第19話 顔ノナイ魔王 エピローグ

 世界に平和が戻った――王都がそんな発表をしてから一週間の時が過ぎた。


 人や物資の行き来する往来。温かい陽射しの中を、蹄の音と人々の声が飛び交った。


「やあ、精が出るね」


 肉屋の店主の気のいい挨拶に、御者は馬を止めた。


「客足はどうだい。御者の爺さん」


「まずまずさ。ずいぶんと旅人の姿が戻ってきた。人々の記憶から魔王と魔物への不安が消えるのはまだ先だろうが、なぁに。これからだろうよ。そっちは?」


「楽になったもんだ。仕入れが安定するようになったのがデカイな。魔物たちは人が変わったように大人しくなった。狩人たちがそんなことを話してたよ。

 おかげ様で品ぞろえもこの通りだ」


 氷の上に並べた肉の前に両腕を広げ、肉屋の店主は白い歯を見せた。


 ひとつどうだい。そう訊いてくる店主に、御者は硬貨を渡して干し肉を買い取った。孫が好きなんじゃ。久しぶりに食わせてやることができる。そう言って笑った。


「いい世の中になったもんだなぁ。……結局だれがどう魔王をやっつけてくれたのかはわからねえ。けどがんばらねえとな。それが世界を救ってくれた誰かさんに対する感謝ってもんだろうしな」


 店主のなにげない呟きに頷く御者。


 脳裏にはひと月ほど前に、魔王の城へと向かっていった青年の姿が浮かんでいた。


 ――あの若者はいまごろ何をしておるかの。


 白い眉を上げて御者が天を仰ぐ。吸い込まれそうな透明の空に、甲高い鳥のさえずりが響いていた。







顔ノナイ魔王 エピローグ







 王都の中心にそびえる宮殿。その更に中枢に位置する謁見の間にて、王は険しい視線を膝元へと向けていた。


 その先には自身が国の英雄と認めた人物。勇者ジェノブレイドが膝をついている。


「まずはご苦労だったと言わせて貰おう」


 王の発した低い声が、王室の厳かな空気に溶けていった。


「魔物の危険が軽くなった影響で、人々の生活に活気が戻っていると聞く。

 すべては魔王討伐を成し遂げた勇者殿の功績だ。貴殿の活躍なくして今の我が国はない」


「は」と、ジェノブレイドの静かな返事がホールに響きわたる。


 一見したところでは賞賛する王とそれに応じる従者。だが王の表情には笑みがなかった。


「お疲れのところ申し訳ないが、ひとつふたつ聞かせて貰いたい」

「何なりと」

「アリアについてのことだ。娘はいまどこで何をしておる」


 視線を床に落としたまま、ジェノブレイドはわずかに目を見開いた。そして少し間を置いたのち、「治療を受けておられます」そう返事をした。


「先にお伝えした通り、再び魔王にさらわれた姫君は奪還作戦のさなかに傷を負われました。現在は治療に専念している状況です」

「治療ならば王立医局でも構わないだろう。どうして場所を伏せる。娘はどこにいる」


「申し上げられません」

「なぜ申せない」


 言葉は落ちついていたが、声には別の感情が混じっているのがジェノブレイドにもわかった。


「――事実として魔物たちの凶暴化は収まった。今度こそ魔王が死んだことに間違いはないのだろう。


 “何でも屋のクード”

 彼が魔王に憑かれアリアをさらった。


 勇者殿は彼を追い、魔封石と呼ばれる石で魔王の魂を消滅させた。

 そう聞いている。ここまではいい」


 王は伝え聞いたいきさつを復唱した。

 クードと勇者によって、でっち上げられたいきさつを。




『魔王に憑かれたのは俺という事にしておこう』


 戦いの後、クードはジェノブレイドにこんな提案をしていた。


 アリアが一時的にも魔王になっていたと聞けば王家の名に傷がつく。政情不安を招きかねない。


 またそれは勇者であるジェノブレイド。名家の娘であるシュナ。技術者として国宝級の実績を持つリーシャも同様だ


 三人は最後まで傷のない英雄でなくちゃならない。


 魔王に憑かれた者としてもっとも角が立たないのは自分。だから、そう報告してくれ。クードはそのように申し出たのだった。


『しかし、それではお前が』


 言葉を返そうとしたジェノブレイドに、クードは


『今は俺がリーダーだ。違ったか?』


 そう言って穏やかに微笑んだ。




「――だが聞いた話には疑問が残る」


 ジェノブレイドの回想を打ち切るように、王の口からは鋭い言葉が浴びせられた。


「魔王が死んで全てが終わったのなら、もはやアリアを匿う理由はない。また治療にあたっている者の素性を伏せる必要もない」

「仰せのとおりです」

「本当に娘は無事なのだろうな」


 息を呑むと、ついに王はもっとも訊きたかったことを口にした。


 わずかな間。しかし彼にとっては気が遠くなりそうな沈黙を挟んで、ジェノブレイドは懐から石を取り出してみせた。


 石の発する緑の光に王が視線を向ける。「声紋石と呼ばれる石です」そう言って、ジェノブレイドは石に触れる手に魔力を込めた。


『――パパ、聞こえる?』

「! アリアなのか!?」


 石から漏れた声に、王は思わず言葉を乱した。『そんなに驚かないで』そんな言葉とともに、ふふ、という上品な笑い声が返ってきた。


 正真正銘のアリアの声。聞き違えるはずもない。彼が最も愛する娘の声だった。


『ごめんなさい、すぐに帰ることができなくて。けれど心配しないで。少し時間はかかるかもしれないけれど、傷が癒えたら必ず城に帰るから。

 愛するパパのところに帰るからね。約束します』


 姫としての言葉ではない。アリアのメッセージは、帰りが遅くなることを詫びる娘の言葉だった。


『あら……もう切れるの? まだ私』

「お、おいアリア……!」

『つないでくれている人の魔力が切れそうみたい。また連絡するわね』


 ぷつん。と音を立て、石から発していた光が消えた。


 随分と一方的なメッセージに終わり、王は呆気にとられた表情を浮かべていた。


「申し訳ありません。通信環境が不十分だったようです」


 そう言って頭を下げるジェノブレイド。王は背もたれに身体を預け、しばし脱力したように天井を仰いでいた。


 それから「アリアは私との約束を破ったことがなかったな」そう呟くと、身体を起こして勇者のほうを向き直った。


「ご苦労だった、勇者殿。しばらくゆっくり休むとよい。


 できれば、ときどきアリアの様子を伝えてもらえると有難い」


「承知いたしました」


 恭しく礼をして、ジェノブレイドは謁見の間を後にした。


 大仰な扉が閉まり、人けのない廊下へと出る。ジェノブレイドは大きく息をつくと、再び声紋石に口を近づけた。


「終わったぞ。クード」

『――ご苦労だった。ジェノブレイドくん。

 ゆっくり休んでくれたまえ』


 冗談めかした仲間の声。


 安易にリーダーなどと認めるものではないな。クードのにやけた顔を浮かべながら、ジェノブレイドはため息をついた。



◆◆



「報告、終わったそうだ」


 手にこめた魔力を抑えると、クードは声紋石を放り投げた。


 見た目の割に軽い石が宙に弧を描く。「わわっ」いきなり石を放り投げられ、ベッドに腰掛けた少女は慌てて両手を差し出した。


「――これでも怪我人よ。急に身体を動かさせるような真似はしないでくれる?」


 悪い悪い。軽く言いながらクードが白い歯を見せる。


 そんな彼を見て、少女は――アリアは頬を膨らませた。


「全く……誰のせいでこうなったんだか」

「え? 刺せって命令したのはお前だろ」

「実行したのはあなたでしょ。やるにしてももっと上手に刺せなかったの? 細胞の間を縫うように」


 こう、くいっと。針の穴に糸を通すようなジェスチャーをしてみせるアリア。


 そんな達人みたいなことできるか。釈然としない態度を前面に出していると「では多数決をとりましょう」とアリアが指を立てた。


「私が悪いと思う人」


 ……。黙って右手を挙げてみる。


「じゃあクードが悪いと思う人」

『――。はーい、はいはいはい!』


 黙って手を挙げたかと思うと、アリアの口から急にテンションの高い返事が飛び出してきた。


 アリアの声がアリアの口から出ている。しかしこれは彼女の声じゃない。


 あいつの声。


 アリアの身体に住まう者の声だ。


「二対一。“私達”の勝ちね」

『いえーい!』

「――わかった。わかったけど、それ一旦やめてくれ。混乱する」


 たじろぐ俺を前にして、ん? とか言いながら小首を傾げるアリア。


 この仕草はアリアの……じゃなくてあっちの方か? ダメだ。頭がおかしくなる。


「今喋ったのはアリアか? それともあいつか?」


 俺の質問に、さあどっちかしら、と少女は悪戯っぽく微笑んだ。



 現状。

 ご覧の通り、アリアと魔王の意識はひとつの身体に同居してしまっている。



 魔封石を身体に深く刺し込まれたことにより、アリアの身体からは魔力が完全に失われた。そのため転生の進行は止まり、アリアの意識が完全に乗っ取られる事態は食い止められた。


 だがシュナの見立て通り、すでに同化してしまった部分までは取り返しがつかなかった。そんな流れでこのややこしい状態に落ち着いたというわけだ。


“死なないギリギリのラインで魔封石を刺し、身体から魔力を消滅させる。そして魔王の意識はアリアの身体に封印する”


 リターンは大きいが、リスクも大きい選択だった。


 魔力がなくなれば全ての魔法は無力化するため、魔物たちの暴走は止まる。だが一つ間違えればアリアは命を落としていた。


 それに人類の仇をその身に住まわせるという現状は、決して平和な結末とは言えないはずだ。


 本当によかったのか。そう尋ねた俺に、アリアは柔らかな笑顔を向けた。


『クードも一緒に背負ってくれるのでしょう』


 それ以上の言葉はいらなかった。俺は頷いて、アリアと一緒にこの結末を受け入れることを決めたのだった。


「しかしこのややこしさだけは、なんとかならねえ?」

「――それもそうね。魔王、あなたちょっと工夫をしなさい」

『工夫って?』


「あなたが喋るときはちょっと声色を変える。それと口も動かさないように話す訓練をなさい」

『えー、それめんどくさ……』


 口答えをする魔王に、アリアが口許を吊り上げた。


「あら。あなたは無償で私の身体を借りている身よね? それなのに入居のマナーすら守れないの。魔族とやらは礼儀も習わないのかしら」

『う……』

「“王”の名を冠する者としての底が知れるわね」

『わ、わかりました! わかりましたよっ!』

「返事は“はい”でしょう?」

『うぅ……はい』


 躾完了。そう言わんばかりに、アリアはサドい笑みを浮かべていた。

 やっぱ怖えこいつ。


「何か言った?」

「い、言ってません」

「そう。戸惑っているように見えたのは気のせいね」


 もう余計なこと言うのやめよう。気に入らないが、アリアの中に住まう魔王と考えが合致したような気がした。


 それはさておき。


「お前さ……あ、魔王のほうな。お前本当にもう人間を攻撃する気はないんだろうな」


 いくら魔力がなくなったとはいえ、アリアの身体で余計なことをされるわけにはいかない。釘を刺すつもりの質問に


『もちろん』


 魔王はあっさりそう応じた。


『前も言ったけど、そもそも攻撃したくて人間を攻撃してたわけじゃないもの。命を狙われなくなるならそれだけで万々歳だよ。

 しかもお姫様の生活が体験できるんでしょ? 優雅な食事とか舞踏会とかも! 楽しみだなぁ……人生はじまったって感じだよね』


 うわ、軽っ……。ぶっちゃけちょっと引いたが、アリアが“あなたが言うの?”って目でこっちを見ている。


 さすがに同類とは思われたくない。ちょっとだけ生き様を顧みようと思った。まあ思うだけなんですけどね。


「まあいいや。んで、お前ずっと意識あんの?」


 今度の“お前”には、魔王もスムーズに対応をした。


『んーん。転生も中途半端な状態で終わっちゃったし、前ですら一日一時間くらいしか意識を乗っ取れなかったもの。

 同居してるって言っても、お姫さまの意識が上位にあるっぽいね。私の意識は眠らせようと思えば眠らせられるんじゃないかな』


「――あら、可能なのね」

『あれ……? もしかしてわたし余計なこと言った?』

「もしかしなくても言ったな」


 あっさりボロを出す魔王。こんなのに翻弄されてたのか俺ら。ちょっと頭が痛くなった。


『やだやだ! 寝てても退屈なだけだもん!

 わたしを眠らせて何する気!? あ、もしかして二人きりでえろいこと……!』


 ……。


「――あ、できた」


 閉じていた目を開くと、アリアはふぅ、と息をついた。


「あの子は賑やかだけれど疲れるわね」

「容赦ないなお前」

「起こしておくと話が進まないでしょう」

「話って、えろいことすんの?」

「す……するわけないでしょう!」


 あの子の言うこと間に受けないでよ! とか何とか色々とまくし立ててくるアリア。相変わらずこの手の冗談は通じないみたいだった。


 こんなカゲツに筒抜けの場所でどうこうするはずないだろ。

 ……二人きりならともかくとして。


「で、話って」


 仕切り直すように訊くと、アリアはなぜだか顔を赤らめたまま目を逸らした。


「あのときの返事……。クードの気持ちも聞かせてよ。も、もしかして忘れたとか言わないよね!?」


 あのとき? ……ああ、あの時か。

 さすがに忘れるわけない。




 あなたといられて、私は幸せでした




 そう言えば返事をしてなかったな。


「俺も――」


 アリアの瞳に視線を重ねて口を開く。何も心配事のない穏やかな時間が流れる。


 ここからまた新しい何かが始まる。


 柄にもなく、そんなことを思う昼下がりだった。





 顔ノナイ魔王 了

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