第26話 あの日の夢を
傷の処置は歩きながら行われた。
まずは毒液の処理。何枚も重ねた布でココノの腕から毒液をふき取った。白い腕が、液のふれた部分だけ変色していた。傷口も火傷を負ったみたいにただれている。
「右腕が特にひどいな……」
炎症を抑える薬を塗りながら、カレットは苦しい表情を浮かべた。
「治せそうか、姉ちゃん」
「解毒草を手に入れれば、ひとまず全身の毒は抜ける。しかし……腕はもう、元には戻らないかもしれない」
ココノが眠っているのを確かめて、カレットは絞り出すように言った。
「嘘だろ……そんな」
腕が使えなくなる。身体の一部を失う? ルークの顔面が蒼白になった。
「でも治療を続ければ回復するんだよな。せめて普通の生活ができるくらいにはなるんだよな。俺、なんだって手伝うし、薬だって探しに……」
「ありがとう、ルーク。気持ちはすごく嬉しい」
本人に代わって、両親に代わって、カレットは礼を言った。
それから先は、お互い一言も言葉を発することはなかった。黙々と暗闇の森を歩き続けた。魔獣の鳴く声が、どこか遠くから聞こえる。
沈黙はどれだけ続いただろう。かなりの距離を歩いてから「お兄ちゃん……?」背負われたココノが声を発した。
「起きたのか。ココノ」
「うん。よく眠れたよ」
気のぬけた声で、ココノは笑って見せた。
「蠍は?」
「かなり引き離せたと思う。ココノが頑張ってくれたおかげだな」
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは、けがとかない?」
「ああ。私もルークも無事だ」
「そっか……よかった」
ココノはほっとしたように息を吐いた。
「それよりお前の調子はどうなんだ、ココノ」
ルークが訊くと「まだ大丈夫だけど」そう言って、ココノは目を逸らした。
「腕……あんまり見ないで。きたなくなっちゃったから」
「なんでだよ。汚くなんて」
「お兄ちゃんには見られたくないの」
怪訝な顔のルークに、カレットは諌めるような視線を送った。「わかった」意を汲んだルークは、包帯の巻かれた腕が視界に入らないよう顔を上げた。
「右腕がね、ぜんぜん動かなくなっちゃった」
生気の薄れた声で、ココノはぽつりと呟いた。
「からだ全体はまだ平気だよ。ちょっと痺れてるくらいなんだ。でもね。ちょっとずつ腕から痛みが昇ってきてる気がするの」
「――」
「ねえ、お姉ちゃん。これって……切らなきゃだめなやつかな」
え? ココノの言葉に、ルークは目を剥いた。カレットは何も答えない。「切るって、なんだよ」姉に代わって問い返したのはルークだった。
「学校で習ったよ。毒を受けてからすぐに治療できる見込みがない場合は、心臓や脳に届く前に患部を切り離す必要があるって」
「――そんなこと」
「やだなぁ……腕がなくなっちゃったら」
いつもは元気いっぱいの声が、震えていた。
「腕がなかったらご飯たべるとき困っちゃうな。えんぴつも持てなくなっちゃうし、ナイフも握れなくなっちゃうよ。お兄ちゃんにも抱きつけなくなっちゃうし……あはは、それがいちばん嫌だなあ」
「ココノ……」
「ココも召喚されたとき困るよね。私とおんなじ身体だから。怒るかな。謝ったら許してくれるかな。きらわれたら……やだなあ。
それにお姉ちゃんにもお爺ちゃんにも苦労かけちゃうし……これから先、任務にも出られなくなるし。――いつか」
「ココノ……!」
「いつか、お兄ちゃんとお姉ちゃんと外の世界へ行くんだって、ずっと思ってたのにな」
消え入りそうな呟きが終わったとき、ココノはルークの背中に顔を押し当てた。
置いて行かないで。
すがるような思いが、こぼれた涙と一緒にルークの背中に沁みこんだ。
ココノが泣くのを、ルークは久しぶりに見た気がした。
「――大丈夫だ。俺たちがついてる」
ルークの声は、いまだ窮地にいるとは思えない穏やかな声だった。
「毒が回るまでに、俺と姉ちゃんが解毒草をとってきてやる。なにも心配はいらない。
ココノは俺たちを守ってくれた。今度は、俺たちがココノを助ける番だ。だから安心して寝てろ」
なんの根拠もない言葉だった。しかし希望を思わせる響きが、ルークの言葉にはこもっていた。
「おいていったり……しない?」
「俺たちがココノを置いてくわけないだろ。ずっと一緒だ」
「えへへ。覚えておくからねー」
ふやけた声を残して、ココノは再び眠りについた。
――意識の沈む直前。ココノは夢を見た。
ずいぶんと昔の夢。ココノが初等部に入学する前の出来事だ。
村のはずれを散歩していたココノは、怪しげに周りを見渡す少年をみつけた。
何をしているのだろう。物陰から見ていたら、少年は深呼吸をして外へと向かう道を走っていった。
「あ……」
危ないから村の外には行ってはいけない。そう教えられていたココノは、少年を止めなければと思った。そして少年を追って森へ入っていった。
そこで魔獣と遭遇した。
決して強大な魔獣ではなかった。幼くても才能に長けたココノの力なら、瞬殺できる程度の相手だった。しかし魔獣とはじめて出会ったココノは怖くて動けなかった。
「たすけて……!」
そう声を絞り出すのがやっとだった。
そこへ。さきほど走り去ったはずの少年が飛び込んできた。
そしてココノへ迫ろうとした魔獣へドロップキックをかました。
魔獣はダメージを受けたというよりも、びっくりした様子で森の奥へ引っ込んでいった。
「なにやってんだ、おまえ」
へたりこむココノに、少年は声をかけた。
「おまえみたいなこどもが、外に出たらあぶないだろう」
どの口が言うんだという台詞だが、ココノは素直に「ごめんなさい」と謝った。
「まったく……。せっかく外へ行こうと思ったら道にまようし、気がついたら同じところにもどってきてるし、女の子がないてるし、さんざんだ。
でもしょうがないから、おれが家までついていってやる」
少年はココノの手を引いた。とても温かい手だった。
「おれのそばをはなれるなよ」
ぶっきらぼうな物言いだった。なのに、すごく優しい言葉みたいに聞こえた。
「うん。わたし、お兄ちゃんといっしょにいるよ」
ココノは涙を拭いて、少年の隣を歩いた。
「けど今日は、おれが自分からもどってきたんだからな。つかまったわけじゃないぞ。引き分けだからな」
「?」
少年の言いたいことがココノにはよくわからなかったが、それでも二人で歩く道中が楽しかった。
それがココノにとって、ルーク少年との最初の思い出だった。
どうして今になってそんな夢を見たのかはわからないけれど。ココノは、胸の痛みが少しだけ和らいだ気がした。
――目を閉じたココノは、穏やかな寝息を立てていた。そんな妹を、カレットはそっと撫でた。
「姉ちゃん……俺、考えがあるんだ」
後ろに回す両腕に力を込め、ルークは口火を切った。そして。
「蠍を倒そう」
ずっと口にしなかった考えを、ついに言葉に変えた。
「――止めないのか」
黙ったままのカレットに、ルークは顔色をうかがいながら訊いた。積極的な交戦は、カレットから固く禁じられてきたことの一つだ。まずは「駄目だ」とつき返されると思っていた。カレットの冷静な態度が、ルークには意外に思えた。
「考えがあるのだろう。それを先に聞こう」
発言を許され、ルークは頷いた。
「蠍には探索能力がある。ココノを背負ったままじゃ、敵が手負いでもいずれは追いつかれてしまう。もはや逃げに徹するのは得策じゃない。もちろん積極的に探そうとは思わないが、次にまた出会ったなら、そこで倒してしまうべきだと思う」
「手負いとはいえ、蠍の力は私たちよりもまだ少し上だろう。それはわかっているか」
「わかってる」
ほんの一瞬の対峙。蠍の鋏を蹴り飛ばした時の感触を、ルークは思い浮かべた。
「俺が全力で蹴って、小さなヒビが入った程度だ。あの甲殻の厚さじゃ、姉ちゃんの炎もきっと通らない。
甲殻のつなぎ目に当てればダメージは入るだろう。けど狙ってやるのは無理だ。隙間ができるのはほんの一瞬。あんな微妙な攻め方は、ココノにしかできない。
戦えば最初は俺たちが有利になるだろう。けどダメージを与えられないまま消耗戦になれば、最後は体力の尽きた俺たちが負ける」
見立てはおおよそカレットが思い描く通りだった。ルークが現状を認識したうえで喋っているのがわかった。怒りにかられているわけじゃなさそうだ。確かめたうえで、カレットは続きを促した。
「普通の攻撃じゃ蠍の甲殻を突破できない。でも普通じゃない攻撃を展開するなら、あいつの鎧をぶっ壊せる方法をひとつだけ思いついた」
はっきりとした口ぶりで、ルークはそのように言った。
「もちろんリスクの小さな方法じゃない。俺も姉ちゃんも、命を賭けることになる」
「……」
「けど三人で村へ帰るには、もうそれしかない。それ以外の結末は嫌だ」
「――私もだ」
ルークが気持ちを口にしたところで、ようやくカレットも言葉を発した。
「もはや逃げる方が安全などとはとてもいえない。戦おう。三人で帰る為に。実は私も考えていたことだったんだ」
「姉ちゃんも?」
「あれだけ交戦は駄目だと釘を刺した手前、口にしづらかったのだがな」
カレットはばつが悪そうに頬を掻いた。
「けれど状況は変わった。もはや逃げるリスクも戦うリスクも変わらない。変わらないなら、痛い目を見せてやろうではないか! あのばか蠍に!」
「ばか蠍って……。姉ちゃんも実はむかついてたんだな」
「当たり前だ。はらわたが煮えくり返る思いだったのだぞ」
カレットは頬をむくらませてみせた。冗談みたいなリアクションだが、初めてルークの前で自分の心中を語った。怒りの感情など一度も見せなかったのに。
カレットが隊長としてどれだけ自分の心を抑えてきたのか、ルークにはやっとわかった気がした。そして騎士とはやっぱりすごい存在なんだと、改めて思い知らされた。
「それで、蠍の鎧を破壊する方法とはなんなのだ」
カレットの質問に「よくぞ聞いてくれた」とルークは胸を張った。
「俺のスペシャルな必殺技を当てる」
スペシャルな必殺技……。その響きに、カレットの笑顔がひきつった。ネーミングセンスの悪さが言いようのない不安を掻きたてた。
このなんにも考えてない雰囲気……本当に大丈夫なのだろうか。
「スペシャルな必殺技とは何なのだ、ルーク」
「簡単に言えば、あいつの背中を俺が思い切りぶん殴る」
簡単に言いすぎである。「たのむルーク。お姉ちゃんにもわかるように説明してほしい」カレットはこめかみを押さえながら聞いた。
「ん……ついてからのお楽しみってことじゃだめか」
「そんなお楽しみ要素はいらない」
じと目になるカレット。やばい、怒られる。ルークは頭の中にある考えを急いでまとめた。とはいっても、それほど複雑な話ではない。説明自体には一分もかからなかった。
「――。本当に蠍の背中をぶん殴るだけの作戦だな」
「え。駄目だったか、姉ちゃん」
「いやよく考えた。それしかない」
カレットの返事に、ルークはほっと胸を撫で下ろした。あれだけ勿体ぶって、却下されたらどうしようかと密かに心配していたのだった。
「雨も止んでいる。日が昇っていないのも好都合だ。次に出会った時が最後のチャンスになるだろう」
「ああ。――決着をつけよう。俺たちで」
決意を口にし、二人は顔を上げた。
目前にそびえる高い高い岩の壁。星の峰のふもとに、ルークたちはたどり着いていた。
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