第26話 エリィ=フローレンス
指定された会場は古びた礼拝堂の一角だった。
100年くらい前に流行った宗教が廃れ、どういうわけか現在は魔導協会(魔法使いたちの登録する協会)の管理物件となっている建物だ。
一般人がここに足を踏み入れる機会はおよそない。珍しい機会が得られたもんだと、内装を見て回りながら進む。
ぼんやりと薄暗い景色の中、俺は見慣れた後ろ姿を見つけた。
「集合時間15分前にきっちりいる。さすがマジメ娘」
「? っ! クード!?」
隣に腰掛けると、シュナは声を上げて身体をのけぞらせた。
「ど、どうしてここにいるんだ! 関係者以外は入れないはずだぞ!」
「関係者って?」
「魔術師選挙の候補者たちに決まっているだろう。今日はその説明会なのだから当然……」
「それなら大丈夫。俺も立候補するから」
サインの入った受理証を見せると、シュナは再び裏返った声をあげてそのまま固まった。
「立候補すると200万もとられるのな。
まあ3%の票が取れたら返してもらえるらしいけど、冷やかしの立候補を防ぐためにしてもたけーよな」
「じょ、冗談がすぎるぞクード。……。冗談だよな?」
「冗談で200万も払えるか。
実は前々から魔術師になってみたいなー、って思ってたところなんだ」
「こ、子供でもわかる嘘をつくな!
それにお金はどうした。前に借金だらけだって言っていたじゃないか」
「編み物の内職で稼いだんだ」
「嘘つけッ!」
「――相も変わらず騒々しいですこと」
頭上から降ってきた、上から目線の声。
顔を上げると少女が立っていた。シュナと同じくらいの歳の娘だ。
金髪の髪をくるっくるに巻き、幼い容姿に似合わないピンヒールで身長を底上げ。
胸には見せびらかすように勲章とみられるたくさんのバッジ。
なんつーか、お高く留まったのを絵に描いたような見た目してんなぁ。
そんな感想を顔に出さないようにしながら見ていると、シュナが口を半開きにして固まっていた。
「エリィ……? エリィじゃないか!」
「知り合いか?」
「うん。アカデミー時代のクラスメイトなんだ」
シュナの口調がぱあっと明るくなった。
「久しぶりだな、エリィ。元気そうで何よりだ!」
「ふん。今のうちに余裕ぶっていることね。
私が選挙に出る以上、シュナ。あなたに当選の目などないのだから」
「そっか。ここにいるということはエリィも選挙に出るんだな。
嬉しいぞ! 一緒に頑張ろうな」
「立候補していたことすら知らなかったの……なめられたものね。
投票日を迎える前には、埋め難いほどの差を見せてあげる。尻尾を巻いて逃げ出すなら今のうちよ」
なんか温度差を感じる二人だな。仲いいのか? 悪いのか?
そんなことを考えていたら「エリィはな。すごいんだ!」と、シュナが嬉々として語り始めた。
「私が在籍していた3年間、エリィがアカデミーで一番の有名人だった。
才能もそうだけれど、何より魔法の練習量・研究量が飛び抜けていた。
私もサボっていたわけではないが、エリィほど努力をしてきた自信はない。尊敬する友達なんだ」
褒めちぎるシュナ。しかし受けた賞賛の言葉とは裏腹に、エリィは苦虫を噛み潰したような表情だ。
「——誰のせいで死ぬほど努力する必要があったかも知らないで。
そこまでやっても、シュナ。あなたとのトップ争いに決着はつかなかった。
いい機会ね。どちらが上か思い知らせてあげるわっ!」
「うん! いい勝負をしような!」
「く……そのノリむかつくぅ……!」
一生懸命に挑発するエリィと、相手してもらえることが嬉しそうなシュナ。
なんとなく二人の関係性が見えてきた。お互いめっちゃ意識はしてるけどその中身が違う感じだ。
そして喋れば喋るほどエリィが可哀想に見えてくる。
ていうかそろそろ止めたほうがいいのかもしれない。周囲がざわつきはじめた。悪目立ちしている。
「はじめまして、エリィ=フローレンス嬢」
俺の声に、エリィはうるんだつり目をそのまま俺に向けた。
「私のことをご存じなのね」
「有名人だからな。フローレンス家の筆頭魔法使い。
今の状況なら、選挙の本命は間違いなく君だろ」
お見知りおき感謝いたしますわ。そう言ってエリィは形ばかりのお辞儀をした。
少しはフォローになったんだろうか。
「有名人と言えば、クード。あなたも同じではなくて?」
「俺のこと知ってんだ」
「勇者と共に魔王を討伐した功労者の名前くらい、存じておりますわ。
けれどあなたの本職は“何でも屋”でしょう。こんなところでお会いするとは驚きですわ」
「人生なにがあるかわかないよな」
適当に返した言葉に、エリィもまた「転職は個人の自由ね」とおざなりな返事をした。眼中にないといった様子だ。
「――まぁいいわ。シュナ、私の同期としてせめて恥ずかしくない戦いをなさい。
もっとも、無事に投票日を迎えられたらの話だけれど」
「? 心配ありがとう、エリィ。でも大丈夫。健康には自信があるんだ」
「ふん。おめでたいこと」
「よろしくな、エリィ」
右手を差し出すシュナ。肩透かしを食ったのか、エリィは少し驚いたような表情を見せた。
それでもエリィは左手に握っていた杖をテーブルに立てかけた。そして手のひらを差し出す。
——おいおい。青春ドラマじゃねーんだから。
差し出された手と手が触れる寸前に、シュナの手首を掴んで止めた。
「今はまだライバルだぞ。握手は選挙が終わった後だ」
「いいじゃないか、握手くらい」
目を丸くするシュナに、「いいから」となだめる。そんなやりとりを見ながら、エリィは薄く微笑んだ。
「少しはわかっているみたいね」
「? どういうことなのだ?」
シュナがはてなマークを浮かべている。
やっぱりだ。この娘はなんの含みもなく、ただ握手を求めていたらしい。
「うかつに魔法使いの身体に触れるな。触れることで発動する魔法もある」
「私が不利になるような魔法をエリィがかけると? そんな小細工はしないだろう」
するんだよ。たいていの魔法使いは。
というか可能性は十分あった。だってエリィは、わかっていながらシュナの右手を握り返そうとしたのだ。
何かを仕掛けようとしたのかもしれない。
……。
ん? 右手?
——それは時間差で浮かんだ疑問だった。
シュナは右手で握手を求めた。それに応じるならば、エリィが出す手も右のはず。
しかし彼女が差し出したのは左手だった。握った杖をわざわざ置いてまで。
紺のマントに隠れた右手に視線が向かう。
何か意図があるのか?
不意にシュナの声が届いたのはそんな時だった。
「それはそうとエリィ。ずっと気になっていたのだが……。
右手はどうしたんだ。何かあったのか?」
シュナの質問は、俺の頭に浮かんだ疑問そのままだった。
「エリィの右手がどうかしたのか」
さっきのやり取りで俺はやや警戒されたふしがある。シュナが聞いてくれるのならちょうどいい。
そう思って、エリィにではなくシュナに尋ねる。
「エリィの杖の持ち手。昔と逆ではないか」
目を見開いたまま黙っているエリィの杖を、シュナは指して続けた。
「魔法使いは杖を握って生活する時間が長い。そのため利き手は生活のために空けておき、杖は逆の手で持つのが定石なんだ。
そういう訓練をしているから、右利きの私は常に左手に杖を握る。入れ替えることはまずない。
しかしエリィは左利きだ。それなのに会ってからずっと杖を左手で握っている。
それが気になったんだ」
なるほど。業界特有の常識というやつか。
疑問は同じでも、シュナは俺とは別の根拠で違和感にたどり着いていたようだ。
さて。シュナらしいストレートな探りだがエリィはどう応じる?
じっと目を見るシュナに、エリィはため息まじりに口を開いた。
「他人の利き手なんてよく覚えているわね」
「私は他人だなんて思ったことはないぞ。尊敬する友達で、ライバルだ」
「物好きね。
——いいわ。見せてあげる」
再び左手の杖を手放し、ゆっくりとマントが捲り上げられる。
「!?」
それを目にした瞬間、シュナは両手で口元を覆った。
マントと同じ色。着用していた半袖のインナー。
その袖口から、あるはずの右腕が伸びていなかった。
「あなたもこうならないように気をつけることね」
悠然とした言葉遣いとは裏腹に。
右腕のない少女の瞳には、仄暗い闇が宿っていた。
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