第28話 流れ星

 不測の出会い。とは旅においてつきものではあるが、それにしてもルークが遭遇したタイミングは最悪といってよかった。


 一刻も早くカレットのもとへ戻らなければならない状況。その真っただ中に、二匹の鳥獣はルークの前に立ちはだかったのだ。


 どうして今なのか。恨み言のひとつも言いたくなる。


 だがルークはそんな間も惜しんで、空を舞う二匹に拳を構えた。


「やるならさっさと来い」


 そんな言葉が魔獣に通じるはずはない。しかし言葉が発せられたその瞬間に、二匹の鳥獣とルークの攻防は幕を開けた。


 ぐるりと空を旋回し、突撃に速度を乗せる。ルークは最初の構えのまま動かない。


 一匹がルーク目がけて急降下を仕掛けた。目線の先は頸動脈。敵の急所を捉える力を、生まれながらに備えているようだった。


 兼ね備えた速さと鋭さ。食らえばそのまま首がとぶほどの一撃。


「まあ、レスター副隊長の剣と比べたら止まっているようなものだけどな」


 ルークは膝を曲げると、姿勢を低くとった。空気の刃は翼から、地面に対して水平に発生している。下へ避けた標的には当たらない。


 そのまま拳を突き上げ、ルークは鳥獣の腹を殴り飛ばした。まず一匹。ルークは敵の襲撃を退けてみせた。


 しかし二匹目はもう、ルークの背中めがけて突撃を始めていた。一匹目を囮に、気配を殺して近づく攻撃。これもまた野性を生きる者の知恵である。


 卑怯でもなんでもない。生き残るための戦略である。


 それはルークにとって経験のない攻め方だった。けれど。


「ココノの方がよっぽど静かだ。不意を討つなら、せめてカミル隊長クラスの技術を身につけてこい」


 ひゅん、と音を立ててルークは身体を翻した。旋風のような回し蹴りが、迫っていた鳥獣の翼をへし折った。


 二匹の襲撃者は、ルークの足元に骸となって転がっていた。


「二対一……っていっても、結局は個々の自力がものを言うんだな。だからこそココノとココの組み合わせはやばすぎるんだろうけど。

 っと。無駄口を叩いてる場合じゃない」


 それだけ言って、ルークは何事もなかったように魔力の充填を再開した。


 襲撃者の名誉の為に付け加えるわけでもないが、二匹は決して弱い魔獣ではなかった。蠍ほどではなくとも、並の騎士が相手なら苦戦させられるほどの力は持っていた。


 だがなみ居る強敵との手合せを経て、成長したルークの力には遠く及ばなかった。


 もはや彼は、ただの子供とは違うのだ。実力の差を見抜けなかったこと。それが二匹の敗因とみて間違いはないだろう。


 ――そんな振り返りには興味なさげに、少年は精神を集中していた。


 全身に漲ってゆく魔力。もうすぐ。もう少しだ。


 焦りを押し殺すように、ルークは静かに呟いた。





 そして200メートル下の戦場では、もう一つの戦いが佳境を迎えていた。


 残る魔力は――3割を切ったくらいか。炎の攻撃を繰り出しながら、カレットは大きく息を吐いた。


 近づきすぎず、かつ敵の注意がココノに向かない距離を保ちながらの戦い。非常に神経を削られる攻防をカレットは凌ぎきっていた。軽傷はいくつか負っている。だが致命傷になりうる攻撃はいまだ受けていない。


 おそらくルークが彼女の立場だったなら、こうはいかなかっただろう。魔法を駆使しながらも長時間の交戦に耐えうるよう、カレットは魔力を1%の精度でコントロールしていた。


 無駄撃ちをせず、必要なタイミングで必要な威力の、状況に即した魔法を選び、かつ的確な判断を下し続けた末の成果。


 鳥の魔獣を瞬殺したのがルークの本領とするならば。


 蠍に瞬殺されずにいるのは、カレットの本領という他はない。


 炎の剣で敵を牽制しながら攻撃をかわす。かわし続ける。蠍は鋏を振り回したり体当たりを仕掛けたりしたが、決定打にはつながらない。


 キィィ! と雄叫びをひとつあげて、蠍は大口を開けた。


「毒大砲か。勝負に出たな」


 ココノに傷を与えた一撃。蠍の切り札“毒大砲”。長びく戦いに痺れを切らしたのだろう。蠍はついに大技を繰り出した。


 先に放った一撃よりはやや小さめの毒液が、カレットめがけて吐き出される。


「炎突、裂破」


 カレットが剣を振ると、その先端から炎の矢が放たれた。毒大砲は液体の塊。炎が当たったところで打ち破られる道理はない。


 事実、カレットの放った攻撃は毒液にのみ込まれて消えた――だがその直後。数発の破裂音とともに、毒大砲は内部から弾けた。


“炎突裂破”は単なる高熱の矢ではなく、炸裂弾だった。


 迫っていた大玉が形を崩し勢いを失う。攻撃はカレットに届くことなく、無数の雫となって地に沁み込んだ。


「速いし重いし、物理的な防御も不可能――毒大砲は確かに恐ろしい攻撃だ。だが対処ができないということはない。


 私でさえ、わかっていれば防ぐことができたんだ。ココノの反射神経なら、たとえ初見でも回避の余地はあったはずだ。


 私たちを守ろうとさえしなければ、あの子は」


 呟きながら、カレットは歯を食いしばった。自分がもっと強ければ。ココノほどに洗練された戦闘技能の持ち主であったなら、かばわれる必要もなかっただろう。妹が傷つくこともなかったのだろう。


 自分に力が足りなかった。思うと、体中の血が沸騰しそうに熱くなる。

 それでも思考だけは冷静沈着に。


「今のでほとんどの魔力を使った。しかし、それはお前も同じことだな。さあ来い」


 蠍を見据え、カレットは剣を構えた。


 ――もう少し。あと少しのはずなんだ。


 岩壁へ視線をやりながら、カレットは息を整えた。


 別れる前にルークが託した作戦。その準備はすでに整っている。あとは彼の合図を待つのみの段階だ。


 ルークが間に合うのが先か。カレットが力尽きるのが先か。どのような形であれ、決着の時は迫っている。


 蠍はもはや毒の攻撃を撃ってはこなかった。しかしカレットの炎もまた、明りを灯す程度の火力にまで抑えられていた。どちらも魔力の限界は近い。


 こうなると厳しいのはカレットのほうだった。単純なパワーとスピードの勝負になれば、いずれ蠍が押し切るのは目に見えている。


 目と鼻の先に、死が迫っているのがカレットにもわかった。それでも彼女は。


 ――ルークはきっと間に合う。


 そう信じて、大きく開いた目を逸らすことはなかった。


 鋏を突き出す蠍がカレットへと詰め寄る。カレットは息を呑んだ。そのときだ。


 どさ!


 と、自分の脇で音が鳴ったのをカレットは耳にした。袋が落ちていた。ルークの背負っていた麻のリュックである。


「間一髪……。けれど、間に合った」


 ――それは待ちに待ったルークからの合図だった。


 カレットは微笑みをたたえ、手にした剣の炎を滾らせた。正真正銘、彼女の撃てる最後の魔法。この瞬間のために残された最後の魔力だ。


 そのままリュックの落ちた場所まで走る。背を向けるカレットを、蠍もまた全速で追った。拾い上げる瞬間にはもう剣の届く位置にまで、蠍の巨体が迫っていた。


 蠍の鋏が。カレットの剣が。互いに届く、至近の距離。


「灼火地獄っ!」


 叫びながら、カレットは炎を放った。蠍の巨体が炎に包まれる。だが甲殻の鎧は炎を通さない。ココノの与えた傷口からわずかなダメージは入るものの、倒すまでには及ばない。


「ギィィィッ……!!」


 身を包む炎にもがきながら、蠍は鋏を振り上げた。それを追うように、カレットの頭がゆっくりと空を仰ぐ。


 目線の先には無数の星が瞬いていた。


 その中に一つだけ混じった“流れ星”



 

 最大の魔力を全身に込めたルークが、蠍の背に拳を振りかぶっていた。




「蠍はここだ! 撃ちぬけ! ルークッ!」


 叫びと同時。ルークの一撃は鋼の鎧を砕き――敵を粉砕していた。


 200m上空からの落下。最大の身体硬化に重力を上乗せした型破りの一撃は、いかに厚い甲殻とて防ぎきれるものではなかった。


 カレットの役目は落下地点への誘導。そして、敵に炎の目印をつけること。


『――ココノの攻撃で蠍の反応もかなり鈍っているはずだ。ココノが削り、姉ちゃんが追い込み、俺がぶっ飛ばす。俺たち三人の力なら、きっと奴の鎧も砕ける。そうだろ。姉ちゃん』


 蠍の巨体がばらばらに崩れるさまを見ながら、カレットはルークの言葉を思い出していた。そして微笑んだ。信じて良かった、と。


 響いた断末魔が、闇に呑まれて消える。横たわる巨体が動くことはもうなかった。


「――強化を防御の一点に集中しても、さすがに200mの落下は無理があったか。体中が痛え……!」


 蠍の背中に空いた風穴から、血みどろになったルークが顔を覗かせた。


「痛いで済むほうがおかしい。ルーク、怪我は……?」

「右手の拳が割れたのと、肩も外れてるっぽいな。あとは全身の関節が軋むくらいだ。問題ない」

「そ、それは問題ないのか」

「俺のことよりも姉ちゃん、ココノに解毒草を!」


 カレットに大きな怪我がないのを見てとり、ルークは麻袋を指した。「ああ」カレットリュックを拾うとすぐさまココノの傍へと駆け寄った。


 ココノは熱にうなされていた。腕に受けた毒が炎症を引き起こしているようだった。時間がない。


 カレットはリュックの解毒草を採り出すと、手早く剣の柄ですりつぶした。そして抽出した解毒液をココノの腕に塗った。そして水で薄めたものを、小さな口に流し込んだ。


 今のカレットにできる処置はこれが限界。あとはココノの強さに賭けるしかない。


 カレットは祈るようにココノの手を握った。荒かった息が、少しずつ少しずつ細くなっていく。


「お願いだ……目を覚ましてくれ……っ。ココノ!」


 カレットが妹の名前を叫ぶ。そうしたら。


 ココノの左手は弱弱しくも、確かに、カレットの手を握り返した。


「ココノ……」


 呟きながらカレットは表情を緩めた。安堵の息とともに、全身の力が抜けてゆく。


「姉ちゃん……ココノは」ルークの問いに、カレットは微笑んで頷いた。


 全てが終わったのを象徴するかのような、穏やかな笑顔だった。


「――っしゃあぁぁぁぁぁぁぁああっ!!」


 ルークの雄叫びが、煌めきに満ちた夜空に響き渡った。

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