第23話 解毒草を収集せよ


 40分後に避獣石の場所へ。それだけ約束をして、ルークたち三人は一時的に解散をした。出発に必要な装備を整えるためだ。


 ルークは家に帰ると、麻のリュックに水筒と包帯を入れた。そして靴をはきかえ、簡易の鎧を装着し、腰に刃を携え、グローブを両手に装着した。


 以上。十分もせず準備完了である。


 待ち合わせ場所に着いたとき、まだカレットとココノの姿はなかった。一番乗りのようだ。近くの切り株に腰かけ、二人の到着を待つ。だが姉妹はなかなか姿を見せない。


 ――。女ってのはどうしてこんな仕度に時間がかかるんだ?


 世の女性を敵に回すようなことを考えながら、ルークは肩肘をついた。カレットについてはまだいい。行程の確認などやることがたくさんあるはずだ。しかしココノのほうは何をやっているのだろうか。


 あいつのキャラを考えると……まさかおやつとか選んでんじゃないだろうな。


 いやいや、いくらココノでも時と場合はわきまえるだろう。大事な任務の前にくだらないこと考えてどうする。ルークは思い切り頭を振った。そんな想像はココノにも失礼だ。


「ごめーん、お兄ちゃん。おやつ決めるのに時間かかっちゃった♪」

「……………………………………………」

「あれ? どうしたのお兄ちゃん。かつてない複雑な顔して」


 現れたココノはきょとんとした顔で首を傾げてみせた。


「いや……いま村が存亡の危機とかそんな感じなんだが」


 そこんとこわかってるか? とルークは非難の目を向けた。冗談とかそういうつもりなら、さすがに叱ってやらないといけないと思った。


「わかってるよ。大変な状況になってることくらい。でも、だからこそだよ」


 ココノはいつもの笑顔で言った。


「だからこそ変に考えすぎちゃだめ。気負ったっていいことなんかないもん。いつも通りの自分でいなきゃ。

 どんなに大変なときでも、普段通りに考えて動けることが、任務を成功させるのにいちばん大切なことなんだから」


 ココノは彼女なりに考えて準備を整えてきたようだった。ルークは“こいつ遠足気分じゃねーだろーな”と少しでも疑った自分が恥ずかしくなった。


 ココノはその実力を買われ、騎士団の任務も何度か経験している。ときに失敗をすることもあるが、成果もたくさん残している。幼くても任務に関してはルークよりも先輩なのだ。


「悪い。変な言い方して」


 ルークが謝ると、ココノは「いいよ」とさっぱり返した。


「ところでお兄ちゃん、このクッキー可愛くない? お兄ちゃんのためにハート形だよ。ひとつあげるね」


 ――いや、こんなでも先輩だ。疑うな疑うな……。握らされたクッキーを頬張りながらルークは自分に言い聞かせた。


 そうこうしているうちに、カレットが待ち合わせ場所に姿を見せた。集合完了。出発の時だ。


 挨拶もそこそこに済ませ、カレットは避獣石を前に目を閉じた。ルークとココノも同じ所作をした。旅の無事を願う祈りの時間。どれだけ急ごうとも欠かすことはない。


「では、行こう」


 三人は村のはずれに向かって歩いた。先頭を歩くカレットの表情は心なしか険しかった。初めて務める“隊長”としての責務。重圧を感じないはずはない。


 それでも道すがら。ココノが振ってくるとりとめのない話に応じているうちに、カレットの表情も次第にほぐれていった。


「それにしてもお姉ちゃん。今日は珍しいのつけてるよね」


 ココノの指摘に、ルークの目線は自然とカレットの髪へ向いた。月光を浴びて光る白のリボン。王の騎士団が村へ来た時に買ったものだった。


「お姉ちゃんのお気に入りでしょ、それ。外へ行くときはつけないのに。汚れちゃうよ?」

「いや、いいんだ。今日は」


 たおやかに揺れるリボンを、細い指がいとおしむように撫でた。


「姉ちゃんがそのリボンつけてるのってそんな珍しいか? 俺、けっこう見る気がするけど」

「――なるほど。お兄ちゃんと会う日を選んでつけてたんだね」

「こ、ココノっ! また余計なことを……!」


 含みのある顔の妹と、慌てる姉。二人のやりとりをルークは首を傾げながら見ていた。


「あーあ。勝負リボンなんてお姉ちゃんも乙女だなー。わたしだってお兄ちゃんに選んでもらえたらちゃんとはいてきたのになー」

「は、穿いて? まさか本気で男性に選ばせるつもりだったのか、その……アレを!」


「もちろん。っていうかわたしがやってるアプローチはだいたい全部が本気だよ。8歳くらいの頃から」

「8歳の頃……というと、3年前の風呂の件も、一昨年のベッドの件も、あれもこれも全部、本気だったということなのか!?」


「うん。あれもこれも全部、本気だったよ」

「――恐ろしい。私は今、自分の妹が恐ろしいぞ……」


 カレットは口許を覆って身震いした。だが女子の会話に疎いルークにはいまいち話が見えなかった。完全に置いてけぼりをくっている形だ。


「なあ姉ちゃん。ココノはいったい何にそんな真剣なんだ」


 何の気もなしに尋ねると


「る、ルークはなにも知らなくていいんだっ!!」と、真っ赤な顔のカレットに叱られた。わりと鋭めの剣幕だった。


 それからは小言とお説教。ココノは「はーい」とゆるく聞き流していた。いつもの姉妹のやりとりだった。普段となんら変わらない、日常の一場面。


 ルークは自分だけが取り残されているような気がした。一緒にいるのに、自分だけが精神的に取り残された感じだった。


 リヴェール姉妹は事件の報せから、この短時間でコンディションを整えてきた。だが自分はいまだ心が乱れたまま。


 初めて任務に臨む緊張。不安。そして村の仲間を傷つけた敵への憎悪。拭いきれない負の感情がまとわりついて離れなかった。


 ――俺だけこんな調子で大丈夫なのか。任務に集中できるのかよ。二人について歩きながら、ルークは口数も少なくうつむいていた。そんな時だ。


「ルーク」唐突な声が、進路の先からルークを呼んだ。





「ロイ……それにフラン」


 振り返る前からルークは二人の名前を呟いていた。村の出入り口。村の領域すれすれの場所に、ロイドとフランチェスカはいた。


「どうしたんだよ、二人とも。もう夜も遅いぞ」


 口を開きながらルークは視線をそらした。ロイドの憔悴した顔。フランチェスカの泣きはらした目。とても直視できるものではなかったからだ。


「待ってたんだ。ここで」


 かすれた声のロイドが答えた。何を待っていたかは言わなかったが、ルークには訊けるはずもなく、やりとりはそのまま続いた。


「その装備……。やっぱりルークもカレット先生たちと一緒に行くんだね」


「ああ。私が同行を依頼したんだ」ルークが答える間もなく口を挟んだのはカレットだった。ロイドは「そうですか」とそっけなく一言。視線がルークから外れることはなかった。


「外へ行んだったら、ルークに頼みたいことがあるんだ」


 その言葉にびくん、とルークの肩が震えた。同時にカレットの表情が険しくなった。


“もしもロイやフランが「仇をとってくれ」そう望んだなら。俺は本当に、敵への怒りを抑えられるのだろうか。心を保つことができるのだろうか”


 心の片隅に引っかかっていた懸念が、色彩を帯びてルークの脳裏によみがえった。


 ――任務は解毒草の採集である。討伐が目的ではない以上、魔獣との交戦はできる限り避けるのが基本だ。


 たとえ村の仇敵“蠍”と遭遇したとしても、退くことをまず第一に考えなくてはならない。その考え方を徹底しなくてはならない。


 迷いは衝動を招き、衝動は死を招く。もしもロイドがルークの心を乱す“願い”を口にしたなら――きっと、三人で任務に出ることは不可能になる。


 ロイドはルークに正対したままゆっくり口を開いた。そんな彼の発した言葉は。


「無事に帰ってきてくれよ」


 だった。


「え?」目を丸くするルークに「仇討ちでも頼むと思った?」口許だけ緩ませて、ロイドは言った。


「確かに、父さんたちを襲った魔獣を討ってやりたい気持ちはあるよ。許せないのは僕だって同じさ。いや、もしかすると君以上かもね。


 けど今は、気持ちより優先しなきゃいけないことがあるのはわかってる。怒るのも悲しむのも、全部が終わってからで遅くない。


 これ以上の犠牲はもうたくさんだ。僕やフランと同じ思いをする人はもう見たくないんだ。


 だから……ルーク。解毒草を採って、とにかく無事に帰ってきてほしい。父さんもきっと同じことを願うはずだからさ」


 ロイドは微笑んで見せた。明らかに感情を噛み殺した、それはもう無理のある笑顔だった。それでも最後はルークの背中を押す言葉を結んだ。自分の為ではなく村の為に。


 ――この子は将来、きっといい指揮官になる。カレットは穏やかに目を細めた。


 そしてもう一人、見送りに来た少女。フランチェスカは黙ったまま、いまだ言葉のひとつも発することなく佇んでいた。だがロイドが視線を送ると、唇を固く結んでルークの前に歩み寄った。


 そして手を取り、握った。そっと。しかし力強く。


 泣き続けて枯れた声の代わりに、思いの丈を託すかのようだった。


「――わかってる。必ず無事に帰るよ。フラン」


 涙の乾いた瞳へ、ルークは白い歯を見せた。憑き物の落ちた顔をしていた。


『いってらっしゃい。いってらっしゃい。ルーク』

「ありがとな。スカイローゼも」


 ルークは返事をしながら、フランチェスカの肩にとまる鳥獣の嘴を指先で撫でてやった。


「“おかえり”の時は、自分の口で言うってさ。ちゃんと笑顔で」


 ロイドのつけ足しに、フランチェスカはこくりと頷いた。「そうしてくれ」ルークは握られたままの右手に、もう片方の手をそっと添えた。


「俺は泣いてるより、笑ってるフランのが好きだからな」


 ルークにとっては無邪気な慰めのつもりだったが、その言葉でフランの顔にほんのり血の気が戻った。


「…………」

「――茶々を入れずに我慢しているな。大人になったな、ココノも」

「お姉ちゃんこそ」


 ちょっと離れて交わされる姉妹のやりとりなどつゆ知らず、ルークとフランチェスカはしばしみつめ合っていた。


 そして二人の見送りを背に出陣のときを迎える。


 任務(ミッション):解毒草を収集せよ


 リヴェール姉妹と少年の旅路が、いま、幕を開ける。

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