第11話 勇者 ジェノブレイド 後編

「なぜ勇者の継承争いを降りた」


 敵意を向けるでもなく、勇者は単純な疑問を俺にぶつけてきた。


「何を……今さら訊いてんだよ」

「今だからこそ訊くのだ。クード。

 お前には素質があった。お前だけが私に差し迫る実力を備えていた。あのまま勇者を目指していれば、ここまでの差が開くことはなかっただろう。

 この悲壮な景色を見ることもなかっただろう」


 気の狂いそうな激痛に耐えながら勇者を見据えるリーシャ。そして壁に打ち付けられながらも朦朧とした意識をなんとか保っているシュナ。


 二人の姿が眼に入り、胸を締め付けられる思いがした。


「後悔はないか。選択を誤ったとは思わないか?」

「そんなもん今さら言ったって仕方がねーだろ」


 吐き捨てるような言葉で、俺は勇者の問答を切って捨てた。


 そして一気に距離を詰めて勇者に殴り掛かる。必殺“五体崩し”。一秒間に12発の正拳を繰り出す連撃だ。


 だが勇者はその全てを悠然と躱した。勇者は風を操る。正面からの攻撃はとても当たりそうにない。


「あの時は――」


 それでも俺は勇者に全力の攻撃を繰り出し続けた。届くことなどないとわかっているのに、バカみたいに拳を突きだした。


「あの時は辞めるのが正しいと思ったから辞めたんだ。俺なりに無い知恵を振り絞って決めたことだ。馬鹿にすんじゃねえ!」

「馬鹿にはしていない。だが重大な選択には根拠が必要だ」


 勇者は紙一重で俺の拳を掻い潜ると、剣の柄で俺のみぞおちを殴った。


 腹を貫かれるような衝撃に思わず意識を失いそうになる。だが膝をつきながらも、何とか歯を食いしばって勇者を見据える。

 勇者は静かに俺を見下ろしていた。


「もう一度尋ねる。そのざまで尚も、勇者を諦めたことに後悔はないのか」

「無いっつってんだろ。だっててめーは……勇者ジェノブレイドはこんなにも強い」


 勇者に殴られた部位を押さえる。

 すさまじい重さの一撃だった。ここに至るまでに、こいつはどれほどの鍛錬を積んだのだろう。


「勇者に相応しいのはお前しかいないと思った。心も体も人間離れしたお前なら、魔物たちの侵略にも対抗できる。そんな風に思った。

 どんな困難にも立ち向かえる。そう信じた。

 勇者ジェノブレイドは、俺のヒーローだったんだよ」


 腹の底にしまってあった思いを吐き出すと、それにくっついてきたかのように色んな記憶が甦った。


 養成学校での手合せでぼろくそにやられたこと。


 ふてくされる俺に「前よりも強くなった」と慰めになってない慰めを言ってきたこと。


 微妙に仲が悪いのに、あいつのほうから魔王の討伐メンバーに指名してきたこと。


 ともに魔物たちと戦ったこと。


 ともに危機を乗り越えてきたこと。


 ともに旅をしてきたこと。


 魔王に勝利して手をたたきあったこと。


 その全部が、色褪せないまま俺の記憶に残っていた。


「昔と比べたらお前は少し変わっちまった。命のやり取りを繰り返す旅のさなか、お前は勇者として酷な役割を一身に担ってきた。心がおかしくなりそうな選択をしなきゃならないときもあった。そりゃあ変わりもするよな。


 前にも言ったけどお前だけのせいじゃない。リーダーのお前にぜんぶ押し付けてきた俺のせいだとも思ってる。


 だからってな。使命だけに突き動かされて動く人形みたいな今のお前は……見ちゃいられねーだろうよ」


 震える膝を立て、もう一度構えをとる。それに呼応したかのように、シュナとリーシャも立ち上がった。


 誰一人としてその瞳から戦意を失ってはいなかった。


「私と違い、心が強いのだな。お前たちは。

 ならばやむを得ない。その心を挫く。これ以上時間をかけたくはないからな」


 勇者は踵を返すと、俺たちに背を向けた。その先には結界に護られたアリアの姿があった。


 まさか。


「自分の痛みよりも、他人の痛みのほうが堪えるのだろう?」

「――それでも勇者かよ」

「こうしている間にも数多くの国民の命が魔物の危機にさらされている。手段は択ばない。

 それとも大人しく拘束されるか? 三人とも」


 勇者が剣を片手にアリアへと迫る。


 それを何とか止めようとしたのだろう。残された左腕の糸を操り、リーシャは壁の板を外した。


 壁に仕込まれた矢とそれに括られたピアノ線が勇者めがけて放たれる。しかし無数の罠も、鎌鼬の前に全てが無力化された。


 そして勇者が一枚の結界を挟んでアリアの前に立つ。


「それだけの傷を負ってなお結界を維持しているのは大したものだ。シュナ。

 だが時間稼ぎにもなるまい」


 アリアを包む結界めがけて剣を振り下ろす勇者。果物みたいに結界は切り裂かれ、剣の切っ先がアリアの目前を掠めた。


「お久しぶりです。アリア姫」

「久しぶりね、ジェノブレイド。しばらく見ないうちに、随分と騎士の道を外れたものね」


 アリアは瞬きのひとつもせず、侮蔑の笑みを絶やすこともなく、勇者を見据えた。


「使命を果たすためなら私ひとりの騎士道など安いものです」

「ともに戦った仲間の命も?」

「……」


 アリアはくす、と微笑んだ。口をつぐんだ勇者をあざ笑うように。


 勇者は答えを返さず「失礼します」そう言ってアリアの背後にまわり、細い首に刀身を添えた。


「どうせ私は殺せないでしょう。こんなことをして意味があるの?」

「確かに、魔王の容疑者ですらない貴女を殺すことは使命に反します。

 ですが痛みを感じていただくくらいのことは許容の範囲内。躊躇いはありません」


 脅しかもしれないし、脅しじゃないかもしれない。判断がつかない。


 それに何より、勇者にも間違いはある。殺すつもりがなくても絶対の保証はない。


 最悪の事態になった。


 ぐるぐると思案を巡らせていると、勇者から俺たちの前にそれぞれナイフが放ってよこされた。


「クード、リーシャ、シュナ。それで自分の両脚を斬り落とせ。そうすればアリア姫を解放する」


 きわめて事務的な物言いで、勇者は俺たちに選択を突きつけた。


「魔王でない者は安心すればいい。腕のいい治癒(リペア)の使い手は私の知り合いにもいる。疑いが晴れれば元通りになるよう取り計らおう」

「――冗談よね?」

「アリア姫。私は冗談を言ったことがありません」

「……。そう」


 アリアは静かに瞼を閉じた。そして。


「ならば迷う余地はないわ。戦いましょう。私たち4人で」


 その言葉を訊いて、初めて勇者の表情が強張った。最も危機に晒された者が交戦の継続を訴えたのだ。驚かないはずがない。


 だが息を呑んだのは俺たちも同じだった。


『戦いましょう。私たち“4人で”』


 あの言葉は最も綱渡りの作戦を実行する合図。命がけの作戦を発動させるスイッチだ。


 勇者も度肝を抜かれたのだろう。アリアを注視している。


 初めて俺から視線を外している。

 これが最後のチャンスだ。





 シュナとリーシャに視線を送ると、二人は無言で頷いた。

 そして残された魔力を一気に解放する。


「仕込み絡繰“芥子花火”」


 失血でほとんど身体を動かせなくなったリーシャは、襟元に仕込んだ魔力の糸を噛み切った。そして同時に、リーシャの袖口に仕込まれた矢が放たれる。


 たかが一本の火矢。そんなものは、百を超える銃弾すら凌いだ勇者に通用するはずはない。


 勇者は当然のように反応した。十分な余裕をもって。


 それでも奴はその矢の軌道を見て顔色を変えた。


 その矢の先が――アリアの心臓を捉えていたからだ。


「!?」


 勇者は剣で矢を振り払った。その瞬間、アリアの首から刀身が離れた。


 人質を狙うというあり得ない行為が、勇者のあり得ないミスを引き出した。


「終わりだ! 勇者ジェノブレイド!」


 かろうじて杖を握っていたシュナが、血と叫びを腹の底から吐き出した。

 手にした杖には莫大な魔力が込められている。


「雷鳴……あるいはワープか? だが」


 自分で思考の乱れを自覚したのだろう。考えを整理するように、勇者は独り言を呟いた。


 シュナが命運を託すほどの大技は、おそらく雷鳴かワープの二択。だが雷鳴にしろワープにしろ、密着しているアリアを巻き込んでしまう。


 さぞかし戸惑っただろう。シュナは何をする気なのだろうか、と。


 表情を硬くする勇者を見て、腕に抱かれたアリアは微笑んだ。


「教えてあげる。シュナの最大の切り札、それはワープよ」

「知っている……だが姫と接触している私をワープで仕留める事は」

「あなたをワープさせる気なんてない。

 ワープさせるのは、あなたを倒す私の切り札」


 そう言って勇者の眼前に拳を上げるアリア。そしてゆっくりと五指を開く。


 その中には石が握られていた。白い光を放つ石。

 座標石だった。


「やりなさい、クード」

「了解(ラジャー)」


 俺はアリアと勇者の“目と鼻の先に現れ”、振りかぶっていた拳をそのまま突き出した。




『――もしもの時はこれを使いましょう』


 決戦の朝。アリアは座標石を見せて俺たちに言った。


『私が人質にとられたらクードを私の手許にワープさせる。いくらジェノブレイドでも、一瞬で零距離に攻撃が迫れば反応はできないはずよ』

『それはダメだろ。一歩でも間違えたら、人質にとられた姫様が危険すぎる』

『私には剣も魔法もないけれど、それでもあなたたちの仲間でいたいと思ってる』


 言葉を失う俺らを前に、アリアは穏やかに微笑んだ。


『“4人”で戦いましょう。それを忘れないで』





 俺たち4人の最後の攻め手。それは人質として密着しているアリアの手許への瞬間移動だった。


 勇者からすれば突如として俺が目の前に現れ、その拳がみぞおちに触れているという状況。いくらヤツが勇者でも化け物でも、あるいは魔王でも、反応のしようがない連携攻撃。


 最後の最後、勇者の瞳が大きく瞳孔を開いているのが見えた。だが奴の反応もそれが限界だった。


「か……っは……」


 腹にめり込んだ拳。弛緩する身体。

 握っていた剣も人質もその場に放ち、勇者はこと切れたように崩れ落ちた。


「――殺してないわね?」

「当たり前だ。怪我はさせたけどな」


 俺が応じると、いつものようにアリアは「そう」と呟いた。


「ならいいわ。

 私たちの勝利よ」


 

 アリアの勝利宣言が静かな闘場に響く。


 死闘が、ここにようやく幕を下ろした。

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