第14話 餞別
あす十六時、アジトの高台で。――出発の約束をアリアと交わし、俺は食堂を出た。
もう九割がた魔王の正体に目星がついているのだという。だが最後の確認をするために、もう一度だけ足を運びたいとアリアは申し出た。
行先は魔王の城。俺たちの旅が終わり、悪夢の始まった場所だ。
アリアの言葉を信用するなら、明日にはすべての真相が明かされる。魔王との再会もその直後になるだろう。
たとえ魔王がジェノブレイドでも。リーシャでも。シュナでも。あるいは俺でも。
終わらせなきゃならない。そのためにここまでやってきたんだ。
――魔封石の紅いナイフを腰に収める。代わりにポケットからメモ用紙を取り出した。
カゲツから受け取ったアジトの見取り図だ。
『食堂の位置がココ。階段を下りて右手にある青いマルがリーシャの部屋。赤いマルがシュナの部屋ね。
ジェノブレイドを拘束している部屋もいちおう添えておくわ。もっとも、いつ意識が戻るかさえわからないけど』
ちなみにジェノブレイドは剣を奪った状態で拘束してあるのだそうだ。奴の鎌鼬は愛用の剣がなければ撃てない。
もちろん剣がなくても反則的に強いことに変わりはないが、さすがに今のコンディションで暴れることはできないだろう。とりあえずそっちの心配はなさそうだ。
アリアのほうもこのアジトにいる間は安全だ。むしろ今となっては俺と二人きりでいる方が怖い。
魔王の意識が俺の中に潜んでいるかもしれないのだ。そうじゃないと願いたいが、俺はそれほど自分を信用できなかった。
――ここはカゲツの縄張りだ。事を起こせば即、あいつとその仲間に取り押さえられる。魔王も無茶はできないはずだが、さてどうなるか。
思案を巡らせながら扉をノックする。
「はーい」
返ってきたのは思いのほか元気な声だった。
「おじゃまするぞ」
ドアノブを押すと、一面に白い壁が目に入った。病室をイメージしたかのような作りだ。
その壁際のベッドで、リーシャは小刀を片手に何かを彫っていた。
「あ、クード! 身体はもういいの?」
「リーシャこそな。腕は元に戻ったのか」
「うん! すごく腕のいい治癒師さんがいるんだね。目が覚めたときにはぴったりくっついてたよ。さすがにリハビリには時間がかかりそうだけど」
そう言って肩口から包帯の巻かれた腕を見せる。小刀を持つ手が震えていたが、神経もちゃんと結合しているみたいだった。
「――昨日の今日だしね。まだ簡単なものを作るのも時間がかかっちゃうけど、治ってくれるみたいで本当によかったよ。ものづくりは私の生きがいだから」
木彫りの人形に目を落としてリーシャはにっこり笑った。その笑顔でほっとした。勇者戦のダメージでいちばん心配だったのはリーシャだったからだ。
あの時点で勇者との戦闘を招いてしまったのは俺だ。もしも仲間に深刻な傷が残ったら、俺はどう償えばいいのだろう。ずっとそんなことを考えていた。
「心配してくれてたんだ。クードはそういうとこ真面目だもんね」
「マジメ? 俺が?」
初めて言われた。リーシャはまっすぐに俺を見据えて頷いた。
「真面目っていうよりちゃんとしてる、って言えばいいのかな。義理堅いとこあるなぁって思うの。
クードが女の子にもてるの、わかる気がするな」
「そうだろうそうだろう」
「普段はちゃらいけど」
「すみません調子に乗りました」
天狗になった鼻を一瞬でへし折られた。持ち上げておいてパッと手を離す。なかなか味のあるプレイじゃないか。
っていかん。こんなこと考えてるからちゃらいとか言われるんだ。事実だけど。
ふぅ。と一息ついて「聞きたいことがあるんだ」と切り出した。
「――あ、作業しながら聞いてくれていい。魔王の城のことなんだけどさ」
俺の話に、リーシャは手を動かしながらも記憶を手繰るような表情をした。
再び魔王の城に赴いたあの日、リーシャは俺よりも先に魔王の城を調べていた。
「何か気づいたことはなかったか。どんな小さなことでもいい」
「んー……もう知ってることかもしれないんだけど」
「構わない」
「クードがと会う前に調べたんだけどね。魔王と戦ったあのホール、端から端ががちょうど30mだったの。
1センチの誤差もなく、完璧に30m」
知ってた? と視線で問うリーシャに、俺は黙って首を横に振った。
だいたい30mくらいというのは掴んでいた。しかしぴったりというのは初耳だ。
となると。
「あの城は……転生に最適な内部構造に設計されてるわけだ」
魔王がホールで俺たちを迎え撃ったその理由がようやくわかった。
有効半径ぴったりに設計された広間。敵との距離感をつかむのに便利な指標になることは間違いない。あの場所はいざというとき、魔王が転生を発動させるのに最も都合のいい場所だったのだ。
俺の考えにリーシャは頷いた。それから「ホールだけじゃないかもしれないよ」と付け加えた。
「やけに廊下が長かったり階段が多かったりしたし、設計が不自然な部分は他にもあったもの。わたしたちが気づいてないだけで、他にも仕掛けはあったのかも。
少なくともわたしたちと戦う前から“転生の発動は想定されていた”。
わたしはそう思ってるよ」
一理ある。どころかかなり的を射た推測のような気がした。
アリアがもう一度魔王の城に行きたいというのも関係しているんだろうか。
「クード?」
「いや、なんでもない。
長々と付き合わせてごめんな。今は休むことが第一だ。よく食べよく寝るんだぞ」
「――待って」
俺が席を立つと、リーシャはさっきから彫っていた人形を差し出した。
手にグローブをした可愛らしい男の子の人形。見覚えのある造形をしていた。
俺……なのか。これは。
「あげる。持って行って」
リーシャは多くを語らず、人形を俺の手に握らせた。ニカッと笑う人形からは、温かみのある木のぬくもりが感じられた。
「俺が来ることが分かってたのか」
「なんとなく、ね。すぐ行っちゃいそうなことも。だから急いで作ったよ」
「そっか。……ありがとう」
頭を下げたらリーシャもまたお辞儀を返した。
なかなか頭を上げなかった。
まるで今生の別れを惜しんでいるかのように思えた。
「――こっちがシュナの部屋か」
一度カゲツの元を訪ねてから、俺は再び階下の客間を訪ねた。
ノックをしても中から返事がない。寝てるんだろうか。
ま、シュナだし別にいいだろ。
さくっと割り切ってドアノブを回す。射殺すような視線が俺を迎えた。目許に皺を寄せ、ベッドから半身を起すシュナがこちらを見ていた。
だがそれも一瞬のことで、訪問者が俺だとわかるとシュナはほっとしたように息をついた。
「なんだ、クードか」
「なんだとはなんだ」
「すまない。目が覚めてからどうも気が立ってな。どこなのだ、ここは。やけに強力な魔力に囲まれているのを感じる」
そうか。シュナは意識が朦朧としていたから知らないのか。
「怪しいとこじゃ……なくはないけど、安心していい。俺の同業のアジトだ。ここなら追手に捕まることもない」
「――城の病棟ではないのか」
事態を飲み込めたらしく、シュナの目つきから険しさが消えた。
しかし白い肌には微妙に隈ができている。警戒しすぎで寝不足だったんだろう。
「そんなシュナにいいもの持ってきたぞ」
カゲツから預かってきた袋に手を入れる。きょとんとしていたシュナだったが、それを見た瞬間に瞳が大きく開き、顔を硬直させた。
「そ、それはうさぴょん……くま蔵まで……!! ど、どどどこでそれを」
「ああ。カゲツに頼んで持ってきてもらった。これがないと眠れないんだろ」
「私の部屋に入ったのか!? いやしかし、ウチに簡単に侵入できるはずが」
「お前んちじゃねーよ。城の保管庫だ」
シュナの実家であるアークライド家に侵入するのはいくらカゲツでも骨が折れるだろう。魔法によるセキュリティが硬すぎる。だが城の保管庫なら、カゲツにとっちゃ子供の秘密基地に入るのとなんら変わりはない。
だがシュナはそれでも状況が呑みこめていない様子だった。「どうして城の保管庫に私のぬいぐるみが……いったいなぜ」と呟いている。
「知らなかったのか。俺たちはお尋ね者になっただろ。次の日には家に衛兵たちが調べに来たんだぞ。その際に持ち物やら何やらが押収されたんだ」
「――! ということは何か? 城の者たちも私の部屋を」
「ああ。見ただろうし知っただろうな」
意外に知られてないシュナのメルヘン趣味をな。
みなまで言わずとも悟ったらしい。シュナはじたばたしながら毛布で顔を覆ってしまった。
言わなきゃよかったかな。ちょっと可哀そうになってきた。
「そんな気にすることないさ。シュナは俺よりだいぶ年下だろ。女の子らしくていいと思うぞ」
「――ふん。クードは誰にでもそういうことを言うのだろう」
毛布の中からむくれた声が返ってきた。痴話喧嘩みたいだな、これ。
「嘘じゃない嘘じゃない」
「また軽く言う。ではほかに私のどの辺りが女の子らしい?」
「うさぎさんのパンツ履いてるとことか」
「なるほど……ってどうしてそれを知っている!?」
がばっと顔を出すシュナ。色んな感情がごちゃまぜになった、見たことのない表情をしていた。
「だってシュナお前、寝相めっちゃ悪いじゃん。旅のテントで寝てるときにお前の尻が目の前にあったときはビビったぞ。ニンジンをかじったうさぎさんのイラストがいきなり視界を埋め尽くしてたもんな」
「あ……うぅ……」
「けど大丈夫だ。それはたぶん俺しか知らない」
「大丈夫ではないだろう……もうお嫁にいけない」
力の抜けた息を吐きながら、シュナはがっくりと肩を落とした。そして首だけ回すと、普段より更に白くなった顔をこちらに向けた。
「責任とるんだぞ……クード」
いや何のだ。
突っ込みが喉まで出かかったが、気の毒なオーラが濃すぎて声にならなかった。なぐさめるつもりが逆に追い打ちをかけてしまったらしい。
とりあえずまぁ……受け取れよ。俺が二体のぬいぐるみを手渡すと、か細い声で「礼を言う」と返してきた。相変わらず律儀な娘さんだ。
「それでシュナ。尋ねたいことがあるんだけどいいか」
「――もう何でも訊いてくれ。私に隠し事はなにもない」
投げやりになるなよ。と思ったが変になぐさめてまた地雷を踏んでもアレなので、そのまま話を続けた。
「転生って魔法の性質についてだ。これまで俺たちは、魔王が四人のうちの誰かになりすましている。そう思っていた」
「? 違うのか?」
「なりすましにしては完璧すぎる。それで魔王は限定的に宿主の意識と身体を乗っ取っていて、乗っ取られた側にはその自覚がないという推測が立った」
「――なるほど。ありえない話ではない」
目からうろこ、といった様子だったが、シュナはすぐに頷いた。
「魔王の転生は言うまでもなく強力な魔法だ。しかしその分のリスクはあってしかるべき。転生してすぐに完全な乗っ取りができるとは考えにくいし、『潜伏期間』があることも十分にあり得る話だ。
! そうなると私が魔王の可能性もあるという事か!?」
それは考えたくない。
うさぎさんパンツのエピソードで狼狽える魔王とか楽しすぎる。雰囲気ぶちこわしだ。
まぁあの魔王もなかなかぶっとんだキャラではあったけど、ちょっと方向性は違うからな。
「シュナは違うだろう。魔力がこれだけ消耗している今も、魔物たちの動きに衰えがない。魔法の強さは術者の消耗に応じるはずだろ?」
「ふむ。そうなると四人のうち消耗の少ない者が魔王の容疑者ということか。
……あ」
「いやいい。気を遣うな」
失言を抑え込むかのように口を覆ったシュナへ、俺は笑顔を返した。それでもシュナの表情は晴れなかった。
自分のことのように胸を痛めてくれているのがわかった。
「クード……私はお前が魔王だなんて信じないからな」
「だな。俺もそう思いたい」
「だから魔法をかける。魔王に負けたりしないように」
そう言うとシュナは俺の右手をとった。重なり合う手がぼんやりと蒼く光る。それから俺の全身を滑らかな感触が包んだ。
耐性強化(プロテクト)の魔法か。
「お守り代わりにはなってくれるはずだ。……すまない。今の私にはこれくらいのことしかできない」
「充分だよ」
今のシュナが使える耐性強化が実用に耐えうるレベルかは正直、微妙なところだ。それでも気持ちが嬉しかった。
それだけに――こんな話をしなきゃいけないのは残念でならないな。
「ありがとうな、シュナ」
「クード……?」
「話はこれで最後だ」
そう言ってシュナへと歩み寄る。シュナはそんな俺を見て目を剥いた。
それから逃げるようにベッドの端へ身体をよじらせる。どうやら気がついたらしい。
俺の右手に握られた紅い刃に。
「俺の質問に正直に答えてくれ。
もっとも、結果は変わらないかもしれないけどな」
磨かれた紅い刀身が、吊り上った俺の口許を映した。
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