第16話 決着
例えるならばそれは拳の弾幕だった。
クライヴのコールが響いたその瞬間。急に無数の拳がレスターの視界を埋め尽くした。
反射的に防御はしていた。しかし百戦錬磨のレスターでさえ、その現象がルークの攻撃であることを理解したのは防御の後だった。
それほどまでにルークの攻撃は速かった。
「――ッ!」
防御、防御、回避、防御、回避。紙一重のラインでレスターはルークの猛攻を捌いていた。しかし捌くので手一杯。反撃さえ許さない連続攻撃がレスターを襲う。
「嘘だろ。レスター副隊長が……」
王の騎士団サイドから、呟きが漏れた。防戦一方のレスター。誰も見たことのない姿だった。それは村人たちにとっても同じだ。その壮絶な光景を、誰もが固唾を呑んで見守った。
「ね、ねえロイ。あれ……ルーク、よね」
「ああ。僕らの級友、ルーク=エイルだ」
群衆の中。ロイドとフランチェスカは、友の攻勢を最前列で観戦していた。
「信じられない……しんじらんない!」
フランチェスカはロイドの肩をぐらぐら揺らした。どうもこの少女はテンションが上がると、手近な人の肩を掴んで揺らす癖があるようだった。「離してくれ、ルークの試合が見えない」なんとか伝えると、フランチェスカはやっと手を放した。
そして再び闘場のルークを見やる。君に譲ってよかった。ロイドは内心で呟いた。
王の騎士と戦うルークは、記憶にある中でも最も輝いている姿だった。
今はまだ一秒先の未来しか見えないはずのロイドの眼。
だが彼には、王の騎士となって世界へはばたくルークの姿が見える気がした。
「――ものすごい速度だな」
観衆が驚愕する中。ルークの攻撃へ冷静な眼差しを向けていたのはシャロンだった。
「だがあれだけ速い割に、拳そのものは軽い。加速の魔法か?」
シャロンがそんな推測をする頃。拳を捌くレスターも、不思議な感覚の正体を探ろうとしていた。
手数は恐ろしく多い。しかし受けてもほとんどダメージは通らない攻撃だ。速度を補助する類の魔法だろうか。
――。これが試合でなければ少年の攻撃など無視して、反撃に転じてもいい。
しかし一撃を受けたら負け。そういうルールである以上、少年の攻撃は避けるか防ぐかしか選べない。肉を切らせて骨を断つという手段はとれないのだ。
そこまで考えて攻めているのか? だとしたら中々の曲者。皺の寄った眉間がルークを捉える。
「……惜しいとこまでは行くんだけどな」
ルークは腕を引くと、そのまま後ろへ跳んだ。同じ攻撃を続けても届く気がしない。そう判断したためだ。
そして静止。全身に満ちた魔力を切り替える。
急に距離を置いたルークをレスターは怪訝な顔で見つめた。諦めたのか? そんな可能性が一瞬だけ浮かんだが、すぐに消した。
少年は諦めた顔などしていない。あれは何かを企んでいる顔だ。
時間を与えるべきではない。今度はレスターの側から仕掛ける。ゲルドを一撃で沈めた蹴りがルークの身体に向けて放たれた。
ルークは回避するような仕草を見せた。だが遅かった。本当に遅かった。さきほどまでとは別人のように鈍かった。
ズドン、と音を立ててルークの身体へ蹴りが入る。表情が固まったのは、蹴りを放ったレスターの方だった。
硬い。なんだ、この身体は。まるで岩を蹴ったかのよう。
「――っ。壮絶な蹴りだ。防御に集中してこのダメージか。丸太でぶん殴られたみたいだ」
でも耐えきれた。ルークはすぐさま拳を握った。レスターの身体は射程内にある。カウンターをくれてやる!
振り切られた拳の、風圧がレスターの頬をかすめた。驚きに身を固めたレスターだが、やっと我に返って後ろへ退く。
そして再び起きた怪現象を探ろうと、思考を巡らせた。
ただ身体を魔力で覆っただけで、自分の蹴りを耐えきれるはずなどない。なんなのだ。あの少年の力は。
「――速さを補助するだけの魔法なら、今の攻撃で終わっていたはず。硬化の魔法? まさか複数の魔法の使い手?」
いやそんな芸当が、あの歳の少年にできるとは思えない。というかあり得ない。現場に立つレスターも、観戦するシャロンも同じ結論に至った。
では少年の魔法の正体はなんなのか。
「少年は一度、自分からレスターと距離を置いて時間を作ったな」
その時に、魔法の性質を切り替えた。可能性は高い。
「では切り替えることで、加速や硬化を同時に行える魔法はどんな魔法だ?」
――いや違う。加速だとか硬化だとか、魔法の性質を一点に絞った考え方が間違っているのかもしれない。
少年の身体が元々持っている運動能力や抵抗力を、魔力によって増長させた。そう考えたら筋が通るのではないか。
だとすれば少年の魔法は。
「身体強化、というやつか」
二人が答えにたどり着いたのはほぼ同じタイミング。しかしリアクションは全くの対極だった。
レスターは緊張。シャロンは笑顔だった。
「身体強化の魔法――この世に二つとない魔法だと思っていたが、こんなところで見られるとはね。なんといったかな。あの少年の名前は。
確かルーク……ルーク、エイル。ふむ。ルーク=エイル。――エイル?」
身体強化という稀有な性質の魔法。そして、エイルの姓。
「――。グランデ=エイルの子か。彼が」
単身で魔獣の領域を練り歩き、生き残り、あらたな避獣石をいくつも発見した偉人。グランデ=エイル。王国でも伝説として語り継がれる大人物。その息子と知らずのうちに出会っていた偶然を、シャロンはやっと知った。
「面白いね。それ、すごく面白いよ」
「私はあまり面白くありませんね」
シャロンの独り言に、レスターは思わず言葉を返してしまった。もしもシャロンの推察が正しいとすれば、目の前の少年は伝説の血をひく子。死闘のさなかに覚醒しないとも限らない。
万が一の結末が、レスターの頭に過ぎった。
このまま長引かせるのは得策ではない――剣の柄を無骨な両手が握った。カレットを倒した一撃を放つ直前の構え。
決めるつもりだ。ルークは息を呑んだ。
けど俺も魔力はほとんどない。無茶な戦いをしすぎた。無茶をしなければもたなかった。だから次が最後なのは同じこと。
集中力を高めると、ルークは残る魔力の全てを攻撃に転嫁した。全ての魔力がルークの右手に集まり、ぼんやりとした光を放った。
これで終わる。
気迫の声を上げてルークは跳んだ。剣を構えたレスターとの真っ向勝負。だが振りかぶった拳に、恐れも戸惑いもなかった。
がむしゃらに憧れを追い続け。血のにじむ鍛錬を積み重ねてきた者の一撃だった。
――速い。少年の方がわずかに。
剣を構えながら、レスター表情を固めた。恐るべき速さ。そして恐るべき強さの拳が自分へと迫っている。
最後の一撃を目前にして、レスターに芽生えた感情は恐怖だった。
そしてその感情が。レスターが意識的に押さえてきた……武力のリミッターを外した。
「おおおおおお……ッ!!」
腹の底からの咆哮。レスターの剣は、残酷なまでの加速と破壊力を纏い、そして。
ルークの胸を穿った。
「ぁっ」
声にならない音が口から漏れた。しかしその音は、身体を支える芯が何本もへし折れる音でかき消された。
血反吐をまき散らして土に伏す少年。闘場は時が止まったように凍りついた。
「お、おい……レスターお前」
シャロンの声で、レスターは我に還ったように顔を上げた。刃を潰した模造刀の切っ先。少年の吐いた血が滴るのが見えた。
「――ッ!! 救護班! すぐに治療をっ!!」
騎士の魂とも言うべき剣を落とし、レスターは叫んだ。命を受けて、王の騎士から何人かが闘場へ駆け入った。しかし騎士たちよりも早くルークのもとへ着いたのは、彼のことを想う幼い少女だった。
「お兄ちゃん……ルークお兄ちゃんっ!」
ココノの悲痛な叫びが空を裂いた。うつぶせに倒れるルークはぐったりとして、ぴくりとも動かなかった。拳に満ちていたはずの魔力もなくなっていた。
最低でも、意識不明であることは明らかだった。
「落ち着いて、あなた。少年は私たちが必ず救う。だから、一度離れて」
杖を携えた王の騎士が、ルークへすがる少女を諭した。しかしココノは聞く耳を持たなかった。
「いやだ! いなくなったらやだ! おにいちゃんがいなかったら、わたしはまた……!」
――まずい。混乱の最中、呆然と惨状を見届けていたロイドが闘場へ走った。ルークの容体が一刻を争うことは、傍目に見ていたロイドにも瞭然だった。
「離れるんだ、ココノちゃん。ここは王の騎士たちに任せよう」
つとめて冷静にロイドは話した。しかしココノは強く首を振って、ルークの手を離さなかった。
王の騎士の治療魔法を、一刻も早く施す。それが最も優先されるべきことだ。しかしそれを伝えようにも、今のココノには理解ができない。
「だって三人で、一緒に外の世界を旅しようって……。お兄ちゃんが死んだら……死んじゃったら」
「――ルークは死なない!」
無数に思い浮かべた説得、あるいは奸計の全てを振り払って、ロイドがぶつけたのは感情だった。
「こんなところで死ぬようなやつじゃないだろ。ルークは。いつか王の騎士団に入る男なんだ。こんなところで死ぬわけない! ココノちゃんだってわかってるんじゃないのか」
「――!」
「信じてるんじゃないのかよ」
力強い光を帯びたロイドの眼が、ココノを見据えた。ルークにすがりついていた手が、やっと緩んだ。騎士たちが頷き合ってルークを運んでゆく。
「勝者。レスター=クック」
静かなコールが、血と涙に濡れる闘場に響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます