第17話 交流戦の結末
死ぬかもしれないと思った。気がついたら、全力で剣を振りぬいていた。
本能が目の前の危険をしのいだ。ふりかかった火の粉を、意識せず払う。あるいは牙を剥く獣から手を引く。生き物として生まれながらに備わった、危険を回避する行動。
レスターのとった行動は、まさにそれだった。
そこに悪意があったわけではない。殺意があったわけでもない。しかしどんな理由であれ、ひとりの若者に死んでもおかしくない程の傷を与えてしまった。
その結果は、悔やみきれない心の痛みをレスターに与えた。
慌ただしく人々が動いている。村人たちがざわめいている。目の前では、ルークにすがっていた少女の俯く姿が見えた。
「クライヴ団長。交流試合の中断を申し出たい」
レスターは頭を下げた。
「私は取り返しのつかないことをしてしまった。もはやここに立つ資格はない。それより治療班に合流し、魔力の援助をしたいと願う」
周囲がざわつく中、シャロンやロイドを含む一部の者たちだけがやりとりを見守っていた。クライヴが思案するように口許へ手を当てた。
「逃げるの?」
つき当てられた声は、クライヴのものではなかった。声の聞こえた方へレスターは視線を送った。金髪の少女が、膝をついたまま俯いていた。
「わたしがまだ残ってるんだよ。レスター副隊長さん」
「しかし私は」
「あれだけのことして、このまま行っちゃうわけじゃないよね」
ゆらりとココノは立ち上がった。新緑の瞳が、限りなく深く黒に染まっていた。
「やめるんだ。ココノちゃん」耳打ちするようにロイドが囁くが、ココノは反応すらしなかった。まだ幼い彼女はときに感情が不安定になることもある。ロイドも話には聞いていた。しかし実際に見るのは初めてのことだった。
ココノの表情には憎しみも恨みもなかった。ただ、人に向ける目をしていなかった。
それは獲物を見据える目と同じ目だった。
止められない震えが、ロイドの身体を襲った。ふたつも年下の少女に抱く確かな恐れ。ココノを止めようとするのはおろか、声を出すことすらできなかった。
「ルールは、武器と魔法無制限の決闘方式。だったらなにやってもいいってことだよね」
腰に帯びた二本のナイフをココノは握った。白と黒の刀身が光を浴びて輝く。幾多の魔獣を葬った凶刃が顔を覗かせた。
「ココノ=リヴェール。刃を収めなさい。
君は、失格だ」
その声に、ココノはやっと反応を見せた。クライヴの怜悧な言葉が少女の手を止めた。
「――失格? どうして?」
「初歩的なことだ。試合という形式において、礼の前に武器を抜くことは道に反する。
いかに君がまだ中等部に所属する少女とて、騎士の卵には違いない。見過ごすわけにいかない不礼だ。神聖な闘場へ上げるわけにはいかない」
騎士として、あるいは審判としての立場から、クライヴは宣告を突きつけた。だがココノは薄く笑うだけ。
「そういえばそんな決まりもあったね。忘れてた。でもね。わたし、試合とか形式なんてもうどーでもいいよ。あの人と、わたしのやりかたで戦えたらそれでいい」
「それはさせない」
「できるの? クライヴさんに。本気のわたしを止められる?」
「まず止められないだろう。だが止める」
表情ひとつ変えずにクライヴは言葉を返した。
「村の大切な仲間である君を、不清の騎士にするわけにはいかない。目を覚ました君の姉や、ルーク少年が悲しむ顔など見たくはないからな」
「……」
「わかったら、もう下がりなさい」
ココノは唇を噛んだ。まだ、なにか言いたげな顔をしていた。それでも抜きかけたナイフだけは収めていた。
ナイスだ、父さん。ロイドは「ルークのところへ行こう」まだ残っている震えを押し殺して声をかけた。
「団長が下がっていいと認めてくださった。だったら少しでも早く、ルークの傍へ」
穏やかに言い聞かせるロイドにココノは小さく頷いた。そして「ごめんなさい」ぽつりとクライヴに向かって呟くと、闘場を駆けだした。
その背中を見送るレスター。懇願するような視線を上司へ送ると「――行っていい」シャロンはため息交じりに応じた。
時間にして一時間も過ぎないうちに、王の騎士団との交流戦は幕を閉じた。
結果は村の代表者の全敗。レスター副隊長を相手に一撃を入れられた者は、ついぞ現れなかった。
――惜しい素材は何人かいたのだがな。シャロンはクライヴより受け取っていた代表者のリストに目を落とした。純粋な実力という観点ならば、注目はカミル隊長とカレット騎士の二名。辺境の騎士団ならそれぞれがエースを張れる力の持ち主だった。
ただそこに“将来性”という点を加味するのであれば、結果は少し変わる。
シャロンは経歴の項目をなぞった。見ればカレットはまだ15の誕生日を迎えて日が浅い。これは何百人という騎士の資質を見てきたシャロンでさえ驚く数字だった。
カレット=リヴェール。高等部を首席で卒業。記述試験を除くすべての項目で首位の成績。唯一トップを逃した記述でさえも二位。現在は教師の職と騎士の職を兼任している。心・術・体ともに非常に高いレベルでバランスのとれた秀才――。
なるほど、レスターが落とすのを渋った気持ちもわかる。学校の成績はいまいちだったシャロンは苦い顔をした。
だがそれ以上に驚いたのは……。シャロンの脳裏に浮かんだのは、五番目の挑戦者に控えていたルークの姿だった。身体強化の魔法を使い、レスターが手加減を忘れる場面にまで追い込んだ少年。
彼の戦いはまだ荒い。強化する部位の配分は極端な上に雑だし、加速・防御・攻撃の切り替えにも時間がかかっていた。確実な任務遂行を求められる騎士団に入るには、あまりに不安定。克服すべき課題がいくつも残っている。
それでも最後に放とうとした一撃。その拳に込められた魔力は目を見張るものがあった。威力だけなら、正規の武器を手にしたレスターにさえ近いものを感じた。
あくまでレスターとシャロンの専門はヘッドハント。いわば人事の人間だ。戦いが本分の騎士ではない。
それでも王の騎士団、それも副隊長クラスを戸惑わせる魔法攻撃を放つ未成年など、そうはお目にかかれるものじゃない。偉人“グランデ=エイル”の子である贔屓目などなしにしても、ルークの戦いはシャロンの興味を惹くには十分だった。
「催しはいかがでしたでしょうか」
手近の騎士に撤収作業の指示を出し終えたクライヴが、シャロンに声をかけた。シャロンは「非常に満足だった」そう言って目を細めた。
「今はまだ早くても、入団に足る資質を持つ若者を見つけることができたよ。それも二人も。交流試合での戦いを見た限りではね。
思いのほか優秀な騎士がたくさんいるようだ。クライヴ団長。あなたも、先ほどは見事な采配だった」
ココノの前に立ちはだかり、彼女を静めたクライヴの言いぶりをシャロンは称賛した。クライヴは「いえ」と恭しく礼を返した。
「ココノとは知った仲でもありましたから。前団長が……彼女の父が健在だったころは、よく食事なども共にしたものです」
そんな風に話しながら、クライヴは少しだけ遠くを見る目をした。
「彼女は昔からそうでした。大切な人間のために、我を忘れる程の感情を爆発させることがある。神に愛された才能を持つ彼女の唯一の欠点です。
しかし怒りを収めるときもまた、大切な人間のためでした。幼いころからなにも変わってはいないようです」
「そうか。あなたとともに説得していた少年もそうだが、よい若者が育っているのだな。この村には」
説得していた少年とはロイドのことを指すのだろう。思い至り、クライヴは「恐縮です」そう言って微笑んだ。少しだけ父の表情が混じっていた。
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