顔ノナイ魔王 解答編

第13話 転生の制約

 見覚えのある景色が広がっていた。


 ステンドグラスから射しこむ月光。冷たい大理石の床。居並ぶエンタシスの柱。


 幅30メートルのホール。


 そこは魔王との決戦の場所だった。


 俺は今までに確か二回、ここに来たことがある。


 一度目は魔王と戦ったとき。二度目はリーシャと30メートルルールの検証に来た時だ。


 しかし見える景色には魔王もリーシャもいなかった。


 静かで広いに空間に、俺とアリアだけがいた。




 アリアが何かを話している。けれど俺の耳に音は入ってこない。無声演劇を見ているような感覚だ。


 なんだよ。何が言いたいんだ。


 俺はそう訊いたつもりだが、なぜだかその空間では声にならなかった。


 アリアが静かにこちらを見ている。その表情はどこか物憂げで、何か悲しい感情を噛み殺しているようにも見える。


 視線を交わしているだけで胸が痛くなった。なんて顔してんだよ。


 駆け寄ってやりたかった。それなのに、なぜだか身体が動かない。


 ――徐々に視界がぼやけてゆく。意識が霞んでゆく。


 映像が途切れる最後の最後。アリアの唇が小さく動いた。




 「さよなら」と言っているように見えた。









――顔ノナイ魔王 解――










 まぶたを開くと、昨日までの朝とは違った天井が見えた。


 城の一室とはちがいぼんやりと薄暗い部屋の中。ベッドの脇にはシンプルな調度品。


 ああ、そうだ。カゲツのアジトだ。ここは。


 昨日までのあらすじを呼び覚まし、身体を起こす。頭も全身も鉛のように重かった。布団を跳ね除けるのすら億劫に感じた。


 治癒(リペア)は昨日のうちに施してもらった覚えがある。なのに何だ、この疲れは。


 大勝負に勝った後だというのに気分も晴れない。嫌な夢でも見たんだろうか。


 ――――。

 ――。

 思いだせん。


 ま、いいか。ざっくり割り切って両頬を叩く。


 するとその音に混じって、扉の開く音がした。カゲツ……と、なぜか隠れるようにアリアが後ろについて立っている。


「おはよ、クード。お目覚めはいまいちみたいね」

「なんでわかる」

「あんたって寝起きが悪いときにほっぺた叩く癖があるじゃない」

「……なんでそれがわかるのかしら」


 アリアのぼそっとした呟きが聞こえた。朝一番にいらん誤解を届けてくれたようだ。


 気怠い身体に鞭をうってベッドを降りる。


「お姫さまから話があるそうよ。私は食堂にいるから後で来なさいな。

 それではお二人様。ごゆっくり~」


 下世話な微笑みと言葉を残してカゲツは扉を閉めた。


「――」

「――」

「――座れよ」


 椅子を進めると、アリアはおずおずと腰を下ろした。そして顔色を窺うように、俺に視線を送ったり離したりしている。


 いい感じに挙動不審だ。


「VIPルームとやらはまともだったか」

「え、ええ。自室ほどの広さはなかったけれど」

「あるわけないだろこの超絶お金持ちめ」

「そ、そうね。ごめんなさい」


 ……。

 あのアリアが俺に謝った……だと?


 全身にぞわっとしたものが走った。さっきまではぎこちなさが気になっていたが、今となっては違和感を通り越して不気味に感じる。


 思えばカゲツの背中に隠れていた登場シーンからしてアリアらしくない。


「どうしたよ。変なもんでも食わされたのか」

「どうしたもこうしたも……なんでクードは普通なのよ」


 非難めいた視線を向け、口を尖らせるアリア。普通、ですけど普通に。何かまずいことがあっただろうか。


 はてなマークを浮かべる俺に「昨日の今日じゃないの」とアリアは呟いた。心なしか顔が紅潮している。


 しかし残念なことに本当に心当たりは浮かばない。沈黙が嫌になったのか「ああもう!」とアリアは声を荒らげた。


「私はクードに抱きついちゃったしクードはそれに応じたでしょう!

 だ、だだ抱き合ったこと覚えてないの!?」

「――。え? 抱き合ったアレのこと?」


 確かに肩に腕を回した。回したけどそれだけだ。あのあと姫様をおいしくいただいちゃったとかそういう続編はもちろんない。


「姫様ってそういう耐性ないのか?」

「あるわけないでしょう!!」


 キレられた。すげえ顔真っ赤だし。


「どうせ私は純粋培養のお嬢様よ。そういう経験なんてからっきしよ! 悪い!?」

「め、滅相もございません」


 思わず敬語になった。勢いのある逆ギレは正論に聞こえるから怖い。


「けど、アリアなんか舞踏会で男に肩を回されるときくらいあるだろ。何を今さら」

「どーでもいい男と接するのとは別でしょっ!

 ――! 違う今のナシ!」


 ぶんぶんと首を振るアリア。自ら喋って自ら地雷を踏んでいる。


 なにこれ初めて見るアリアなんですけど。


 ちょっと楽しくなってきた。シュナをからかっているときの面白さに通じるものがある。


 いや、ダメか。テンション上げてる場合じゃない。深刻な事態は何も変わっていないんだ。

 自分を諌めて真面目な表情を作る。


「触れられちゃ嫌だったか。なら謝る」

「――。嫌だとは……言っていないでしょう」

「良かった」


 気が抜けたら自然と頬が緩んだ。そしたらアリアも、つられるようにしていつもの微笑みを取り戻した。


「それで話なのだけれど」

「いや、やっぱ食堂で聞くよ。ここじゃ内緒話は意味がない」


 このアジトはカゲツの目と耳に囲まれている。何をしても全部あいつに筒抜けだ。だったら堂々としてる方が感じいいだけマシだろう。


「プライバシーなんて無いから気をつけた方がいいぞ。せっかくベッドのある部屋で二人きりなのに残念だけどな」

「――」

「いや冗談ですよ?」


 真っ赤になって俯くのやめてくれ。悪いことしたような気分になるから。


「……もう行こうぜ」なんでもなかったように誘うと、アリアはこくりと頷いた。




「あらら。早かったのね」


 食堂の椅子に座ると、開口一番にカゲツがそう口にした。何が早かったのかはもはやつっこまないことにする。


 俺はアリアの椅子を引いて、自分もその正面に腰掛けた。それから給仕の女性に飲み物を注文する。


「あの、カゲツ……さん。リーシャとシュナは」


 世話になっていることに気を遣ったのだろう。昨夜の態度とはうってかわり、アリアが遠慮がちに尋ねた。


「安心してくださいまし。二人とも重大な危険は乗り越えました。治療後の意識もはっきりしています。

 さすがに体力と魔力の消耗は激しいようですが、ふた月もすれば元の生活に戻れますでしょう」


 自信たっぷりなカゲツの言葉に、アリアは胸を撫で下ろしていた。


「しかし疑問に思うことがいくつか出てきました。ひとつは外の世界の現状です」


 そう言うと、カゲツは俺に視線を流してきた。


「何かあったのか」

「んーん、これといって変化なし。けどそれって変じゃない?」


 わかってるでしょ? とでも言いたげに、カゲツは指を立てた。


「勇者と武器職人さんと魔法使いさんはみんな治療室送りの状態。それなのに魔物たちの動きにはまるで変わりがないの。

 普通は魔力が弱れば、魔法の効果もそれに応じて弱まるはず。それが一つ目の疑問。

 それともう一つは」


 二本目の指が立てられ、それが俺へと向けられる。


「クードも言っていたけれど、三人の挙動にまるで不自然なところが感じられないの。ウチの専門家が簡単なカウンセリングをした限りではね。


 魔王の演技が完璧……って可能性も無いわけじゃないけれど、なりすましにしては完成度が高すぎる。魔王は勇者一団と付き合いなんてなかったわけだし。


 となるとひとつの可能性が浮かぶわ。


 身体を乗っ取られている者には、いまのところ自分が魔王になったという認識がない。たとえば一日のうち限られたタイミングだけ魔王に操作されているとかね」


 そこまで言うと、カゲツは黙って俺の目を見据えた。どう思う? とさえ聞かずにただ沈黙した。


「つまり俺が魔王の可能性もあるってことか」


 水をうったような空気の中、俺は自ら静寂を破った。もはや黙っていても仕方のないことだ。


 魔物たちの挙動が変わっていないことも俺が魔王という仮説を裏付けている。容疑者四人のうち、最も消耗が少ないのは俺だからだ。


 俺が無自覚に魔物たちを凶暴化させている可能性は十分に現実味を帯びている。


 アリアが唇を噛んでテーブルに視線を落としている。おそらくアリアも“乗っ取られた人間の無自覚”という推測には行きついていたのだろう。


 乗っ取られた人間は何も気づかないまま、じわじわと自分を失ってゆく。

 それはあまりにも残酷だ。


「憶測でどうこう言うつもりはないけど」


 カゲツはコーヒーにミルクを足すと、音もなくカップの中をかき交ぜた。黒と白が、ゆっくりと混ざって溶けてゆく。


「いい感じに危険な匂いがしてきたんじゃない? クード」

「危険なのは最初からだろ」


 そう返して、運ばれてきたサラダに手をつける。汗ばんだ手で握ったフォークはやけに冷たく感じた。


「それよりも、頼んでおいたのは用意できたか」


 あからさまな話題の転換だったが、カゲツは「一応ね」と抵抗なく応じた。


「モノ自体はすぐに渡せる状態にあるよ。ただ臨床データはほとんどないし、使い物になるかは未知数だけど」


 カゲツが指を鳴らすと、奥の扉から使いの人間が姿を見せた。手にした剣台には紅い刀身のナイフが載せられている。


 俺はナイフを受け取ると窓から射す光にかざした。刀身から透けた光がテーブルクロスを赤く照らす。


「用意できただけでも大したもんだ」


 注文を出したのが、リーシャ達を探しに城を出た日のことだ。まだ一週間ちょっとしか経っていない。信じられない仕事の速さだ。


「――そのナイフ、何?」


 尋ねるタイミングを見計らっていたかのように、アリアが口を開いた。


「武器だよ。魔王の転生対策に作ってもらった」

「対策?」

「まだ可能性に過ぎないけどな」


 サラダを咀嚼しながら、説明の続きをカゲツに促す。


 一瞬カゲツはめんどくさそうな顔をしたが、アリアの方を向いた時には愛想を作っていた。


「“魔封石”と呼ばれる石で鍛えた刀身のナイフです。その名の通り、この石は魔力を封じる効果を持ちます。


 魔王の“転生”もまた魔法の一種。だとすれば、これを刺せば体内の魔王だけを消滅させることや、新たな転生を防ぐことが可能かもしれないということです。 


 あくまで理論上の話ですが」


 なるほど、と呟いてアリアは俺に視線を戻した。


「ただ使うかどうかは微妙なとこなんだけどな。さっきもカゲツが言ってたが、臨床データなんて無いに等しい。

 狙った効果があるのかどうかは信用しきれないんだ。無理を言っておいて悪いんだけどさ」

「ホントに無理言ってくれたよね。この石すっごい貴重なのに」

「――いくら請求する気だ」


 貴重だとわざわざ言うくらいだ。相当ふっかけるつもりなんだろう。

 一億か二億か? 下手すると五億くらいはむしりとられるかもしれない。


「じゃあ百兆」

「国家予算か」


 聞いたことのない単位に、コンマ一秒の間もなくつっこみが飛び出した。


 しかしカゲツは「きっちり取り立てるからね」と薄く笑った。


「請求したモノは必ず回収する主義だから、私。

 ――だからなるべく死なずに終わってよ。クードには貸しも借りもたくさんあるんだから」


 冗談交じりの口調でそんなことをいうカゲツ。相変わらずどこまで本気なのかわからない女だ。


 けど気合は入った。今はそれで充分だ。


「しかしこの魔封石ナイフを使うにしろ使わないにしろ、魔王を特定しなきゃどうしようもない。こうしている間にも魔物の被害は拡大してる。急いだ方がよさそうだな」

「――その話なのだけれど」


 アリアの落ち着いた声が割って入った。


 悠然として静かな言葉づかい。聞きなれているはずなのに、なぜか今日は妙に無機質な言葉に聞こえた。


 カップに注がれた紅茶を瞬きもせず見つめるアリア。俺とカゲツが視線を向けると、薄い桃色の唇がゆっくりと開いた。


「明日、私の推測が正しいのかどうかを確かめに行きたいと思うの。

 本当にあの人が魔王なのかどうか……それで全てが分かるはずだから」

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