第20話 次の者たちへ

 遠征開始からおよそ4時間。目的地について間もないころに、村の騎士団はその魔獣と遭遇した。


 サソリの形状をした巨大な魔獣。口には鋭い牙、尾には鋭利な針を携えていた。


 遭遇とほぼ同時に襲撃を受けた。あっという間に二人が傷を負った。本来ならば負傷した騎士を回収し、一刻も早く村に帰る場面ではあった。しかし騎士団は決断を下すことができなかった。


 尾の針に傷つけられた二人は毒に侵されていた。自分の足で立つこともままならなかった。逃げるという選択は同時に、動けない二人を見殺しにすることを意味する。


 全員が助かるには敵を倒すしかない。


 やむを得ず騎士団は魔獣との交戦を開始した。だが数分も経たないうちに、更に四人の騎士が負傷した。敵に傷のひとつもつけられないままに。


 騎士団が相手取った魔獣“蠍(サソリ)”はあらゆる点で規格外の敵だった。


 まずは大きさ。本来、サソリ型の魔獣は砂地に生息する数十センチほどの小型魔獣である。しかし蠍は、それとはまるで別。高さにして約2m半、全長7mほどの大きさがあった。


 更にその甲殻は大きさの分だけ厚みがあり、身体を覆う魔力も相まって、鋼のような強度を誇っていた。騎士の何人かは攻撃を当てこそしたものの、通すことはできなかった。


 巨大な上に頑強。それだけで脅威の敵が、さらに毒を持ち、魔力までも帯びている。


「どうしてこんなヤツが、こんなところに……!」


 騎士の誰かが、絶望的な呟きを吐いた。蠍ほど大きな魔獣など、このバスパトラ山野で確認された例はなかったはずだった。だが蠍は現実に目の前に現れた。見たことがないという前例は、それが未来まで続く保証とは違ったのだ。


 騎士たちは果敢に戦った。しかしいくら戦っても傷は拡がるばかり。負傷者が6人を数えたところで


「撤退だ。これ以上は、もう戦えまい」


 団長のクライヴは、ついにその決断を下した。


「! 何を言うのですか団長! 撤退!? 負傷者はどうするのですか! 彼らを抱えては、とてもヤツを振り切ることなんてできません。

 倒しましょう! 今、ここで!」


「仲間を見捨てて行くことはできません! どうか交戦継続の指示を!」


 クライヴの言葉に、部下たちは口々に叫びを挙げた。彼らは逃げようと思えばいつでもできた騎士たちだった。だが仲間を想う気持ちがそれを許さず、敵わぬことがわかっている相手に、握った剣を向ける者たちだった。


「ジルバの大槌やゲルドの大剣でさえ、ダメージを通すことができなかった。我々の攻撃で倒すことは不可能だと確認できた。このまま戦えば、いずれ全滅する」

「しかし団長……!」

「うるせえお前らッ!」


 冷めやらぬ騎士たちを一喝した声の主は、クライヴの脇に控えるカミルだった。


「――了解しました、団長。作戦および部隊編成の指示を」


 冷静な言葉だった。しかし表情は歯を食いしばり、声は喉から絞りだすかのような声だった。


 価値観と使命感がせめぎ合うぎりぎりの状況にあって、カミルはなおも、騎士団の隊長であろうとしていた。そんなカミルの姿に、食い下がっていた騎士たちは息をのみ、言葉を失った。


「作戦を伝える」


 カミルの表情を一瞥すると、クライヴは淡々とした調子で口火を切った。


「動ける者はすぐに物資を全て捨て、負傷者を荷台へ乗せよ。そこから先は、前衛と後衛に部隊を二分する。前衛は負傷者の運搬と、荷台の護衛が任務だ。カミル。お前が前衛の指揮を執れ」


 団長は――カミルが言葉にする前に「私が後衛を請け負う」クライヴは答えた。


「前衛が敵の知覚範囲から脱出するまでの時間を稼ぐ。奴は私に任せ、お前たちは村まで戻ることにのみ集中せよ」

「“私”に……? まさか、団長」


 表情をひきつらせた騎士たちに、クライヴは「構わず行け」そう言って、両眼に宿す魔力を一段と強めた。


「足止めに集中するなら、数分の時間は稼げるはずだ。しかし猶予はさほどない」


 ――クライヴ=パストールの魔法“メデューサの瞳”は、目を合わせた相手の動きを鈍らせる力を持つ。並の騎士が相手ならば身じろぎひとつ、瞬きひとつも許さないほどの威力である。


 しかし“蠍”のように、術者よりも強力な魔力を帯びた相手には、完全に動きを止めるまでの効果は及ばない。それでも蠍の動きは、騎士たちが致命傷を回避できる程度には運動能力を奪われていた。


「それともう一つ」


 クライヴは腰のワッペンをとると、カミルの目前に差し出した。


「カミル=ロー隊長。本日を以て、君を騎士団の団長に任命する。最初の任務は、部下たち全員を村へ帰還させることだ」


 君ならばやり遂げられるはずだ。敵を直視しつつそう続けたクライヴは、わずかに微笑みをたたえていた。


 そんな彼の顔をカミルは見つめた。その眼に焼き付けるかのように。


「承りました」頭を下げて、カミルはワッペンを受け取った。


「君と誇りある村の騎士たちが、立派に務めを果たす様を期待している」


 なかなか顔をあげることのできないカミルと、そして唇を噛む騎士たちに、クライヴは結びの言葉を告げた。


 そして刃を抜く。指揮官の位に就いて数年来、騎士たちに見せることのなかった戦士としての構えだった。


「クライヴ団長――ご武運を」


 呟くと、カミルは腕を振り上げて騎士たちへ合図を送った。蠍と交戦する騎士たちはすぐさま武器を収め、退避の構えをとった。


 そして蠍がクライヴに注意を奪われる隙を突き、一斉に負傷者の回収に走った。上出来すぎるほどの動きだった。カミルの指揮も、それに従う騎士たちも。


 振り回された毒の尾を見事にかいくぐり、カミル率いる前衛部隊は撤退の準備を完了させた。そして戦場を後にした。最後に無言の敬礼だけを残して。


 去りゆく仲間たちを背中に、クライヴは「さらばだ」小さく呟いた。そして。


「さて、一対一の戦いなど何年ぶりだろう。と、言いたいところだが」


 呟きながら、クライヴは一人その場に残った人物を横目に見た。


 フランチェスカの父であり、騎士団に所属する唯一の魔獣遣い“マスター・ナナ”ことルミノアル=ナナだった。


「わが騎士団に、命令の聞けない不清の騎士がいたとはな。困ったものだ」


 言葉は呆れていたが、しかしクライヴは笑顔だった。


「――同じ間違いを何度も繰り返されては困るな。クライヴ。私は騎士団に所属しているが、騎士ではない。ただの魔獣遣いだ」

「団に籍を置くからには命令に従うべきだろう。……っ」


 言葉を交わしながら二人は蠍の尾を弾き、後方へ跳んだ。


「騎士は上の命令を絶対とするが、あいにく魔獣遣いの私はそのような教えを受けていない。ゆえに自らの判断に従いここに残った」

「勝手な男だ。マスター・ナナともあろう者が」

「二人の時まで、冠の名で呼ぶことはない。昔のように、ルミノアルと呼べばいい」


 軽口を交わしながら、敵の攻撃を紙一重で避ける。ルミノアルも体一つで魔獣の攻撃を捌いていた。彼の従える魔獣の姿がそこにはなかった。おそらく前衛の援護につけているのだろう。クライヴは苦笑いを浮かべた。


「しかし大概な無茶をする。いくら護衛が優先とはいえ、魔獣遣いが一人で戦場に残ってどうする。せめて姿を隠すべきだろう。敵に裸をさらしているようなものだぞ」

「クライヴとて剣の腕前は大したことがない。無茶はお互い様だ。それでも私たちは、ずっとそうやって戦ってきた。――彼がいてもきっと同じことをしたはずだ」


 ルミノアルの言葉に、クライヴは一人の男の姿を浮かべた。今は亡き、誇りある騎士の一人。


 輝くような金髪と、水面のように鮮やかな青の瞳が印象的だった。


 いつだって自信に満ちた表情で、無茶をやってのける男だった。


 仲間の為、命を張って戦いに臨む男だった。


 二人の同門にして、先代の団長――クリストファー=リヴェールはそんな男だった。


「クリスの最後は今も忘れない」


 蠍の尾が数センチの脇を横切る。殺意に満ちた風圧が頬をかすめながらも、二人の表情に緩みはなかった。


「魔獣の群れを一人で止めに向かった。そして私たち二人と村を救いながら、自分は命を落とした。


 ――クライヴ。お前の選択は、クリスのしたことに良く似ている。似すぎている。


 だが、同じ結末にはさせない。そう願ってここに残った。悔やんでも悔やみきれなかったあの日の結末を、繰り返させないために」


「……」

「我儘だが、決闘に水を差す私を許せ」


 勝手なものだ。胸の内で、クライヴは繰り返した。


「しかし不思議だな。0%の勝算が、1%に増えた気がする。魔獣なしの魔獣遣いなど、戦力にはならないというのに」

「その通りだぞ。使役する魔獣がこの場にいない今、私の武力など蚊トンボと遜色ない」

「偉そうにできる根拠がわからんわ」


 一歩の間違いで命を落とす死闘のさなかにあって、しかし、クライヴは笑っていた。


 ともに戦うだけで力が湧いてくる気がした。


 無論、戦況が好転したとはとてもいえない。蠍との間には埋められない戦力の差が横たわっている。戦闘が続けば、どちらに軍配が上がるかは自明の理だ。時間は稼げても、その先は望めない。


 そんなことはわかっていた。先がないことなど。


 それでもクライヴは敵を見据え。


 仲間たちが引き返していった道を、最後まで振り返ることはなかった。

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