第24話 進撃

 単に敵地での前進を進撃と呼んでよいのなら、三人のスタートは紛れもない快進撃だった。森を駆ける三人はいまだ傷一つ負うことなく、目標の半分の地点にまで迫っていた。


 ココノを先頭に、カレットとルークが後を追う形。魔獣との交戦は基本的に避ける。それでも進路を塞いでくる魔獣はココノが迎えうち、流れた攻撃はカレットが防ぐ。ルークは回避に集中し、先に控える壁昇りに備える。そういうフォーメーションだ。


 だが実質、カレットとルークには走る以外の仕事はなかった。襲ってくる敵は全てココノがなぎ払ってしまうからだ。


 出発してしばらくは魔獣による襲撃を受けた。素早い蝙蝠みたいなやつもいた。力強い猿みたいなやつもいた。ルークの感覚では手強そうな魔獣も何匹か混じっていた。


 しかしその全部を、ココノはかすり傷の一つも負うことなく絶命させた。息一つ切らせず、粛々と、淡々と、まるで単純作業のように、敵の急所を刺し貫いて進んだ。


 ナイフに残った血が黒ずみ始めた頃には、襲撃そのものがなくなっていた。まともに鼻の利く魔獣はココノに近づこうとさえしなかった。


 自分より明確に強い者には触れない。野生生物の習性であり、本能でもある。


「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」


 向かうところ敵なしのココノを追いながらルークはひとりごちた。


「戦闘に関してはココノに任せておいていい。余計な手出しは邪魔になるだけだからな」

「うん――良くわかったよ」


 改めて口にしたカレットに、ルークは頷くしかなかった。ココノが強いことは知っていた。しかし人類の天敵たる魔獣たちが、ここまで手も足も出せないとは……。


「ココノがあの調子なら、たとえ蠍に遭ってもなんとかなりそうな気がしてくる」


 ルークの楽観的な言葉に「――過信はいけない」カレットは引き締まった口調で返した。


「あの子の実力は本物だ。私だって信頼をしている。けれど魔獣との戦いに絶対などないんだ。ココノが最高に力を発揮できたとしても、蠍に通用するかどうかはわからない。


 わからない以上は、逃げることを第一に考える。不確かな勝負はできない。私たちの生還には、毒に苦しむ騎士たちの命もかかっているんだからな」


 念を押すかのように、カレットは視線をルークに送った。「……わかった」ルークもまた薄れかけた警戒を強めて前を向いた。


 しかし「通用するかわからない」というのは、ある意味心強い話でもある。


 蠍は村の騎士団22名が退却を余儀なくされた強敵。そんな事実を踏まえてなおも、ココノに限っては「通用する可能性もある」ということなのだから。


 目的地まで半分の距離を進んだ時点で、三人は最初の休憩をとった。膝元ほどの大きさの避獣石を囲んで腰を下ろす。


「どうだ、ココノ。身体に疲れや違和感などはないか」


 カレットの確認に「んーん、全然。絶好調」とココノはナイフの血をふき取りながら答えた。


「今ならどんな魔獣が出てきても負ける気しないよ。もちろん余分な戦いはなしで行くけどね」


 落ち着いて答えたココノに「そうか。なら良かった」とカレットは息をついた。


「それでも魔獣とは出会わないに越したことはない。5分ほど休んだら、次は一気に岩壁まで駆け抜けてしまおう」

「この分なら蠍とも遭わなそうだしな」


 ルークの見立てに、カレットも首を縦に振った。


「村の騎士団が襲われた地点からは距離を置いている。想定される蠍の行動範囲からして、出会うことはまずないだろう。普通ならば」

「普通なら?」


 言葉じりを捉えて、ココノが聞き返す。カレットは「杞憂だとは思いたいが」そんな前置きをして意図を説明した。


「騎士団と蠍の遭遇が“偶然ではなかった”としたら、距離があることなど安心材料にならなくなる」

「偶然ではなかった……ってことは、蠍が意図的に騎士団を狙ったってことか? そんなことあり得るのか」


「あ、なるほど」

 意を得たらしいココノが両手をぱしんと鳴らした。


「蠍に探索(サーチ)の能力があったとしたら。ってことだよね」


 そうだ、とカレットは神妙に頷いた。


「避獣石に守られていない人類を見つける力。そんな能力を蠍が身につけているとしたら、騎士団は待ち伏せをされていたとも考えられる。だとすれば、蠍が同じように私たちを待ち伏せている可能性だってゼロじゃない」


「それって……かなり厄介な可能性だよな」

「だからこそ、杞憂であることを願うばかりだ」


 ため息まじりにカレットは言った。もちろん可能性は可能性にすぎない。敵に探索の能力があるからといって、三人を狙ってくるとも限らない。

 「出会うことはまずない」としたカレットとルークの読みも誤りではなかった。


 普通ならば。常識で考えるのならば、だ。


「だが魔獣の領域において“普通”や“常識”など当てにはできない。気負う必要はないが、可能性を頭の片隅に残しておいてほしい」


 カレットの言葉に、ルークとココノは黙って頷いた。



 

 休憩を終えた三人は、また一気に森を駆けた。休憩の前もそうだったが、後半は輪をかけて魔獣との遭遇が少なかった。気配すらも感じられない。自分たちがいる場所が魔獣の領域だとは信じられないほど、静かで穏やかな旅路。


 不気味なくらい順調だった。


「――なんにも出てこないね」


 振り返ることなく、ココノは後ろのカレットに声をかけた。


「どう思う? お姉ちゃん」


 走りながら、カレットは思案するように沈黙した。ルークも同じように考えたが、経験の乏しい彼にはなんの想定も浮かばなかった。ただ単に都合がいい。けどちょっと良すぎて不気味だ。そう思ったのが関の山だ。


 だから話には加わらず、とりあえずは注意を払いながら走ることに集中した。分析はカレットに任せればいい。


「近くに未発見の避獣石が埋まっている――都合よく考えるのなら、そんなところだろう」

「都合が悪く考えるなら?」

「近くに強力かつ攻撃的な魔獣が生息している」

「へー。じゃあこの辺りはそいつの縄張りってことだね」


 ココノは迷わず、都合が悪い方の解釈に相槌をうった。


「どんな魔獣かな」

「さあ……それは出会ってみないことには」

「なあ、姉ちゃん。ココノ」


 しばらく黙っていたルークがやりとりに割って入った。姉妹の視線がルークを向く。


「なんか、変な匂いがしないか」

「匂い?」


 ずっと先頭を走り続けていたココノが初めて足を止めた。


「――本当だ。微かにだけど、森の匂いと違う匂いが混じってる」

「私にはわからないな。どんな匂いだ」


 カレットの問いに、ルークは鼻へ魔力を送った。


 身体強化の応用技。嗅覚の強化だ。


「何かが腐ったような感じ……それと血の匂い。前方から」

「――どうしよっか。このまま進む?」


 指示を仰ぐココノに、カレットは「慎重に行こう」と前進の指示を出した。


「闇雲に進むよりは、情報があった方がいい」

「了解だよ」


 ココノは少しペースを落とし、そのぶん足音を殺して進んだ。ココノほど上手ではないものの、ルークとカレットもそれにならって走る。


 進むにつれて匂いは濃く、強烈なものとなっていった。腐臭の正体を三人が目にしたのは、数百メートル進んだ時点でのことだ。


「なんだ……これ」


 そこに到着したとき、ルークは思わず声を漏らした。木々の密集する森に不自然に開けた空間。そこにはへし折られた樹木と、原型をとどめていない魔獣の死骸が散乱していた。


「――食い散らかされている」


 鼻を手のひらで覆いながら、カレットは死骸の一部を観察した。


「血が乾ききっていない。さほど時間も経ってはいないようだ」

「まだ近くにいるかも……ってことだね。長居は禁物かな」


 ココノが警戒の色を強めた。だがカレットはすぐに立とうとはせず、死骸の一部分を見つめている。


 そして息をのみ「嫌なものを見てしまったな」と呟いた。


「死骸の皮膚に紫の斑点がある。単に腐食が進んだだけなら、このような症状はでない。おそらくは死の直前、魔獣たちは毒による攻撃を受けている」


 他の魔獣を寄せ付けない力。毒による攻撃。導き出される結論は、もはや一つしかなかった。


 事態はカレットの言う「普通でない」事態の方へと進行していた。


 そして極めつけは――敵が周辺にいるということではなく。周辺どころではなく。


 すでに見える位置にまで迫っていたという点にあった。




 闇の向こうから、樹木の折れる音が聞こえた。




「ここを離れるぞ……全速力だ」


 カレットの合図が出るや否や、三人は駆けだした。ペース配分など全く考えない全力疾走。後先など全く考えず、わき目もふらず一心不乱に、闇の密林を進んだ。


 細い木々の折れる音が三人の背中を追う。近づいてはいない。しかし遠ざかってもいなかった。


 ――俺たちとほぼ同じスピードで、敵が進んでいるのがわかる。足を止めたら即座に距離を詰められる。ルークは息を切らせながら、足を動かすことだけに全てのエネルギーを傾けた。


「これ、たぶん振り切れないよ。お姉ちゃん」


 前を見据えながら、ココノは隊長のカレットに進言した。


「木々を倒しながら進んで、わたしたちと同じスピードだもん。森を抜けたらすぐ追いつかれちゃう」


 遠ざかることのない気配を背中に受けながら、カレットも同じ感想を抱いていた。


 樹木という障害物があってようやく互角の追いかけっこ。このまま進めばいずれ森を抜ける。そうなれば身を隠すことだって困難になる。


 遭遇したら、逃げればいい。なんて単純な理屈など通用しない相手だった。


 騎士団がどうして危険を冒してまで戦いを挑んだのか。戦わざるを得なかったのか、実感できた気がした。


「これ以上速く走るのは無理。でも敵のスピードさえ落とせたら、なんとか引き離せるかも」

「考えはあるのか? ココノ」

「わたしが敵を削る」


 ココノは収めていた二本目のナイフを抜いた。黒い刀身のナイフ。父の形見であり、大きな勝負の時にしか抜かない代物だった。


「もちろん逃げ切るのが目標なのは忘れてないよ。でもこんな状況が続くなら、体力があるうちに相手の動きを鈍らせた方がいいと思う」

「――できるか? 敵が蠍だとするなら、騎士団が全員がかりで傷をつけられなかった相手だぞ」


 当然の確認に、ココノは少し答えをためらうような間を置いた。しかし覚悟を決めた彼女は、言葉を飲み込むことをせず。


「大丈夫。今のわたしはもう――騎士の22人よりも、強いから」


 ずっと伏せてきた秘密を、初めて二人に明かした。





 ココノは天性の才能に恵まれた少女だった。物心のついたころにはもう、実力派の騎士たちの動きですら、彼女の目には霞んで見えていた。


 実力を競い合う相手などどこにもいなかった。無敵のまま成長を重ね、しかし孤独に不貞腐れることはなく、慢心することもなく、ココノは腕を磨き続けて育った。


 いつしか彼女の実力は騎士団全員の戦力を足しても及ばない領域にまで至っていた。ただ本当の実力を人前で発揮することはなかった。


 つまり彼女は。力を抑えてなおも、村で最強の戦士と認められていたのだ。


 もちろん隠しきれない実力を、それでも伏せようとしたのにはわけがある。


 ココノは自分の強さが恐かった。行き過ぎた才能が恐ろしかった。


 他の人間とは明らかに異質の力――すべてを見せたら、村の人々はどう思うのだろう。


 怖れられるかもしれない。嫌われるかもしれない。そう思うと誰にも言えなかった。隠せるところまで隠し通そうと決めた。どれだけ我を忘れても、最後のセーブだけは心が忘れなかった。


 けれど今は。今こそは、隠してきた全力を解放するときだ。たとえ誰に恐れられようと。嫌われようと。


 いちばん大切な二人を守る為に。


 ココノの決めた覚悟は、そういう覚悟だった。


「お願い、お姉ちゃん。わたしを信じて」


 ココノの眼に迷いはなかった。それがわかったから、カレットももう迷わないと決めた。


「私がココノを信じないわけがないだろう。交戦を認める。お前の力を見せてくれ」

「ありがと――大好きだよ」


 承認の一言を得て、ココノは身を翻した。全身に魔力を漲らせ敵を迎え討つ。


 “召喚術師”ココノの魔法が、そのヴェールを脱いだ。

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