第5話 村の守り神

 昼食の後は狩猟の実践試験。高等部の生徒15名は、それぞれの武器を手に学校の門へと集まった。


 半期に一度行われる実践試験は、成績のウェイトを大きく占める。高等部の成績・実績は卒業後の進路にももちろん影響する。生徒たちの目は通常の訓練時より、やや強めの真剣味と緊張を帯びていた。


「それでは、これより狩場へと向かう!」


 レイピアを掲げたカレットの掛け声に「オー!」と元気よく生徒たちは応じた。


「実践中の安全は私とマヤ先生が保証する。安心して試験に臨んでくれ。みんなに守ってもらいたいルールは普段の訓練と同じ。

 それは……約束された範囲の外に出ないことだ」


 カレットを含む全員の視線が、一斉にルークへと向けられた。


 うお、視線が痛い。針で全身をつつかれているみたいだ。ルークは唾を飲み込むと「大丈夫です、先生。反省してますから」と丁寧に言った。


「うん、わかったぞルーク。お姉ちゃ……じゃなかった。先生は信用しているからな」


 カレットはこほん、と咳払いをして応じた。彼女は村の騎士団に所属しながら、教師の仕事にもついている。いろんな場面で自分を使い分けるのは大変なんだろうな。ルークは尊敬とねぎらいの視線を向けた。


 だからといって「お姉ちゃん」の一人称には気をつけてほしいところだが。ルークは誰にも気づかれないよう冷や汗を拭った。成績に関してカレットが贔屓をする心配は絶対にない。彼女もその辺りはわきまえている。


 でも純粋に恥ずかしいのだ。人前で弟みたいに可愛がられるという行為が。


「しかしルークはおっちょこちょいだから心配だ。大丈夫か? 忘れ物などはないか」

「大丈夫です先生」

「困ったことがあればおね……先生にちゃんと相談するんだぞ。なるべく傍にいるからな」


 ルークは同級生たちの視線が強まったのを感じた。主に男子の。


 ちなみに非難の視線がカレットに向けられることはない。彼女の人望はそれだけ厚かった。その分、じとっとした視線を向けられるのはルークの役目だった。


 なるべく普通に接してくれ、姉ちゃん。いやカレット先生。

 ルークは視線をそらしながら切に願った。


「ではこれより、狩場へ移動する。だが、その前に寄らなければならない場所があるな」


 場所の説明はないままカレットは列を率いた。説明の必要がないという方が正しい。


 村人は領域の外に出る前に、必ずある場所へ寄るように躾けられている。脱走を試みたルークでさえサボらなかったほどの習慣。


 到着したのは中央の広場。“村の守り神”とされる避獣石の祀られた場所だった。


「さあ、外出の無事を祈ろう」


 カレットが両手を合わせるのに応じて、生徒たちも同じ動きをする。目を閉じて祈りをささげる。沈黙の時間は十秒ほど続いた。


「――さて、祈りも済んだことだ。移動をするとしよう」


 出発の合図を聞いて動こうとしたその時だ。


「あ、お兄ちゃんだー!」


 聞きなれた声がルークの耳に入ってきた。振り向くと、スケッチボードを抱えたココノが駆け寄ってくるところだった。


「こんなところで会っちゃうなんて偶然だね。訓練にでも行くの?」

「いや、今日は試験だ。狩猟のな」

「そうなんだ。じゃあ頑張んなきゃだね! っていうかお兄ちゃん。今日試験があるのに、脱走なんかしてたの?」

「う」


 相変わらず無鉄砲だね、とココノ。痛いところを突かれ、ルークはあからさまに目と話を逸らした。


「そのスケッチボード……中等部は、教養か?」

「うん。避獣石と風景のスケッチが課題なんだ。見て見て」


 自分から見せるだけあってココノの絵は整っていた。彩りも非常に鮮やかだ。花の液をうまく混ぜたのだろう。微妙な色合いまで正確に表現がされている。


「うまいな。ココノは」

「もっと褒めていいんだよー」


 そう言って頭を差し出すココノ。新たに声が飛んできたのは、さらさらの金髪にルークの手が触れようとした瞬間だった。


「いつまでそこにいるの、ルーク。遅れてしまうわ」


 列の集団から離れて、フランチェスカが腕組みをしていた。


「先に行ってていいよ。すぐ追いつくから」

「大丈夫なの? 今日は私たち、同じチームなのを忘れないでね。メンバーが揃わなくてはどうしようもないのだから」

「はいはい」

「もう……早く来なさいね」


 しぶしぶ、といった顔で踵を返すフランチェスカ。小言を重ねられ、同じく苦い顔のルーク。

 しかし険しい目つきをしていたのはなぜかココノだった。


「誰なの? お兄ちゃん。あのおっぱい大きい人」

「おっぱい……ああ、フランのことか」

「わたしとお兄ちゃんのラブラブタイムを邪魔してくれちゃって」


 え? なにその浮ついた感じのタイム?

 疑問が口をつくよりも先に、ココノはルークの手を握って顔を寄せた。


「駄目だよ、お兄ちゃん。おっぱいの大きさなんかにまどわされちゃ。おっぱいが大きい女の子なんか、すぐ男の子をたぶらかすに決まってるんだからね」

「偏見もはなはだしいな。そもそも惑わされてないが」

「『おっぱいの大きさは女の魔性に比例する

 ――ココノ・リヴェール――』」

「格言っぽく言い直しても説得力ないからな」


 それに多分“おっぱい”という単語の含まれる格言は存在しない。調べたことはないがルークは確信していた。


「うぅ……リヴェール家の女子はみんな恵まれてないもんなぁ。お母さんも小ぶりだったし、お姉ちゃんはあんなだし。わたしは子供だからまだ成長するかもだけど……」


 それだと姉ちゃんが絶望的みたいじゃないか。「“あんな”とはなんたる言い草だ!」涙目で抗議するカレットの姿が浮かんだ。


「ねえ、お兄ちゃん。お兄ちゃんはやっぱり大きい方が好き?」

「別にこだわりはない」

「よかったぁ! お兄ちゃんが貧乳ずきで!」

「いや言ってねえぞ!?」


 ルークの周りには本当に話を聞かない人物が集中していた。


 そして今の叫びは嫌でも人々の注目を集めた。特に近くでスケッチに集中していた中等部の生徒たち――主に男子の視線がルークへと注がれる。


 おい、あの兄ちゃん貧乳が好きらしいぞ

 まさか僕たちのココノちゃんが狙われてる……!?

 ありえる。みんなあの兄ちゃんに気をつけろ。ココノがとられちまうぞ


 視線に込められた感情は一律して、敵意だった。


「――お前の方がよっぽど魔性の女だよ。ココノ」

「え? なにが?」


 首を傾げるココノ。小悪魔は立派に、大人の悪魔へと成長しつつあった。

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