第3話 一夜明けて

 リヴェール邸の地下で一夜を過ごし、ルークは自宅へ帰った。


 煉瓦造りの小さな一軒家。そこにルークは一人で暮らしている。父親は旅に出ていた。母親は、わからない。少なくともルークは聞かされたことがない。


 だから一人で暮らしていた。誰に挨拶をすることもなく無言の帰宅。溜めた雨水で身体を洗い、まずは着替え。それから朝食の流れ――が普通だが、今日は省くことにした。カレットの手料理がまだ胃に残っている。それに何より口が痛い。


 魔獣の皮をなめした鞄にノートをつめる。登校の準備が完了した。この間わずか20分。


 まだ授業が始まるには早いが、一眠りするほどの時間はないな。家にいてもやることないし、行くか。


 ルークは靴を履いて玄関を出た。もともと学校にいない時間を過ごすだけの家ではあったが、今日の滞在時間は輪をかけて短かった。


「お、ルーク。おはよう」


 家を出た矢先。本当に一歩出たところで、ルークは声をかけられた。同級生の少年にして悪友、ロイド=パストールがそこに立っていた。


「待ってたのか。こんな朝早くから」

「待ってたさ。こんな朝早くからね」

「なにか用か」

「朝帰りの感想を聞こうと思って」


 チッ、と思わずルークは舌をうった。どうやらロイドは昨夜の追いかけっこをすでに知っているらしかった。


 なぜ知っているかは聞かなかった。愚問の一言に尽きるからだ。ロイドの父親はカレットも所属する騎士団の団長。村の外を探索する専門家たちのトップである。


 カレットとココノがルークを見失った際に動くのも、騎士団の役目。報告を受けているのは当然のことだ。そして有事に備える父親を見て、ロイドが昨夜の出来事を推測してもなんら不思議はない。


 というか当然だ。過去に同じことが46回も起きれば誰だって想像がつく。


「で、今回はいいところまで行ったの?」

「全然ダメだった。領域から2kmも離れてない場所で捕まったよ。15分も全力で走ったのにな。森の中で同じ場所をぐるぐる回っていたらしい。ただ姉ちゃんに魔法は使わせたぞ」

「いやいや。そういうことじゃあなくて」


 ロイドが人差し指を立てて振る。


「カレットお姉ちゃんと一夜を過ごしたんだよな。誰も邪魔が入らない地下室で」

「うん……まあ」


 邪魔なら入ったが。


「どうだったんだい。何か熱い出来事があったんじゃないの?」


 ああ熱かったさ。口の中だけな。ルークは思いきり残念な笑顔で親指を立てた。


「熱々のジャガイモを二個ほど口に突っ込まれた。以上」

「以上? それだけ?」

「以上だ」


 本当にそれだけだからどうしようもない。ルークが無言で頷くと「待ってた甲斐がなかったなあ」そう言って、ロイドは小石を蹴った。


「どんな話を期待していた?」

「もちろんエロい話を期待していた」

「そこまではっきり言われると逆に清々しいな」


 だからと言って「もっとその話しようぜ!」とはならないが。


「ロイの口から出るのはエロ絡みのことばっかだな」

「エロいことしか考えてないからね」


 それもどうかと思うが。


 馬鹿な軽口を交わしながら歩くと、学校にはすぐに到着した。木造一階建ての校舎。そこで初等部(9歳以下)から高等部(13~15歳)まで、合わせて48名の子供たちが学んでいる。


 早朝ということもあってか、校舎の周りは静かなものだった。しかし高等部の教室に近づくにつれ、廊下に声が漏れてくるのをルークは聞いた。少女の声だ。


「僕らが一番乗りじゃないみたいだね。誰だろ」

「いやフランだろ。こんな朝から学校に来て、一人で喋るやつなんか他にいない」


 ルークは同級生の女子の愛称を口にした。


「フランってこんな朝早くから来てるんだ?」

「ロイは知らなかったか。フランはたいてい、朝は教室で魔法の練習をしてる。みんなが登校しだすとやめるけどな。昼から試験だし確認も兼ねてるんじゃないか?」


「へえ。独りごと言ってるだけに聞こえるけどね。かくいう僕も、女の子とランデブーな出来事があった日にはそれはもう悩ましい独り言を」

「いや聞いてないからな」


 とにかく教室の前で立ち話もなんだ。ルークは扉をスライドさせた。ロイドも後に続く。


「おはよう。フラン」

「あら、おはようルーク。それとロイも」

「そのオマケを見るかのような目、ゾクゾクくるね。おはよ」


 気持ちの悪い一言を冠につけて、ロイドも挨拶を返した。


「それにしても来るの早いんだね。フランは。魔法の練習してる、って聞いたけど」

「ええ。この子に言葉を教えていたのよ」


 と、窓際で羽根を休める鳥獣を指して少女は答える。

 魔獣遣い、フランチェスカ=ナナは答える。


「なにか新しい言葉覚えた?」


 ルークの問いに「ええ。もちろんよ。日々成長しているわ。私と同じでね」と、フランはたわわな胸を張った。


「飼い主に似たのかしら? スカイローゼはとっても優秀よ。ためしに質問してごらんなさい。簡単な質問なら応じられるはずだわ」

「おぉ……自信満々」


 それじゃ僕が、とロイドが前に出る。


「フランの胸のサイズはいく――かふっ」

「セ・ク・ハ・ラじゃない! なんてこと聞くのよ!」

「いてて……舌噛んだ。だって質問していいって言うから」

「聞いていいことと悪いことがあるでしょ!」

『はちじゅうに』

「!? あなたも答えなくていいの! スカイローゼ!

 っていうか何で答えられるのよ! 教えてもいないのにっ!!」


 うーん、朝から賑やかなことだ。


「――14歳で82かぁ……。フランはじまったな」

「忘れなさい! 頭から消去するのよ! できないなら力ずくで飛ばしてあげるわ。あなたの記憶の全てをッ」


 ルークの目の前では丸めたノートが、剣のように打ち合わされていた。顔を真っ赤にしたフランが腕をぶんぶん振り回している。しかしまったく当たる気配はない。


 あ、これは魔法使ってやがるな。と、ルークは気がついた。ロイドは明らかに見てから動いていない。ノートが振られる前にガードを完了させている。


 ロイド=パストールの魔法。1秒先までの未来を見る力。それを使えば造作もないことなのだろう。


 ちなみにこの魔法についてロイドは


「くそう! どうして神様は“服が透けて見える魔法”を与えてくれなかったんだ! あるいはシンプルに透明になれる魔法でもよかったのに!」


 そう嘆いていた。ロイには悪いが神様の判断は正しい。ルークは本気で心の底からそう思った。友人が村の女性に処刑される姿は見たくない。


「――はぁ、はぁ、ひ、卑怯よ! 魔法を使うなんて」

「や、軌道を読むのは魔法の力だけど、捌いているのは純粋に僕の実力だよ。努力の賜物ってやつさ」


「うぅーっ!」涙目のフラン。ルークはなんだか可哀そうに思えてきた。さすがにロイドもばつのわるそうな顔をしていた。最後は急に動きの鈍ったロイドがぼこぼこにされて終わった。間違いなくわざとだろうが。


「ちょ、調子に乗るからこうなるのよ! はぁ、はぁ……猛省なさい!」


 しかしそんな配慮はつゆも知らないフランチェスカは、満足げに級友を見下ろした。


「……大丈夫か」ぼろ雑巾みたいに倒れる友人にルークが問う。


「いたぶられる趣味はないんだけどなぁ」


 そんな返事がロイドからは返された。


 いつも通りの反応だった。それで大丈夫かどうかは、ルークには判断できなかったが。

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