第19話 幕開け

 王の騎士団が村を去って三か月が過ぎ、村は葉の色づく季節を迎えていた。


 昼は温かく、夜は肌寒さを感じさせる時節。村では越冬を見越した準備が始まった。一年で最も忙しい時期。村人たちはせわしなく働いた。一年寝かせた毛皮の手入れ。倉庫の補修。やるべきことは枚挙に暇がない。


 中でも最も重視されるのは、備蓄食料の用意だ。冬は作物を育てるにも、狩りに出るにも適さない。雪が降る前に保存の利く食べ物をどれだけ用意できるか。飢えに苦しめられない冬を迎えられるか否かは、その一点にかかっている。


 ゆえに騎士団による遠征狩猟は、村を挙げての一大イベントとして認知をされていた。


「これよりバスパトラ山野遠征狩猟へと向かう」


 村人たちの見守られながらクライヴ団長は号令を挙げた。


 装備を整えた騎士たちの瞳に、凛とした光が宿る。村の騎士たち総勢22名。団長のクライヴを筆頭に、青年部隊隊長のカミル。魔獣遣いの“マスター・ナナ”。夜営を伴う遠征ということもあり、メンバーには騎士団に所属する戦力の粋が集められた。全員が団に所属して3年以上の経験を積んだ騎士たちだ。


 それでも彼らの表情に緩みはなかった。全員が団長の言葉へ、真剣に耳を傾けているのがわかった。


「目標は南西へ14km、バスパトラ山野および周辺エリア。夜営地点はB-13小規模避獣石。期間は24時間。復唱!」


 作戦の確認がなされ、騎士たちは各々、クライヴの言葉を繰り返した。


「出発!」号令とともに、隊列は前進した。送り出す村人たちの歓声に、騎士たちは凛々しい顔で応じた。出発の時はいつもそうだった。笑顔なのは帰ってきたときだけだ。


「それがまたかっこいいんだよなぁ。硬派で」


 惚けた顔のルークは、最前列で騎士たちの出発を見届けていた。


「相変わらず騎士団が大好きなのだな。ルークは」

「ああ。俺は騎士団のことなら何でも知ってるぞ。遠征に出た騎士たちなら、顔と名前と武器と魔法が全部一致するからな」

「……」


 さしものカレットもちょっと引いた。よく学んでいるのだな、偉いぞルーク! とはさすがにならなかった。


 いやしかし、同じく騎士である自分も羨望の目で見られているということなのだろうか。そう考えると悪い気はしないな。だが騎士団には他にも女性の騎士はいるわけだし……。


 むむむ、と唸り声が漏れた。ルークはそんなカレットをきょとんとした顔で見ていた。


「ところで姉ちゃんやココノは、遠征には出ないのか」


「ん、ああ」ルークの問いに、カレットは我にかえったように視線を戻した。


「私はまだ団に所属して間もないからな。それに学校の仕事もある。召集がかかったのは専任の騎士だけのようだ。

 ココノの力は遠征に出るにも十分だが、狩りは連携のほうが重視される場面が多い。普段から行動を共にしている騎士だけで構成するほうが、無駄は少ないのだろう」


「そっか。まあココノ抜きでも強いしね。カミル隊長や、今回はフランの父さんも出てる。けどあれだけのメンバーが揃っても、遠征は一日なんだね」

「わかっていないな。ルーク」


 カレットはびしっ! と指を立てた。ルークは騎士団マニアだが、カレットは現役の騎士。そこはさすがに彼女の方が見識は深かった。


「魔獣に襲われる心配のない村での一日と、外での一日はまるで違うんだ。どれだけ準備をしても、どれだけ強力なメンバーを集めても、人類は魔獣の領域に長くはいられない。


 夜営を行うための避獣石はいくつか確認されているが、どれも十分な大きさではないのだ。魔獣を完全に遠ざけるだけの力はない。


 二十四時間という時間は、騎士団の戦力を固めてなおも限界の時間なんだ」


 強力な魔獣と交戦経験のないルークには、具体的に想像できる話ではなかった。だが騎士団の表情を思い出すと、カレットの話が大袈裟ではないことは分かった気がした。


「とはいえ、メンバーは練達な騎士ばかりで構成されているのも事実。凶悪な魔獣と遭遇することさえなければ、無理なく狩りを終えられる時間と見ていいだろう」

「なるほど。さすが姉ちゃん! 詳しいんだな」


「そ、そうか?」まっすぐに褒められ、カレットは満更じゃない笑顔だった。


「それよりルーク。村に残った私たちにも仕事があるだろう。時間は一日しかないのだ。戻った騎士団をねぎらう宴の、支度をしなくてはな」





 騎士団の見送りを終え、ルークとカレットはその足で学校へと向かった。


 この日は高等部と中等部の合同授業。科目は全てのコマが“教養”に設定されていた。内容は調理実習。帰還する騎士たちをねぎらうための菓子作りだ。


 調理場へ向かうと、すでに何人かの子供たちが集まっていた。調理ナイフを洗ったり、麦を挽いたりとそれぞれの作業に取りかかっている。


「ルークもどこかのグループに入って調理を手伝うといい」


 カレットに促され、ルークは室内を見渡した。見知った顔がいくつかあった。フランチェスカとロイドはレシピを見ながら打ち合わせをしている。ココノは見送りで一緒だった中等部の女の子たちと、和気あいあいに作業をしていた。


 さて。どのグループに入れてもらおうか。


「あら、ルーク。遅かったのね」


 声をかけてきたのはエプロン姿のフランチェスカだった。


「騎士団の出発を最後まで見てたからな。気がついたら俺と姉ちゃん以外誰もいなくなってた」

「相変わらずね」


 フランチェスカは軽いため息をつきながら微笑んだ。


「それよりフラン。スカイローゼはどうしたんだ」

「あの子なら枝に休ませているわ」


 少し離れた木の陰で、羽をつくろっているスカイローゼの姿を見ることができた。


「調理となると衛生面には気をつかわなくてはいけないわ。それに今日はいろいろな人の目があるし」


 離れた場所で薪を割っている大人に控えめな視線を向けながら、フランチェスカは少し肩身が狭そうだった。


 魔獣を過剰に忌避する人間はどんな村にも少なからずいる。極端な者は魔獣の肉を口にしようとさえもしない。その昔は魔獣遣いへの差別もあったという。


 調理場にスカイローゼを入れれば面倒が起きる可能性も、ある。彼女はそんな少数の大人に気をつかったようだ。


「――魔獣が嫌いな人がいるのもわかるけどさ。それで魔獣遣いの魔獣が避けられるのは、違うと思うんだけどな」

「それでも果物狩りの活躍で、小さな子たちの受けはよくなったのよ。ルークのお蔭ね」


 眉をひそめるルークを見て、フランチェスカは繕うように笑った。


「それよりルーク。調理のグループはもう決まったの?」

「いや。探してる途中だった」

「そう。だったら私たちと一緒に……」

「お兄ちゃん、やーっときたあ!」


 ドン、と背中に衝撃が走る。――来るとは思っていたが、やっぱり来たかココノよ。


 首をぐるりと横に向ける。真っ先に視界に入ったのは鋭利に研がれた刃の先端だった。


「おわっ……!」


 叫び声とともに飛び退くルーク。


「あれ、どうしたのお兄ちゃん。いつもなら“ココノか”ってクールに返してくれるのに」

「な、ナイフを持ったまま抱きつかれりゃ誰だって驚くわ!」

「こら、ココノ! 刃物を持ったまま歩き回るのは駄目だと教えただろう!?」


 騒ぎを聞きつけたカレットがすかさず妹を叱った。「はーい、もうしません」と可愛らしく反省の言を述べるココノ。仕方ない子だな、といった顔のカレット。


 いやもうちょっと厳しく言ってくれ姉ちゃん。ルークは仲良し姉妹のやりとりを見ながら肩を落とした。


「それよりお兄ちゃん。今日は高等部と中等部の子が一緒のグループでもいいんだって。ね、わたしたちと一緒にやろ?」

「なっ! ルークは私と一緒に調理をすると約束……しようとしていたのよ!」


 身を寄せるココノとルークの間に、フランチェスカが割って入った。


「えー? でもおねえちゃんは高等部の人だから、料理とか上手なんでしょ? わたしぜんぜんダメだから、お兄ちゃんに手伝ってほしいなあ」

「あれ? ココノは確か料理とかそういうのとく」


 すさまじい速さの掌が、何かを言おうとしたカレットの口を塞いだ。ココノの顔はにこにこしている。しかし手にはけっこう力が入っているように見えた。


「そんな話なら、私だって同じよ! 私は昔から、料理とか調理とかからっきしダメなんだから!」


 いやそんなことを偉そうに言われても困るが。口封じを解かれたカレットも似たような顔をフランチェスカに向けた。


「そんなに苦手なのか? 上手そうな雰囲気はあるが」


 カレットが尋ねると、近くで話を聞いていたらしいロイドが「それについては僕が」と浮かない顔で参上した。


「初等部の頃に一度、フランが作ったキノコのサラダをいただいたことがあります」

「――まずかったのか?」

「半日ほど身動きが取れなくなりました」


 当時のことを思い出したのか、ロイドは薄ら青ざめた顔で視線を落とした。他の三人は時間が止まったように硬直した。ココノでさえも押し黙った。


「そ、そうよ! 筋金入りなのよ私は!」フランチェスカは胸を張って言った。なぜ偉そうなのかはやはり不明である。


「ルークは手伝ってくれるわよね? 遠征でお疲れのお父様に下手なものは食べさせられないの。だから、ね? お願い」

「わたしはパパもママもいないから、お兄ちゃんのためだけに一生懸命作っちゃうんだけどなぁ?」


 両側からルークに腕をからめる二人。見上げるように視線を送った。


「――私が先に声をかけたのだけれど」

「――年下のために譲ってくれる先輩って偉いよね」

「――では間をとって私が……」


 フランチェスカとココノの言い争いが始まり、そしてなぜかそこにカレットが加わる。場はにわかに混沌の様相を呈してきた。というか完全にわけのわからない展開になりつつあった。


「――。……あーっ! 一回離れろ! 全員だ全員ッ!」


 ルークの一喝! 三人どころか調理場全体が一時的に沈黙した。ルークはしまったと思い、続きは声のトーンを落とした。


「どのグループにするとか、喧嘩してまで決めるもんじゃないだろ。皆でやればいいじゃないか。でなきゃ俺は別のグループに行く」


 鶴の一声とはこういうもののことを言うのだろう。ルークの言葉に、フランチェスカとココノはしぶしぶといった顔で離れた。


「相変わらずモテるね。ルークは」

「羨ましいだろう。代わるか?」

「や、僕のポテンシャルじゃ手におえないかな」


 ロイドは女子三人を見て、肩をすくめた。




 それからはルークの班も、他の班と同じように調理へ取り掛かった。


「おねえちゃん、それたくさん入れるとすっぱくなっちゃうよ」

「そ、そうなの? どのくらい入れたらいいかしら」

「んとね。ひとさじでちょうどいいんだよ。手に持ってる分の半分くらい」

「わかったわ。このくらいね」


 最初はどうなることかと思われたフランチェスカとココノだったが、最終的にはある程度仲良くやっていた。


 ココノの仕切りとカレットの手伝いもあって、いい焼き上がりのクッキーができあがった。ドライフルーツと木の実のクッキーだ。


 包装までを済ませ、必要な分を取り分ける。フランチェスカはうっとりとした顔で受け取ったクッキーを見つめていた。


「こんなに上手にできたの初めて。ありがとう、ルーク。……それと、ココノちゃんも」

「俺はなにもしてないよ。ココノの教えかたが上手だった」

「えへん」


 ココノは腰に手を当てた。


「でもおねえちゃんが一生懸命だったから、わたしも頑張ったんだよ。お疲れさま。フランおねえちゃん」

「ええ。――これならお父様もきっと喜んでくださるわ」


 フランチェスカは本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。そんな彼女へ、ロイドも「よかったねえ」と笑っていた。


 彼らには作った菓子を渡す相手がちゃんといる。二人の幸せそうな顔を見て、ルークとココノは少しだけ寂しげに微笑んだ。


 その時、5人の頬に冷たいものが当たった。


「雨だ」


 手のひらを空へ向け、ルークが呟いた。


「いやね。せっかく準備も整ってきたところなのに」

「明日にはやんでるといいけど。とりあえずは屋根のあるとこへ急ごうか」


 フランチェスカとロイドが足早に校舎へと向かう。ココノとルークもそれに続いて駆けだした。ただカレットだけが雨を受けながら、南の空を見ていた。黒い雲がずっと遠くまで空を覆っている。


「嫌な雨だ」


 そしてもう一度、ぽつりと呟いた。誰に聞こえるわけでもない声で。





 そんな彼女の見つめる空の下。降りしきる雨粒に濡れる密林の中――バスパトラ山野中央地点。


「化物が……」


 西洋刀の柄を強く握り、カミルは歯を食いしばった。


 周りには膝をつく騎士たち。中には武器を握れなくなった状態の者さえいた――化物と評された“その魔獣”を前に。


「騎士たちへ伝令を。カミル隊長」


 クライヴは眼前に立ちふさがる敵を見据えたまま、脇のカミルへ言葉をかけた。


「撤退だ。これ以上は――もう戦えまい」


 雨音に混じってカミルの耳に届いたそれは。


 騎士団の魔獣に対する、事実上の敗北宣言だった。

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