第18話 姫君 アリア

「どういう……ことだ」


 ひざをつきながらも敵意を放つアリアの体を前に、ジェノブレイドが言葉を詰まらせた。


「魔封石は魔力を無効化させる。転生も魔法の一種であるのなら、アリア姫の身体から魔王が消滅することになるのではないのか」


 理論上はそうだ。そうなることを期待して、俺とカゲツは魔封石を最後の一撃に用意した。


 だが目の前の結果は俺たちの希望を真っ向から否定した。


 魔封石ではアリアの身体と魔王の魂を分離できないらしい。


「転生は相手の肉体を乗っ取る魔法。つまりは自分の魂と、相手の肉体を同化させる魔法だ」

「何を」

「シュナもそう言っていた」


 ――カゲツのアジトを出発する前日。シュナの部屋であったやりとりが甦った。





『俺の質問に正直に答えてくれ』


 そう言って俺が魔封石のナイフを見せるとシュナは表情をひきつらせた。魔封石と転生の相性について訊きたいだけだったのだが、どうも誤解を与えてしまったらしい。


 コレで身体から魔王の魂だけを消滅させられると思うか? 専門家の意見を聞かせてほしい。尋ねると、シュナにも意図が伝わったらしい。ほっとしたように表情を緩めた。


 そしてナイフを受け取り、その刀身をまじまじと観察した。


『――難しいかもしれない』

『なぜ』


『転生は相手の肉体を乗っ取る魔法。つまりは自分の魂と、相手の肉体を同化させる魔法だ。


 魔封石でとどめを刺せば転生の発動そのものは無力化できるだろう。新たに身体を乗っ取られる事態にはならないはず。しかしすでに同化してしまった部分については、もはや転生の魔法とは別の話だ』


『じゃあコレを刺せば魔王の魂だけ殺して、めでたしめでたし。とはならないわけか』

『……あくまでも可能性の話だ。試してみないことにはわからない。それに未熟者の私の言うことだ。あてにはできないぞ?』


 とってつけたような言葉を足して、シュナは無理な笑顔をつくった。


『唯一の希望なのだ。安易に否定はできないし、したくない。

 うまくいくといいな。クード』


 そう言ってシュナは穏やかに俺の背中を押してくれた。


 きっとシュナも俺と同じだった。誰もが笑って終われる結末があることを信じたかった。


 まやかしの希望を信じたかったのだと思う。





「う……ぐぅ……っ」


 うめき声を上げながら、魔王は俺たちを見据えて立ち上がった。そして


「終われない……わたしはまだ死ねない」


 生への執着を、喉の奥から絞り出すように吐き出した。


「死ねないよ……。いままで何人もの人間に襲われてきた。何回だって命を落としかけてきた。


 やりたいことはなんにもできなかった。世界中に嫌われて、辛い思いもたくさんした。


 それでも生きてきた。いつかこんな運命が変わる日がくるって。出口の見えない暗闇の中を、這いつくばって生きてきたんだ」


 震える手が傷口を押さえる。流れた血は腕をつたい、魔王の足元で水音を立てた。


「わたしのために命を失った子だっている。わたしの幸せを最後まで願ってくれた子だっている。


 何もできていないのに。なんのために生きてきたかもわからないのに。


 このまま……死ねるわけないじゃない!」


 目に涙を溜め、歯を食いしばりながら魔王は叫んだ。


 そして拳を握り、俺めがけて走る。手に纏った炎は蝋燭の火のように小さくなっていた。


「クード!」


 勇者の声にハッとして、魔王の攻撃を受け止める。


 隙だらけの敵。満身創痍の肉体。刺そうと思えば簡単に刺せた。


 けど手が動かない。動かせない。


 掌で魔王の身体を押す。「きゃ……っ」と弱弱しい悲鳴を上げ、魔王は地面に転がった。


 よろめきながらも魔王が身体を起こそうとする。アリアの身体で立ち上がろうとする。見ていられず、思わず視線を逃がす。


「クード。まだ手はあるか」


 視線だけを俺に向けてジェノブレイドが訊いた。答えられないでいると「ならば決断しなくてはならない」静かにそう言葉をつないだ。


「姫君は心を決められたのだろう。あとはお前が使命を果たすだけだ」

「――そんな簡単な話じゃ」

「私にも人の心がある。自分だけが苦しいと思うな」


 静かに言葉を荒らげ、ジェノブレイドは俺の口答えを斬って捨てた。語り口が勇者のそれではなくなっていた。


「過酷な道だというのはわかっている。それでも選ばなくてはならない。


 彼女は悩み苦しんで出した答えをお前に託した。きっとお前だから託した。


 クード。お前のほかに、誰がアリア姫の覚悟に報いることができるというのだ」


 託した……。胸のうちで呟き、視線を落とす。魔封石の紅い輝きが右手を照らしていた。


 これまでのきつかった道のりが脳裏に甦る。けどどうしてか、最後に思いだされたのはアリアとの約束だった。




 一人で戦おうとするなよ。誰が魔王でも、俺は最後までお前の傍にいる




 あんな格好つけたセリフを言ってといて、自分だけきつい選択から逃げようってのか。


 アリアだけに全部を背負わせようってのかよ。


 ――呆けている俺の頬に、とつぜん叩きつけるような熱風が届いた。


 見ると魔王がその身体に炎を纏い、自分の周囲へと広げている。


 前の決戦でも最後に使ってきた技だ。膨大な魔力を燃やし敵を巻き込む。先のことを考えない切り札の大技だ。


 炎の壁には全身を巻き込むだけの厚さがある。身体の一部分を金属化する俺の魔法だけじゃ突破できない。


「私が入口を創る」


 俺の心を読んだかのようにジェノブレイドが口を開いた。


 そうして剣の柄を両手で握る。すさまじい密度の魔力が刀身に集まる。


「悩み苦しみ、それでも歩むことを決めた道に絶望だけが待っているはずはない。

 信じるのだ。行け、クード!!」


 大砲のような空気の塊が剣から放たれた。それが炎の壁にぶつかる。


 勇者が全ての魔力を込めた一撃は、熱の障壁に文字通りの風穴を空けた。


 道が開けた。その先にアリアの姿が見える。気付いたら俺は、自分でも信じられないくらい力強く一歩を踏み出していた。


 ほとんど無意識だった。覚悟が決まるってのは、案外そういうもんなのかもしれないと思った。


 もう迷わない。魔王を倒す。


 戦いの結末をアリアの分まで背負う。


 ポケットから人形を取り出した。リーシャが俺に預けた木彫りの人形。そいつを魔王に向かって投げる。


 見た目はただの人形だ。けれどこの局面でただの人形を持ち出す奴はいない。仕掛けがあることはもちろん魔王も悟ったのだろう。人形が届く前に炎の矢で撃ち落とした。


 おそらくはリーシャの想像通りに。


 人形が炎に包まれる。同時に人形の尻が火を噴きだした。


 導火線だ。



 パァン!



「!?」


 小気味のいい破裂音。そして煙が俺と魔王を包むように広がった。


 視界が一気に白く染まる。お互いの姿はもう影しか見えない。


「――煙幕? こざかしいよ! もう正面から戦う力しか残ってないくせに!」


 人影の右手に明かりが浮かぶ。手に最後の炎を灯したのだろう。敵も真っ向勝負で迎え撃つ気のようだ。


 炎の拳が俺に突き出される。満身創痍とは思えない威力に鋭さ。


 魔王に恥じない気迫。そして相応しい一撃だった。


 とても自分だけの力じゃ防げなかっただろう。


 拳が俺の腹を捉えた。……だがその炎は、俺の身体に届く前に消滅していた。


 煙幕に含まれた消火剤によって。


「拳だけでも大した威力だよ。シュナがお守りがわりにかけてくれた“耐性強化(プロテクト)”がなければ耐え切れなかったかもしれない。

 五人がかりでやっとこれだ。最後まで俺たちは一人じゃお前には敵わなかった」


 紅い刀身を突きつける。魔王の開いた眼に紅い光が映る。


 柄をしっかりと握り、軸足を踏み込んで。


 俺は今度こそ魔王の腹にナイフを沈めた。


「あ……うぁ……」


 最後の最後。魔王は何かを言いかけて、しかしそれを声にできないまま俺に倒れ掛かった。


 辺りを包んでいた炎が消えてゆく。宴の終わりを告げるかのように。


「お開きだ。おやすみ、魔王」


 ひとすじの涙が魔王の目から零れた。それが最後のちからであったかのように、アリアの身体から魔力が消えた。


 肩に両手を添え、ゆっくりと身体を抱きかかえる。そのとき。


「――終わったのね、クード」


 懐かしい声が胸元から聞こえた。


 目を落とすと、アリアのかすれた瞳が俺を見つめていた。


「アリア……お前」

「うん。魔力がなくなったおかげかな。ずっと抑え込まれていた私の意識が、やっと表に出てこれた。

 よかった。最後にあなたと話すことができて」


 最後なんてこと……。言いかけた俺の口に、アリアはそっと人差し指を添えた。わずかな時を惜しんでいるかのようだった。


「私は……う、く……」

「! 無理に喋んなよ!」

「大丈夫……じゃない、かな。痛いものね。

 やせ我慢も長く続きそうにないわ」


 でも、だからこそ聞いてほしい。交錯した視線が俺に訴えかけてくる。


 アリアは俺の右手に、そっと両手を添えた。


「ありがとう。最後まで私の傍にいてくれて。

 あなたがいたから怖くなかった。あなたといたから楽しかった」


 光を失いかけた瞳が、俺を通じて遠くを見ている。


 それは俺たちの出会った遠い昔から、今のこの瞬間までの。


 一緒に過ごしたすべての時間を懐かしんでいるみたいだった。


「あなたといたから、私は幸せでした」





 その言葉が最後。俺を見つめていた瞳がそっと閉じる。


 想いに答えてやるわずかな時間さえもくれずに、アリアは深い眠りについた。


 そっとアリアの頬を撫でる。月明かりだけが差し込む城の中、ただでさえ薄い肌が人形のように白んで見えた。


「行こう、クード。私たちにはやるべきことが残っている」


 脇に立つ勇者の言葉に頷き、俺はアリアを抱きかかえた。


 アリアの覚悟を無駄にしちゃいけない。託された俺たちが道をつないでゆくんだ。


 ――勇者と二人、並んで戦場を後にする。


 半径30メートルの悪夢が、ここに全ての幕を下ろした。

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