第17話 勇者vs魔王

 風が止み、水をうったような静けさがホールを満たした。


 ひざをつく俺の目の前。鏡のように研がれた刃が、目を剥く俺の顔を映している。


「傷は?」


 静寂を破ったのは、不気味なくらいいつも通りの勇者の声だった。


 左脚と、右腕も少し。……返した答えが声になっていたかは自信がない。だが勇者は俺を一瞥すると、薬液を満たした瓶を放ってよこした。


「黄金草の抽出液だ。それを傷口に擦りこむといい」


 黄金草は速効性が高く、しかも傷と魔力を同時に回復できる薬草だ。効果は絶大だが希少価値も高い。


 こんなものをどこで。カゲツか? いや、そんなことよりも。


「勇者……お前なんでここに」

「必要とされたからだ」


 端的な答えとともに見せたのは、一枚の手紙だった。


 線が細く整った文字。見覚えがあった。アリアの字だ。


「意識を取り戻した時、黄金草とともに枕元に置かれているのを見つけた。中にはこう書かれていた。

 “仲間のもとへ向かいなさい。あなたの力が必要です”と」


 勇者は振り返ると、その冷たい眼光を魔王に向けた。


「私が申し出ると、カゲツとやらもあっさり此処へ送ることを承諾した。

『お姫様からも承っております』

 そう言って私に剣を手渡した」


「ってことは」

「想定されていたのだろう。お前が魔王と対峙する未来を」


 あるいはご自身の運命も。そう付け加えて、勇者は手紙を俺によこした。


 アリアらしい言葉で、自分のいなくなった未来へのメッセージが連ねられている。まるで遺言状のようだった。


 俺らのことばっか心配しやがって。あの世話焼きお姫様が。


「おおよその展開は聴いている。指示を出せ」

「――俺の指示なんて従うのかよ、お前」


 まぶたを擦って口を開くと、つい皮肉が零れてしまった。だが勇者は大真面目な顔で頷くだけだった。


「いつのまにか私は自分の正義と力を過信していた。お前の拳がそれに気づかせてくれた。

 私に道を示してくれ、クード。今はお前がリーダーだ」


 勇者はそう言うと、どこかさっぱりとした表情を俺に向けた。


 届かないくらい前を歩んでいた勇者が。あのジェノブレイドが、俺を……。


「――」

「どうした」

「――いや、なんでもない。お言葉に甘えさせてもらうぞ」


 薬をなじませ、左脚に神経を集中させた。ひりつく痛みがじんわりと和らいでゆく。


 このペースだと五分ってとこか。


「五分くらいで調子を戻す。なるべくアリアの身体を傷つけずに時間を稼いでくれ」

「難しい注文をするな。だが、心得た」


 勇者が剣を構える。気迫に呼応するかのように風が舞う。


 あの時を思い出したのだろう。魔王が息を呑んだのがわかった。


「うぅ……勇者さまかぁ。できれば二度と戦いたくなかったんだけどな」


 手のひらをスカートで拭い、魔王は両手に灯した炎を強めた。


 大量の魔力を消費する火力。敵も出し惜しみをしていられなくなったのだろう。


「戦いたくない、か。同感だ。私もその黒い炎を見ると傷が疼く」

「首までふっ飛ばされたわたしほどじゃないでしょ!! トラウマなんだよ、あれ!

 ――今度は負けないから」


 魔王がジェノブレイドを見据えて歩み寄る。互いが十歩の距離に向かい合う。


 二度と目にすることのないと思っていた頂上決戦。





「黒炎(ヘルフレイム)!!」

「鎌鼬」

 




 響いた轟音がホール全体を震わせた。


 黒い炎の渦が二人を包んで唸りを上げる。収まったときには、もう最初の立ち位置に二人の姿はなかった。


 舞い上がった竜巻の中央。互いの攻撃を眼と鼻の先に迎え、ジェノブレイドと魔王が対峙する。


 疾風の一振りと火炎の一撃。同時に繰り出された攻撃が、紙一重のラインで互いの身体を掠めた。


「――前ほどの鋭さはない。勇者さま、クードくんたちと戦ったときのダメージが抜けてないよね」


 無数の炎を放ちつつ魔王が笑みを浮かべた。ジェノブレイドが風と剣で振り払う。しかし炎の一部が衣服を焦がしていた。


「ちょっとだけ。でも確実に、お姫様の身体でもわたしのほうが今のキミよりも強い。それでも続ける?」

「万全の戦いができないことくらい百も承知だ。

 だがそれで揺らぐ程、勇者の名は軽くない」


 そして再び散る火花。剣と炎の塊とがぶつかり合う。


 戦局はわずかだが敵に傾いているように見えた。魔王の言う通り、ジェノブレイドの動きは本調子じゃない。当然だろう。いくら最強の戦士とはいえ、あいつは意識を取り戻して一時間も経っていないのだ。


 もとの魔王の力が10だとして……。戦いを見ながら二人の力関係を量ってみる。




10  魔王

9   ジェノブレイド

8   

7   魔王(アリア転生)

6   ジェノブレイド(負傷)、俺、リーシャ(からくり芝居発動時)

5   シュナ、リーシャ

4   

3   

2   城の衛兵

1   一般人




 かなり乱暴な見立てだが、こんなとこだろう。しかもジェノブレイドには相手を殺せない縛りもある。どうやったって一対一じゃ分が悪い。


 かすり傷で凌ぐにも限界があるだろう。


 わずか五分が信じられないくらい長い。


 ――いや、今は回復に集中しろ。猛攻を凌ぐジェノブレイドに釘づけていた目をそっと閉じた。


 あいつは俺たちの国が誇る“勇者”だ。あいつを信じなくて他に何を信じる。


 余計なことを考えるな。そう自分に言い聞かせた。言い聞かせてる時点で、集中なんかできちゃいないんだろうけど。


「くらすたーふれあ!!」


 妙に平坦な発音とともに魔王が炎を放つ。おそらく部下に教えられた技名を、意味を理解することなく叫んでいるのだろう。


 しかし棒読みの割に、技の性能は凶悪そのものだった。炎の弾は風の刃を受けるとその場で破裂し、炎の針をこちらに向けてまき散らした。


 ひとつひとつは小さな針。だが数が多すぎる。


 血の焦げる匂いが鼻をついた。風の渦で周囲を覆いながらも、勇者は針の数本をその身に受けていた。


「どーだっ! さすがの勇者さまも、いまのコンディションじゃ防ぎきれないよね」

「どうだかな」

「む。強がりは可愛くな……」


 ヒュッ! と風切り音のようなものが聞こえた。同時にアリアの銀髪が数本、こちらは音もなく地面に落ちた。


 振りぬかれたジェノブレイドの剣。ノーモーションから繰り出された目にもとまらぬ早業。


 傷を負っていなければ。あるいは殺す気で放ったならば、おそらく急所を捉えていたであろう一撃。


「――まだそんなの撃てるの……。ほんと信じらんない」


 魔王の開いた瞳孔がジェノブレイドを映す。その表情には驚嘆と仄かな賞賛の色が見て取れた。


「たとえ敵でも、キミにはこんなところで死んでほしくないなぁ」

「私を従える気か」

「ムリでしょそれは。心配で眠れなくなっちゃう」


 魔王は思い切り苦笑いをして「そうじゃなくて」と続けた。


「死んでほしくないっていったのは味方に欲しいって意味じゃないの。

 勇者さまがいればたくさんの人が魔物の脅威から護られる。キミにはその力と信念がある。


 わたしだって、自分のせいで人間が死ぬことを望んでるわけじゃないもん。

 だから死んでほしくない。悲しい顔はできるだけ見たくないから」


 こんなお願い、ムシがよすぎるかもしれないけど。……最後にぽつりとこぼして、魔王は寂しげに眼を伏せた。


 油断を誘っているようにも見える。


 ただ一方で、助けを求めているようにも思えた。


「戯言だな」

「そうかな。……そうかもしれないね」


 お互い、今となってはな。独り言のように呟くと勇者は剣を大きく振った。


 その剣閃に迷いはなかった。迷いを断ち切っているように見えた。


「終わりに、しよっか」


 魔王はどこか名残惜しそうに言葉をこぼした。そして手に魔力を集める。


 炎の塊は形を変え、黒い大鎌に変貌を遂げた。


 首を刈り、命を灰と化す死神の鎌。


「相変わらずヤなかたち」


 魔王は胸元に持ち上げると、口をへの字に曲げた。


「行くよ」


 魔王の言葉を合図に、二人が互いの距離を正面から詰める。


 お互いに決着を意識した正面衝突。敗れた方がこの舞台から姿を消すことになるだろう。


 傷を負いながら、勇者はわずかの怯みもない一振りを繰り出した。前回の戦いで人類に勝利をもたらした無双の剣。


 だがその刃が魔王を捉えることはなかった。


 空を切った剣の先。魔王は大きく踏み込んで、手にした鎌を振り上げる。


「わたしの勝ちだね」


 勇者の首に灼熱の一閃が触れる。


 もう防ぎ手はない。それでもジェノブレイドは最後まで敵から目を逸らすことはなかった。


 さすがだよ。本当に。


「お前の勝ちだ。勇者」


 ――互いが互いの姿しか見ていない、いわば二人きりの世界。


 割って入ったのは、死角から迫っていた俺と赤い光を放つ刃だった。


 すんでのところで魔王の鎌を魔封石のナイフが受け止める。魔力が散らされたためだろう。鎌は形を歪ませ、そのまま魔王の手から消滅した。


「うそ……もう五分!? ぜったい経ってないよ!」

「調子が戻るまで五分“くらい”って言ったろ。敵の言うことを馬鹿正直に受け取んな」


 俺の屁理屈に、魔王の顔から血の気がひいた。


 治ったなんてもちろんハッタリだ。けど、それでもナイフを手に魔王の懐に入り込むことはできた。


 だから勇者の勝ち。そして俺たちの勝ちだ。


 柄を逆手に持ち一気に振りぬく。紅い光が弧を描いて魔王の肩口を裂く。


 ほとんど反射の動きだろう。攻撃を受けた魔王は後ろに跳んでいた。だが肩口を押さえると、その場に膝をついて声にならない叫びを上げた。今度は間違いない。攻撃が魔王を捉えたのだ。


「――終わったか」


 うめく魔王を前に、勇者は首を押さえながら言った。俺もそう期待した。


 だが。


「まだ、だよ。まだ終われない」


 届いたのは地獄の底から聞こえてきたかのような声。


 向けられたのは敵を食い殺そうとする獣の表情だった。


 敵は魔族の王。


 顔のない魔王は、いまだ魂をその身体に残していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る