第9話 ひとつ向こう側へ

 ルークたちが集合場所に到着したとき、すでに他のチームは整列を完了していた。


「来ましたね。チームAの三人……に、カレット先生もご一緒でしたか。二分ほどの遅刻ですよ」


 カレットと同じく訓練の監督者を務めたマヤは、発条時計に視線を落とした。


「すまない、マヤ。遅れてしまって」


 頭を下げるカレットに、マヤは息をついた。「仕事中は“先生”と呼ばなくては」小声でそんな注意するとカレットは「そ、そうだったな。すまない」とまた謝った。


「まあカレット先生も一緒だったようですし、今回の遅刻は不問としましょう。しかしどうして遅れたのですか」

「……」


 ロイドとフランチェスカはひきつった顔で明後日の方角を向いた。いつもは肩にとまっている鳥獣はなぜか少女の胸に抱えられていた。嘴を抑えられた状態で。


「――ルーク、あなたは」

「実はおっぱ」

「い、いやちょっとしたアクシデントがあってだな! 大丈夫。もう解決したんだ」


 あわてふためくように口を塞ぐカレット。眼鏡の奥に覗くマヤの目はあからさまに怪訝な色を帯びていた。しかし追及はすることなく、ルークたちチームAに所定の場所へ座るよう促した。


「これよりチームと個人成績の検討を私とカレット先生で行います。発表まで少し待っていてください」


 結果発表の時間。それは実践試験のお楽しみだ。中等部の生徒も、高等部の生徒も、この瞬間を待ちわびる気持ちは変わらない。みんなの前で表彰されるのは何歳になっても気持ちの良いものだ。


 マヤとカレットは手早く虫かごの中身を改め、それから少々の意見交換を行った。その間生徒たちはひそひそ声で予想を交わしあっていた。


「それでは結果を発表します」


 マヤの声に、生徒たちはいっせいに静まった。授業でもこれくらい早く静かになればいいのに、とカレットは苦い顔。しかしそういうところが可愛くてやっているところもある。発表の瞬間に子供たちがどんな顔をするのか。それを見るのもカレットの楽しみだった。


「チーム捕獲数、合計23匹。優勝、チームA!」


 ――ほとんどのチームにとって桁がひとつ上の数字が発表され、場は一瞬だけ静まり返った。しかしすぐに歓声へと変わった。


「23!? うそだろその数字!」「どうやったらそんなに捕まえられるの!」「すげえなお前ら!」「そんなに虫いたのかあの森!」


 優勝チームの三人へ、口々に賞賛が向けられる。


「ち、調子がよかったらもっといけたはずよね!」

「うん。最後にアホなことやってなかったらね」


 ロイドとフランチェスカはテレ隠しのように応じた。それでも顔には隠しきれない笑みが浮かんでいた。なんだかんだ二人も幼かった。


「はいはい。静かに。まだ発表は終わっていませんよ」


 マヤが手をたたく。さきほどより少し時間がかかったが、やはり場は素早く静まった。まだ個人賞の発表が残っている。


 生徒のほとんどはマヤの言葉に集中していた。そんな中、ロイドとフランチェスカだけは、同じチームの少年を見ていた。チーム優勝の功労者、ルーク=エイル。彼がいなければ今の称賛はなかったのだから。


 静寂の中で、マヤはゆっくりと口を開いた。


「最優秀賞は、チームA。ロイド=パストール」


 名前の発表とともに、またひときわ大きな歓声が沸いた。「え?」そんな中、呆然とした表情を浮かべたのは賞を獲得したロイド本人だった。


「ロイド、返事は」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 ロイドは心ここにあらずといった様子で、視線をさまよわせていた。


「どうして僕なんですか」

「どうしてもなにも、成績を考慮した結果です。あなたが最も優秀でした。カレット先生との意見も一致しています」

「――。どんな部分が評価していただけたんでしょうか」


 つとめて理性的に、ロイドは質問した。その後ろではフランチェスカが真剣な眼差しをマヤに向けていた。


 彼女はロイドの受賞が不服だったわけではない。だがルークの活躍が俎上にすらあげられなかったことが納得いかなかった。もしも筋の通った返答でなかったなら、食ってかかるのも厭わない。そんな表情だった。


 チームAではルークだけが、表情もなくやりとりに耳を傾けていた。マヤは三人の様子を順番に見ると「いいでしょう」普段となんら変わらない、冷静きわまる口調で語った。


「まずは純粋な捕獲数。ロイドが個人で捕獲した数は16匹。これは全チームが捕獲した数の約半数にあたり、もちろん全体でもトップの数字です。

 次にパフォーマンス。的確に虫のいる位置を突き止め、魔法を効果的に使用し、標的を捉える彼の手際は評価に値するものでした」


「そこなんですが、たとえば」


 話の途中にロイドは口を挟んだ。


「たとえば虫を見つけることができたのが、他の誰かのお蔭だったとしたらどうですか。

 僕たちのチームはとにかく数を見つけることで、今回の成績を残すことができました。だったら“探す方法を提案した人”こそが、最も評価されるべきだと考えることはないんでしょうか」


「ありませんね」


 突き放すような否定に、フランチェスカの眉が吊り上がった。だがマヤの鋭い眼光はその先のアクションを許さなかった。


「たとえ他の誰かから知識を得たのだとしても、それを効果的に利用できるかどうかは個人の実力です。逆に知識を持っていたとしてもそれを生かすことができなければ、実力がなかったのと同じことです。

 ロイド。あなたにはそれができた。他の誰よりも。だから最も優秀なのです」


 マヤの言葉は、まだ子供の生徒たち全員を黙らせる説得力と威力を孕んでいた。現実を突きつける大人の言葉だった。


 じゃあルークはどうなのか。実力がなかったとでもいうのか? ロイドはよっぽど、そう言い返してやりたかった。友の勲功を認めさせてやりたかった。


 しかしそれは不可能だと、賢い彼はわかっていた。ルークの捕まえた獲物の数はゼロ。魔法の使えなかった彼は、最後までその手で獲物を捕らえることはできなかった。記録に残る成果を出すことはできなかった。


 ルークの話を出したところで、マヤは審査の基準を覆したりはしないだろう。鋭い眼光と、揺るがぬ口許がそれを物語っていた。


 ――事情を知らない生徒たちからざわめきが起きる。そんな矢先だった。


「ルーク。あなたはどう思う」


 突然の指名でルークは顔を上げた。マヤの隣で聞くに徹していたカレットの言葉だった。


「同じチームAに所属していた者としての意見が聞きたい。ロイドの受賞は、妥当ではないと思うか」


 全員の視線がルークへと集まる。ルークはカレットをまっすぐに見据え、口を開いた。


「いいえ。最優秀賞に相応しい成績を残したのは、ロイドで間違いないと思います。異存はありません」

「そうか」


 それからカレットの視線はロイドへと向いた。もう充分だろう。物言わぬ視線が、ロイドにはなにより痛かった。


「――ありがとうございました」


 やっとのことで彼は、それだけを口にした。後ろでは同じように、フランチェスカが唇を噛んでいた。

 ルークだけが最後まで無表情のままでいた。





 それから高等部の生徒たちは学校へと戻り、解散となった。だが栄光を勝ち取ったばかりのチームAは、沈んだ顔で校門の前に佇んでいた。


「やっぱりおかしいわ! ロイドもがんばったけれど、ルークだって活躍したのに!」

「それを言うなら、フランだって活躍しただろう」

「ルークのほうがもっと活躍したの!」

「はいすみません」


 なぜか叱られ、ルークは苦虫を噛み潰したような顔になった。というか本人よりも怒ってくれるのは、ありがたいやら、申し訳ないやら。複雑な気分だった。


 まあどちらかというなら、もちろんありがたくはない。ルークは笑っているフランチェスカの方が好きだった。


「とりあえず、さ。もう終わったことだ。二人が俺を推してくれるのは嬉しいよ。でも、マヤ先生も姉ちゃんも間違ったことは言ってない」

「でも……!」

「二人と力を合わせて優勝できた。それだけでも、俺は嬉しかったよ」


 夕日を背に、ルークの笑顔がオレンジ色に浮かんだ。


「二人はそうじゃなかったかな」


 ルークの微笑みは、気勢に満ちていたフランチェスカの言葉を失わせた。そして顔にへばりついていた険しさも。


「あなたがそこまで言うなら……納得、しないわけにいかないじゃない」


 口を尖らせるフランチェスカに「ありがとう」ルークは小さくお辞儀をした。


 そしてもう一人。ロイドの方はというと、やはりひっかかりは拭えなかったのだろう。試験の直後からずっと難しい顔のままだ。けれど。


「今日のことは、貸しにしといてよ。いつか必ず返すから」


 言い聞かせるようにそう言った。懸命に自分を納得させようとする友人に、ルークは


「ああ。忘れても取り立ててやるからな」


 笑ってそう言った。


 ――それから三人は別れ、ルークは一人になった。そして自宅が見えた頃。学校でさよならの挨拶を交わしたはずの人物が、玄関の前で立ち尽くしているのを見つけた。


「なにしてんだ、姉ちゃん」


 俯いていたカレットの身体がびくん、と震えた。そしておずおずと「今日はお疲れ様だったな」そんなねぎらいの言葉をかけた。


「うん。姉ちゃんもお疲れ様」

「ああ……」

「――」

「――」

「――家に入っていいかな」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! すぐに済むからっ!」


 両手を広げて、ルークの進路を塞ぐカレット。そしてひとつ大きく息を吸い込むと、じっとルークの目を見つめて向き合った。


 真剣な顔。お姉ちゃんとしての彼女ではなく、教師……あるいは騎士の表情をしていた。


「今日のルークはすごく立派だった」


 カレットは昼間の光景を目に浮かべながら、穏やかに話した。


「ロイドと……きっとフランチェスカもだろうな。二人が意見をしようとしても、ルークは最後まで結果を冷静に受け止めた」

「――立派でもなんでもないよ。そこまで熱くならなかっただけだ」

「それは嘘だ。ルーク」


 断言され、ルークは反射的に目を逸らした。しまったと思ったがもう遅い。カレットはいつだって、きちんと彼のことを見ている。


「ルークが一生懸命なのは私だってよく知っている。だから悔しかったはずはないって、わかってる。ちゃんとわかってたんだ。


 けれど私は教師として、次の騎士を育てる者として、正着な判断を下さなきゃならない。ルークもそれを受け入れようとしてくれた。だから最後まで、ああいう冷たい言い方しかできなかった。


 でもな。私はちゃんと知っている。魔法が使えない負い目を感じながらも、ルークが誰よりチームのために頑張ろうとしていたこと、ちゃんと見ていたぞ。

 それだけはどうしても……伝えたかったんだ」


 ――。

 なにをそんな先生みたいなことを。



 っていういつもの軽口が。

 声にならなかった。



 唇を噛み、涙を堪え、気がつくと、ルークはカレットの胸に飛び込んでいた。ロイドやフランチェスカもそうであったように、ルークもまだ、感情を抑えられるほど大人ではなかった。


「立派に育ったな。ルーク」


 カレットの細い腕が、そっとルークの背中へと回された。記憶の中ではまだ小さかった背中。カレットが思うよりもずっと広く、大きくなっていた。


 時が止まったように、温かい姉弟の抱擁が続く。


 続く。


 続く――はずだった。







「なにしてんのおねえちゃんたち」





 どさ、と聞こえてきた音に振り返る。

 金髪ツインテールの少女が、その碧の目をいっぱいに開いて立ち尽くしていた。


 ここでまさかのココノ参上。脇には野菜のいっぱい入った袋が落ちている。


 抱き合いながら固まるカレットとルーク。嫌な予感がした。というよりも嫌な予感しかしなかった。


 っていうかココノお前こんな絶妙にシリアスな場面で出てくんの? などと理不尽なつっこみがルークの頭に浮かんだが、それを口にする前に喋ったのはカレットだった。


「ち、違うんだぞココノ!」

「何が違うの?」

「えと、そうだ……うん、そうだ! こ、これは格闘の訓練なんだ! 最近ルークが少したるんでいると思ってだな。決してやましいことじゃ……」

「無理があるよお姉ちゃん」


 と、ココノ。一刀両断。


「真夜中にね。わたし寝ぼけて両親の寝室に入っちゃったことがあるんだ。そのとき一緒のベッドにいたお父さんとお母さんも似たようなこと言ってたよ?」

「――!? そ、それとは違うんだぞココノ! いや両親のくだりは見ていないがそれは違う……と思う。誤解だ!」

「すごく口数が多いね。あやしーんだ」


 息もつかせぬココノ節にあたふたする姉ちゃん。一方の妹にはあのサドい微笑みが浮かんでいた。どうも誤解しているわけではないらしい。が、むかついたことには変わりないのでとりあえず虐めちゃおう。みたいな感じだろう。


 この妹まじで末恐ろしいな。ルークは身を震わせた。


「ところでお兄ちゃん」


 ――やばい矛先がこっちきた! 退避を、と思ったがもう遅い。場所は家の前。体力は空っぽ。相手はココノ。逃げ場はないし逃げられるはずもない。


「せっかく試験がんばったお兄ちゃんに手料理作ってあげようと思ってきたのになぁ。

 予定変更~。夜通し遊んでもらっちゃうからね」


 断末魔が、夕暮れのエイル家の前に響き渡った。

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