第15話 告白

 出発の日は朝から雨が降り続いていた。


 雨粒のうちつける窓ガラスの向こうに、断崖と灰色の海が広がる。昨日より荒れた波の飛沫が、ときおり窓の高さまで昇っているのが見えた。


 絶海の孤島に建てられたカゲツのアジトをもうすぐ発つ。

 約束の時間まであと十分か。


 懐中時計の蓋を閉じ、腰かけていた椅子を立った。瞬間、ノックの音と扉のきしむ音がほぼ同時に俺の耳まで届いた。


「準備できたよ。そろそろ行こっか」


 ランプを手にしたカゲツが、いつもと変わらない調子で俺に微笑んだ。


 カゲツの後について廊下を進み、薄暗い階段を昇る。アリアの方はカゲツの仲間とともに、すでに高台で待っているという。


「昨日はゆっくり過ごせた? あの後、夕食まで姿を見せなかったけど」


 黙って後ろを歩く俺に、カゲツは声をかけてきた。


「リーシャとシュナの部屋に行ってたみたいじゃない。その後は寝たままのジェノブレイドの所にも足を運んだそうね」

「まあな」

「何しに行ったのよ」

「そりゃ見舞いだろ。言ってなかったか」

「知らないから訊いたのよ。おかしな話よね。私が私のアジトで起きたことを知らないなんて」


 背を向けながら、カゲツが横顔をこちらに向けた。口調は平然としていた。しかしその眼には、なにか探るような光が宿っていた。


「壁に耳あり、扉に目あり。私たちは魔法を通じてアジト全域を監視しているわ。二十四時間三百六十五日、ほとんど欠かさずね。

 けれど昨日のクードには何やってるかよくわからない時間帯があった。位置情報くらいはわかったけど、映写石に流した映像は霞んでいるし、音にもノイズが混じってた。あれ、どういうこと?」

「コレのせいだろうな」


 腰につけた革の鞘を外して見せた。中には魔封石の刀身が収められている。


「魔封石には微弱な魔法なら接触していない状態でも阻害してしまう効果がある。通信系統の繊細な魔法じゃ影響を受けてもおかしくない」

「知ってるよ、そんなことは。だからわざわざその鞘に収めてあんたに渡した。

 それでもあんたの監視が阻害された――ってことは、シュナやリーシャの部屋でナイフを鞘から抜いたってことよね」


 断定に近い口ぶり。

 尋ねられているのではない。詰問されているのがわかった。


「実験だよ」


 実験? そう訊き返すカゲツは眉をひそめていた。だが構わずに続ける。


「魔封石がどの程度の効果を発揮するのかを知りたかったんだ。魔王の城にも魔法による監視システムがあるかもしれない。

 だがカゲツの目すら欺けたなら、通信妨害の効果も十分に期待できるってことだろ。違うか?」


「違わないわ。けど気に食わない。それなら一言、話を通してくれてからでもよかったんじゃない?」

「――」

「どうしたってのよ、クード」


 カゲツが足を止め、俺を振り返った。ちらつくランプの炎がお互いの影を揺らした。


「何をひとりでこそこそやってんの。昨日の夕食のときだってろくに口もきかないし、明らかに様子が変でしょ」

「……。悪い」

「謝るな。言い返せ。私との問答なんか適当に受け流しなさいな、いつもみたいに。

 ――何があったか知らないし、話す気ないならこれ以上訊く気もないけどさ。そんなんじゃ敗けるよ。魔王に」


 刺々しい言葉は相変わらずだった。けれど、言葉の節々にカゲツなりの気遣いが感じられた。


「失いたくないものがあるんでしょ。だから今まで戦ってきたんでしょ。

 しっかりなさいな」


 そう言ってカゲツが扉を引く。

 小雨のうつ高台の中央。黒い外套に身を包むアリアが、静かに微笑んで俺を迎えた。





 カゲツの仲間の転送師とともに、俺とアリアはアジトを発った。


 一度でワープできる距離に制限があるのだろう。転送師は数か所の座標石を経由し、俺とアリアを魔王の城の門まで送り届けた。


 ちなみに門前の座標石は前に俺が来た時に埋めたものだ。そのまま埋めておいてもよかったが、何かしら使い道があるかもしれない。アリアがそう促したので掘り起こした。


 城の庭をまっすぐ突き抜ける。相も変わらずの物々しい扉が俺たちを迎える。


 二人で扉に力を加えると、ギィィ、と重苦しい音がホールに響いた。


「クードたちが魔王と戦ったホールは、ここね」


 頷くと、アリアはホールの中央の位置に立った。ちょうど魔王が絶命した位置だ。地面を軽く拳で叩くと、そのまま奥の通路へと歩みを進めた。


 ホールの検証はもういいんだろうか。


「どこへ向かう気だ」


 尋ねると「ついてこればわかるわ」と素っ気ない返事が返ってきた。


 二人して無言のまま長い廊下を歩き、階段を降りる。何分か歩いてたどり着いた場所は、前回は訪れることのなかった場所だった。


「――ここは」


 鎖の残骸が散らばった暗闇の小部屋。見覚えがあった。アリアの閉じ込められていた地下室だ。切れた鎖はジェノブレイドが斬ったときのままみたいだ。


「ここに私が眠っていたのよね」


 俺が頷くと、アリアは「そう」と小さく呟いて頭上を仰いだ。


「行きましょう」

「もういいのか?」


 俺の問いに言葉を返さず、アリアは再び来た道を戻った。そして無言の移動時間が再開する。何しに来たんだ。


 それにしても……あれ? これはどういうことだ。


 助け出した時、アリアは意識を失っていた。道中の記憶はないはずだ。


 どうして迷わずこの部屋にたどり着ける?


 俺の疑問を――あるいは焦燥を感じ取ったのだろう。口火を切ったのはアリアの方だった。


「城の構造を推理すれば、ここには容易にたどり着ける」


 そう言って階段を昇る。ひたすら昇る。頭上の、ある一点だけを見つめて。


「私の閉じ込められていた部屋はね。――ちょうどこの真下だったのよ」


 目の前に景色が開けた。戻ってきたのは、俺たちが魔王と戦ったホールだった。


 魔王が絶命したホール。


 その地下に閉じ込められていたアリア。


 全てのピースが重なった。


「洗練された魔法は壁や床を貫通させることができる……シュナが前にそう教えてくれたわね。魔王の“転生”が魔法の一種であることも。


“30メートルルールは周囲だけでなく、上下にも有効”。

 そう考えれば全ての前提がひっくり返る。


 魔王はクードたち四人のうちの誰かだという前提――。それは最初から、真実を覆い隠すためのフェイクに過ぎなかった」


 寂しげに眼を伏せ、アリアはその胸に手を当てた。




「魔王は私だという真実を」




「――論理が飛躍してんな」


 告白の余韻も噛みしめないままに、俺は言葉を返していた。


 頭の中は真っ白なのにすらすらと言葉が出る。まるで自分ではない何者かが、俺の身体を借りて喋っているかのような感覚だった。


「アリアの拘束されていた部屋が、たまたまホールの真下にあっただけの話だ。30メートルルールのアリバイが崩れた……それだけの話だろ。

 俺たちの中でいちばん弱いアリアの身体を、魔王がわざわざ選ぶはずない。それに」

「もう無理をしないで」


 突き放すような声だった。くしゃくしゃになりそうな表情をなんとかこらえながら、アリアは俺に微笑んで見せた。


「力が弱いからこそ身体を乗っ取るのに最適だった。疑いを逸らすのに最適だった。それがいちばん現実的な答でしょう?

 おかしなことは他にもあった。私には魔力がないはず。それなのにジェノブレイド戦では、魔力の弱い者には見えないはずの“暗幕”がなぜか見えていた」


 目を逸らそうとしていた決定的な事実を、アリアは自ら口にした。


 シュナがリーシャの腕に治癒をかけようとしたあのとき。闘場には暗幕が張られた状態だったにもかかわらず、アリアは場外からの鎌鼬に気付いて『伏せて!』と叫んだ。


 アリアには見えないはずの攻撃がなぜか見えていた。


「自分の身体に魔力が宿っていることに、そのとき気がついた。そしてその理由も。

 信じたくなかった。けれど、30メートルルールが崩れた今、もう自分を誤魔化すことなんてできなかった。

 私の身体は少しずつに魔王に近づいている。私の意識は少しずつ魔王に蝕まれている」


 アリアの掴んだ“証拠”は、全ての真相を明らかにした。


 アリアがホールの地下に幽閉されていたのは、いざというときにアリアの身体を乗っ取る予定だったから。


 魔王の城で奇襲を受けなかったのは、乗っ取ったばかりのアリアの身体では負傷した俺たちにも勝てなかったから。


 暗幕が見えたのは身体に魔王の魔力が宿っていたから。


 それを隠さなかったのは、強敵である勇者を俺たちの手で倒してもらえば都合がよかったからだ。


「ジェノブレイドとの戦いのあと……私はクードに応急処置を施そうとした。自分でもどうしてそんなことをしようとしたのかわからなかった。


 だってもっと重症だったリーシャとシュナが目の前にいた。なのに傷の浅いあなたを真っ先に心配し、治療しようとするなんておかしいじゃない。


 思えばあのとき――私は魔王に操られていたのだと思う。処置をするふりをして、クード。もっとも傷の浅いあなたを先に殺そうとしていたんだと思う。


 だって」


 そう言ってアリアが外套から小瓶を取り出した。

 

 見覚えのある瓶だった。


 あれは応急処置をしようとして、アリアが取り出した薬箱の中にあった……。


「――まさか」


 俺の呟きにアリアは頷いた。


「この消毒液の瓶……中身が毒薬だったの。証言者の魔物を死に追いやった毒とまったく同じ毒。


 それが私の用意した薬箱に――入っていたの」

 

 告白が終わり、ホールから音が消える。自分の動悸だけがうるさいくらいに大きく聞こえた。


 嘘だ、とか。あり得ない、とか。否定をする言葉はいくらでも浮かんだはずだった。それでも俺は何も言うことができなかった。


 ただ唇を噛んで首を横に振ることしかできなかった。


「――わかるの。私には、もう時間がない」


 そう言ってアリアは胸に当てた手のひらをギュッと閉じた。自分の心臓を鷲掴みにするかのように。


「胸がざわつくの。自分が自分じゃなくなるみたいに」

「アリア……」

「だから急いで。私が私でいるうちに」


 そう言ってアリアが歩み寄る。そして俺の腕をとり、その手にナイフを握らせる。


 それを自分の胸元にあてがう。


 涙の溜まった瞳が俺を見上げている。


 時が止まったかのように思えた。




「やりなさい、クード。――早くッ!!」




 それが、アリアの終わりの言葉だった。


 俺の手に添えられた手がゆっくりと離れる。


 白い小さな手に灯った黒い焔。


 それが放たれたと認識できた瞬間、“魔王”の一撃が俺の左胸を焦がしていた。

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