第10話 勇者 ジェノブレイド 前編
一夜が明けて、俺たちは朝から闘場に集まっていた。
リーシャ、シュナ、アリア、それに俺。横を見たら全員がちょっとくたびれた顔で正面の扉を見つめていた。
それもそのはずだ。ここに集まってからもう1時間くらい経っている。
「時間も約束しとけばよかったな」
その言葉に全員が無言で頷いた。場所を指定しておいたところまではいい。しかし肝心の時間を指定することを忘れていた。感情に任せて挑発した結果とはいえ、さすがにお粗末なミスをしたものだと反省している。
とにかくいつ勇者が現れるか予想がつかないので、4人とも早起きをしてここに集まったというわけだ。
「朝食にサンドイッチを作ってきたけれど……食べる?」
アリアがランチボックスを取り出して見せる。嫌な緊張が続いて疲れた俺たちは、一も二もなく頷いて腰を下ろした。
まだ何もしていないのに休憩タイムへと突入。決戦の朝は気の抜けた展開で幕をあけた。
「つーか、やっぱりさ。姫様までここに来ることなかったんじゃないか。
まじで危ないぞ。巻き込まれるかもしれない」
「危ないといってもあなたたちほどじゃないわ」
それに……と言いかけて、アリアは俺だけにわかるよう視線を送ってきた。
この戦いの最中に誰かが不自然な行動をとるかもしれない。それを観察する役目が必要でしょう?
……。確かに俺は目の前の戦いに集中していなくちゃならないから、やってくれるなら助かるけどさ。
トマトのサンドイッチを頬張りながら、シュナとリーシャの顔を見る。いまのところ全く不自然な言動がないとはいえ、二人もまた魔王の容疑者だ。
さすがに戦闘をしながら当面の味方まで疑っている余裕はない。俺はアリアの申し出を受けることにした。
「シュナ、姫様の周りに結界を頼めるか。厚めのヤツな」
「わかった。朝食が終わったらすぐに」
シュナが言いかけた時、闘場の入り口の扉が音もなく空いた。
いきなり差し込んできた外の光に、全員の注目が集まる。
藍色の鎧に包まれた筋肉質な身体。肩口から覗く長剣の柄。精悍な顔立ちに切れ長の瞳。
現れたのは俺たちのリーダー。勇者ジェノブレイドだった。
「――相変わらず間の悪いタイミングでやってくるのな」
「お前が時刻を指定しないからだ」
勇者が一礼をして闘場に足を踏み入れる。シュナとリーシャはすぐさま身構え、アリアの前に立った。
一瞬にして凍りつく空気。それを感じ取ったのか、勇者は「さっそくか」と剣の柄に手をかけた。
「まあ慌てんなよこのせっかちさんが。悪い癖だぞ」
「クード。お前に癖を注意されるいわれはないな」
「そう言うなって。サンドイッチでも食って待ってろ」
飾り紙に包まれたサンドイッチを放って渡す。勇者は包み紙をあけると、中身をまじまじと見た。
「――誰が作った?」
「安心しろ。シュナじゃねーよ」
「では戴こう」
なんなのだその心外なやりとりは! とでも言いたげな表情を見せるシュナだったが、さすがは俺たちの誇るマジメっ娘。アリアを覆う結界の形成に黙って集中していた。
毒を疑うこともなくサンドイッチをたいらげる勇者。準備体操をしながら、そんな様子をまじまじと観察する。
声紋石で話したときもそうだったが、やはり変化は見受けられない。
本当にこいつが魔王なんだろうか。
「私の反応をうかがって、何か得るものはあったか」
サンドイッチの包み紙を丁寧に畳み、それをポケットにしまう勇者。俺は伸びをしながら首を横に振った。
「ちょっと反応を見たくらいじゃ判断はつかねーな。手強いぜ。魔王は」
「同感だ。だからこそお前も私と剣を交える覚悟をしたのだろうが……賢明な判断とは言い難いな。
私に敵うと思っているのか?」
俺、リーシャ、シュナ、そしてアリアへと順に視線を送る勇者。それは敵に向ける目でも仲間に向ける目でもない、言うなれば無感情な視線。
寒気すら感じた。
「どうだかな。力の差はあってもこっちは三人だ。チームワーク次第じゃいい線いくかもしれないぜ」
なるべく平然を装って言い返す。俺の意図が伝わったのか、シュナとリーシャも表情から動揺を消した。
そんな俺たちに、勇者は少し予想外の反応を見せた。
「チームワーク次第か。それは否定しない」
「え、認めんの?」
呆気にとられた俺たちだが、勇者は相変わらず淡々とした調子で応じた。
「完璧な連携は時として個人の実力の何倍もの力を発揮する。お前たちとの旅で私はそれを学んだ。
魔王を倒すことができたのも私一人の力ではない。お前たち三人が、パーティとして各々の役割を完璧に成し遂げたからこそ得られた勝利だ。
ゆえにチームワーク次第で、私の力量に迫ろうとする考えそのものは否定しない」
それでも。と、勇者は続ける。
「私が魔王でない以上、お前たち三人のうちの誰かが魔王だという事は揺るぎのない事実。
今のお前たちに完璧な連携を成すことは不可能だ。
だから力量で下回るお前たちが、私に勝つことはできない」
超のつく上から目線で、勇者は自分の勝利を宣言した。
――俺たち三人のうちの誰かが魔王。だから力を合わせることはできない、か。
なるほどね。お前にしては面白い理屈を言うじゃねーか。
だったらよ。
「もし俺たちが完璧な連携を見せたら……勇者に勝つことができたら、俺たちの中に魔王はいねーってことだな?」
「戯言だな」
「試してみろよ。――行くぜ」
その言葉を合図に、リーシャとシュナがそれぞれの武器を構える。勇者が背中の剣を抜く。そして。
戦いの火ぶたは切って落とされた。
――暗幕(ブラインド)――
シュナの詠唱と同時に、俺たちは四方に跳んだ。
まともに向かって行っては勝ち目がない。まずは死角に潜む形からの攻め手だ。
勇者は表情ひとつ動かさないまま剣を構えると、大きく腰を捻った。
「暗幕は魔術に精通していない者にこそ有効な技。目を凝らせばおおよその位置は掴める」
勇者は小さく、そこだ。と呟いた。
かと思うと、次の瞬間には剣を振り終えていて、残像だけが空間に残っていた。
文字通り、目にもとまらぬ速さの“空振り”
勇者の必殺技、鎌鼬(かまいたち)が放たれたのだ。
――勇者が得意とする魔法のひとつ、鎌鼬。空気の刃を剣閃と同じ速度で飛ばす中距離の攻撃魔法。
切り札の攻撃をいきなり撃ってきやがった。
剣の軌道の先にはリーシャがいる。それは把握できていた。けれど。
名前を叫ぶ間もなかった。何が起きたのかを頭の中で処理しているときにはもう――
リーシャの右腕は彼女の肩から斬り飛ばされていた。
ゆらめく暗幕の裂け目。勇者の冷めた視線とリーシャの見開いた眼が交錯する。
「っ――痛いなぁ。でも、覚悟してたよ」
リーシャの右腕が中空を舞う。その動きに合わせて、彼女の指につながった魔力の糸がぴんと張りつめる。
天井の板が一斉に外れて落ち、仕込まれた無数の銃口が顔を覗かせた。
その全てが勇者に照準を合わせた状態で。
「からくり芝居、“三次元銃勢(サンジゲンジュウセイ)”」
ターゲットに向けて一斉に銃口が火を噴いた。その数およそ百発以上。
食らえば蜂の巣どころか跡形も残らない。
耳をつんざくような轟音とともに床の木片と土煙が舞い上がり、室内の視界は一気に埋め尽くされた。その前方にリーシャが着地をする。
千切れた腕の付け根からは無数の糸が垂れていた。
リーシャの身体そのものに罠の起点を仕込む奥義“からくり芝居”。身体に深刻なダメージを受けると自動で罠(カウンター)を発動するという諸刃の剣。
『明日はわたしも本気で戦うから』
あの言葉をどれだけの覚悟で口にしていたか。今になってようやく分かった気がした。
「チャンスだよ! シュナちゃん!」
「応ッ!」
溜めていた魔力を一気に雷へと変換するシュナ。土煙が徐々に薄くなる。
弾丸の掃射された中央には人影があった。リーシャの攻撃を受けてなお、勇者はその足で立っていた。
「一度の攻撃だけで勇者ジェノブレイドが倒れるなどとは、最初から思っていない!
轟け! 雷鳴!」
シュナの杖から目のくらむような雷が放たれた。舞い上がった土埃を焦がし、触れた物質を灰と化す。
轟音とともに、花火のような光が勇者を巻き込んで破裂した。
電撃が壁や床をつたって逃げ、光がおさまってゆく。
攻撃を受けた勇者は――剣に風を纏わせ、その身に迫る雷を散らしていた。
「まぁ、お前なら防ぐと思ったよ。けど目くらましにはなっただろ?」
俺は勇者の懐から、奴の顔を見上げて言った。
リーシャの切り札もシュナの切り札も、勇者の聴覚と視覚を奪うためのもの。その隙に俺が距離を詰めるための布石だったのだ。
「沈め。ジェノブレイド」
硬質化させた拳を、敵の肩口めがけて思い切り振りぬく。
その刹那。俺は勇者と目が合った。
飛散する雷撃に目もくれず、奴は俺だけを見ていた。
――!?
驚きで身体が固まりそうになる。だがもう退くことはできない。
そのまま拳を勇者の身体に向けて打ち付ける。ズドン、と鈍い音が響く。
吹っ飛んだ勇者の身体は十数メートル後方の扉を突き破って、廊下へと消えた。
「やったか!?」
シュナの叫びが届く。俺は「ひとまずは」と返しながらも、唖然とした思いを拭えなかった。
「ダメージは入った……はずだ。あの勢いで廊下の壁に打ち付けられたら、いくら勇者でもしばらくは動けないだろ。けど」
「けど?」
「あいつ……あの一瞬で俺の拳をガードしやがった」
考えられないことだった。あそこまで注意を釘づけられておいて、勇者は防御を間に合わせてきやがった。
考えられない反応速度だ。人間か、あいつ。
「直撃は回避されたということか。しかし倒せたことにかわりはないのだろう?
ならばすぐにリーシャの治療を!」
失った右腕の傷口を紐で縛るリーシャのもとへ、シュナは血相を変えて駆け寄った。
「少し時間は必要だが、私が必ず元に戻すからな! まずは止血しなくては」
「だめ……シュナちゃん。今のうちにワープホールで勇者さまを」
「何を言っている! 死んでしまうぞ!」
勇者の拘束を優先するよう主張するリーシャだが、シュナは頑として譲ろうとしなかった。
倒すことよりも救うことに心を傾けるか。
悪い癖だな。シュナ。
そんな声が、突き破られた扉の奥から聞こえた。
「――シュナ! 伏せてっ!!」
リーシャに視線を向けていた俺たちに、闘場の隅からアリアの叫びが届いた。
その声に、シュナはなにがなんだかわからないといった表情を浮かべた。そして次の瞬間には、その顔が驚愕に染まり――
その全身を吹き飛ばされた。俺が勇者を殴り飛ばしたときよりも遥かに強い威力で。
攻撃を受けたと認識できたときにはもう、シュナは口から血を流してうずくまっていた。
「使わない暗幕は解いておくべきだったな。敵だけでなく自分の視界も狭める」
シュナがダメージを負ったことで、風に揺らめいていた暗幕が消える。
剣の切っ先をこちらに向けて立つ勇者の姿が露わになった。
腕から少し血が流れているのが見える。だが決定的なダメージを負った様子はない。
「なんで動ける……? あの勢いで床に打ちつけられたら、いくらお前でも」
「私の魔法は鎌鼬のひとつのみ。その分だけ応用の幅も広い。衝突の瞬間に、風のクッションを作った。それだけのことだ」
――鎌鼬が斬撃だけの技じゃないことは知っていた。けれどあの極限状態で発動させられるとは思ってもみなかった。
甘く見ていた? いや、違う。
常識を外れてやがるんだ。この勇者ジェノブレイドってやつが。
「化け物かよ、お前」
「化け物ではない。現にリーシャの攻撃は全弾を風で逸らすことはできず、腕と太腿に銃弾を受けた。
それにクード。もしもお前の攻撃が直撃していたら、勝負は決していただろう」
「完璧に防いでおいてよく言うぜ。お世辞ならもう少しうまいこと言えよ」
「世辞を言うような間柄ではないだろう。私は最初からお前だけを注視していた。
かつて私と勇者の座を争ったお前を」
シュナとリーシャに目もくれず、俺だけに視線を釘づけて勇者は口を開く。
その眼は俺の向こうに、どこか遠くの景色を見ているようにも見えた。
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