第16話 何でも屋 クード

「――。ごめんね……クード君」


 黒い火の粉の弾ける音に混じって俺の耳に届いたのは、静かな謝罪の声だった。


 アリアの声でもない。仲間の誰の声でもない。二度と聞くことはない、そう思っていた“魔王”の声だった。


 両手に纏った炎がぼんやりと浮かぶ。忘れもしない。俺たちジェノブレイド一団を最後まで苦しめた魔王の技だ。


 目の前のアリアは、もうアリアではない。直視しなくても認めざるを得なかった。


 倒れた俺に足音が近づく。


 魔王はもう一度「ごめんね」と呟くように言った。


「熱いよね……すぐ消してあげるからね。ちょっとでも身体が綺麗に残るように。

 ちゃんとお墓参りにも来るから。えっと、お供え物はなにがいいかな。ケーキとか好きだったかな。わたし実はお菓子とか作るの得意なんだ。あ、でも男の人って甘いものは」


「勝手に殺すな」

「!?」


 俺が喋ると、魔王は身体をのけぞらせて後ずさった。


 少しだけ引火した部分を手で払い、身体を起こす。「び、びっくりしたぁ」魔王は口を両手で覆いながら呼吸を整えようとしていた。


「いきなり起き上がらないでよっ! 心臓止まるかと思ったじゃない!」

「そのまま止まればよかったのにな」

「ひどっ! ――でもよかったぁ! 死んでなくて」

「自分で殺そうとしといてどの口が言うんだ。お前マジで」


 目じりを拭う魔王。本気で安堵しているみたいだった。完全にネジがとんでやがる。転生しても相変わらずのようだ。


 この“顔のない魔王”ってやつは。


「ん? でも、あれ? どうしてきみ生きてるの?」


 焦げた俺の胸元を指して魔王は言った。どうやらもう俺の魔法を忘れているらしい。


 攻撃を受けた左胸を指す。服の裂け目から鈍い銀色の肌が露出していた。


「メタル化の魔法だ。攻撃を受ける前に発動させておいた」

「メタル化……! そっかぁ、そういえば身体を金属にできるんだったね。

 けどそれって肩凝りそう。身体も重そうだし」


 お前の相手をしてる方が百倍くらい肩がこる。っていうかこいつ前に戦ったときも同じリアクションしたよな。


 思わずため息が漏れた。ようやく出てきたかと思えば相変わらず疲れる女だ。今はアリアの見た目をしている分だけ余計に違和感も強い。


 さっさと本題に入ってしまおう。


 俺が「おい」と声をかけると、魔王は「あ、ごめんね」と言って独り言をやめた。


「ようやく出てきたわけだし、真面目な話をしようぜ」

「話って?」

「交渉に決まってんだろ」


 勇者がリーダーだったときはほぼ問答無用で殺し合いに突入した。しかし今は状況が別だ。アリアの身体も乗っ取られてるわけだしな。


 それに避けられるならバトルそのものも避けたい。こいつはアホだが腕は確かだ。


 アリアの身体じゃ前ほどの力は出せないと思うけど、自力の差がある。分がいい勝負ではない。


「こっちの要求は二つ」


 そう言って人差し指と中指を立てる。


「ひとつは魔物の凶暴化を止めること。もうひとつはアリアの身体から出て行くこと。快く受けてもらえねーか」

「どっちも無理!」


 魔王はNO! と言いながら腕でバッテンを作って見せた。


「魔物の凶暴化なんて止められるものなら止めてるよ」

「え、そうなの?」

「そうだよ。だって暴れさせたってなんの得もないもん」


 文句でも言うみたいに、魔王は口を尖らせた。


「魔物を凶暴化させる魔法はね、自分の意志で発動させてるわけじゃないの。生まれつきの体質って言えばいいのかな」

「体質……? けどお前、この力で人類を支配しようとしたじゃねーか」

「逆だよ。こんな体質をもって生まれたせいで、人類と戦うことになっちゃった。望んでもないのにね」


 感情豊かな魔王は、その表情にめいっぱいの嫌気と寂しさを滲ませた。


「わたしが生きてるだけで魔物が暴れるでしょ? そしたら人間はわたしを攻撃するでしょ?


 最初は自分の体質をコントロールできないか訓練した。でもできなかった。それどころか、齢を重ねるごとに魔法の力は強くなっていった。


 わたしは身を守る為に人間と戦わなきゃいけなかった。そんな毎日が嫌になってお姫様をさらったの。もうわたしに構わないで! って言いたくて。


 王が要求をのんでくれたら、姫様はすぐ返すつもりだった」


「なんだそれ。初耳だぞ」

「揉み消されちゃったんじゃないかな。王にとっては魔物に屈する姿を人々に見せられるわけないし」 


 当然といえば当然だよね。と、自虐的に笑う魔王。何から何まで寝耳に水だが、嘘を言っているようには見えなかった。


「ふつうに暮らしたかっただけなんだけどな、わたし。おいしいもの食べてみんなと歌ってさ。命を狙われる心配なんてない生活。

 それが叶うなら、こんな力なんていらなかったのに」


 そう言って魔王は指先に炎を灯した。


 なんだこれ。予想してたのとだいぶ展開が変わってきやがった。


「でもお前、やることはやってやがったじゃねーか。証言者の魔物の口封じ。

 自分の都合で殺しをしたって意味じゃ、俺たち人間と変わらねーだろ」


 胸に芽生えかけた感情を振り払うように、言葉を突きつける。何を言っても、こいつだって手を血に染めてきたのは同じだ。今さら何を言ったって綺麗事にすぎないだろ。


「――うん。あの子が死んだのも、もとはわたしのせいだもんね」

「どういう意味だ」


 思わず訊いてしまった。魔王は「わたしのせいであの子は死を選んだ」と口火を切った。


「知ってると思うけど、あの子はわたしの可愛がってた魔物の一匹だよ。トップシークレットである“転生”のことも教えていたくらいだもん。

 あの子はわたしがお姫様に転生したことに気付いていた。だから疑いを晴らすためにわざと“転生”のことを勇者に明かした」


「――嘘だろ?」

「嘘じゃないよ。げんに30メートルルールが伝わったおかげで、お姫様は疑いから外れたじゃない。


 けれどあの子もそれ以上の真実を語るわけにはいかなかった。捕まる時間が長引けば、自白を促す魔法の使い手を王が連れてくるかもしれない。


 それを恐れて――わたしが捕まることを恐れて、あの子は死を選んだんだと思う。奥歯に仕込んだ毒薬を自ら飲んで」


 毒薬は証言者の魔物が調合を得意としたものだったそうだ。魔王もその作り方は教わっていた。だからこそ、薬箱の瓶に仕込んだ毒と、胃袋から検出された毒は一致していた。


 証言者の魔物が死んだとき、衛兵たちが侵入者の存在に気付けなかったのも“侵入者なんていなかったから”だったのか。隠してあった座標石は単なる仕込みで。


 何から何まで筋は通ってやがる。


 額を冷たい汗が伝った。徹していたものが揺らぎそうになる。何が正義かわからなくなりそうだ。


 ――いや、ブレるな。基本に立ち返れ。


 まずはアリアの身体と魔王を分離することだ。


「ちなみにもうひとつのお願いも聞けないよ」


 俺の思考を知ってか知らずか、魔王はあっさりと口にした。


「こっちも自分では解除できないし、解除できたとしてもしないよ。だってお姫様の身体から出たら、すぐわたしを始末するでしょ?」

「どうだかな」

「それがわからないほど頭わるくないもん」


 どうだ! と胸を張る魔王。前はナイスなバディだったぶん画になったが、アリアの身体でやられるとどうにも子供っぽく見える。


「じゃあ……ま。結局のところ闘るしかないわけだ」

「だね。そう思ったから先制攻撃したんだよ」


 防がれちゃったけど。と舌を出す魔王。緊張感の薄いリアクションだ。


 けれどそんな魔王も俺の手許を見ると表情を硬くした。カゲツから預かったナイフの切っ先が、魔王の胸を捉えていた。


「ナイフ使えるの?」

「武器の扱いは一通り学んだ。これでも勇者の養成所にいたしな」

「そうじゃなくて。この身体に、そのナイフを突き立てられるの?」


 アリアの瞳がじっと俺を見つめている。

 俺はひとつ大きく息を吸い、正面から視線を交わした。


「舐めてもらっちゃ困るな。何でもできるし、何でもやるから“何でも屋”なんだぜ。

 アリアから預かった覚悟に変わりはねえ。

 勝負だ、魔王」


 柄を握る手に力を込め、地面を蹴る。魔王はもの寂しそうな表情をした。だがそれも一瞬の事。すぐに目を吊り上げ、両手へ炎を纏わせた。


 全てが始まった場所で、全てを終わらせる戦いが始まった。






 ――魔王の使える魔法はおそらく四つ。


 前回の戦いを思い返しながら、俺は身に迫る炎の矢をかわした。


 メインの攻撃技である、黒炎(ヘルフレイム)。あとは治癒(リペア)、転生(リバイバル)、凶暴化(バーサク)。確認している範囲ではそれだけだ。


 牢に座標石があったことからワープも使える可能性も考えられるが、前回の戦いでは使ってこなかった。使えたとしてもそう得意じゃないのだろう。戦闘中はそう気にしないでよさそうだ。


 警戒しなきゃならないのは黒炎と転生の二つ。


 魔王の懐に入り込もうとすると、黒い炎の壁が俺の眼前を横切った。あと一歩、いや半歩踏み込んでいたら黒こげになっていた。


 黒炎の魔法。何度も受けたらメタル化じゃ対応できない火力だ。


「けどそれ以上に、あっちが厄介だな」


 舌打ちをしてもう一度魔王に攻め入る。やはり炎を撃ってきたが、今度はナイフで掻き消した。魔封石のナイフは魔力を無効化させる。だから炎がきつくて近寄れないという事態にはならない。


 それでも簡単に詰め切れる感じはしなかった。


 拳のフェイントを入れ、ナイフを突きだしてみる。しかし魔王はそう苦も無く俺の攻撃をかわした。それはそうだろう。奴はひとまずナイフの決定打さえ浴びなければいい。


 万が一にも殺してしまえば俺が“転生”で乗っ取られてしまう。だから手段を択ばず攻撃するわけにはいかない。


 相手が相手だけにきつい縛りだな。乱れた息を整えながら、俺は魔王から距離をとった。


「――驚いた。クードくん、前より強くなってない?」

「当たり前だ。お前と戦った後、魔物の群れやら勇者とも戦ったんだぞ。そりゃ経験値も溜まるしレベルも上がるだろ。

 反対にお前は動きが悪くなってんな」


 それはそうだよ。と魔王は自分の身体を眺めた。


「戦士の身体じゃないし、転生もまだ完了してないもん。これじゃ前の七割の力も出せないよぅ」

「それは朗報だな」


 攻め手の速度を更に上げてみる。数えきれないほど撃った拳の一発が、魔王の右腕を捉えた。


「痛った……!」魔王が炎を破裂させて背後に跳んだ。距離を稼いで治癒を使う気だろう。


 させるかよ。


 思い切り拳を振りかぶる。魔王は炎の盾を発生させたが、いまさらそんなものじゃ怯まない。腕が焼き切れても攻撃は通す。


 メタル化した右腕は盾を突き破り、魔王の身体に迫った。魔王は防御した。だがダメージを殺しきることはできなかったのだろう。魔王の顔が苦痛にゆがんだ。


 これならいける――そう思った。その矢先だった。


 本気出さなきゃね。


 そんな声が聞こえた気がした。


 それが気のせいだったのかはわからない。けれど考える余裕はなかった。


 敵の両手に不吉な魔力を放つ黒い塊が見えた。


「!!」


 破裂音と共に、熱風が俺の前髪を焦がした。すんでのところでメタル化を発動させ、俺は後ろに跳んでいた。


 だが四肢に火傷を負ってしまった。特に左脚は膝から先にほとんど感覚がなくなっていた。


 これじゃさっきまでの連撃は撃てない。痛みと現状を噛み潰すように、俺の歯がぎり……と音を立てた。


「これまで使うことになるとは思ってなかった。ほんと強くなったよね。

 けどこれで逆転だよ。クード君のメタル化は全身を同時には覆えないんでしょ? 動きが鈍るから。

 いまみたいな全体攻撃を繰り返せばダメージはどんどん蓄積する」


「……」

「図星なんだね。じゃ、遠慮なくもう一発いくね」


 掌の黒い塊が濃くなってゆく。撃たせまいとしても、脚が言うことをきかない。魔王に迫れない。


 5秒ほど溜めて、黒い球が弾けた。終わったかと思った。


 だが炎は俺のところまで届くことはなく――目前の所で霧散していた。突如として巻き起こった“竜巻”によって。


 この速さ、この威力。


 この風は。


「鎌鼬……?」


 ことん。と音を立てて、俺のポケットから白い光を放つ石が転がり落ちた。アリアに持たされた座標石だ。


 それが目の前に現れた人物の靴にあたって止まる。


 視線が上に昇ってゆく。


 壁のように立ちはだかるその背中は、俺たちの誇る勇者。ジェノブレイドの背中だった。

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