負って、自力だけで逃げ切ったということ……?」
「そうだな。――いや」
カミルはルークの鞄を拾い上げると、底から一つの荷物を取り出した。
「あいつはバカだが、思った以上に面白いやつのようだ」
そう笑ったカミルの手には、ルーク愛用の筋トレグッズ。
20kgと刻まれた鉄アレイが握られていた。
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